浜中紗夜子の章_4-3
「ごちそうさま!」
今日も、パスタが素晴らしく美味かった。
で、皿を洗って戻ると、紗夜子の細っこい体は既にベッドにあった。
うつ伏せに寝そべって漫画を読んでいた。
「紗夜子」
俺はソファに座って話しかける。
「んー?」
「ご飯を食べた後すぐに横になると牛になるらしいぞ」
「迷信でしょ。わたし、迷信とか幽霊とかそういう変なもの信じないから」
変なもの……だと。
「おいおい、幽霊さんに対して失礼だろうが」
「はっ、そんなものが存在しないこと、いつかわたしが証明してあげるわよ」
「まぁ、お前自体幽霊みたいなもんだからな」
ちょっと挑発してみた。
幽霊みたいだとか言われたら、やっぱりカチンと来るものだろう。
「まぁね」
軽く流された。
強い心をお持ちの様子。
「外に出ないでいると、何か学園の七不思議みたいになっちまうぞ」
「もうなってるよ。理科室に住む女の霊だって言われてる。別に気にしてないけど」
「そ、そうなのか。お前、マジで幽霊だったとかいうオチはないだろうな。そういうのはやめてくれよ?」
「そんなわけないでしょ。ほら、足あるし」
言って、スカートを穿いた足をばたつかせた。
「足がある幽霊も居そうなもんだがな」
足がないから幽霊ってのも、何か古い概念だな。さすが、田舎モノだ。幽霊の概念というものも都会に遅れをとっているわけか。
と、そんなことを考えてると、紗夜子が俺の顔をチラッと見て言った。
「何か今、失礼なこと考えなかった?」
「え」
何故かバレた。
「たっちーって結構考えてること顔に出るよね」
「かもしれん。たまに言われる」
都会に居た頃も何度か言われたことあるな。直さねばならん癖だ。
「逆にお前は考えてることがなかなか読めないな。ポーカーフェイスってのか?」
「心がけてるから」
そうなのか。
「何か、感動することとかないのか?」
「だから、してるんだってば、感動。でも、それを表に出さないだけ。たっちーってば人の話きいてるの?」
お前こそずっと俺に背を向けて漫画読みながら喋ってて、それが他人と話す時の態度なのかと言いたい。
「じゃあ、何で感情を表に出さないようにしてるんだ?」
「何でだろうね……忘れた」
「外に出ないからだな」
「たっちー」
「何だい、紗夜子たん」
「何とかして、わたしを外に出そうとしてない?」
「してる」
「何で?」
「んー、紗夜子のことが好きだからかな」
とりあえず好きと言ってみた。
「ふーん」
それだけかいっ! やだ、この冷めた子!
「冗談だ」
やっぱ好きじゃないと思った。
「どっちよ」
「俺に『好きだ』と言われて冷静でいられるようなやつのことは好きじゃない」
「へー」
まったく、俺は必死に語りかけているのに、こいつは漫画読みつつ俺に背を向けてるんだ。
不良だ。不良以外の何者でもない。
「紗夜子」
「…………」
「おーい」
「…………」
今度は無視だ。
こいつは、漫画だのパソコンだのって娯楽に向かった時、急に素っ気なくなるんだよな。
元々乏しい表情が、更に乏しくなる。笑ったりすることもあるが、それは俺との関わりで笑うんじゃなくて、漫画やネットしながら、つまり紙や画面に向かってフフフと笑うのだ。それは、あまりに不健全な光景だろ。
「紗夜子ー。現実から逃避してんのか?」
「…………」
「向き合わないと何も変わらんぞ」
「…………」
「おい、カッペリーニ」
「…………」
「きいてんのかー」
「うるさいっ!」
で、たまにキレるという。
「難儀だな」
「黙ってられないの?」
「あいにく、無言が苦手なんでな。相手にしてくれないと死んでしまうんだ」
「たっちーがどうなっても別にいい」
「ひでぇなぁ……」
「うるさい、喋るな!」
おこられた。
「まぁ、感情をむき出しにする紗夜子も新鮮で可愛いぞ」
「…………」
ムキになって黙った。可愛い。
「俺は心配してるんだ。ずっとこんな生活を続けていたら、お前はダメになる」
「とっくにダメになってるもんね……」
溜息混じりに言った。
うーむ、もう諦めてしまってるわけか。
これは一筋縄ではいかないかもしれんな。
何とか紗夜子を外に出すきっかけみたいなものがあれば良いんだが。
と、その時、俺は閃いた。電流が走るがごとく閃いたぞ。
さっき笠原商店で買ったゴキ○リのオモチャを試すのはどうだろうか。
いかに紗夜子といえども、ゴキ○リは苦手なはずだ。
可愛い子はゴキ○リが苦手と相場が決まっている。
プラスチックのオモチャとはいえ、こいつはリアルだからな。
ビックリして屋外に飛び出すはずだ。
……試してみるか。
俺はポケットに入っていたピージーを取り出し、親指で発射した。
プラスチックゴキブリ、略してピージーは、一旦理科室の天井に向かって生き生きと舞い上がり、直後、ぽとり紗夜子の頭の上に奇跡の着地を果たした。
「うん?」
違和感を感じたのか、紗夜子は首をぶんぶんと振った。
ポテッ。
茶色いピージーは、紗夜子のすぐ横のベッドの上に落ちた。
紗夜子はそこに視線を落とす。
そして――
「ひっ……」涙目。「いやぁああああ!」
叫んで、立ち上がり、ソファに座っていた俺に飛びついて抱きついてきた。
これは、何とこれは思わぬドキドキイベント発生!
