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穂高緒里絵の章_3-9

 ギィという音がした。


 そして、薄暗い三畳ほどのほぼ何も無い部屋に、手錠を外された俺は放り込まれた。


「では、ここで三日間を過ごしてもらうわ」


 風紀委員である上井草まつりは腕組をしながら言って、俺を見下ろしている。


「食事は、ちゃんと出るんだろうな」


「当然でしょ。人権を蹂躙したりしないわよ」


 いや軟禁の時点でわりと踏みにじってる気がしないでもないんだが。


 しかしそんなことを言って「執行妨害だ」とか言われて更に罪が追加されるのは御免こうむるので、何も言わないことを選択した。


「それじゃあね」





 しばらくして、またギィと音を立てて鉄扉が開いた。


 薄暗い部屋に光射す。


「達矢。ごはんだぞ」


「おお。ありがとう」


 ちょうど腹が減っていたところなんだ。


 天窓から入ってくる明かりもそこそこ強いから、昼休みくらいだろう。


「しかも、よろこべ達矢、手作りだ」


「おお、誰が作ったんだ?」


「みどり」


「おお、そうか。楽しみだな」


 みどりなら料理上手そうだからな。期待できるぜ。


 コトリと地べたに置かれたシチュー的な料理とピラフ的なものが載った盆。見た目もとても美味そうにできている。


 俺はあぐらをかいたまま箸を取った。


「いただきます」


「…………」


 そして、皿に乗った料理に手をつける。


 口に運ぶ。そして言う。


「ま……」


「ま……?」


「まっずぅ……」


 予想外に不味かった!


「ふぅむ……達矢の舌にも合わなかったか」


 まつりは腕を組んで壁に寄りかかりながら言った。


「これ、どこの料理の味付け? 日本語圏じゃないし、漢字文化圏の味でもないし、欧州諸国の味覚とも合わないような。それどころか地球上どこにも存在しない民族の伝統料理みたいな。つまり宇宙料理みたいな」


「けっこう失礼なことを言うなぁ、キミは」


「いやいやいやいや! 著しく礼を欠いているのはこのクソ料理の方だよ。食材に対して三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼でもって謝った方が良いようなレベルだぞ」


「さんききゅうこうとう?」


「簡単に言うと跪いて三度頭を地面に打つというのを三度繰り返して、合計九回頭を地に付けるという礼だ」


「腕立て伏せみたいなもの?」


「だいぶ違う」


「じゃあ、どんなだ?」


「主に清王朝以降の昔の中国で流行ってた重めの土下座みたいな感じだろう」


 こんなこと言って、歴史ファンに怒られそうな気もするが、これより簡潔で、且つまつりの理解を得られる説明は俺には思い付かない。


「要するに、信じられないくらい不味いのよね」


「ああ。これほど独房で食べるに相応しい種類の料理は無いかもしれん」


「さすがに三日もそれ食べさせたら死ぬかなぁ?」


 まつりは笑いながら、言った。


「二日持たずにドクターストップに決まっている」


 俺は真剣に言った。


「じゃあ、夜もみどりの料理で、明日の三食全部みどりの料理でいいね」


「殺す気かっ」


「やっは。冗談」


「冗談でもやめろ。こんなものを食わされ続けたら小動物ならあっという間に死ぬし、小動物でなくともいずれ死ぬぞ」


「何杯目に死ぬかなぁ」


「そんなん知らん。考えたくもない」


「ところで達矢、この独房はどう? 居心地は」


「俺は寂しいと死んでしまう小動物のような男だぞ。こんな所に独りぼっちでいて楽しい気分になれるヤツは異常だろう」


 そう、人は繋がるために生きているわけで、「孤独を愛している」と口では言う人間が居たとしても、やはりどこかで繋がりを求めてしまうものなのだ。


 それはきっと、本能的に。


 俺個人の感覚を他人に押し付けるつもりは無いが、孤独が好きな人なんて存在しないと思うんだよ。人は、ゼロから生まれて来たわけではないのだから。


 って、こんな時に何をシリアスで大半の人から見たらどうでも良いようなことを考えてるんだ俺は。今はこんなことを考えるよりも、おりえの結婚相手を探すために次にするべき行動を考えるべきだ。


