笠原みどりの章_6-5
帰り道、笠原商店に寄ってみた。
「あの、みどりは帰ってませんかね」
無視である。
「あの、お父様にもお話が――」
「お父様だぁ?」
俺はビクッとした。
「貴様のような男にお父様と呼ばれる筋合いはないわ!」
「お、お父様……」
「二度も呼んだ! 娘にも呼ばれたことないのにっ!」
誰のつもりだ。というか、態度を硬化させすぎだろう。戸惑うしかないぞ。二日前とは別人のようだ。
「先日の件は、まことに申し訳ございませんでした」
この街に来て、二度目の土下座をした。
「ふん、ただ土下座すれば良いというものではないわ」
針の上で土下座しろとでも言う気なのか。
「このとーり、このとーり」
何度も地面に頭をぶつけてみる。
と、ガラッと引き戸が開いた。
「何してんの、達矢」みどりの声だ。
デジャヴ。前にもこんなことがあった。
「さてはお父ちゃん……また達矢のことイジメてたんでしょう」
その言葉に、俺は立ち上がり即座に否定する。
「いやいやいや、そんなことはないぞ。イジメられてなどいない、断じて」
言った後、立ち上がって、みどりの方を向いた。
父上には背を向ける形だ。
ここは、父のご機嫌を取っておく必要があるだろう。だからこそ、本当はイジメられてる感じだけどイジメられてないと言い張るのだ。好きな女の子の親に嫌われるということは、とてもとてもキビしいことなのだ。
「じゃあ、何でお父ちゃんに土下座なんてしてたのよ……」
「実は、『お嬢さんを下さい』と言っていた」
「え」
驚いていた。後、真っ赤になる。
その表情の移り変わりをみて、胸がドキリとする。
「それ……本当に……?」
視線をあちこちさせながら、震えた声で訊き返してくる。
けどまぁ、実際はただ笠原父に先日のことを謝罪していただけだからな。
お嬢さんを下さいは嘘である。
「冗談だ」
俺は言った。
すると、視界が揺れた。
バチーンとかって激しい音がした。
何が起きたのか、わからなかった。
ただ、視界がブレながら右側に移動して、左頬が痛かったりして。強風を受けた時みたいな音が左耳に響いた。
みどりを見ると、涙を溜めてた。
さっきよりドキっとした。あっという間に痛みが引いた。
みどりの涙を何とかする方が先だ。
「な、何で……何で泣いて……ごめん」
とりあえず謝った。理由もわからず謝った。でも、理由もわからず謝ることを、謝罪とは言わない。
「最低っ!」
最低と言われた。
どうして。
そして、みどりは、俺の横を通り抜け、父の横も通り過ぎ、店の奥へと消えた。バタバタという音がした。
「娘を泣かせたな」
返す言葉が無い。
「……今日はもう帰れ」
「はい」
俺は、ボーっとしたまま、笠原商店を後にして、寮に戻った。
夕食の時間。
だが、俺は一人、暗い部屋に居た。
朝食と違って、夕食は食べなくても特に何も言われない。ただ俺の腹が減るだけだ。
腹は、減ってる。階下から良い匂いもしてる。カレーのようだ。俺は、カレーが好きだ。でも食べない。食べるわけにはいかない。みどりを、泣かせてしまったから。
それとこれとは話は別なのだろうが、少しでも謝りたい気持ちが、俺に夕食を我慢させたのだった。
ぎゅるるるぅーぐるぐるー。きゅるるるーん。
俺の内臓が、食事を欲しがって鳴いてる。
「ダメだぞ。食べるわけにはいかないんだ」
まるで、ペットに言うみたいに言った。
「お前も鳴いているが、みどりだって泣いてるんだ。俺だって泣きたい」
ていうか、何で泣いたんだろうか。
俺が「お嬢さんをください」と父に言っていたからだろうか。
それで泣いたってことは……。
俺、嫌われてたのに調子に乗ってみどりが俺に好意を持ってると勘違いして……それで……。
アホだ。
俺バカだ。
ダメだ。俺ダメだ。
寝よう。
こういうときは寝るしかない。しくしく泣きながら眠るんだ。
おやすみなさい、みどりさん……。