笠原みどりの章_5-1
早朝。
目覚めた。
まつりでの競争でぶつけた膝を、昨日転倒した際にもう一度強打し、痛みが少し残っている。
それはどうでもいいとして、今日も休日。授業は無い。
雨は弱まりながらも昨日から降り続いていたようで、少し肌寒さを感じる目覚めだった。
休日二日間の天気が崩れるってのは、何となく損した気分になるが、まぁ、この街に来て最初の連休だからな。ゆっくりできてむしろ良いかもしれん。
と、その時。
ぐるぐると腹が鳴って、空腹を告げた。
「あー。そういや昨日メシ食わずに寝たから腹減ったぜ」
何故か独り言を繰り出しつつ、空いた小腹を満たすために階下へと向かった。
手の中で小銭をジャラジャラ鳴らしながら。
食堂の前には、カップ麺等のジャンクフードが常備された棚がある。
寮生なら、お金を置けば食べて良いという、無人野菜販売所のようなシステムになっている。
朝食まで待っても良いのだが、今の俺は飢えに飢えている。それに、たまにはカップ麺のお世話にならないといけないような気がするのだ。
理屈ではない。
これはもう、俺という人間に後天的に組み込まれた本能的な行動なのだ。それは本能じゃないというツッコミはいらない。
で、螺旋状になりたくてなり切れていないような階段を下ったところで、俺の足は止まった。
男子寮の寮長であるおっちゃんと、女子が何かを話していたからだ。
こんな早朝に、何だろうか。
禁断の恋とかだったりしたら邪魔しちゃ悪いな。
だがしかし、俺はその女子を見て考えを変える。禁断の恋ではないと直感した。あの女子は、級長の伊勢崎志夏じゃないか。何故女子寮に来たのだろうか。まさか、俺がみどりを濡らしてしまったことが大問題になっているのではないか。確かに大問題だ。可愛いみどりに苦痛を与えてしまったのは罰を受けるべき行為だからな。これで謹慎とかになるのは嫌だけど、先に謝れば何とかなるかもしれない。
俺はそんな思考を展開させたのだが、どうやら志夏が来たのは俺を捕まえるためでも責めるためでもなかったらしい。
「おかしいです。誰も異常を訴えた人なんていないのに。いるわけないのに」
志夏がそう言うと、会話の相手である男子寮の寮長が言った。頭にタオル巻いたおっちゃんだ。
「そう思う。この街に長く暮らす者なら、当然その裏に何かがあることは感じるはずだ」
「でも、それじゃあどうして避難勧告なんて……」
「バカげているのは、街の中央部での空気汚染と言って来たことだ。常に風の吹き抜けるこの街で、それは、あまりにもふざけてる」
空気汚染?
「一体何でそんなこと……」
呟く志夏。
で、俺はそんな二人の立ち話に割って入ってみた。ちょうど進行方向に彼女らが居たということもある。
「何かあったんですか?」
驚いて振り返る二人。
「達矢くん。もしかして、今の話、聞いてた?」
「すまん。少し聞いた。聞かれちゃまずい話だったか?」
「まぁ、でも、いずれわかることだから、聞かれてまずいって程ではないけど……」
「けど……何だよ。っていうか、何で志夏が寮長さんと話してるんだ?」
「私、女子寮の方の寮長をやってるから。こうして重要なことを寮長同士で話し合うこともあるの。言ってなかったっけ?」
「初耳だぞ」
「あ、あと生徒会長も兼任してるから」
「どんだけー」
「深谷さん……これ、言って良いと思います?」
志夏は、男子寮長のおっちゃんの方を見てきいた。おっちゃん、深谷っていう名前だったのか。
「仕方ないんじゃない?」
おっちゃんが答えて頷いたので、それを見て、志夏も頷き、話し出す。
「実はね……」
「どうした」
「国から、避難勧告があったの」
国からっていうと、つまり、今現在この国を治めてる臨時政府からってことか。
「へぇ、そりゃまたどうして」
「この街で、深刻な空気汚染が発生したから街に居る全ての人間は一週間以内に街の外へと避難するようにって」
「空気汚染……」
「もっとも、そんな汚染なんて、全く発生してないから、だからわけがわからないの」
「じゃあ、何で避難勧告なんて……」
「だから、それがわからないから不安なのよ」
いきなり寝起きに聞かされる話じゃねぇなと思った。
「とにかく、空気汚染なんて発生してないから、慌てないでね」
「おう」
「どういうつもりか知らないけど、政府の思い通りになんかさせないんだから」
志夏は怒ったような顔で強く言った。