 たとえば、この独房から逃げ出すこととか。


「そういえば、達矢はどうしてこの町に来ることになったんだ? やっぱりセクハラか?」


 まつりが訊いてきたので、


「いや、違うぞ。遅刻とサボりを繰り返したことによってだ」


 答える。


「なっ……それだけ?」


 びっくりしてた。目を丸くして。


「そうだ。皆から運が悪いと言われるぜ」


「確かに。もっと悪いことしてるヤツもいそうなのにな」


「いやぁ、まぁ。遅刻もサボりも悪いことには変わりないからな」


「そうね。でも、あたしだって遅刻したりサボったりするわよ」


 ダメだろ。風紀委員が遅刻しちゃ。


「だから、お前も故郷に帰れないわけか」


 俺は言ったのだが、すると上井草まつりは、


「違うわよ。だってあたしの故郷はココだし」


「え?」


「この町で生まれたの。カオリ。あー、えっと緒里絵のことね。カオリもそうだし、みどりもそう。それから、他にも何人か」


「そうだったのか……」


「あたしは、この町が好きよ。誰が何と言おうとね。だから、この町で悪いことする(やから)を、あたしは許さない」


 言って、鋭い目を向けてきた。


 いや、たまにお前自体が悪いことしてそうなんだが。無意識に。


「だからあたしは風紀委員なの」


 何というか、悪というものを非公式に正当化された大きな暴力で潰すような……。


 でも、そうか。おりえはこの町で育ったのか。商店街の花屋の娘だって言うから、その可能性もあるとは思っていたが。


 と、そう考えたとき、ある推測が浮かんだ。


 何となく、おりえはこの町を出たことが無いんじゃないかっていう、推測。


 その上で、望まない結婚を強いられている状況を考えてみる。


 おりえが誰かを婿に迎えて穂高家を継ぐ、つまり花屋を継ぐとしたら、やはり外の世界を知らないまま狭い世界で生きることになる。


 果たしてそれは、おりえにとっての幸せか?


 俺は俺であっておりえではないから、これは俺に答えが出せる問題ではないのだろうが、でも、女性として……いや、それ以前に人間として、もっと多くの経験を紡いで、大人になって……結婚なんて、それからでも良いじゃないか。


 選択肢の無い人生の幸福度は、やはり客観的に見て低くなってしまうんじゃないか。加えて、他人に「不幸だ」と思われることそのものに、不幸が存在するのではないか。きっとおりえは、それをいつものふにゃふにゃした奇声と笑顔で笑い飛ばすだろうが、俺がおりえが他人の目から見て不幸だと思われることを納得できるか?


 (いな)だろ。


 おりえには、世界で一番幸せそうにしていてもらいたい。そして心の底から幸せそうにするためには、おりえが本当の幸せを感じている必要がある。少し変な子だけど、それが宇宙イチ似合う女の子だと思うから。だから、やっぱり、穂高母、つまり華江さんに逆らってでも結婚なんてやめさせるべきだ。


 三億円の価値のある花瓶を割ってしまった責任は到底負いきれるものではないが、それ以上におりえの本当の笑顔に価値があるんじゃないか。


 こんなことを言えるくらいに俺はたいがいに子供だから、おりえを幸せにしてやることは不可能だろう。でも、少しでも彼女の選択肢を広げてやりたいと思う。


 穂高母に九回でも十回でも頭を下げてでも。


「どうした? 達矢。さっきから深刻そうな顔して」


「いや、ちょっとな」


「何だ、どうした」


 そうだ。少し他人の意見というものにも耳を傾けてみようか。まつりに訊いてマトモな返答が得られるかどうか、正直不安だが……。


「なぁ、まつり。たとえば、いきなり『俺と結婚してくれ』って言われたら、どうする?」


「……ふぇ? 今、な、何て……?」


 目を丸くして、訊いてきた。


「だから、『今すぐに俺と結婚してくれ』って言ったら、お前はどういう道を選択する?」


「そ、そん、そんなの意味わかんないし……急に答えなんか出せないし、その、キミのこともよく知らないわけだし、えっと、でも……考えられない。そんなの……」


 まつりは言って、腕組を崩さないまま床に視線を落としていた。


「だよな。俺もそうだ。急に結婚なんて言われたって、想像できない」


「ふぇ?」


 意味がわからない、急に答え出せない、相手のことわからない。いや、それ以前に考えたくないと、そういう思考展開になった。


 少なくとも俺とまつりは、そうなった。


 いきなり『結婚』なんて二文字を突きつけられても、全くと言って良いほどイメージが湧かないんだ。それはきっと、俺たちには経験と覚悟が足りないからだと思うんだよ。誰か他人一人の人生と自分の人生が融合することに対する覚悟のなさとか、恐怖とか。


「…………達矢……今さ、もしかして、からかった?」


「ん? いや、真面目だぞ」


「ピンときた」


 何がだ。急に何だ。


「キミ、あれだろ、このテでカオリのことも泣かせたんだろ!」


「いや、待て。このテって何だ。何を言っている」


「女心もてあそんで楽しいかこの野郎!」


「ちょっとまて。お前が何を言っているんだか、俺にはさっぱりわからない」


「ふざけんなっ!」


 まつりは言いながら俺の目の前まで来ると、


 バチン!


「いっ――」


 痛い痛い平手打ちをくれた。


「これ以上、カオリを泣かせたら、許さないから」


 言って、まつりは去った。


 バタンと冷たく扉が閉じる音がした。


 何だあのわけわかんない女は。


 俺は天井を見た。


 堅牢な格子(こうし)の奥にある天窓から、光が入ってきていた。


『カオリを泣かせたら、許さないから』


 か。俺だって、泣かせたくないさ。だから、おりえの結婚相手を必死に探してた。


 だけど、この学校で見つけようとしたのがそもそもの間違いだったかもしれない。


 マトモで普通な人間が、この町に送られてくることは稀なのだから。


 果たしてこの狭い町に、穂高緒里絵に相応しい男が居るのだろうか。




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