浜中紗夜子の章_6-4
人通りの全く無い階段に来た。
「この辺でいいだろ」
「うん」
「それで……俺の何が心配だって?」
「マナカって、ほら、か細くて美しいから、その……ねぇ?」
俺に襲われていないか心配だったわけだな。
「安心しろ。俺は、あまりにも紳士だ」
「……自分で『紳士』って言い張る人、信用できないんですけど」
否めない。
「まぁ、とにかく大丈夫。むしろ、俺が紗夜子を守ってるって自負すらある。俺の顔を見ろ。これが嘘を吐いている顔か?」
「しまりのない顔してます」
「失敬な!」
「えっと、戸部くんは、マナカと、どういう関係なの?」
「それを聞いてどうするんだ?」
「必要なら引き離す」
キッとにらまれた。何か、強い意志力ってのかな。目に見えないパワーを感じるんだが。
「あのなぁ……」
「答えて。どういうつもりでマナカに近付いたの? どうして居候なんてしてるの?」
「俺が紗夜子のこと好きだってのが理由じゃダメか。それで十分だろう」
沈黙が流れた。超にらんでる。こわい。後ろに龍とかが見えそうだぜ。
だが、目を逸らすわけにはいかないと直感的に思った。
異様に長く感じるにらめっこの後、
「……どうやら、悪い人ではなさそうね」
認められたらしい。
「いいわ。マナカのこと、話してあげる」
「お眼鏡にかないましたか」
すると、みどりはこくりと頷き、語り出した。
「マナカのことを知るためには、まずは……マツリって子のことから説明しないとね」
「まつりって、上井草まつりか」
「うん。まつりちゃんは昔っから乱暴だったの」
「へぇ、そうだったのか」
笠原みどりは「そう」と頷き、続ける。
「それで、簡単に言うと、どうしようもなく暴れるマツリを止めようとしたマナカを、マツリが殴って蹴って大怪我させちゃったの」
「それは、いつの話だ」
「子供の頃、んーと小学生くらいかな」
「なるほど。それで?」
「マナカは、昔ね、野球やってたんだけど、その怪我が原因で、続けられなくなってね、野球、大好きだったんだけど」
ふむ、野球……か。紗夜子は「野球なんて大嫌い」って言ってたな。薄々思ってはいたんだが、あいつの大嫌いは、やっぱりアテにならんのか。
「それで、マツリはマツリで外に出ないし、マナカはマナカで外に出なくなっちゃって。加害者のマツリは色々あったけど何とか元に戻ってくれたんだけど、被害者のマナカは……教室に行くのが嫌だって言って、ずっと家に閉じこもってたの。それで、見かねたマナカの両親が無理矢理に寮に入れて集団生活をさせるっていう荒療治に踏み切ったんだけど……全く部屋の外に出ようとしなくて餓死しそうになってんの、あのバカ。その上、寮ってホラ、朝ごはん絶対食べないといけないでしょ? それで食べなかったから退寮」
「あっはっは、アホだな。朝ごはん食べなくて退寮なんて」
「戸部くんもでしょ」
何故か知られていた。恥ずかしい。
「ま、まぁ、それで、みどり、続きを頼む。どうなったんだ?」
「あ、うん。それで、今度はマナカを無理矢理学校に連れて来たんだけど、マツリがそこに居てね……怯えちゃって」
「そりゃ、大怪我させた張本人が腕組みして威圧的に目の前に立ってたらな」
すると笠原みどりは目を丸くした。
「よくわかるね。マツリのその時の姿勢なんて」
正解だったらしい。
「マツリも、謝ろうとして近付いたんだろうけど、泣きながら体丸めて小さくなってね……マツリもショックだったんだろうね、近くにある机とか椅子とかを蹴飛ばして泣きながらまた自分の家にしばらく篭ったの」
「机や椅子を蹴飛ばしたら、紗夜子のがこわい思いしてんじゃないのか?」
「まぁ……マツリだし」
もう諦めているらしい。
「で、その事件が決定打になって、マナカは教室に行くと気分が悪くなる体になっちゃって、家に戻って外に出なくなった」
「でも、今、理科室に住んでるぞ」
「いや、あれは教室じゃないでしょ。完全にマナカの部屋だから」
「そっか」
「マナカが理科室に住むようになったのは去年。マナカの両親がついに町の外に引っ越すことになって、住む場所を失ったマナカを学校で保護したの」
「保護……ね」
なるほど。それで志夏が冷蔵庫の中身を補充したりしてたのか。
「あとは……あたしもよく知らない。マツリの事件があってから、あたしのことも怖がるようになっちゃって……誰のことも怖がるようになっちゃって。今日は、戸部くんみたいな人に変なことされてないか心配で勇気出して見に来たけど……それにしても、全ての人から距離を置いてたんだけど……どうして戸部くんと一緒に居るのは平気なのかな……」
「成長したんだろ、紗夜子も」
「……そうだったら、嬉しいな」
言って、みどりは笑った。
「みどりは、紗夜子にどうなって欲しい?」
「え? どうって……?」
「ちゃんとした生活して、皆と一緒に教室にいて欲しいって思うか?」
「それは、思うけど……」
俺も思う。
俺は二度ほど頷いた後、俯く彼女に向かって言ってやるのだ。
「なら、俺が何とかしてやるぜ」
するとみどりは顔を上げ、
「でも、それに失敗して、もっと閉じこもるようになっちゃったら……」
「そん時は、俺が責任とって一生面倒見てやる」
「えっ……そ、そんなに好きなの?」
そう言われると、何だか恥ずかしいのだが。
「ま、まぁな。それに、ごはん食わせてもらったし、泊めてもらったし、恩は返さないと。俺は義理がたい紳士なのでな」
「でも、どうやって」
俺は少し考え込み、
「野球しかないな。野球しかない」
言った。二度言ったのは、重要なことだからだ。
「え、野球って……」
「野球というよりも、そうだな、キャッチボールだ」
昔できたことを、もう一回できるようになれば良い。
それで、人との触れ合いに慣れていけば良いのだ。時には、過去からヒントを得ることも重要。というよりも、過去の何かを清算しないから、先に進めないのではないだろうか。不器用な人間ってのは、そういうもんだと思う。
だから、キャッチボール。いざ、キャッチボールだ。
笠原みどりは顎に拳をあてて考え込むような仕草で「キャッチボール……」と呟いた。
「みどり。お前の店、グローブ売ってないか?」
「それは、わかんないけど。でも、町の南にあるショッピングセンターに行けば、まず間違いなくあるよ」
「よし、そうとわかれば、早速行って買ってくるぜ」
「あ、うん……」
「じゃあな、みどりー」
俺は手を振って階段を下りた。