穂高緒里絵の章_4-3
「食あたりぃ?」
おりえの安心と怒りが半々くらいで混じった叫びが、よく響いた。
「あっはっは。ちょっとね、コッソリ食べた生牡蠣が当たっちゃったらしくてねぇ」
「笑い事じゃないにゃー!」
病室。
華江さんは個室のベッドに横たわっていた。
窓の向こうに、二基の風車が回転しているのが見えた。
「ところで、緒里絵。あんたも花屋の娘なら花束の一つでも作ってきたらどうだい。手ぶらで見舞いなんて、穂高家の娘としてどうなんだい」
「何言ってるのよぅ。そんな、そんなこと考えてる場合じゃないもん! おかーさんの方が心配だもん!」
「そうかい、そりゃ……ありがとうね」
フッと笑う穂高母・華江。
「達矢さんも、わざわざありがとう」
華江さんは俺に視線を送り、言ってきた。
「いえ、俺も手ぶらで……」
「いや、緒里絵と一緒に来てくれただけでもね、礼を言うには十分さ」
「そ、そうっすか」
「かぁちゃん、本当に大丈夫なの?」と弟の秀雄。
「ああ。当り前だろ。お前はさっさと店番に戻りな。商店街の店を閉めとくわけにはいかないだろ」
「あ、はい」
「ほら、行きな」
「うん。店閉めたら、また来るから」
「ああ」
そして、引き戸が開いてゆっくり閉じて、秀雄は出て行った。
「おかーさん」と、おりえは、心配そうに呟いた。
「んー? 何だい」
「本当に何ともない?」
「ああ、ちょっとまだ、気分悪いけどね」
「本当に本当?」
「うるさいねぇ」
「うゅぅ、ごめん……」
「あんたも、店に行きなさい。ショッピングセンターの方の店をね、今、店長さんに預けちゃってるから、さっさと行って、緒里絵が店番してなさい」
「でも……」
「逆らうの? 達矢さんが死ぬよ」
「構わにゃい」
「おいぃ!」
殺伐会話すんな!
っていうか、何で俺が死ぬんだ!
おりえは少し迷いながらも、
「わかったにょ。ショッピングセンターのお店だね……」
「ああ、行ってらっしゃい」
「はぁい……たつにゃん。行こ」
「おう」
と、返事したその時、
「待ちな」
俺たち二人は、同じ方向に首を傾げた。
「達矢さんは、ここに残りな。話があるから」
「はぁ、いいっすけど……」
特に用事もないしな。
「じゃあ、行くにゃん」
おりえは言って、病室を出て行った。華江さんと二人、残される。
俺は黙って、考える。
婿探しをするにしても心当たりは無いし、それに、おりえとの結婚についてや、花瓶の件についてを、何とかしてもらうように頼み込むチャンスかもしれん。
互いに無言のまま時が流れる。
俺は言い出すタイミングを図る。
しかし、なかなか言い出せなかった。
すると、華江さんが沈黙を破った。
「緒里絵をよろしくね。少し、春めいて変な子だけど……優しい、良い子だから……」
何だ、急に。
「そんな、まるでもう長くないみたいなこと、冗談でも言っちゃダメっすよ」
「あはは、冗談じゃ、ないのよ」
からからと笑いながら、言った。
「え」
耳を、疑うことしかできない。
「察しの良い達矢さんにしては、ダメダメね。ウチの店を継いでもらうんだから、もっとしっかりしてもらわないと」
「な、何を、何を言ってるにゃん……」
おりえ口調で言ってみた。
しかし、華江さんはそれを気にすることもなく、淡々と語る。
「血をね、吐いちゃって。それで検査してもらったら、体のどっか……どこだっけな。ま、そこに悪性の何とかがあるとか、何とか病だとかいわれちゃってね。で、手遅れだって、あいつ、一瞬でサジ投げやがって。幼馴染だってのに」
あいつってのは、医者のことだろうか。
「きっと、昔イジメたこと根に持ってんだな。もう昔のことだってのに、ネチネチと根に持ちやがって」
指をポキポキ鳴らしながら、華江さんは、笑顔を作って、言っている。
さっきからずっと、笑って……。
「手遅れって……何ですか……?」
「何って……ねぇ、そりゃ……それが意味するのは、そんなに長い時間は生きていられないって、ことなんだろうかねぇ」
「じょ、冗談っすよね……おりえは、どうなるんですか……」
「…………」
「あんな子を残して逝く気ですか!」
思わず、声を荒げる。
「そうねぇ」
あくまで冷静な、華江さんの声。
「そうねぇって……」
俺の声は震えてしまった。
「達矢さん」
華江さんから笑いが消え、真剣な表情になった。
「何ですか!」
俺は怒ったように返事する。
「あの子に教えてやって欲しい。世の中、お金が無きゃキツイって。あの子はどうも、お金って概念を嫌ってる節があるからねぇ」
「あぁ確かに……」
その通りだと思った。
「しっかり教えてやって欲しいんだ。愛があっても、お金がなかったらどうしようもできないこともあるって。あと、あの言葉づかいは何とかならないもんかねぇ。かわいいはかわいいんだけどねぇ、あんな喋り方してたら、いつまでも子供みたいで」
「…………」
「それから――」
「そんなの! 全部自分で伝えてくださいよ!」
「いやぁ、気恥ずかしいからね……。それにあの子、あたしの言う事は聞かないから」
言って、また、笑った。
「俺の言う事だって、聞きませんよ」
「かもね」
本当に軽く、笑う。
「あの子は、あたしより……母親より、父親の方が好きだったみたい」
華江さんは言って、窓の外を見た。
窓の向こうには、高い山に囲まれた閉塞的な景色が見える。
「向こうにさ、ショッピングセンター。あるだろ」
視線の先は、町の南の方角。
確かにショッピングセンターの建物が見える。四角い建物。
「ありますね」
俺とおりえが出会った場所だ。
「あそこは昔、全部ウチの花畑だったんだよ。昔は、ちょっとロマンチックな四枚羽の風車小屋があったりして、春には一面に、すごく綺麗に色んな花が咲いてね。緒里絵は、少し高台にある丘から、広がる花畑の風景を眺めるのが好きだった……だいぶ昔の話だけどね」
昔話でも始めようとしたのだろうが、俺はそれをさせたくなかった。だから、華江さんの話を遮って、声を出す。
「俺、どうしたらいいですか……」
どうするのが正解なのか、本当にわからなくなったのもある。華江さんに話をさせたくないだけじゃなくて、本当にヒントや答えが欲しくて。
今まで、おりえを幸せにできるような、そんな人を探してきて、そんなの、なかなか居ないように思える。そして今度は華江さんが、こんな……。
どうしたら良いのか、本当にわからなかった。
「…………緒里絵のこと、好きかい?」
窓の外から視線を戻し、真剣な瞳で俺の目を見る。俺は、はっきりとは答えられなかった。
「でも、緒里絵にはもっと、しっかりしてて、普通で、立派な人が……」
「あんたで十分だよ」
「なんか、なんか卑怯ですよ! 病気とか言われたら、それで『娘を頼む』とか言われたら! そんなの面倒見てやるしかないじゃないですか……」
「よろしくねぇ」
また笑いながら、軽い調子で、言う。
「何で、こんなこと……」
「三億円の花瓶割ったんだから、文句は言わせないよ。達矢さんは緒里絵と結婚。いいね?」
「少し、考えさせて下さい」
「そうだねぇ……」
呟いて溜息を吐いて、華江さんはまた、窓の外に目をやった。