穂高緒里絵の章_3-5
二年A組。
俺が所属するクラスは三年二組なので、ここはおりえの暮らすクラス。
現在授業中の様子だったので、休み時間まで待たせてもらうことにした。
しばらくして、チャイムが鳴った。
「ヒィャッホーォォォウ! 昼休みだぁああ!」
妙にテンションの高い、わかりやすいモヒカンの不良が飛び出してきて、それが昼休み突入のチャイムであることを知る。
俺は開いた扉から教室内を眺め、おりえの姿を発見すると、
「おりえー!」
名を呼んで手招きした。
とてててと小走りでやって来た。そして上目遣いな彼女と視線が合った。
「どうだった。たつにゃん……」
「まぁ、その、なんだ、ここで話すのはちょっとな。静かに話せる所に行こう」
俺は、目を逸らしながら言う。
「うん、いいけど……」
中庭へ出て、話す。
「それで、どうだったにゃん?」
「まぁ、その……男は彼だけではないにゃん」
努めて明るく言ってみた。
内心の怒りは廊下で授業終了を待っている間に静まっていた。というか、おりえの寂しそうな悲しそうな姿を見たら、そんなもの簡単に引っ込んでしまった。
でも、
「そっか。よかった。それでよかったんだよ」
おりえのその言葉に、何だかものすごい腹が立った。
「よかったって何だよ。何も良くねぇじゃんか」
これで、三日以内に穂高母の前に婚約者を連れて行くことは更に厳しくなっちまった。
「いいの。もう、いいの。いいんだよ。もういいんだってば……」
おりえは、自分に言い聞かせるように、何度も『もういい』を呟いた。
「だから、何が良いもんかって――」
顔を上げておりえを見た時、
「はにゃーん……」
謎の声を上げて涙をボロボロ流していた。
「ままにゃらにゃいにゃー…………」
「と、とりあえず日本語をしゃべれ」
「無理にゃー……」
涙は、止まらないようだった。これじゃ、俺が泣かせてるみたいじゃねぇか。
俺が女の子の涙に弱いと知ってて泣いているのか!
この策士めぇっ!
「えと、本気の本気で好きだったのか?」
俺が訊くと、こくりと大きく頷く、泣きながら。
「だったら何で、何で本気で好きだと伝えなかったんだ、答えろ、おりえ!」
俺はおりえの両肩を掴んで、揺すりながら訊く。
「うるさいよ!」
肩を掴んだ両手はバシッと弾かれた。
そして、腕を大きく振って、大袈裟なジェスチャーしながら言った。
「だいたい、たつにゃんなら、好きな子の人生をジャマできるの?」
何だって?
何を言ってるんだおりえは。
「あたしを選んでこの町に残ってくださいなんて言うことできるの? あたし、そんな頭の悪い子じゃない! もしこの町を選んでしまったら、あのヒトがずっと更生するためにしてきた頑張りが無意味に等しくなるんだよ! それも、あたしのせいでだよ……」
ああ、そうか。それで『もういい』と言っていたのか。
「好きじゃないと言われるのも怖かったよ。それは認めるよ。でも、あたし、それ以上に、そんなに自分勝手でいたくない! 自分の勇気が無いのを正当化しちゃってるって自覚もあるけど……でも、何も言わずに帰らせてあげるくらいの愛情が無くって、何が愛だって言うのよぅ!」
「誰もお前に愛が無いなんて言ってない」
「帰ることが、彼にとっての幸せだったんだよ!」
そうとは限らねぇだろ。
それに、彼が帰ってしまうことは、おりえにとっての幸せであるはずがないじゃないか。
おりえが、彼のことを好きだったのなら。
「だが、時にはエゴを通さないと成就しない願いだってあるだろう。可能性を生む努力をしない人間の所に、幸せがトコトコやって来てたまるか!」
おりえは、涙を制服の袖で拭いながら俺の意見に耳を傾けている。
「そんなことがもしあるとしたら、不公平極まりないだろうが。自分から動いた人間は受身の人間よりも得をするべき世界なんだよ。お前が好きな人と一緒になるためには、自分から動かないと何も起きねえんだよ! それに……それに、俺とは結婚したくないんだろ」
「絶対イヤ」
ちょっと、ズキっときた。何故か胸が軋んだ。
「だ、だったら……だったら、だったらさ、まだ間に合う。まだ船は出ていないから、今からお前の本気度を伝えて来い。成就するかしないかは、もう問題じゃなくなったんだ。好きだってことを言わないでこのまま彼が帰ったら、後悔するんじゃないのか?」
「でも、もういいの!」
「よくねぇって言ってんだろ!」
どうしても、もういいとは思えない俺が居た。
「もういいんだってば!」
泣きながら首をぶんぶん振る。
涙、舞う。
と、その時だった!
「こらぁあああ!」
頭上から声がした。
声のした方を見ると、制服を着た背の高い女子が落下して来ていた。
そして、俺の横にスタッと着地すると、
「達矢、てめぇ!」
まつりの大きな手が俺の胸倉胸倉を掴む。
こわい。
殺される、と思った。
ころしてやるオーラを纏っていたから。
「あ、いや、違うんだ。これは、おりえの涙はだな……」
「言い訳してんじゃねぇ! 何泣かせてんだ!」
「俺のせいじゃない、俺のせいじゃ……」
言いながら気付いた。
――俺のせいだった。
俺が、おりえが『もういい』と繰り返していたのに、無理矢理ラブレターを書かせて届けて、しかも失敗して失恋をわざわざ報告してた。
我ながらヒドイことをする。
先刻おりえのことを自分勝手だと言ったが、本当に自分勝手だったのは、俺だったことに気付いた。思い返せば返すほど、なんつー醜さなんだ俺は。
「その、すみませんでした……」
俺は目を逸らしながら謝った。
「…………ふんっ」
まつりは言いながら、殴ることなく俺を解放すると、
「カオリをいじめて泣かしていいのは、あたしだけなんだからな。おぼえておきなさい」
そう言って、昇降口へと歩き去る。
「もう、いいよ。ありがと……」
震えた声の呟きが、俺の耳の奥に張り付いた。