で、まぁそれも大事なことなんだろうが、そんなことは置いておいて、だ。今の俺にはとても気になることがある。それは当然、みどりのこと。みどりのことで頭をいっぱいにしながら眠るほどだからな。これは、きっと恋なんじゃないかと思う。
「あ、そうだ志夏」
「何? 達矢くん」
「昨日、みどりがさ、お前のところ行ったろ」
「来たわよ。ずぶ濡れの上機嫌で」
「上機嫌……か。なら良かった」
「何? 笠原さんに何かしたの?」
「ああ、いや、別に良いんだ。彼女が怒ってなかったなら万事オーケーだ」
まぁ、お詫びはせねばならんが。
「そういえば、チラっと聞いたんだけど、笠原さんのこと、好きなの?」
「げ……」
あの見かけによらない御喋り娘。
「別に達矢くんが誰を好きでも良いけど、ここがどんな街なのか……忘れないようにね」
俺は無言を返した。
「それじゃあ、私は先生たちにも避難勧告のこと話しに行くから、またね」
「あ、ああ、またな」
志夏は、玄関の方へと歩いて行った。
「あ、わたしも朝食の準備をしないと……それじゃあね、戸部くん」
寮長も、食堂へと消えた。
そして、周囲には誰も居なくなった。
ぐるぐるとまたしても俺の腹の音。
「そうだな、カップ麺だカップ麺」
俺は食堂手前の棚の横に備え付けられた小銭入れに必要な金額を入れ、緑色のパッケージのカップ麺を手に取った。
そして、開封。
近くの台に備え付けてある電気湯沸かしポッドからお湯を注ぎ入れ、台の上に置いてあった割り箸で蓋を押さえつつ、自分の部屋へと向かった。
階段とかがあるので、慎重に。
で、三分後、俺は久しぶりにカップ麺のお世話になった。
これで、朝食までの間に飢えて死ぬことはないだろう。食わなくても死ななかっただろうというツッコミはいらない。
にしても、さっきの志夏の話。
突然だったな。
まさか、みどりがあれほどまでに御喋りだとは。
――って、大事なのはそっちじゃないだろ。
また自分でツッコミを入れてみた。
俺は、他人からのツッコミを欲しがる性質ではあるが、普段からセルフツッコミを本能的に求めるという後天的特徴があるのだ。
――ってそれ後天的なら本能じゃないだろ!
たまにセルフツッコミが止まらなくなる時がある。病気かもしれない。
略してセルフツッコミシンドローム。
――略してないし!
ちなみに、大して面白い思考展開にならないことが多いのだが、それは恐らくセツコ(セルフツッコミシンドロームの略)が未だ軽度だからであろう。
――セツコって略し方おかしいだろ。つかどこが軽度だ。重篤じゃねえか。
いいかセツコ、これはドロップや。おはじきちゃうやんか。
――色々間違ってるよ!
まぁ、ギリギリアウト気味のネタも混ぜつつ、こんな一人会話を展開させることもあるという、全くどうでも良い話。
で、何の話だったか。
えっと、たしか……そうだ。志夏の話な。
まさか、みどりがあんな御喋りだったとはな。
――って大事なのはそっちじゃないだろ!
俺は昔から他人からのツッコミを欲しがる性質ではあるが、普段からセルフツッコミを本能的に求めるという後天的特徴が、
――ループしてるループしてる!
たまにセルフツッコミが止まらなくなる時がある。病気に違いない。略してセルフツッコミシンドローム。
――ぐるぐるループしてるってば!
何だと、本当か。ぐるぐるしているのか、もう一人の俺よ。
――ぐるぐるしていることに気付かなければ、ぐるぐるからは抜け出せない。
空腹の話?
――茶化すなよ。
とまぁ、このように不毛な一人会話を繰り返したりもする。
セルフ会話シンドロームと名付けよう。
略してセカイシン。
俺は記録に残る男なのだ。
――アホか。もうええわ。
ありがとうございましたー。
――ありがとうございましたー。
嗚呼。何故か漫才風に思考が区切られた。もう「尻滅裂」だぜ。
――ってなんかボケ粗いし、それ字ぃ違うし。「支離滅裂」だし。お前の尻どうなってんねーん。ていうかまだ終わらないのかーい。
ダメだ。俺ダメだ。
思考がエンドレスの無限ループに入り込みそうになっている。部屋に一人で居るのは気が滅入るぜ。こういう時は、誰か話し相手が欲しい。
っていうか、何を考えようとしていたんだっけ。
えっと、たしか……ああ、そうだ、さっきの志夏との会話を思い出そうとしていたんだった。
まさか、空気汚染で風の強い町全域に避難勧告が出てるなんてな。
街の中央部、というとどの辺りだろうか。
やはり学校へと続く長くて急勾配の坂道が中心と言えるのではなかろうか。そうに違いない。
と、いうわけで、後でその場所に向かうことを心に決めた。