23億円の残骸
磐田の実家に帰省したのは、先月だった。
静岡県磐田市。蒼にとって、地元は行政的な意味で嫌いな場所だ。
でもジュビロードの自虐的な魅力には抗えない。
実家のリビングに入ると、いつもの光景。
家族全員裸族。隠し事なしのルールで、誰も服を着ていない。
父はリヒテンシュタイン人、母は日本人のハーフ。
小学生の弟・新之助が床でゲームをし、中学生の妹・悠子がスマホをいじり、高校生の母の連れ子・美代が本を読んでいる。
蒼は上着を脱ぎ、紫のジャージを畳んで置いた。
「ただいま。」
「おかえり、お兄ちゃんだーい好き。」
美代の声は優しいが、皮肉が滲む。
彼女が蒼のワカメ抵抗のあきらめ悪さを一番嫌っているのは、周知の事実だ。
本人だけが、自分が連れ子だと知らない。
父がソファから立ち上がった。
「蒼、ちょっと話がある。」
家族全員の視線が集まる。
空気はいつも通り、父のジンバブエドル詐欺以降、ややぎくしゃくしている。
23億円を知ったのはこのときが最初だった。
「実はな、昔うちに23億円あったんだよ。」
蒼はワカメを指で押さえながら、固まった。
「…え?」
「ビットコインで一発当たったんだ。リヒテンシュタインの血が騒いだかな。」
父は笑ったが、目は笑っていなかった。
「それが、ジンバブエドルに全ツッパしてな。今の貯金は10万だけだ。」
沈黙。
新之助がゲームの手を止め、悠子がスマホを置き、美代が本を閉じた。
母は黙って紅茶を注ぎ足すだけ。
「紙ってのは、トイレットペーパーにもなるからな。」
父の締めの一言に、誰も笑わなかった。
蒼は頭の中で計算した。
23億。もし今もあったら。ハンバーグ一生分。抹茶ラテ無限。募金でいい人になれる額。
そして、のぞき趣味を週1どころか、毎日プロ級に楽しめる額。
「…なるほどってことか。」
つぶやきが漏れた。
美代がすかさず突っ込む。
「お兄ちゃんのそのワカメ見てると、23億あってもすぐ溶かす顔してるよ。」
「ひどいな。ぼくはちゃんと使うよ。食費と募金と髪のケアに。」
「優先順位がもう終わってる。」
悠子がくすくす笑い、新之助が「23億って何?」と純粋に聞く。
父が肩をすくめた。
「まあ、家族は大事だ。お前らみたいにドライでもな。」
蒼は頷いた。家族は大事。でも対応はドライ。
それが鈴木家の掟だ。
その夜、蒼は布団の中で考えた。
23億を失った父の顔。ぎくしゃくした空気。
でも、なぜか少しだけ燃えた。
「取り返すのも、悪くないかもな。」
翌朝、帰りの新幹線代を募金で溶かし、駅で自販機周りを這いつくばったのは、また別の話。




