終わりの分岐点
終わりの分岐点
導入：後悔と悲しみ、そして奇妙な夜の始まり
健太は、数ヶ月前に最愛の妻を病で亡くして以来、深い悲しみと後悔の淵に沈んでいた。子供のいない夫婦にとって、互いが人生の全てだったはずなのに、生前の妻との間にはいつも冷え切った空気が流れ、口を開けば喧嘩ばかりの日々が彼を苛んだ。彼は、妻が亡くなる直前に感じ取った**「私を選んで正解だったと思ってほしい」という彼女の切ない願いと、「あなたの子を産んであげられなくて、ごめんなさい」という痛ましい思い**を、決して忘れられずにいた。もしあの時、違う選択をしていれば、もっと優しく接していれば、と彼は自責の念に囚われる。同時に、真剣に結婚を考えた別の女性（元恋敵だった彼女）への未練も、彼の心の奥底に燻っていた。
妻を失ったショックから立ち直れず、連日残業と深酒を繰り返す日々。その夜も、心ここにあらずといった様子でタクシー乗り場へ向かうと、そこに見慣れない白と黒のツートンカラーのタクシーがあった。車体には「AI自動運転タクシー β版」とだけ書かれており、その古めかしい外見とは裏腹に、最新のAI技術を謳うその車に、健太は不審を覚える。だが、早く家に帰りたい一心で、彼は深く考えることもなく乗り込んだ。深い疲労と精神的な困憊で意識が朦朧としていた健太は、シートベルトを締め忘れたことにも気づかない。これが、彼の運命を決定づける、些細だが避けられない要因となる。
車内は奇妙なほど静かで、運転席には誰もいない。出発して間もなく、ナビゲーションシステムに幾何学的な模様が描かれた見たことのないルートが表示される。さらに、その画面の隅には、小さな文字で**「人生の分岐点に戻る」という選択肢が点滅していた**。亡き妻への後悔、そしてもう一つの人生への憧憬。それらが交錯する朦朧とした意識の中で、健太は表示される「出発」のボタンのようなものを漠然と押してしまう。その直後、タクシーは通常ではありえないような加速をし、窓の外の景色は次第に歪み始める。健太はわずかな異変を感じるものの、やがて睡魔に抗えず、深い眠りに落ちていった。
異界への誘い：魂が辿る「終わりの分岐点」
光が収まると、タクシーは未来都市の広大なeスポーツ国際大会会場の裏路地に停車していた。建物は光り輝き、人々はVRゴーグルを装着して熱狂している。ここが、**亡くなった妻の魂が健太に用意した最後の贈り物であり、同時に健太自身の深い後悔と「もしも」の願望が共鳴して具現化した、「幻想の世界」**だった。このタクシーと幻想は、健太の死の瞬間、あるいは死後の世界で起こる魂の出来事なのだ。健太はすでにこの世のものではない。
途方に暮れる健太の前に現れたのは、日本語を話す謎の少女だった。彼女こそ、天国から健太に真実を伝え、彼を導くために現れた亡き妻の魂の具現化だった。少女は多くを語らず、時に冷徹に、時に慈悲深く、健太の心の奥底を見透かすような言動で彼を導く。彼女の視線には、健太が本当に幸せになれる道はどこだったのか、という切実な問いと、その答えを待つかすかな希望が込められている。少女は、健太に**「あなたが選んだ人生、選ばなかった人生、全てを見つめ直し、後悔を手放すための、最後のチャンス」**だと告げた。
健太はこの幻想の世界で、かつて結婚を考えた元恋敵の女性に瓜二つのプロゲーマーと出会い、彼が夢見ていたプロゲーマーとしての成功を収める「もしもの人生」を体験する。元カノと共にゲームの栄光を掴む過程で、彼は完璧ではない人間の感情、すなわち現実の夫婦生活と同じような葛藤や、思いがけない失望が、この理想的な「もしも」の人生にも存在することを知る。栄光の陰で、健太は満たされない孤独感や、元カノとの間に生じる小さなすれ違いを感じるようになる。
そして、この「もしもの人生」には、健太と元カノの間に、愛らしい子供が生まれていた。子供との温かい家庭を築き、健太は満たされた思いを抱く瞬間もある。しかし、その幸せな生活の中にも、彼が現実の妻との関係で感じていたのと本質的に変わらない、小さなすれ違いや、人間関係の複雑さが存在するのだ。この「もしもの人生」を目の当たりにした時、少女の表情が一瞬だけ寂しげに、あるいは痛ましげに歪む。それは、健太の潜在的な願望を映し出す少女の感情なのか、あるいは健太自身がそう感じている妻の心の現れなのか、真相は不明である。そこには、健太の幸福を願う献身と、それでも彼が自分を選んでくれたらという、人間的な微かな希望が混じり合っていた。
