穂高緒里絵の章_3-10
また、時間が経った。
かすかに、チャイムの音が聴こえる。
天窓から射す光は弱く、どうやらもう夜みたいだ。
「うーむ……」
俺は独房の中、色々なことを考えていた。
おりえのこと、花瓶を割って生じた借金のようなもののこと。
何よりも思うのは、このままだと、この独房に閉じ込められていて俺は何も手を打つこともできずにおりえとの結婚をすることになってしまうじゃないか。と。
確か、三日間はこの場所に閉じ込めるというようなことを言われていた気がする。
「うぅぅぅううむ」
頭を抱えたい。
タイムリミットは、三日だった。つまりこの時点であと二日。
何とかしなければならないだろう。
この独房。分厚い壁が周囲を覆っていて、出入り口は鉄扉一つのみ。他の脱出経路を考えてみるも、天窓には堅牢な格子。格子を外せたとしても割れるような窓ではない。天井からの脱出ができないとなると、そうだな、ベタに腹痛でも訴えて生じたスキを突いて脱出でも試みようか。
ここからでは、外の様子がさっぱり窺い知れないのだが、牢番というか、見張りがまつり以外なら何とか逃げ切れる自信はある。
とにかく、このままでは何もできずに終わるだろう。ならば、できることはやって可能性を生むべきだろう。何もしないより、何かをやった方が後悔も無いし、何かを変えることができるかもしれないから。
「ぅぅう、腹が……」
とりあえず呟いてみる。練習だ。
「何か棒読みだな。もう一回だ」
そして、大きく息を吸ってのたうちまわってみる。
「うぐぁああ、腹、腹がっ。腸がメタメタァ!」
首を捻る。
「何か嘘っぽいな……」
もう一度。
「ハラーガ! ハラーガ!」
――外人かよ。ていうかなに人だよ。
自分で心の中でツッコミを入れてみる。
「虚しいぜ……突き抜けるほど虚しいぜ……」
ひとりごちてるのも虚しいぜ。
「そーれハッラッガ! ハッラッガ! そーれいけいけハーラガ♪ ハーラガ♪」
――何の応援だっ!
なんか、すげーバカバカしくなってきた。
と、そんな時、ギィと音がして、扉が開いた。
勝手に扉が開くことはないから、これは誰かが開けたということ。
光射す。
「オー! ハラーガ! ハラーガ!」
俺は脱出チャンスを見出すために咄嗟に腹を抑えて叫び、ゴロゴロ床を転がった。
入ってきた誰かは、しばらく黙った後、こう言った。
「何やってんだい達矢さん。宗教儀式?」
「え、その声は……」
起き上がり顔を上げると。
光を背に、和風に着物を纏った穂高母・華江の姿。麗しく艶やかだった。
「お、お母様……っ!」
「どこ行ったかと思ったら独房入りとはね。そんなに緒里絵と結婚するのが嫌かい?」
「いや、まぁ、その……」
わざと独房入りしたわけではないんだが。
「見つからないんだろ。代わりの結婚相手なんて」
「はぁ、まぁ現状は候補すら見つからない状態ですが……」
だが諦める気はないぞ。
「この町にろくな男が居るわけないじゃないさ。諦めな」
「いえ、それはしたくないです。おりえは、好きな人と一緒になるべきです」
「そうかい」
穂高母は溜息混じりにそう言って、
「とりあえず、こんなトコはさっさと出な」
「え、でも、まつりは……」
「あァ、上井草ンとこの娘にゃ話通したから平気だよ。ほら、さっさと出る」
「は、はいっ」
俺は言われるがままに独房の外に出た。
これは、あれか。保釈みたいなものか?
華江さんが、俺を出してくれたと、そういうことなのだろうか。
「今日はもう帰りな。明日は昼くらいからウチの店に来なさい。いいね?」
華江さんは言って、俺の目をじっと見た。
昼からか。だったら、午前中はおりえの婿探しができるな。
「返事は?」
「は、はいっ!」
歩き出す。
鉄扉の向こうはすぐに廊下だった。
「っはー、シャバの空気は美味いぜ……」
「何バカなこと言ってんだい」
呆れられた。