笠原みどりの章_7-2
二分後。
「みどりさーん!」
しかし返事が無かった。
次第に、人通りが多くなっていって、俺は道行く人の視線を集めたりしていた。だが、そんなのは関係ない。恥ずかしい気持ちが無いことは無い。でも、それよりもみどりのことが大事なんだ。
「みどりー!」
無反応。
シャワーでも浴びているのかもしれん。
あと三分くらい待ってみよう。
三分後。
「みどりちゃーん!」
…………反応が無い。
いや、よくよく考えてみれば、女の子のシャワーはもっと長いかもしれん。
あと五分待ってみよう。
五分後。
「みどりーーー!」
反応が無い。
もしかしたら、もう学校に行ってしまったのではなかろうか。
あと三分待って返事が無かったら学校へ行こう。
遅刻してしまう。
三分経った。
「みどりーーー!」
返事なし。
あと一分。あと一分待とう。
一分後。
これを最後とばかりに俺は叫んだ。
「みどりぃいいーーー!」
反応が無い。
もう一回。
「みどりーーー!」
反応が無い。
「おーい、みどりー!」
返事は無い。
だけど、何度でも、何度でも。
「みどりー! みどりー!」
二回読んでも返事は無い。
「みど――っげほっけほ……」
咳き込んだ。
「みどりいいいー!」
でも叫ぶ。
声なんてかれても良い。
喉が潰れても。
「みどりいいい!」
俺は叫ぶ。
道行く人の視線を集めながら。
好きな人の、名前を。
そして、
「み――――」
何度目か、叫び掛けた時、ガラッと窓が開いた。
「みどりっ!」
姿を現したのは、パジャマ姿のみどりだった。
「何の用よ!」
「みどり、良かった……」
返事をしてくれた。
「名前ばっか呼んでないで、用件を言いなさいよ!」
俺はここぞとばかりに手を広げて、
「一緒に学校へ行こう!」
「うるさいっ! 一人で行って!」
みどりは叫んで、寸胴な猫のぬいぐるみを投げてきた。キャッチする。猫の顔は空気を読めずに笑っていた。みどりらしくて可愛いぬいぐるみだと思った。そして、ピシャンと窓が閉じられる。
俺は大きく息を吸って、
「みどりーー!」
叫んだ。
ガラッと窓が開く。
「あたし今日体調悪いからやすむ!」
「嘘こけ! 元気そうじゃねえか!」
「何なのよ、もう!」
言って、またピシャリと閉じる。
「みどりーーー!」
「放っといてよ!」
彼女は、窓の向こうから叫ぶ。
「放っておけるか!」
すると、ガラッと窓を開けて、顔を見せてくれた。
「バカっ!」
それだけ言って、またピシャリ。
どうやら怒っているらしい。いや、怒っているのは知っていたが……。
「みどりー!」
ガラッ。
「何よっ!」
「何で怒ってるんだか、教えて欲しい」
「言って良い冗談と、言っちゃダメな冗談があるでしょ!」
言って、また窓がピシャンと閉まる。
「冗談……?」
思い出す……。
えっと、俺は、父親に土下座してて、「お嬢さんをくださいと言ってた」というようなことを言って、それを「冗談だ」と言って。それを、みどりは怒ってる……?
ええと、何だ。
誤解じゃないか。
「あれは確かに冗談だ!」
ガラッ!
「あたしと話すの好きだとか言った事も、一緒にいてくれることも、全部冗談なんだ!」
「それは違う!」
「違うくない!」
見かけによらずイノシシ的突っ走りの思考展開をする子なのかもしれんな。だがそんなところも好きだ。
「恥ずかしいでしょ! どっか行って!」
みどりは言って、また寸胴な猫のぬいぐるみ(小)を投げてよこした。キャッチする。猫の顔は、また笑ってる。可愛い。
「聞いてくれ、みどり」
「聞かないっ!」
ピシャン。
「聞けって!」
ガラッ。
「何よ」
「俺は緊迫した場面でも冗談を言ってしまうようなどうしようもない人間だ」
「そんなの知ってる!」
ピシャン!
「みどりっ!」今度は叱るように、呼んだ。
ガラッ!
