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 翌朝。猪熊くんが教室に入ってきたのを見て、さっそく話しかけにいった。


「猪熊くん、おはよう!」

「おはよ」


 猪熊くんは自分の机にカバンを置いてからおれを見る。朝だからか、少し顔がこわばっているみたいだ。


「あのさ、朝からごめん。ちょっと聞いてほしいことがあってさ! 昨晩出したren_tankaさんの短歌のことで!」

 

 気が急いてばかりのおれは、前置きもそこそこに本題を切り出した。

 昨晩から興奮がとまらなかったのだ。おかげで若干寝不足になるぐらいには。


「……なにかあった?」


 早口のおれに対し、猪熊くんは冷静に聞き返す。

 おれは例の短歌が表示されたままのスマホ画面を見せた。


『心臓を他人に譲る気持ちとはこんなものかと 君は知らない ――#恋するtanka』


「これ、みてよ」

 

 猪熊くんの目が静かに文字を追っていく。

 その沈黙もじれったくて、おれはそわそわしながらまくしたてた。


「ren_tankaさんが、突然、新しいシリーズを立てたんだよ! この「#恋するtanka」ってやつ! これもうほんとやばいっ…! いいねする手が震えたね!」


 言いながら、おれにも昨夜の興奮がぶり返してきた。

 猪熊くんにren_tankaさんの話を思い切りできて、猪熊くんとはさらに仲良くなれそうで……。SNSの感想ポストにren_tankaさんからはじめて「いいね」をもらった。

 これ以上ないぐらい楽しかった日の最後、さらに超弩級の爆弾まで落とされたのだからさもありなん。

 この衝撃を、猪熊くんならわかってくれるんじゃないか――もうそれだけを思って今日は登校してきたのだ。


「……へぇ、そうなんだ」


 猪熊くんは、おれの言葉にジッと耳を傾けている。呆れや拒絶はなかった。むしろ、話を理解してくれようとしているような、静かな同意だった。


「これはもう破壊力がすごい! 最後の「君は知らない」で撃ち抜かれるんだよ、こちらの心臓が! はぁ〜、ren_tankaさん、これまで恋愛色のある短歌はあまりなかったんだけど! 新たな境地に至ったのかなぁ……それとも……」


 ふと、おれは自分に注がれる視線が気になって、言葉がとまる。


「それとも、なに?」


 さらり、と猪熊くんは優しい目をしたまま言葉のつづきを促した。

 おれは、自分の言おうとしていたことが急に恥ずかしくなって。だが適当に誤魔化すこともできなかった。


「ren_tankaさんも恋、したのかなぁって、思ってさ」

「……「も」?」


 朝からおれはなんて話を――。

 両手で顔を覆いたくなるような後悔をしている間にも、猪熊くんは少しいじわるげに口角をあげた。顔が少し近づく。騒がしい朝の教室で、おれたちの話が聞こえる人はいないだろう。それだけ、おれたちは近かった。猪熊くんが囁いた。


「水島「も」好きなやつができたのか?」

「え!?」

 

――あれ、なんでおれ、そんな言い方したんだ!?


 おれは慌てて否定した。

 

「お、おれ、そんなつもりで言ったんじゃ……!」

「水島が好きになるやつなら、オレも気になるな。……うらやましいな、そいつ」

「からかわないでくれる!?」


 悪ノリが過ぎると突っ込めば、猪熊くんが上目遣いでおれを見てきた。

 

「……本気で言ったのに」


 その一言で、おれの体温が一気に上がる。

 その意味もわからないまま、どぎまぎとしていると、がらっと教室のドアが開いて、先生が入ってきた。

 慌てて自分の席に戻る。ななめ前方に座る猪熊くんを見る目が恨めしげなものになっていく。


――猪熊くん、今までの友達とタイプがちがうから……ノリがむずい……。


『本気で言ったのに』。今もその言葉が耳の奥で響いている。

 

――そうなんだよな、ほかの友だちとはちょっと勝手がちがうんだよ。なにがどう、とは言えないけどさ。


 猪熊くんと話せば、変にどきどきさせられてしまう。おれの心臓は、おれのものなのに。


心臓を他人に譲る気持ちとはこんなものかと 君は知らない


――うわぁ……。あの短歌の気持ちって、こんな感じなのかな……。


 さすがren_tankaさんだと思いながらおれは机に突っ伏した。心臓の高鳴りを硬い机で押さえつけるために。



 


 おれと猪熊くんは、一緒に昼飯を食べたり、帰ったりと急速に仲良くなった。

 見た目はおしゃれな男子そのものの猪熊くんだが、意外にもノリが合うし、話すと楽しい。たまにどきりとさせられることもあるけれど――。

 なにより、おれは大好きなren_tankaさんを含めた短歌の話ができるのが、うれしかった。

 最初こそクラスでもおれと猪熊くんの組み合わせを不思議そうに見ていたクラスメートたちも徐々に慣れていったみたいだった。おれも慣れてきた。

 そんなある日、ren_tankaさんの新しい短歌が投稿された。ハッシュタグは「#水族館」とあった。


ほの暗き 水槽の外 影ふたつ 眺めるようで眺められている


 情景は静かなものなのに、水面下で人間関係が動いているような、想像力を掻き立てられる短歌だ。


――明日、猪熊くんにもどう思うか聞いてみよう。


 猪熊くんは基本的におれの短歌話を聞くスタンスだけれども、たまにぽろっと自分の考えを話してくれることがある。

 さっそくおれは翌日の教室で、猪熊くんにこの短歌のことを話した。

 

