浜中紗夜子の章_3-4
十五分後。
既に良い匂いがしてきた。
タマネギとか肉とかが焼けていく匂い。
俺は、紗夜子の居ない理科室で、昨日と同じように漫画を読んで過ごしている。
と、そこへ、「ふぅ……ひと段落」などと言いながら、紗夜子が現れ、机の一つに置いてあったノートパソコンの前に座って電源を入れた。
「終わったのか、料理」
「いや、今、煮込み中。弱火でじっくり一時間くらい煮込んでみようかなって」
「た、大変な料理なんだな、ミートソースって……」
「まぁ、簡単な作り方もあるんだけど、どうせ暇だし、こだわった方が美味しかったとき嬉しいじゃん」
「なるほど」
紗夜子のパソコンが立ち上がり、デスクトップの壁紙が表示された。壁紙は、イタリアのコロッセオの写真だった。
本気でイタリア好きらしい。
俺もそこそこにイタリア好きだが、ここまでのイタリア信仰、パスタ信仰を見せられると、ちょっと恐ろしさすら感じるぞ。
俺はしばし読んでいた漫画から目を外し、紗夜子の行動を見ていることにした。
「~♪」
機嫌の良さそうな鼻歌を繰り出しながら、握ったマウスをクリックして、検索サイトに飛んだ。検索以外の昨日を排したようなシンプルなデザインの検索サイトだ。
キーボードで、
『カッペリーニ』
と打ち込んでエンターキーを押した。
そして、紗夜子は言った。
「うぇっ、うそー……」
ショッキングなニュースでもあったのだろうか。国家が破綻しそうとか、そういう感じの。
「どうした」
しかし、別に国家がどうのこうのって話でもなかったようだ。
「わたし、今まで『カッペリーニ』だと思ってたんだけど、イタリア的には『カペッリーニ』が正確な表記だって書いてあるぅ」
右手で黒髪をかきむしる紗夜子。
「ちなみに、カペッリーニってのぁ、どういう意味なんだ?」
「髪の毛のごとく細い、みたいなこと」
ほほう。なんだ、紗夜子の愛称にピッタリじゃねえか。
体が超極細だからな。
「うぅ……不覚っ。イタリア好きを公言している身としてはあるまじき失態……」
カッペリーニ。
カペッリーニ。
ちょっと違う。意味で言うなら結構大きく違うらしい。イタリアが好きでたまらない人は間違っても極細パスタのことをカッペリーニなんて発音しないように。
俺は別に、通じればどっちでも良いと思ってるので、言いやすいカッペリーニで通してしまおうと思ってるところだ。
「あー、わたしったら、信じられない勘違いしてた。カッペリーニだとばかり……」
「まぁ、そっちの方が言いやすいしな」
カペッリーニって発音は日本語的に何か不自然な感じするからだろう。
たぶん、カペッリーニと表記するよりもカッペリーニと記した方が売り上げが伸びると思う。
間違いなく、「言いやすさ」という概念は少し間違えちゃった系の和製外国語風言語が生まれていく一つの要素だ。
「だが安心しろ。お前のことは変わらずカッペリーニと呼んでやる」
「呼ばないでよ!」
おこられたぞ……。
「何故そんなに嫌がるんだ」
「なんか、『いなかっぺ』って言われてる気がして嫌」
「……実際田舎モンだろうが」
「え、何? いなかっぺだからカッペリーニって呼びたいわけ? さすがにクールなわたしでも怒るよ? 西の山とか北の森とかに埋めるよ?」
「お、怒った顔も可愛いなぁ」
「ばかじゃないの? ていうか、ごまかすな」
「す、すみません」
どうやら、田舎モノであることにコンプレックスがあるようだった。
いやでも、紗夜子の場合、田舎がどうのこうのって言う前に、理科室からほぼ出ないじゃん。むしろそこにコンプレックス持てよ。
いや、まぁ、とにかく、とりあえず、無言でじっと見られてるのは落ち着かないので、許してもらえるまで謝ろう。
「ごめんなさい」
しかし、紗夜子は無視をした。