紅野明日香の章_2-7
教室に戻った時、窓から見える校庭では、未だに新たな支配者に湧いている民衆が見えた。だが、それよりも気になったのは、何故か俺の席に誰かが座っていることだ。
背筋がピンと伸びた綺麗なシルエット。それは女子で、髪が短かった。
「あの」
話しかける。すると女子は言った。
「嵐がくるわね」
「は? 突然何だ。っていうかそこ、俺の席」
知っている女子だった。
立てば寮長、座れば級長、歩く姿は伊勢崎志夏。
志夏は、座ったまま俺をじっと見つめて、
「ほんと、達矢くんって気まぐれなのね」
と、怒ったように呟いた。
一体何なんだ。ていうか、言わせてもらおう。
「気まぐれで何が悪い」
「ううん、褒めてるの」
何ぃ、とてもそうは思えんが。
「ねぇ、達矢くん」
「何だよ」
すると彼女は立ち上がり、
「屋上、行かない?」
「何で」
「いいから」
そして、彼女の冷たい手は、俺の手を握った。
屋上は、転校初日の昨日と同じように、強風が狂ったように吹き荒れていた。
何で俺は、級長に引っ張られて屋上に来てしまったんだろうな。
ただ、断る理由も特に無いし、また、志夏が理由もなく俺を屋上に連れて来るとも思えなかった。志夏がここに俺を連れて来たのには何か理由があるはずだ。ただ、その理由を詮索したとして、彼女は答えてくれるだろうか。
答えてくれる気がしない。
仮に答えてくれたとしても、昨日今日出会ったばかりの俺に、彼女の言うことが理解できるとも思えなかった。それでも一応、訊ねてみるのが礼儀というか、セオリーみたいなものだと思う。
「で、何で屋上に?」
「まぁ、級長としては、早く街のこと知ってもらいたいから、街全体が見渡せる屋上で、この街のことを個人レッスンしようかなって」
個人レッスンだと?
「何だ、その、ドキドキシチュエーションは!」
叫ぶように呟く俺。
「ん? 何て? 風の音で聴こえなかった」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
「そう」
「まぁ、実は昨日既に屋上には来ていてな、だいたいの街の構造は理解してるぜ」
「あ、そうなんだ。でも、一回見たくらいでは、わからないことも結構あると思うから、ね?」
何が何でも説明したいらしい。
「じゃあ、折角だから聞かせてもらおうかな」
「うん、じゃあ、手前からいくよ」
伊勢崎志夏は嬉しそうに言って、説明を始めた。
「学校まで続く坂道には、風車が並んでるのよ」
「見りゃわかります」
「じゃあ、どうして風車が回ってると思う?」
「回りたいからじゃないっすか?」
「ハズレ。風車の意思よりも人の意思の方が強いわ」
「――って風車に意思とかあるのかい」
「実はね、この街は風力発電でこの街全ての電力をまかなっているの」
俺の質問、というかツッコミ、スルーですか。
「つまり、どういうことだと思う?」
知らんがな。
「風車が止まれば、街は電力を失い、文化的な都市生活ができなくなるのよ」
「元々この街に文化的都市生活なんてあるのか?」
「え? ここって文化的じゃないの?」
「まぁな。まず車が無い。街の外に出られない。携帯は圏外。それだけで選択肢が限られてしまって、選択肢が著しく限られるってことは文化的でないってことだ」
「で、でも、良い街よ!」
「そうなんだろうけどな」
「つ、次いくわね。次は、麓の商店街!」
「おう」
「どう? 昨日、今日と商店街を歩いてみて、何か感じた事はない?」
「言っちゃ悪いが、ちょい寂れてたな」
「そうよね。でも、それも仕方ないのよ」
「何で」
「何でだと思う?」
何だ、さっきから、この教師みたいな疎ましい切り返しは。
気に入らないので無言を返すことにする。
「実はね、最近、街の南側に大型ショッピングセンターができてしまったのよ。一箇所で何でも揃う上に品質も商店街の品々よりも上」
南側を見ると、険しい山を背景に、街一番の巨大な建物が見えた。
へぇ、大型ショッピングセンターなんて、あるのか。この街のことは事前に調べてきたが、知らなかった。
「そうなの。それで、お客さんが流れちゃって、商店街全体が大ピンチ。もしかしたら上井草さんが普段より暴れていた遠因かもしれないわね」
「まつりは、あの商店街の娘なのか?」
「そう。電気屋のね。でも、街の外からやって来たショッピングセンターの若い電気屋の方が、圧倒的に腕が良いらしいのよ。それで、色々あって……ね」
「不良化したと」
「いやー、それは元々だったかも」
「そうなのか」
「それで、次ね」
「おう」
「背の低い建物が並んでるところ、見て」
「ああ」
「どうして背の低い建物ばかりなのでしょうか」
「風が強いからだろ」
「あ、正解……」
何で落胆したように呟く。どうやら説明したい子らしい。
「じゃあ、何故全部白い家なのでしょうか」
「綺麗だからだろ」
「実は、それは私にもわからない」
地中海に浮かぶ白い建物だらけのリゾート島みたいだな。
「次、いくわね」
「おう、頼む」
「あ、そうだ。あそこが寮よ。わかる?」
志夏が指差した先には、他の建物よりも大きめの二階建ての建物が並んであった。一つは赤みがかった色、もう一つは薄い水色。他が白い建物なので、よく目立つ。
赤いのが女子寮。青いのが男子寮だろう。
「縦長なのは、強風で倒壊しないためで、実は女子寮の方が大きくて、内装も立派だったりするの」
「何だそれは。差別だ!」
「いいえ、違うわ。じゃあ訊くけど、女子が男子トイレの小便器で用を足せるとでもっ?」
「いや、そんなの、想像させるな」
ていうか、女の子の口からそんなこと聞きたくない。
「そう、男子用小便器はスペースをとらないからたくさん並べることができる。でも、個室はどう? 少なくとも小便器よりもスペースをとるわ。そうなった時に、トイレを同じ広さで設計したら、当然、置ける便器の数が変わってくるでしょう? 平等にするには、女子の方を広くするしかないでしょう!」
すると、あれか。
女子寮の多くはトイレで出来ているとでも言うのか。んなわけねえだろ。何だか、女子を優遇していることを正当化するためのもっともな理由のような気もする。まぁ、それは別に構わないのだが。
「さ、次いくわよ。次は、湖」
商店街の奥、道が途切れた所には、湖がある。湖にも風車がいくつか並んでいて、水の底に基礎を築いて建てられているらしい。
そして、湖には浮島が二つ。丸と三角の島が横に並んで中央に浮いていた。
「あの二つの島には、何か意味があるのか?」
俺は訊ねたが、
「知らないわ」
「そうか」
「私にわかるのは、そこに湖があることと、水質が淡水であることくらい」
「へぇ、淡水か。海近いのにな」
「地盤がね、超硬いから」
「なるほど」
「そう、そして、地盤が硬いからこそ、あの裂け目」
志夏が指差す先にあったのは、まるで鋭利な刃物で切り取られたかのような、縦二本の直線。
隙間からは、海が見えた。
「強風や高波にも浸食されずに、真っ直ぐでしょう。綺麗よね」
「ああ、綺麗だな。絶景ってやつだ」
「だいたい主だったところはそれくらいかな。他に、気になる所とか、ある?」
「特にないです」
「……そう。それじゃあ、戻りましょうか、教室に」
「ああ」
そして二人、屋上を後にした。