穂高緒里絵の章_3-2
さて、朝のホームルームが始まる前。
勇気を出して教室にやって来たは良いが、俺が教室に入った途端に会話がピタッと止んだりして、何となくイジメに遭ってるような雰囲気だった。
「はぁ……」
そりゃまぁ、溜息も出るというものさ。
と、その時。
「あら、達矢くん。昨日は来なかったけど、どうしたの? サボり? ダメだよ。初日いきなり遅刻で、二日目サボりなんて。不良で帰れなくなるわよ?」
面倒見の良い級長の、伊勢崎志夏が話しかけてきてくれた。
孤立しないように気を遣ってくれるのは有難いが、何となくミジメでもある。
「まぁ、サボりと言えばサボりだが、ちょっと面倒なことに巻き込まれてな」
「面倒なこと?」
おっと、うっかり興味を引くようなことを言ってしまったが、あまりベラベラと悩み相談するのは気が引ける。三日以内に何とかすれば解決できる問題だからな、何事も自分で解決できる力を見せたいというプライドの問題もあるにはあるし、話のタネにするのは事が済んだ後にしたい。「あん時は大変だったぜぇ、三億円の花瓶割っちまってなぁ」とかって笑える日が来て欲しいと心から願いたい。
「ああ、いや。気にするな。ところで、志夏は、この町のこと詳しいのか?」
「あら、どうして急にそんなことを訊くの?」
「いや、ちょっとな」
「質問があるなら何でもどうぞ。わかる範囲で答えるわよ」
ほほう、ではその言葉に甘えさせてもらうとしよう。
「穂高緒里絵って子、知ってるか?」
「誰それ」
知らないようだ。
「花屋の娘らしいんだが」
言うと、志夏は思いついた顔で左手の平を右拳でポンと叩きながら、
「あぁ、穂高さんの所の……えっと、上から四番目の子だったかしら。緒里絵ちゃんっていうと」
知っていたようだ。ていうか、四番目の子って。
「そんなに子沢山なのか。あの家」
「さぁ、私が知っているのは、そういう書類上の情報だけだから、どんな子なのかは、よくわからないわ」
「そうか」
やっぱり知らないらしかった。
「商店街のことなら、笠原さんが詳しいわよ。訊けば答えてくれるんじゃないかしら」
「笠原、か」
笠原商店の看板娘、笠原みどりのことだろう。
みどりにはこの前、変なことを言ってしまって、叱られたからなぁ。
何か欲しいものありますかと言われて、冗談で「みどりちゃんをテイクアウト」なんて軽く言ったもんだから、すごい不快な顔されてさ。
正直、話しかけるの、とても怖いんだが。
「あ、ちょっと来て。笠原さん来たから」
志夏は言って、俺の腕を引っ張ると、みどりが居る教室後方の扉付近に来た。
「……えっと、戸部くん、だよね」
「あ、はい。笠原さん。この間は変なこと言ってマジでごめんなさいでした」
まずは謝罪から。
「まぁ、いいけど」
わりとあっさり許してくれた。
「それで、どうしたの? 級長に腕なんか引っ張られて。逮捕?」
別に逮捕されるような悪いことしてないが。
「訊きたいことがあるんですって」と志夏。
そして俺が、
「あ、ああ。実はそうなんだ。みどり」
そう言った時、志夏は俺の腕を解放し、教室中央にある自分の席に向かって歩き去った。
みどりと俺が教室後方に残された。
二人で話をする。
「何? あたしにわかることかな」
「どうだろうな。わからないが、訊きたいのは、穂高緒里絵という女の子のことで……」
「カオリのこと?」
「いや、おりえだ」
「あ、いや、すみません。あだ名でカオリって呼んでるのよ、あたしたちは」
「そうなのか」
「ごめんなさい、ややこしくて」
確かに。すげぇややこしい。
「それで、その子について知りたいんだが」
「どうして?」
「いや、ちょっと事情があってな……」
みどりは少し考え込み、
「まぁ、だいたいのことはわかります。カオリとは幼馴染だから」
言った。
「そうなのか。じゃあ早速だが、彼女は、誰か付き合ってる男とか居るのか?」
それを聞かないことには話が始まらないのだ。
「え、それって……」
もしも、そういう人が居るんだとしたら、そこをくっつけるキューピッドな努力をするし、居ないとしたら、えっと……その時は何とかするしかない。
「えっとね。戸部くんには残念だけど、その、付き合ってる人は居ないんだけどね、好きな人は居るみたいよ」
そうなのか。付き合っている人が居なかったのは残念だが、好きな人が居るのなら希望はある。そのおりえが想いを寄せている人とおりえを、何とかしてくっつけて結婚回避だぜ。
「その、おりえの好きな奴ってのは、どんな奴なんだ?」
「えっ、そんなの、あたしの口から言えるわけないでしょ……」
「そこを何とか!」
「……どうしても?」
「ああ、真剣なんだ、俺は」
「……………………」
しばし、じっと見つめられる。
俺は深刻そうな顔をしてみた。
すると、何となく真剣さが伝わったようで、
「じゃあ、誰にも言わないでね。あたしから聞いたってことも、誰にも言わないでよ?」
「ああ。約束する。俺は本気だからな」
そうさ、本気で結婚したくないんだ。
「あのね、あたしも名前は知らないんだけどね。隣のクラス、三年三組に居る男の人で、背が高くて、短髪。少し不良っぽい感じなんだけど、ステキな人よ」
全然、イメージが湧かないんだが。
「こんなこと言うのは申し訳ないけど、戸部くんじゃちょっと、彼と比べると……」
んなことはどうでも良いんだ。
「他に手がかりはないのか」
「闇討ちとかしない?」
「そんなことして何の意味があるんだ」
「だって……」
「絶対しないから教えてくれ」
「じゃあ、いいけど……。あのね、あだ名があってね、『D』って呼ばれてる」
「Dか。どういう意味だ?」
「そこまでは、ちょっと……」
「だがDって呼べば通じるんだな?」
「うん」
みどりはこくりと頷いた。
「あ、それじゃあ、もしや、おりえも隣のクラスなのか?」
「ううん」
首を横に振った。
「カオリはね、二年A組」
二年……ってことは……下級生だっただと!
なんてな、いやまぁ、容姿幼いからな、驚くようなことでもないか。
「そうだったのか。で、二年って、二年の教室ってのは、どこにあるんだ?」
「ここ四階でしょ。二年生の教室は一階下。三階にあるよ」
「そうか。ありがとう。色々教えてくれて助かった」
おりえに好きな人が居る。三年三組の『D』と呼ばれる男。
これだけわかれば十分だろう。
あとは、その『D』って男に会ってから、おりえ本人から話を聞こうではないか。
「いいけど、本当にカオリのこと――」
「ああ。何とかしたいと思ってる」
俺は言った。
「そ、そうなんだ……」
「さて、それじゃあ、またな。みどり」
俺は言って、みどりの横を通り過ぎる。
「え? 戸部くんっ、もう授業はじまるよっ」
「サボる! 授業よりも大事なことなんだ!」
俺は何故か少し頬を染めるみどりに背を向けたまま言って、教室の外に出た。
「そ、そうなんだ……そこまで……」
みどりの呟きが、教室の中から漏れきこえた。
そう。何よりも大切なことだ。何せ俺の人生がかかってるんだからな。