10)
「二コラ……」
たとえ形式上のことが求められようとも、その中で恋をするなら幼なじみのあなたがいいと思った、なんて今の状況で言えるはずがなかった。彼はきっと信じてくれない。そして、リディにも自信がなくなってきてしまった。恋なんてできるのだろうか、と思ってしまったのだ。
どうせ世継ぎを生むための器だ、と言い捨てるような彼にとって、恋とは必要のあるものなのだろうか。リディのことだって彼にはただの過去を知る人間の一人でしかなく、勝手に美しい思い出にしていたのはリディの方だけだったかもしれない。
(私は何を思い上がっていたの? 二コラの何を見ていたのかしら……?)
勝手に期待して失望している自分自身にもがっかりしている。彼の一面しか知らなかったのに、幼なじみの関係だという昔の感情が、彼の正体をぼんやりと美化させていたのだろうか。
それでも、優しかった思い出をなかったことにはしたくなかった。
何度か逢瀬を繰り返した、いつかの祝祭の日の王宮の中庭でのこと――。
『この花をあげる』
『わぁ。とっても素敵なお花』
『リリーっていうらしい。響きが似ていると思ったんだ』
押し花にして加工したしおりは持ってきた詩集の中に挟まっている。それは……夜、眠れないときに読む本だった。
あるときは、王宮に呼ばれた翌日、高熱を出してうなされていた部屋で、二コラは手を握っていてくれた。
『大丈夫だよ。すぐによくなるよ。僕が傍にいるからね』
幼い頃の思い出がそうして蘇るたびに、リディの心に傷をつける。
(私のひとりよがりでしかないのかもしれない)
好きという気持ちは本物のはずだ。けれど、これは過去が生み出したもので、今の彼が求めている種類の感情ではないのかもしれない。
「好きな人……? 好きってどういうことなの?」
(今さら、こんな気持ちに気付くなんて……)
愚鈍な自分の行動に嫌気がさす。
中庭に取り残されたリディは答えの出ないまま、二コラの後ろ姿を見送り続けた。それから、とぼとぼと部屋の方へ戻るために歩いていく。考え事をしていたせいか、どこを歩いているのかわからなくなって立ち止まったそのときだった。
急にドンと衝撃が走った。前からやってきた誰かとすれ違い、ぶつかってしまったのかと思ったが、それだけではなかった。焼けるような痛みが脇腹のあたりに広がっていく。
一体、何が起きたのか。
「……ぁあっ!」
リディは襲ってきた苦しさに喘ぐ。そこで自分の腹部が刺されたことを知った。驚く間などなかった。目の前の何者かに引き抜かれた短剣には鈍色の血が滴っている。
「……自分を、省みることね」
「だ、……れ」
刺した相手の顔が見えない。どこかで聞いたことのあるような声だったが、誰かわからない。そのまま世界が昏くなっていく。
どこかでチリンと鈴の音が鳴った気がした。
「……あなた……なんかに、この【世界】……は、渡さないわ」
とぎれとぎれに聞こえてくるその声を最後に、リディの意識はまもなく途絶えた。