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柳瀬那美音の章_5-3

 というわけで、あっという間に夜。


「さぁ、いくわよ」


 出会ったときと同じ格好、闇にまぎれるような紫色のシャツと、黒っぽいジーパンを装備した那美音はそう言って歩き出した。俺はその頼もしくも細くてキレイなシルエットに続いて歩く。


 湖の向こう、強い風が吹く街の出入り口。


 空を見れば、控えめな星空。


 中から外に出る場合には、道はだんだん広くなっていく。


 野球のホームベースから一塁と三塁に引かれた線よりもちょっと狭い角度で切り立った崖が伸びているという感じだ。円柱状のケーキが、六分の一くらいにカットされた状態みたいと言っても良い。


 俺は那美音の後ろを歩いていたのだが、那美音は不意に立ち止まり、


「達矢くん、少し頭痛いかもしれないけど、我慢してね」


 と言った。それで俺も立ち止まる。


 頭痛いとは何だ、何する気なんだ。


 そして、


「うぉっ……」


 振り返った那美音は、一瞬で俺の片手を捻り上げた。


「いっ! いたたたたっ……何なんすかいきなり――」


 そして、那美音の胸が俺の背中に当たる。


 密着する。


 なんだこのドキドキするプレイはっ。ていうか痛いの頭じゃなくて腕なんすけど何事っすか。


 とか考えたその時だった。


 チャッ。きらん。


 目の前に、銀の刃が見えた。


 ええっ……なにこれ……。


 那美音は、背後から首を絞めようとするかのように腕を回し、刃を俺の首付近に置く。何度も言うが、背中に那美音の大きくて柔らかな胸が当たる。いやしかし、今は、今はそんなことよりも、


「な、ナイフ……」


 光っていた。いつでも刺せる場所で構えられた細いナイフが。


「言ったでしょ、正面突破するって」


「ま、まさか、本気じゃないっすよね。それで、ブスッといったりしないっすよね……」


 無言が返ってきた。戦慄するしかない。寒気がして涙でそう。


「つ、つーか、どっから出したんすか、そんなの」


「スパイだから」


「そうすか、あの――」


「だまって」


 低い声。


 やばい、こわい。なにこれ冷や汗とまらない。


「安心して。すぐ終わる」


「そ、それって」


 楽に死なせてあげる、みたいなことっすかねぇ?


 と、その時、


(門番に告ぐ)


 頭の中に直接響くような、大きな声がした。


 どうやら那美音の声のようだ。


 頭が、割れるように痛い。


 これが、那美音の能力……テレパシーってやつなのだろうか。


 だが確かに那美音の言う通り、頭が痛いんだが、しかし腕も痛いしなんか心も痛い。


 ていうか何だ。門番って何だ。


「歩いて。一歩ずつ」


 小声で命令してきた。


「は、はい」


 素直に従う。


 頭の中に、大きな音の波が響く。


(あたしは、柳瀬那美音。政府軍直属の超能力部隊。話には聞いたことがあるだろう。その部隊の一人だ。現在、人質をとっている)


 人質って、俺のことか。どう考えてもそうだよな。その後も那美音は頭に響く声を発し続ける。


(この街を出るためだ。わかるな? そう、あたしは追われる身だ。だから民間人を人質に取った。おっと、上司に連絡したら、人質の命は無いぞ。それでも良いのか?)


 やや間があって、再び那美音から声。


(……そうだ。良い子だ。まずは船の在り処を教えろ。思い浮かべるだけで良い。読み取る。……わかった。ではその小船を借りるぞ)


 一体何が起きてるんだ?


 那美音が何を言ってるんだか意味不明だが、テレパシーで会話してるに違いない。とにかくこの町を逃げようとしていることだけは確かだ。


(あたし一人を狙撃しようとしてもダメよ。あなたが引き金を引く前に、あたしがこの男の喉を掻き切るわ)


 冗談でもこわいっす。


(冗談なんかじゃないわ)


「うっそぉ」


「だまれっての」


 こえぇ。こえぇよ。殺されちまうのか。


 チラチラと光を反射する銀色がおそろしくて仕方ない。


(そうね、変な気は起さない事ね。あたしが去ったら、大佐に連絡する時に、伝えて欲しい言葉があるわ)


 そして那美音は思念波を飛ばす。


(『苺さん落ちた』)


 何か突然可愛いことを言い出したぞ。


(頼んだわよ)


 俺は、なおも一歩一歩進む。風は進むに連れて少しずつ弱まっていく。


 背中に那美音の胸が当たる。胸は大きく柔らかいが、できれば死ぬ前にこの手で触りたい。


「だまりなさい」


「ごめんなさい」


 そして那美音は耳元で囁く。


「達矢。右に曲がって、二時の方向」


 耳に息がかかって、くすぐったかった。


「は、はい」


 俺は緊張状態を維持しつつも言われた通りにする。


 暗い世界を歩く。


 何とか互いの顔を確認できるくらいの暗い世界。


 少し歩くと、海が見えた。


 不ぞろいの砂利が足元に広がり、その先にはよく公園にあるような二人乗りくらいの小さなボートがあった。


 風で荒れる海へと出るには、あまりに弱々しいボートだ。


 金属製の円柱に括りつけられたロープによって海上に流れていかないようにしてあるボートには、浮き輪がいくつか転がっていて、オールが取り付けられていた。


「乗って」


「あ、はい」


 先にボートに乗り込んだ。重みに敏感に反応してグラッと揺れる。続いて那美音も乗った。また揺れた。


 海上は、そこそこ波が高いようだった。


 町の中よりも弱いとはいえ、風がそこそこ強いから、やはり揺れるだろう。


「ふぅ」


 那美音の色っぽい溜息。


 そして那美音は、ボートを陸地に留めているロープを持っていたナイフで切り離す。


「達矢くん、漕いで」


 言いながら、ナイフをジーパンの膝のあたりにしまった。そこが隠し場所のようだ。どういう構造のジーパンなんだか暗い世界じゃ詳しくはわからんが、とにかく隠し武器というのは、いかにもスパイっぽい。