健太は、この幻想の旅を通じて、どの道を選んでも楽はなく、完璧な幸せなど存在しないという普遍的な真実に気づき始める。子供をもうけることができた「もしもの人生」でさえ、彼の内面的な満たされない部分や、人間関係の困難は消え去らなかった。そして、自分が現実の妻に抱いていた不満が、実は自身の内面の問題に起因していたこと、そして、妻がどれほど彼の幸せを願い、彼との絆を大切にしていたかを、痛切に理解し始める。それは、生前の妻が抱えていたであろう**「私を選んで正解だったと思ってほしい」という切ない願いと共に、「私と一緒になるよりも、恋敵だった彼女と結ばれていた方が、あなたはもっと幸せになれたのではないか」という妻の究極の献身**、そして**「子供を産んであげられなかったことへの妻の深い後悔」**に、彼がようやく気づく瞬間だった。
現実への帰還：魂の選ぶ「終わり」
元の世界に戻るための「鍵」は、現実の妻が健太に贈った、あるいは二人の夫婦の絆を象徴する小さな記念品だった。健太が幻想の旅を経て、そのアイテムが持つ本当の意味（妻への感謝と、彼自身の内なる答え）を悟ることで、タクシーは光に包まれ、現実への扉を開く。
健太がタクシー乗り場に戻ると、そこには救急車のサイレンと人々の悲鳴が響き渡っていた。彼の目の前には、横転し大破した一台のタクシーと、シートベルトを締めていなかったために運転席から投げ出され、既に息絶えた自分の遺体が横たわっていた。健太が乗ったタクシーは、まさにその夜、妻を失ったショックでぼーっとしていた彼を乗せたまま、運転手の居眠りか、あるいは不慣れなAIシステムの判断ミスにより、路肩のガードレールに激しく衝突し、彼は既に亡くなっていたのだ。この事故の原因が、妻の魂の仕業だったのか、あるいは単なる偶然だったのかは、永遠に真相不明のままだ。
健太は自らが「この世の者」ではないことを悟る。少女からもらった夫婦の絆を象徴する記念品は、彼の手に握られたまま、光の粒となって消えていく。遠くから、事故現場で泣き崩れ、彼の名を叫ぶ友人や家族の声が聞こえる。彼の肉体的な運命は、もう既に「終わり」を迎えていた。
魂の救済
健太は、「私は妻を選んで、本当に正解だった」と心から確信し、その思いを強く抱いた。 その時、健太の耳には、妻の幻影からの、優しくも、しかし確かな喜びを秘めた最後の声が響く。「ケンタ、私を選んでくれて、ありがとう。子供を産んであげられなくても、それでもあなたが私を選んだことが、あなたの後悔ではなかったと知れたから。あなたが、本当に幸せでいてくれることを、ずっと願っているから。あなたとの人生が、私の全てだったから。」 健太は、幻想の旅で得た深い確信と、彼女からの究極の献身、そして何よりも、彼の選択が妻にとっての喜びであったことへの感謝と愛を胸に抱きながら、安らかに、その場からゆっくりと光の粒となって消え去った。彼の魂は、妻からの問いかけに答えを見出し、**「終わりの分岐点」**で安寧を得たのだった。
魂の悲劇
健太は、幻想の旅を終え、「自分はやはり、元カノとの人生を選んでいれば、もっと幸せになれたはずだ」と強く、後悔とともに結論付けてしまった。 その時、健太の耳には、妻の幻影からの、深い悲しみを帯びた、そしてもう声にならないような微かな呟きが響き渡る。「…なぜ…。」その声は、消え入りそうで、しかし、彼に重くのしかかる。 健太は、望んだはずの幸せな人生を掴むこともできず、愛する妻を絶望させたという重い罪悪感を抱えたまま、安寧を得られぬ魂として、その場からゆっくりと影のように消え去った。彼の魂は、永遠に後悔と妻の悲しみに囚われたまま、**「終わりの分岐点」**で救済を得られなかった。
エピローグ：残される現実と、哀愁のタクシー
健太の魂が消え去った後、カメラは事故現場に立ち尽くす、彼の肉親へと向かう。彼らは健太の死を悲しんでいるが、その表情にはどこか疲労と、妻が亡くなった時と同じような、拭い切れない深い悲しみと諦念が宿っている。彼らの会話から、健太が妻を選び、夫婦関係を改善しようと努めたことは知られていても、妻の病死によって、夫婦の間に子供を授かるという未来が永遠に失われたという事実は、決して変わらなかったことが示唆される。「彼は本当に彼女を愛していたのに、報われなかったな…」「せめて、子供だけでもいたら、彼の人生も違っただろうに…」といった、周囲の諦めや同情の声が聞こえた。健太が幻想の世界で辿り着いた結論がどうであれ、現実の世界では、妻も健太も既にこの世に存在せず、彼らの人生は客観的な悲劇として幕を閉じたのだ。
最後のシーンは、健太の葬儀が行われている、ひっそりとした場所かもしれない。遺影の健太は穏やかな顔をしているが、遺影の横に置かれた妻の写真の笑顔は、どこか寂しげに見える。そして、彼の両親や親友は、彼の死を悼みつつも、「なぜ、彼らの人生は、こんなにも報われなかったのか」という、拭い去れない疑問と哀愁を抱え続ける。
夜の闇の中、あの白と黒のツートンカラーのタクシーが、再び静かに走り去っていく。それは、悲しみに囚われた別の魂を、救済の幻想へと誘うかのように、あるいは、彼らが直面する**「もしも」の問い**を胸に、永遠の旅を続けるかのように……。