「この短歌もよくてさ……言葉遣いがきれいだよねぇ」


 思い返しながらまた浸ってしまう。ren_tankaさんが紡ぐ短歌の海に沈んでしまいそうだ。

 

「『眺めるようで眺められている』というのもなんだか良くてさ。これって魚側からの視線を言ってるってことだよな。ren_tankaさん、水族館に行ったのかな」


 猪熊くんは机に頬杖をつきながらおれの話を聞いていた。つまらないと思っているのではない。その証拠におれを見る目は優しいものだ。

 

「そうとも限らないだろ。実際見たわけじゃなくて、想像でつくることもあるだろうし……願望、ということもあるかも」


 猪熊くんがする短歌の考察には、いつも鋭いものがある。慎重な物言いには真実味があるように聞こえるのだ。

 猪熊くんの言葉に、名探偵水島はひらめいた。

 

「それならさ、この間の『#恋するtanka』の短歌で出てきた「君」のことを考えてできた短歌ってこと!? それってやばくないか!」

「……どうだろうなぁ。それにしても、水島は想像力豊かだな」


 からかうような笑いで、いなされる。だが嫌な気はしなかった。

 

「いやいやおれなんて。えー、でもさ、こういうの読むと、ちょっと水族館に行ってみたくなるな。大きな水槽と泳ぐ魚を見たい」


 しばらく水族館に行っていなかったので、思いつきでそう言うと。

 

「……そ」


 猪熊くんは頬杖をやめた。机に置いた手を握ったり開いたりする。ふっ、と小さく息を吐いたのが聞こえた。


「なら、さ……行くか、水族館」


 こちらを窺ってくる視線に、息がとまる。

 

「へっ」

「いいだろ、べつに」


 おれの反応がおおげさすぎると思ったのか、猪熊くんは目を逸らした。


「ちょうどオレも行きたいと思ってたし、水島も行きたいならちょうどいいし」

「そ、そう……」

 

――なんかちがうな。ほかの友達と約束するときと……なにかが。


 なぜかどちらもが緊張している。まるで別の意味で特別であるかのような……。

 おれがためらっているうちに、猪熊くんに背後から腕がまとわりつく。

 黒の短髪をワックスで遊ばせたクラスメート――佐野くんが、猪熊くんにじゃれついたのだ。


「え〜今、水族館行くって話が聞こえたんだけど! いいな、俺も連れてってくれね?」


 後ろから軽いハグをしながら、ごく軽い感じで主張する佐野くんは、猪熊くんの親友と言ってもいいと思う。よくふたりでいるのを見かけるし。少なくともおれや周囲はそんな認識でいたのだが――。


「残念。だめ。今回は水島が先約な」


 一刀両断。是非もなし。速攻で断る猪熊くん。

 佐野くんがちょっとかわいそうになった。


「え〜いいじゃん〜。水島ばかりじゃなくてさ、たまには俺にもかまえよ〜。な、水島!」

「え、おれ?」

「そ! 水族館に行くの、俺も一緒でいいよな? な?」


 話の流れにびっくりする間に、おれにも絡んでくる佐野くん。彼は気さくにおれの肩を叩こうとしたのだが――その前に、猪熊くんが佐野くんの手をつかんだ。


「だめだ。オレが水島をひとりじめする」


 シン、と教室が静まり返った。

 猪熊くんの逆鱗に触れたとにわかに理解した佐野くんまで固まっている。


――ガチトーンだ……。


 おれも一瞬、呆然とした。猪熊くんは、感情の起伏が激しくないタイプだと思っていたのに。

 クラスメートたちもみんなびっくりして、おしゃべりをやめてしまったのだ。

 これはまずいぞ。おれは急いで火消しに回ることにした。


「いや〜びっくりしちゃったな! 猪熊くん、そこまでまじにならなくても大丈夫だって」


 あはは〜と笑いながら、周囲に「ごめんごめん」と目で謝る。意図を察したクラスメートたちはそれぞれほっとしたように雑談に戻っていく。

 おれは猪熊くんに小声で言った。


「猪熊くん、変に誤解されるって」


 猪熊くんは唇を小さく噛み締めて、何も言わない。でもなぜかその視線はおれを責めるように恨めしそうだ。

 佐野くんは空気を察して早々に逃げ出していた。


「オレって……ヘンかな」


 猪熊くんはおれにだけ聞こえるように尋ねてきた。深刻な物言いだ。


「水島をひとりじめしたいって思うのはキモいかな」


 思わないよ、とおれは反射的に言っていた。

 心細そうな目をする猪熊くんに寄り添いたいと感じたからだった。

 

「そこまでおもってくれるのはうれしい。ちょっとびっくりしちゃっただけ」


 おれが笑みを浮かべれば、猪熊くんのはりつめた雰囲気も緩んだ。

 

「なら……今週末は空いてるけど、水島は?」

「あ、空いてるけど」

「行こう」

 

 水族館に、と猪熊くんが付け足すように呟く。

 おれは猪熊くんの言葉を反芻した。


――水島をひとりじめ、か……。


 正直なところ、まんざら悪い気はしなかった。猪熊くんが向けてくる好意が心地よかったから。

 おれは素直な気持ちから頷いた。


「行くよ。……せっかくだし」

「わかった。また当日の予定詰めよう……楽しみ」


 唇の端に、かすかな笑み。

 おれも釣られるように微笑んでいた。

 猪熊くんとのお出かけだ――考えるだけで楽しくないわけがなかった。

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