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穂高緒里絵の章_2-4

「おかーさん。ごめんなさい」


 制服姿の穂高緒里絵は、エプロン姿の母に頭を下げた。深々と。


「珍しく謝ったのは()めたいところだけど、ごめんと言っただけで済むとでも?」


 おりえは、姿勢を戻して目を逸らした。


「緒里絵。よく聞きなさい」


「何ですにゃ?」


「ふざけてんじゃないの!」


「ご、ごめんにゃさい……」


 おこられていた。


 母は、腰に手を当てながら説教のような口調で話しはじめる。


「いいかい、緒里絵。あんたは、この男と結婚しな」


「えっ」


「何でとは言わせないよ」


「何でぇ?」


「わかってるんだから、緒里絵が家宝の花瓶を割ったことは」


「あぅぅ……たつにゃん! 何チクってんのよぅ!」


 おりえは俺の方を見て言う。


「いや、チクってねぇし。それに割れたっていう事実があるだけで責められるには十分だろう」


「で、緒里絵。返事しな。結婚するのか、しないのか」


「しにゃい」


 しない、という意味だろう。


 俺もしたくない。結婚なんて。急すぎる。


「じゃあ、三億円払いな。今すぐ」


 そう、それが払えない。つまり、今のままでは結婚するしかないのだろう。


「えええっ!」


「嫌とは言わせないよ」


「嫌」


「ダメ。あの花瓶がどんなものか知ってるでしょ?」


「穂高家に代々伝わる町の重要文化財?」


「そう、わかってんじゃないの」


 おりえは頷き、深刻そうに、


「その花瓶が割れた時、町にとってよくないことが起こるという伝説の花瓶で、邪神が封印されていると名高いもの。だから割れると邪神の封印が解けて大変なことに……」


 おいおい、ヤバイ花瓶だったんじゃねぇか。


「そんな伝説は無いわよ」


 無いのかよ!


「にゃはは、冗談にゃー」


「ふざけてんの?」


「うみゅう。ごめんなさい……でも、結婚なんて考えれないよ。いきなりだもん」


「じゃあ他にどんな責任の取り方をするの? 考えてみな」


「うむにゅん……」


 おりえは、そう呟いた後しばらく黙って考え込み、言った。


「ところで――」


「誤魔化そうとするんじゃないの」


「げ、バレた」


 当り前だろう。大丈夫か、この子。


「まぁ、あたしだって鬼じゃないからね」


「鬼だよ」


「何だって?」


「にゃんでもにゃい」


「で、鬼じゃないからね」


「鬼だってば」


「はいはい。鬼じゃないからね、他に付き合ってる人とかが居るんだったら、無理に結婚しなさいとは言わないけど、どうする?」


「じゃあ、居る」


 おいおい、じゃあってお前……。


「連れて来なさい。今すぐ」


「今すぐは無理」


「どうして?」


 黙るおりえ。


「本当はいないんでしょう?」


「いるもん」


 目を逸らしながら呟いた。


「じゃあ連れて来なさいって言ってるの」


「それと花瓶と何の関係があるのよぅ」


「花瓶を弁償するか、婿入りしてくれる誰かと結婚するか選びなさいって言ってるの。何度言ったらわかるの?」


「やだ。両方やだ」


「あんたねぇ……家宝割っといてその態度は何よ」


「花瓶の中に封印されていた邪神が復活しようとしてたから花瓶ごと割ったの。危ないところだった」


 さっきと言ってる事逆じゃないか。割れたら邪神が復活するとか言ってなかったか?


「いい加減にしなさい!」


 パシンっ!


 平手で娘の頬を殴った。痛そうだ。


「痛いにゃん」


 おりえは笑っていた。


 だ、大丈夫なのか、この一家……?


 そして、母、穂高華江は、俺の方を指差して言う。


「いい加減にしないと、そこの男の子が死ぬよ!」


 えぇっ!


 死ぬってどういうことだよ!


「構わにゃい」


 おいぃっ!!


 お前、自分からぶつかってきて花瓶割れて、そのことを責められているのにその上俺を見捨てるのか!


 っていうか、その前に、何で俺を亡き者にしようとしてるんだ、この穂高母も!


 おかしいだろ、この家庭!


