紅野明日香の章_2-8
教室に戻ってきた。
「あ、達矢。どこ行ってたのよ。あんたも胴上げとかされれば良かったのに」
戻るなり、紅野は嬉しそうにそんなことを言った。
「されたのか、胴上げ」
「うん。楽しかったわよ」
優勝監督か受験合格者か。
「落ちたら危ないから気をつけろよ」
「いやぁ、気をつけようがないでしょ。皆に上に投げられてるんだから。正直ね、群衆というものの恐ろしさを垣間見た気がしたわ」
「そうか」
「そうよ。しかも、達矢はいつの間にかどこか行っちゃっててさ、助けを求めることできなくて、楽しかったけど、少し怖かった」
「そうか」
「何よ、その気のない返事。私たちは風紀委員になったのよ? もっと楽しそうにしなさいよ」
風紀委員が楽しそうにしなけりゃならないなんて、初めて聞いたぞ。
「えっとー。まず、何を取り締まろっかな。あ、遅刻者根絶なんてどう?」
「やめてくれ。俺は割とあっさりと遅刻する」
俺は言ったが、
「何ですって! 風紀委員が遅刻するなんて御法度でしょうが! 正しなさい。風紀委員で遅刻なんて、あの、上井草まつりとかって女と同類よ?」
「だったら――」
「転校初日の屋上での一連のことは、もう無かった事になったの」
「おいおい」
「たった今、風紀委員の権力でもみ消しました。何か文句ある?」
こいつっ、上井草まつりと同類の論理展開してんじゃねえのか?
「過去を見つめることに何の意味も無いわ。私たちは、今と未来を見つめるべきなのよ!」
名言っぽく言ってきた。
「ていうか、思ったんだが、風紀委員を勝手に名乗って良いものなのか? 何か正式な書類とか、生徒会の承認とか必要なんじゃないか?」
「ああ、それ? いらないみたいよ?」
承認がいらない?
「どんな学校だ、ここ」
「てか、先生が言ってたんだけど、そもそもこの学校には『風紀委員』なんて役職存在しないんだってさ」
「つまり、あれか。まつりが勝手に風紀委員を自称してて、番長として暴れまわっていたと」
「らしいわよ。ね、志夏」
紅野明日香は、俺の横に立つ志夏に向かって言った。
「ええ。そうね。生徒会でも、手を焼いていたから、助かったわ」
「生徒会? お前、級長じゃ……」
「生徒会長もやってるのよ」
どんだけー。
「すると、立てば寮長、座れば級長、歩く姿は生徒会長ということかっ!」
「何言ってるんだかよくわからないけど、確かに私は寮長で級長で生徒会長の伊勢崎志夏よ」
「別に自己紹介しなさいなんて言ってないぜ!」
「…………?」
不思議なものを見るような目で見ないでくれ。
すると紅野が窓を指差し、
「飛べっ、達矢」
「――飛ばねぇよ!」
ていうか飛ばねばならん意味がわからんわ。
で、放課後。寮に戻ってくると、
「戸部さんマジぱねぇっす」
玄関でいきなり話しかけられた。妙にイケメンな男子生徒だった。短髪で不良っぽいが、かなりのイケメンだ。
「何だ、お前」
「オレ、心底惚れたっす」
男に惚れられても嬉しくねえぞ。
「で、何の用だ」
俺が訊くと、
「あの上井草まつりに勝つなんて、オレもう憧れっす!」
「いいから、用件を言えっての」
「オレ、Dって呼ばれてるんすけど、オレを弟子にしてください!」
何だって?
「断る!」
「何でっすか?」
男子生徒Dは悲しそうな目をした。
「弟子は作らない主義だ。というよりも、俺は別にそんな大層な人間じゃない。弟子入りするなら紅野明日香にでも言ってやれ。喜ぶぞ」
「ウッス! わかったっす!」
いきなり寮の玄関でそんな会話が繰り広げられ、置かれた状況の異常さを認識すると共に、何だか面倒な展開に巻き込まれてるような気がして、
「ふぅ」
俺は溜息を吐いた。
そうして、転校二日目は終わった。