穂高緒里絵の章_2-3
花に囲まれた世界に、俺は居た。
おりえの弟は俺を花屋に連れ込むと、そこに居た女性の前に突き出した。
女性はハサミを片手に持っていた。つまり、凶器を持つ女だ。
俺は慄き、黙るしかない。
「んー? お、帰ったかい」
女性は言った。
「かぁちゃん」
女性は、俺に不審なものを見るような険しい顔を向けた後、
「……何だい、この男は」
「これを見れば、だいたいの事情はわかると思う」
言って、おりえの弟は花瓶の破片を手渡した。
「こ、これはっっ!」
女性は言った後、
「…………」
しばらく黙り込み、
「なるほどねぇ、緒里絵がこの男の子にぶつかって花瓶が割れてしまって、緒里絵はスタコラサッサと逃げたわけね……。あの子ったらもう……」
だいたい合ってた。
「あたしは、穂高華江。緒里絵の母親だけど」
華江という名らしい。綺麗な人だった。
「緒里絵とは、知り合い?」
華江さんは訊いてきたので、俺は答える。
「いえ、さっきぶつかった時に初めて会って」
「そうかい、じゃあもう知り合いだねぇ」
何でそうなる。
暴力的論理の使い手だぜ。
この親にしてあの子ありというわけなのか?
「あの、俺、本当に何もしてないんですが」
「割れた花瓶の値打ち、知ってるかい?」
確か、さっき、おりえが言ってたのは……、
「三千万とのことですが」
「違うよ」
何と。
やっぱりな。大したことない花瓶を、さも高価なものに見せかけていたのか。とんでもない女だな、おりえは。
「三億円だねぇ」
そう、たったのさ――。
え?
ちょ……え……?
さん、おく……?
ケタがどんどん増えていくのはどうしてだい。どうしてなんだい、おい。
現実逃避したくなってきた。
幸いに、見渡せば多くのカラフルな花々に囲まれている。なぜならここは花屋さんだから。
ああ、きれいだなぁ。お花がとってもキレイだぁ。
「さて、あんた、名前は?」
「はっ」
穂高母の声に、我に返らされてしまった。
「戸部達矢っす」名乗った。
「トベタツヤ、か。なかなか素敵な名前だねぇ」
「はぁ、ありがとうございます」
「でも、少し変えた方がいいねぇ」
「は?」
「穂高達矢なんてどうだい?」
「どういう意味っすか」
まさか、名字が変わるということは。つまり、その、あれか。
婿入り?
「責任を、とってもらうという意味だよ。三億円の花瓶を割ったんだから当然だろう?」
いや、あれぇ?
何でこんなことになってるんだ?
本当に、俺に責任あるの?
審判団呼びてぇぞ。
「わかったね、戸部達矢くん」
「な、何をでしょうか」
「緒里絵と、結婚してもらいます」
なっ……結婚だと? 結婚って何だっけ!
はっきり言って、このトシで結婚とか考えたくねぇぞ!
何だ。何なんだ!
俺は一体、何に巻き込まれている!?
「い――」
「嫌だと言うのなら三億円を払いなさい」
「詐欺だ!」
「何だって? うちの家宝の花瓶を割っておいて」
「チッガウヨ! 俺は何もしてないのに! おりえの方からぶつかってきたんダヨ!」
「嘘おっしゃい」
えええ?
「いや、本当なんですけど!」
「いずれにせよ、あんたがいなければ、花瓶が割れることはなかった。違う?」
「ちがっ……くないっすけど」
でも、俺、悪くないよなぁ?
「さて、秀雄」
穂高母は、穂高弟の方を向いて言った。秀雄という名らしい。
「何? かぁちゃん」
「緒里絵を連れてきな。逃げたんだったら、いつもと同じ所に居るはずだから」
「はい」
「また逃げようとしたら、その時は『人質の命は無い』とでも言いな。それで観念するだろうから」
「はい、行ってきます」
穂高弟は花屋を出て行った。
「あの、人質ってのは……俺のことっすかね」
「当り前だろ」
何この、変な人たち。
「達矢さん」
華江さんは、急に俺の名を呼んだ。
「何ですか」
「学生かい?」
「そうですけど……」
「そうか。何やらかしてこの町に来たんだい?」
「遅刻とサボりを繰り返していたからですけど」
「え……それだけ?」
驚いたような顔をしている。
「はい、まぁ」
「そりゃまた…………運悪いねぇ」
俺は運が悪いらしい。
確かに、女の子にぶつかって、花瓶が割れて結婚させられそうになっているこの状況から考えれば、圧倒的な運の悪さを持ってる気もしている。
「でもま、それほどの不良じゃないんなら、こっちにとっては好都合だ」
「好都合というと?」
「だから、緒里絵との結婚だよ」
もうね、何なのこの展開!