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紅野明日香の章_1-7

 学校に戻ってきた。


 海の香りがする追い風に吹かれながら二度目の登校を果たすと、宣言通りに紅野明日香が待っていた。


「よう、お待たせ」


「なかなか早かったわね」


「あまり女の子待たすわけにもいかないからな」


「へぇ、良い心がけじゃない」


「まぁな。女の子には優しくする主義なんだ。俺は」


「見直したわ。さ、帰りましょ」


「おう」


 言って、紅野が下駄箱に向かう。俺もその後についていく。


 三年二組の下駄箱には、ちゃんと俺の名前が入った場所があった。もちろん紅野の名前の領域も。


「俺の下駄箱も、用意されてたんだな……」


 呟くと、呆れたような、可哀想なものを見るような目で俺を見ている女子が一人。


「あったり前でしょう……?」


 そして、何かに気付いたようにハッとした表情をして、


「あっ、そうだ。先生に靴返さなきゃ」


「お、おう、そうだな」


「行って来るね」


 紅野は俺から借り物の靴を奪い去ると、階段を走って上っていった。



 で、戻ってきた紅野と二人で、本日、二度目の坂下りを終えた。


 そして今、麓の商店街を歩いている。


 東側以外が険しくて高い山に囲まれているため、太陽が沈むのが早いこの街は、当然のように昼が短く夜が長い。午後四時半には、もう太陽が見えなくなる。


 病院とかによくある心電図が刻んだ波みたいな形……いや、削られた鉛筆の先っちょの形って言った方がわかりやすいか。よく言われる奇岩というものだろう。まぁ、とにかく、そんなギザギザ尖った形をした山々の陰に太陽が隠れてしまうわけだ。


 事前に調べては来たのだが、まさか本当にこんな時間に暗くなるとは思わなかった。


 おっと、その時、俺は思い出した。

 待っていてくれた紅野にお礼の品を買っておいたんだった。


 何故急に思い出したかと言えば、何のことはない。たった今、この飲み物を買った『笠原商店』の前を通り過ぎたからだ。


「そうだ、紅野。お前に渡したいものがある」


「何? 引導?」


「いや、そんなクライマックスじゃねえだろっていうか、引導じゃなくて、これだ」


 俺は言って、鞄から先刻、笠原商店で購入したモノを取り出して掲げた。


「なにそれ」


「いや、喉渇いてるんじゃないかって」


「まぁ、気が利く! うれしい! ありがとう!」


 紅野は、俺の手からドリンクを取り上げると、


「ちょうどサースティだったのよ!」


 何故か英語を混ぜてそう言って、ペットボトルのフタを回し開けて、口にあて、それを、飲んだ。


「ゴク…ゴク…ゴ…――ブハッ!」


 ビシャァ。


 アスファルトを、濡らした。噴き出していた。


「まっず! ちょ……何これ……」


 驚いた顔で、俺とペットボトルを交互に見る。


「ちゃんと店に売られていた商品だぞ。安心しろ。絶対に体に良い飲料だ」


 紅野明日香は、賞味期限やら、成分やらを確かめようとしたのか、ペットボトルのラベルとにらめっこしていた。


「ねぇ、達矢……プロテインって……何かな?」


「さあな、何だろうな」


 しらばっくれてみる。筋力を増強する成分というイメージがあるけどな。


「あんた、私にどうなって欲しいのよ。もっと強くなれみたいなメッセージ?」


 どうやらプロテインがどういうものか、知っているらしかった。


「まて、俺は別にお前にムキムキになって欲しいわけではない」


「じゃあ、何でこんなもの……」


「わるふざけだ」


「肋骨結ぶよ?」


「どんな現象だ、それ」


「何でスポーツもしてない私がプロテイン摂取しなきゃなんないのよ!」


「いや待て。実はな、プロテインは、ダイエットにも使えるらしいぞ。効果的だそうだ」


「え? そうなの?」


「ああ。そうなんだ。プロテインを摂取するだろ? そして運動すると筋肉量が増える筋肉量が増えれば代謝が上がる。となれば、必然的に痩せる……という仕組みだ」


「てことは何? 私にデブだから痩せろっていうメッセージを込めたの?」


 何故そんな風に解釈する?


 ていうか、ただの悪ふざけであってメッセージなんて別に込めてねえ!


