浜中紗夜子の章_6-2
昼になって、昼ごはんを食べた。
歯を磨いた紗夜子はベッドですやすや。
冷蔵庫には晩ごはんが用意されているらしい。
「さて……」
俺は健康的な生活をするのは得意なので、この妙に快適な理科室を出ることにしよう。
のそのそと制服に着替え、廊下に出た時、ちょうどチャイムが鳴った。
久しぶりに教室にやって来てみた。
室内の様子から察するに、昼休みのようだ。
思えば、初日に来て以来だな。
確か、俺の席は窓際。しかし俺は教室に授業を受けに来たわけでもないので、そこには向かわない。
俺が向かったのは――
「珍しいわね、教室に来るなんて。何か用?」
伊勢崎志夏のところ。
級長で生徒会長でもある彼女ならば、紗夜子のことを何か知ってるかもしれないと思ったからだ。たとえば、過去の話とか。
「ああ、ちょっと情報収集にな」
「何の情報?」
「浜中紗夜子についてだ」
「浜中さんか。私は、よくわからないな。笠原さんに相談してみたら?」
笠原……というと、笠原みどりか。笠原商店の看板娘の。
「あ、ちょうど戻ってきたみたいよ」
志夏は言って、教室の入口を指さした。
そこで、俺は少々の躊躇いを押し殺して笠原みどりに歩み寄る。
「よう、みどり」
「あ、えっと、戸部くん。全然学校来なかったけど、どうしたの?」
「いや、学校には来ていたぞ」
「そう。どうでもいいけど……」
「で、だ。みどり」
「何?」
「訊きたいことがある」
「どんなこと?」
「浜中紗夜子について」
「……ん? マナカのこと?」
みどりにはマナカというあだ名で呼ばれているのか。少々ややこしいが、まぁ良いか。
「いや、実はだな、昨日、まつりに呼び出されて、『浜中紗夜子に近付くな』と言われたんだが、まつりと紗夜子はどういう関係なんだ?」
「どうって……それは、戸部くんには関係ないんじゃないかな」
「そんな深い繋がりなのか」
「深いね」
それは、まるで余所者を拒絶するみたいな冷たい声だった。
「気になるなら、まつりちゃんに直接きいたら? あたしが勝手に色々喋って良いことかどうか……わからないから」
みどりは言って、椅子に座って男子の頭に自分の上履きを乗っけて遊んでいる上井草まつりの方を指差した。
いや、それは、きけるわけがないだろう。あいつが「忠告はしたからな」と言ったってことは、次はぶっ飛ばすと言われているようなものだ。
行き詰ってしまった……頭を抱えたい。
「じゃあ、まつりとの関係はとりあえずいいや。紗夜子の過去の話とか、教えてくれないか?」
すると笠原みどりは、少しの逡巡の後に、
「……あたしに聞いたって言わない?」
「言わない言わない」
「絶対?」
「絶対」
俺はこくこくと頷きながら言った。
「じゃあ……ほんの少しだけ……ね」
「ああ、頼む」
そして、みどりは語り出す。
「実はね、あたしはこの町で生まれたの」
「いや、お前の話じゃなくて紗夜子の話を――」
「最後まで黙って聞いて下さい」
「お、おう、ごめん」
「それで、えーと、あたしとまつりちゃんは幼馴染なの。マナカもね」
ん。マナカってのは、紗夜子のことだよな。つまり、まつりとみどりと紗夜子が幼馴染ってことなのだろうか。そして、みどりがこの町で生まれた。
「ってことは、紗夜子も、この町で……?」
「うん」
なんと、そうだったのか。
ていうか、今思ったんだが、俺は一緒に暮らしておいて紗夜子のことをほとんど知らないぞ。誕生日や、血液型や、星座すらも。理科室に住んでることと、綺麗な顔してることと、パスタが美味いことと、生活習慣が乱れに乱れていることくらいしか知らない。何せ、大半は寝てるか遊んでるか俺には意味のわからない勉強をしているか、だからな。
俺は、紗夜子を救い出したいと思ってる。でも、そのためには、まずは紗夜子のことをもっと知らねばならないと思った。
「ありがとな、みどり。教えてくれて」
紗夜子がこの町で生まれたってことがわかっただけでも大収穫だぜ。
「いいけど……」
みどりは呟いた。
「それじゃ」
俺は言って、教室を出て行こうとする。
「あれ、あの……戸部くん。授業は?」
きいてきたので言ってやる。
「今の俺には、授業よりも大事なものがあるんだ」
格好いいっぽいセリフを。
そして、すぐに教室を出て理科室へと向かった。