「緒里絵。冷静に考えな。結婚するだけで三億円がチャラになるのよ?」


「三億円も価値ないよ。あの花瓶」


「じゃあどれくらい価値があるのか言ってみな」


「せいぜい三千万円くらいだよ」


「じゃあ今すぐ三千万円払いなさい」


「それは無理というものですにゃん」


「ふざけてんの?」


「うぅ……それに、ぶつかって来たのは、たつにゃんの方だよ」


 そして、二人の視線が俺に集まる。


「…………」「…………」


 すげぇじっと見られてる。


「…………いや、違うだろ」


 顔の前で手を振りながら言った。


 ううむ、あまりにも、当然のように言ったから一瞬そうなのかと思ってしまったぞ。


「俺が歩いていたところに、おりえが走ってきてぶつかったんだ」


「緒里絵! 何で走ったりしたの? とても大事な花瓶だって言ってあったでしょ!」


 しかる母。しかし、


「やははー」と笑う娘。


「笑ってんじゃないのっ!」


 もっともだ。


「達矢さん」


「は、はい、何でしょうか。おかあさま」


「こんな娘ですが、ウチに婿に来て下さい」


「い――」


「嫌とは言わせないよ!」


 と、その時、おりえが言った。


「待ってよ! あたしには付き合ってる人が、いる予定なの!」


 そうなのか――って、いる「予定」って何だよ。


「じゃあ連れて来なさい。今すぐ」


「三日っ! 三日待って! それまでに交際している男性をおかーさんの前に連れて来れば良いんでしょ?」


「はっ、三日くらいなら、まぁ待てるねぇ。その人が、緒里絵と結婚してくれると約束してくれるのなら、いいわよ。三日ね。本当に三日よ」


「わかったよ。頑張る」


「では三日後までに連れて来られなかったら、達矢さんと結婚してもらうよ」


「そうだね、その時は……超イヤだけど、おかーさんに従うよ」


「約束ね?」


 穂高母は言って、エプロンから何やら一枚の紙を取り出した。


 そして、近くにあった木製の丸テーブルを布巾で素早く拭いて、そこに用紙を置いた。


 思わず俺は、「こ、これは……」とかって呟かざるをえない。


 婚姻届だった。


 続いてエプロンのポケットから取り出されたのは、ボールペンと印鑑。


「これにサインしなさい」


「はぁい」


 おりえは、枠内に『穂高 緒里絵』と書いた。


「これでいい?」


「ふにゃふにゃした字ねぇ。もっと何とかならないの?」


「えー、丁寧に書いたよ」


 不満そうに言った。


「まぁ、良いわ。じゃあ、次は達矢さんね」


「えっと……あの……本気っすか?」


「逃げられるとでも? 花瓶を割っておいて」


 どうやら、絶対に逃げられないようだった。


「はい、サインします……」


 俺は、おりえの名が書かれた隣に『戸部 達矢』と記載する。


 なんか、人生の半分が終わった気がした……。


 用紙をよく見てみると、婚姻届にある記載欄の一つに、どちらの氏を名乗るかを明記する場所があって、既に『妻の氏』の欄にチェックが入っていた。


 つまり、この用紙がハンコを押されて提出されて受理されれば、俺はめでたく『穂高 達矢』という人間になるというわけだ。


 ――って、何がめでたいんだ!


 全くめでたくない! めでたくないぞぉ!


「…………これで、いいっすか?」


 俺は、華江さんに自らの名が刻まれてしまった婚姻届を手渡す。


「はい、結構。あとは、印鑑とか持ってる?」


「ま、まぁ一応持ってきてますけど。転校とか入寮の時の書類とか色々書かされる時に必要だったんで」


「じゃあ持ってきて。今すぐ。そしてココとかココとかに印鑑を押してね」


「え、今すぐっすか?」


「当り前でしょう」


「いや、でも……明日で良いっすかねぇ?」


「まぁ、仕方ない。それでも良いけどね。あ、本籍地とかわかる?」


 どうする?


 嘘を吐くか?


 本籍地って何ですか、みたいなことを言って知らないフリをした後、そのままトンズラして以後この花屋には近付かないという方針はどうだろう。


「本籍地って、何ですか」


「わからないなら前の住所でいいよ。ココに書いて」


 ペンを手渡された。


 さすがに前の住所くらい記憶している。


 この流れはまずいぞ。それも書かなかったら「じゃあ親の名前を書いて」とか言われて、どんどん婚姻届の必須記入欄を埋めていくことになるのではないか?


 ここでの粘りはかえって自分の首を絞めるだけだ。この穂高家からは、たぶん、逃れられない気がする。往生際が悪すぎると、今すぐにでも結婚させられかねない!