「やだぁ! ゴキ○リィーーーッ!」
「お、おう……」
「こわいぃいい!」
細い腕でギュッと抱きしめてくる。良い匂いする。
やばい。これは、やばい。やばいぞ。
いけない気持ちになる!
紗夜子は、細くて、温かくて、やわらかい。すこしクセのある髪を撫でてやる。
「たっちー……助けて……」
しがみついて、震えた声で助けを求めてくる。
ああ、助けてやる。
待ってろ。今、お前のためにあれがニセゴキ○リであるということを暴いてやるからな。
「うぅう……ひっく……ぐすん……」
いや、待て。泣かせてしまったぞ。
俺の胸で泣いている。
これは、俺が犯人だと名乗るのは、少しまずいかもしれん。
「と、とりあえず紗夜子。あいつを退治してやるから、俺から離れてくれ」
「あ、うん。お願い……」
そして俺は紗夜子をソファに座らせると、
「そりゃああ!」
とかって叫びを上げながら、ついさっきまで紗夜子がいたベッドに飛び込み、ピージーを手で払った。
こうして、手で払ったり蹴飛ばしたりして理科室の外まで追い込み、その後仕留めたことにすれば、俺がピージーを仕掛けた張本人であることはバレないはずだ。
とか思ったのだが……。
しかし、おれが吹っ飛ばしたピージーが飛んだのは、紗夜子の居るソファの方向だった。
ピタンっ。
紗夜子の顔にピージーがくっつく。
「きゃあああああああああ!」
ひときわ甲高い声で叫ぶ紗夜子。
バシンと紗夜子の右手がピージーを殴った。
カーペットに落ちるピージー。
「あぅぅ……うぅぇ……ぐすん……」
やべぇ、本格的に泣いてるっ!
「こんにゃろ、こんにゃろ」
俺は呟き、ピージーを出口まで誘導し、ガラッと扉を開けて外に蹴り出すと、俺も外に出て、そして廊下でピージーを拾い上げ、ズボンのポケットにねじ込んだ。
そして何食わぬ顔で理科室へと戻った。
「大丈夫だ、悪は去った。ダッシュで逃げて行ったよ」
やれやれといった感じで肩をすくめてみせたが、大嘘だった。
「うぇええん、あ、あり、ありがとう……」
言って、手で涙を拭っていた。
やれやれ、まさか泣くとは思わなかった。
この上なく強い罪悪感の中で、俺はポケットからハンカチを取り出すことにしよう。涙を拭いてやるのだ。
と、その時であった!
ポトッ。
ハンカチを取り出した拍子に何かが落ちた。
緑のカーペットにはピージーがひっくり返っていた。
「…………」
ピージーは無言だった。
「へ?」
「あっと……」
「たっちー? ソレ、よく見たらソレ……オモチャ……」
バレた。
「いや、何と言うか……」
「いま、たっちーのポッケから落ちた」
「はっはっは、よく見てるじゃないか」
もう笑うしかない。
「イタズラ?」
「――っ!」
俺はカーペットを蹴って脱兎のごとく逃げ出した。
ガラッと扉を開けて廊下に出る。
「待てっ!」
待たない。逃げる。
しかし、しかしだ、予想外だった。
紗夜子はひきこもりのくせに足が速かった!
廊下を駆け逃げる俺を右手で捕まえて引っぱった。俺はバランスを崩してよろめく。
後、紗夜子は少し行き過ぎて、すぐにターン。視界で、スカートが少し、フワリと浮いた。再び廊下を蹴って俺に向かってダッシュしてくる。
「バカーーーッ!」
そして通り抜ける瞬間に、俺に右手の平手打ちを見舞った!
バッチーーーーンと激しい音が二人きりの廊下に響く。
そう、名付けるならば『流鏑馬ビンタ』といったところだろう。俺はプロペラのごとく回転しながら芸術的に吹っ飛んだ。そして、仰向けにどしゃっと倒れる。痛い。
「わたしを外に出したいからって! やって良いことといけないことがあるでしょ!」
右手で自らの髪を押さえながら、紗夜子は言った。
「すまん」
「女の子にゴキ○リ絡みのイタズラするなんて、男として終わってるよ!」
返す言葉が無い。
「正座!」
「はい!」
俺は言われるがままに正座した。
「じっくり反省してから戻ってきなさい!」
「申し訳ありませんでしたぁ!」
俺は土下座した。冷たい廊下に頭をついて。
それにしても、紗夜子は細くて、温かくて、やわらかかった。
ドキドキしたぜ。