「何なの?」
「俺はどうしようもない人間だが、みどりの事を好きな気持ちは、本当だ」
「…………」
ピシャン、と窓が閉じた。
「…………」
ガラッ。
開いた。
「それで謝ってるつもりなの!?」
「いつ謝った! 謝ってなんてないだろうが」
「何で謝らないの!」
「謝ったら、お前のことが欲しいってことが嘘になっちまうだろうが!」
「それとこれとは、話が違うでしょ!」
「違わないと思う! 頭悪いからわからん!」
「なんか誤魔化そうとしてる気がする!」
「そんなんじゃない! 発言は冗談だが、お前のことが好きで、お前と一緒にいたくて、お前と話すのが楽しいってのは冗談じゃねえんだよ!」
「うるさいバカっ!」
ピシャン、と窓が閉まった。
「……みどりー!」
返事がなくなった。
「待ってるからな! ずっと、ここで、待ってるからな!」
反応が無い。
気付けば、周囲は喧騒。
人が集まっていた。
だが、そんなの気にしていられない。
「……みどりー!」
俺はもう一度、名前を呼んだ。
寸胴な猫のぬいぐるみ二匹を両手に抱えながら。
すると窓が開いて、今度は制服姿のみどりが姿を見せた。着替えたらしい。
「……なんかもう、わかんないよ!」
「何がだ!」
「何が冗談で、何が冗談じゃないの?」
「全部本気だ!」
「それ、答えになってない!」
「好きだ!」
「誤魔化しみたいにして言われても嬉しくない! あたしの気持ちも、考えてよ!」
「……考えたってわかるか! 俺はそんな頭良くねえんだよ!」
「達矢……達矢なんか、達矢なんか! 戸部くんって呼んでやるんだからっ!」
その程度か、と一瞬思った。どんな暴言が飛んでくるのかと身構えていたから。だが、嫌だ。達矢って呼ばれたい。嫌だ。「戸部くん」は地味に嫌だ。いや、すごく嫌だ。呼び名のリセットは関係のリセットみたいなもんだ。嫌だ嫌だ。それは。
だから、俺は言った。
「それでも俺は『みどり』って呼び続ける!」
「うるさい! きらいっ! 戸部くんなんか嫌い!」
「みどり。とにかく降りて来い。近くで話そう」
「やだ! もう部屋から出ない!」
みどりはそう言うと、窓を閉めずに姿を消した。
「みどり!」
応えない。
「みどり!」
返事が無い。
でも、そこに居るのはわかる。
開いた窓の向こうに、みどりが居る。
「ずっと部屋に篭るってんなら、お前の家をぶっ壊してでも、連れ出してやるからな」
俺はそう言った。本当にそうしてやろうと思った。大好きなみどりと一緒に登校するためなら、家だって壊して、二人で直そうと思った。
「達矢!」
声がした。
ずっと、窓の方を見ていた。
顔を出すのを、待っていた。
でも、出てきたのは、顔だけじゃなかった。
ガッと音がする。みどりは、窓枠に足を掛けた。
そして次の瞬間、二階の窓から……飛んだ。
「なっ」
ドサリと音がした。
一瞬のことだった。
びっくりしながらも抱きとめる。
やわらかくて、あたたかくて、良い香り。いつもと少し違う香りだった。
「…………」
奇跡的にお姫様抱っこの形になった。
みどりらしくないボサボサの髪が風に吹かれてる。いつもは、もっとサラサラしっとりのセミロング髪だけど、今日はボサボサだった。でも、髪型だってどうでも良いんだ。目の前に居る彼女のことが、好きだ。
「できすぎだね」
言って、みどりは笑った。久々に笑顔を見た。
「まったくだ」
こんな奇跡的にロマンチックな展開、なかなか無いぞ。
「……前にも、こういうことあった気がする」
「そうそうねえぞ、こんなこと」
何故か、俺たちを拍手が包んだ。
「ごめん。達矢。バカとか、ひどいこと言って」
「いや……まぁ……大丈夫だ。慣れてるし。あと、俺も大いに悪いと思ってる」
「……あたしのこと、好き?」
「大好きだ」
ギャラリーからの歓声と拍手。
その真ん中に、俺たちは居た。
そして、俺は久々に遅刻をした。