「はい」


 俺は那美音の指示通りに座って、オールを手にとって、海上に漕ぎ出した。


 那美音も俺と向かい合うように座った。


 船は闇の中を少しずつ進む。


「ごめんね。こうでもしないと、突破できなかったから」


「まじこわかったっす。先に言っておいて欲しかったっす」


「いやぁ、それじゃあリアリティ出ないじゃない? 演技だってバレたらオシマイだし、ここまで思考を読んできた感じだと、達矢くんは演技下手そう」


 言って、クスクス笑った。よかった、元の那美音に戻ってくれた。


「ところで『苺さん』ってのぁ、紅野のことっすか?」


 さっきの暗号みたいな可愛い言葉が気になった。


「そうよ。苺って、紅いし。紅野って名前だし」


 何となく、安直だと思った。


 そしたら、なんか那美音さんはキッとにらみつけてきた。バカと言われた気がしちゃったんだろうか。そんなつもりは無かったのだが。


「な、那美音は、甘いものが好きなんだなー」


「甘いものが嫌いな女などいないわ」


 いや、それは居るだろう、どっかには。


「メロンパンも好きだもんな」


「メロンパンが嫌いな人などいない」


 いるだろ。絶対。どっかには。


「ていうか、この前も言ったけど、メロンパンって何なんだ?」


「メロンっぽいパン」


 当り前じゃないの、みたいなトーンで言ってきた。


「いや、だってさ、昨日から那美音が食ってるやつもだけど、メロンな成分は皆無だっただろ? それでメロンと名をつけるのは……」


「そこはかとなくメロンっぽければオーケー。そこにメロン成分なんて要らない。大事なのは、それがメロンパンであることなの。別にメロンパンだって、メロンのフリしようなんて思って生まれて来るわけじゃないでしょ。そこを叩くのはメロンパンがあまりに可哀想だと思わない?」


「は、はぁ、そうっすか」


「そうよ。たとえば、人間が人間として生まれたのに神様になれなかったり救世主になれなかったりで責められることがあったとして、そういうのを見て達矢は許せるの?」


「いや、えっと……その例え話は唐突でちょっとわかんないっす」


 それっきり、しばらくの間、闇の中で波と風の音だけが響く世界が広がった。


 俺は何と言葉を出して良いのかわからず、那美音は緊張からかピリピリしていて何となく不機嫌さを感じ取れた。


 少々重めの沈黙を破ったのは、那美音だった。


「さて、達矢」


「何です」


「また、少しうるさくするから」


 俺は首を傾げた。


「…………」


 すると那美音はすくっと立ち上がり、目を瞑った。


 次の瞬間――


(柳瀬那美音です)


 頭に直接響く声が、また。


 さっきよりも大声だった。


 耳を塞いでみたが、頭に直接響いてくるので、声が小さくなることはない。思わず歯をくいしばってしまうくらいに苦痛だった。


(大佐に報告させていただきます。あたしは、ここに居ます。大佐の求めているものは、もうあの街にはありません。本当です。鍵の少女の思念は消えました。消えてから、もう三日以上になります。生存の可能性は限りなく低いです。だから――)


 言い掛けて、悔しそうな表情をした。


 俺の知らないところで、話が進んでいるらしい。


 那美音の発進する音だけでは、どんな会話がなされているのか、完全に把握することができない。でも、表情から察するに、全く思ったようにはいかなかったのだろう。


(覚悟はしてたけどね……)


 呟くような、那美音の声。


(達矢だけは、守る。守らなきゃ)


 俺に背を向けた那美音のスタイルの良いシルエット。その向こうに、いくつかの光が見える。


 大きな船が、こちらに向かって来ているようだった。


 そして那美音は俺に背中を向けながら言った。


「良い? 達矢くん。救助されたら、アタシに人質にとられてたって言うのよ、絶対に、そう言うのよ」


「な、何を言ってるんだ、那美音……」


(あたしがどうなっても、達矢くんを)


 那美音は無理矢理な笑顔を見せながら。


「じゃあね、達矢。またいつか、会えたら、またいつか……ねっ!」


 言って、次の瞬間、回し蹴りが俺の右脇腹を襲った。


 暗闇だったから、避けられなかった。でも多分、暗闇じゃなくても避けられなかっただろう。


(バイバイっ!)


 頭に響いた、はっきりとした別れの声。突き放すような声。俺の体は舞って、海の中に落ちた。


 沈む。どんどん沈む。


 心の中で、何度も彼女の名前を呼びながら。


 もがいて苦しみながら、水をかく。そして海面まで浮いた時、浮き輪が目の前に落ちてきて、それにしがみつく。何度も名前を呼びながら。


(さぁ、どっからでも掛かってきなさい! あたしは、ここ!)


 頭に強く響く大きな声。


(あたしは、逃げも隠れもしな――)


 ダダダダダダッと、何かが走ったかのような音がした。


 走った?


 いや違う。今のは……銃声?


 俺は名前を呼ぶことしかできなかった。


 那美音の心の声は、その音にかき消されて、後は何の声もしなかった。


 あっけなく、声が、止まって。


 ――ガコン。


 まるで船の上に人が倒れてしまったような音が、耳に届いた。


 静寂の中、浮き輪を抱く。


 俺は、呆然としながら、波に揺られていた。


 那美音……?


 そして俺は彼女の名前を叫んだ。


 心の声でも何でもいい、返事をして欲しくて。


 でも……。


 でも。





【つづく】




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