「違う違う! 紅野は太ってもいなければ、筋力トレーニングが必要なほどの筋力低下をしているわけでもない。ていうか何で俺はこんなに責められてる?」


「こんな不味いもん飲まされて怒らない人がいる?」


「待つんだ。それは他の飲料よりもむしろ値段が高かったんだぞ。そしたら美味しいものなんだなって思うだろう!」


 まあ、嘘だが。十人に飲ませたら七人が不味いって言うくらいに不味いって知ってたが……。


「こんなもの返すっ」


 フタを固く固く閉めて、突き返してきた。


 仕方なく受け取る。


 紅野明日香は可愛い顔台無しの苦虫潰しフェイスをしていた。


 やっべぇ、怒ってる。謝らなければ。


「ごめんなさい」


 すると、フゥと一つ溜息の後、


「いいわよ、もう」


 口を尖らせながらも、許してくれた。


 というか、何で俺は紅野明日香と一緒に下校なんてしてるんだろうか。

 今日会ったばかりなのにな。何だか不思議な感覚だった。


「なぁ、紅野」


「何よ」


 怒ったような口調。許したと見せかけてまだ完全に怒りが抜け切れては居ないようだった。それで俺は多少萎縮したのだが、紅野明日香はそんなに暴力振るう子じゃないと判断し、気を取り直して質問する。


「紅野は、何でこの街に来たんだ?」


「不良だったからじゃないわよ」


「…………」


「ちょっと。『嘘吐くなよ』みたいな顔するよやめなさいよ」


「だってなぁ……」


「『屋上で校内放送の呼び出しから逃げようとしたじゃねえか』とかまだ言うの? しつこいわね」


 言いたいことを寸分違わぬ形で先に言われた。こやつ心が読めるのか?


「すまん……」


 何となく謝った。


「あんたも知ってると思うけどさ、この街ってさ、外からの評判悪いじゃない?」


「まぁ、そうだな。問題児ばかりだって噂だ」


「そう、それよ。問題児ばかりのクラスなんて、嫌じゃない。そこに何で自分が入れられなくちゃならないのって思わない?」


 なるほど、確かにその部分は俺も同じように思ってたから、この街に来ることになって、かなり憂鬱だった。ただ、今日、登校した感じだと、そういった問題児は少ないように感じたけどな。それに、紅野明日香だって、転校初日に明らかな問題行動していたじゃないか。そこで俺はこう言った。


「いや、遅刻して屋上に行くなんざ十分問題児だろうが」


「前の学校では品行方正だったのよ。なのに、何で私が……だいたい問題児ばかりを集めて、まとめて更生させようっていう精神性っていうかな、計画そのものが気に入らない!」


「そ、そうか」


「おかしいの。あの学校がおかしいの。私はおかしくなんかないのに、おかしい奴呼ばわりして!」


 声を荒げて憤りを直球で。


「そういうの、ばっくれたくなる私の気持ち、わからない? 達矢だって、同じように思って屋上にいたんでしょ?」


 厳密に言うと違う。というか全然違う。


 俺の場合は、ばっくれるなんて考えもしなかった。もっと消極的な理由で、教師に叱られる瞬間を先延ばしにしたいとか、そういう割とヘタレた理由で屋上に行ったんだが。


 俺は紅野の目を見て言った。


「とりあえず、落ち着け」


「落ち着いてるわよ!」


「どこがだ」


「だって、本当に、私何も悪いことしてないし、何で『かざぐるま行き』にされたのか、わかんないんだもん」


 今度は、一転して泣きそうになった。女の子らしい声が、俺の耳朶(じだ)を打ったりして、何だかドキドキする。


 ちなみに、この街に飛ばされることを、俗に『かざぐるま行き』と言う。そんな言葉が生まれるくらいに、この街は他の世界から隔絶された異常世界だと思われているのだ。普通を求める、普通を自負する人間にとっては最も遠い街。それが、


『かざぐるまシティ』


 本当の街の名前は知らない。


 多少の沈黙の後に、俺は言う。


「紅野は、普通の女の子なんだな」


「………………普通って何?」


 わからんけど。


「…………」


「…………」





 しばらく二人、無言で歩き、寮の前に辿り着いた。


「そういや達矢さぁ、手前が男子寮、奥が女子寮になってるって、昨日説明受けなかった?」


「あぁ、そういえば、あんま真面目に聞いていなかったから忘れてたが言っていた気もするな。寮長を名乗る頭にタオル巻いた大工みたいなオッサンが」


「あら、女子寮の寮長は女の人だったわよ。美人の」


「まじでっ?」


「何興奮してんの……」


「年上の女・寮長・美人」


「だから何?」


「イコール浪漫」


 そう、男の浪漫である。


 じとっとした目で見ないでいただきたい。


「知ってるか? 美人が嫌いな男なんて、ほとんどいないんだぜ?」


 紅野明日香は溜息混じりに、


「そうらしいわね」


「寮長かぁ、どんなだろうな」


「まぁ、そのうち会えるんじゃない?」


「ああ、楽しみだぜ!」


 そして紅野明日香は、一つ大きく息を吐くと、


「それじゃ、ここで」


「おう」


「また明日ねっ」と手を振って、


「ああ。おやすみ」と返してやる。


 紅野明日香はふふふと笑い、機嫌良さそうに女子寮があるらしい方向に走って消えた。


「さて」


 俺は寮の玄関先で、固く閉められたプロテイン入りドリンクの入ったペットボトルのフタを開けて、中身を飲んだ。


「まっず」


 戦慄の不味さ。


 しかし、350円をムダにするわけにはいかない。俺はそれを飲み干し、後、自分の部屋に向かった。



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