 俺は、以前住んでいた住所を記した。


「へぇ、結構いいとこに住んでたのねぇ」


「まぁ、よく言われます」


「じゃあ、明日印鑑。忘れずに持ってきて」


「はい」


 もう従うしかない。


 三億円の花瓶を割ってしまった以上、責任は取らねばならない。


 三億円か結婚か、どちらか選べと言われたら、やっぱり結婚せざるを得ないと思う。


「一つ、訊いていいですか、お母様」


「何だい、達矢さん」


「結婚というものに、こだわる理由を教えていただきたいのです」


「決まってるじゃない。早々に穂高家の跡継ぎを産んでもらわないと困るからよ。そりゃもう、一刻も早くね」


「ん? 跡継ぎって、弟が居るじゃないですか。こういう場合、一般的な見方でいくと家督は男子に継がせてくものなんじゃ……」


「あぁ、秀雄はねぇ、別の家に婿入りすることが決定済みで、許婚がいるから」


「婿入り? 許婚って……」


「許婚ってのは、要は婚約者のことよ」


「そ、それは知ってますけど……」


「そうやって助け合って、家系を絶やさないようにしていたんだけどね。今じゃどこの家も子供の数が少なくて、それで緒里絵はあんなでしょう?」


 穂高母の視線の先を見ると、しゃがみ込み、首を傾げつつ黄色い花にフレンドリーに話しかけている女の姿があった。


「もう、結婚させようとして見合いさせるたびに破談の連続でねぇ」


 そうなのか。おりえは見た目は可愛いけどな。まぁ確かに「結婚」って感じではないが。


「こうなれば無理矢理にでも結婚させてやろうと思ってたんだけど、そこにグッドなタイミングで、花瓶を割ってくれた人がいてね」


「それを利用しないテはないぞ、ってことっすか」


「ま、そんなところだねぇ」


 俺にとっては全てのタイミングが最悪的に悪かった、ということだろう。


 穂高母はエプロンのポケット――某国民的ネコ型ロボットが身に付けているのと同じような場所にある――に、婚姻届を、丁寧な手つきでしまい込んだ。


「で、でも、良いんですか? 得体の知れない家の人と結婚とか決めたりして」


「そうねぇ。もしかしたら、良くないことが起こる行為かもしれないわね。ただねぇ、子を見ていれば、どんな親かわかるっていう自信があるの」


 どうせ根拠の無い自信なんだろうな。


「でも、俺、結婚なんてする気ないですから!」


 結婚を回避する方法は一つ。


 さっき、おりえが母と約束していたことだ。


 ――三日以内に結婚を前提にした交際をしている男性を連れてくること。


 おりえの言い回しや雰囲気から察するに……好きな人とか気になる人が居ることは居るものの片想い、といったところだろう。もちろん推測でしかないが。


 となれば、何とかその恋を成就させて、結婚の約束をさせてやれば俺は結婚を回避できる。


 おりえと誰かを婚約まで導くためのキューピッドになるとして、期間は三日以内。


 何でおりえはわざわざ三日なんてのを指定したんだかサッパリだけど、とにかく三日以内。


 えっと……きつくないか、それ。ウルトラC過ぎるだろ。ボウリングで言うところの、両端のピン二本が残ったスプリット並に難しいぞ。


「くそぅ、まだ、結婚はしたくねぇよぉ……」


 俺は頭を抱えていた。


「達矢さん、彼女でも居るの?」


「や、それは、居ないですけど……」


 もしも彼女とかが居たら『かざぐるま行き』にされるような堕落した生活はしないタイプの人間だと自負しているからな。


「そう。なら何の問題もナシね」


 言うと、穂高母はテーブルにあったハサミを手に取り、花をつけていた植物の茎を、ジャキッっと切った。機嫌良さそうに、間引いていた。


「三日以内、でしたよね」


「そうよ。それまでに緒里絵が結婚相手を連れて来られなかったら、達矢さんと緒里絵は結婚。いいのよね?」


「どうせ拒否できないんすよね」


「まぁね」


 言って、軽く笑った。


 さて、とにかく動き出しますか。期限がある以上、すぐにでも動かねばならない。


 おりえの結婚相手を探す計画。


 名付けて、


『バージンロードキューピッド計画』


 今適当に考えたネーミングだ。


 さあ、そうと決まればとりあえず、おりえに話を聞かねばな。


 三日以内に連れて来ると自分から提案したということは、心当たりくらいはあるのだろう。


 それすら無くて、あんなことを言ったのなら、さすがに究極アホ女として認定しなければならないぜ。


 と、その時、俺はあることに気付いた。


 ちょい待て……おりえは何処に行った?


 居ない。


 ぐるっと花屋の中を見渡してみても、おりえの姿は無かった。


「あの、お母様。おりえは何処に?」


「さぁねぇ」


 計画はいきなり暗礁(あんしょう)に乗り上げていた。


「達矢さん。とりあえず、今日はもう帰って良いよ。また明日来なさい」


「え、あ、はい。それじゃあ……」


 俺は言われるままに花屋の外に向けて歩き出す。


「ハンコわすれずにねー」


 背中に、穂高母の声が届いた。


 振り返り、


「はーい!」


 大きめの声で返事して、俺は歩くスピードを上げた。




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