六話
「あらら、さっそく嫌われてしまいましたね」
ヴィクトリアは顔を赤らめながらも、目の前の彼女を見て苦笑していた。
「ヴィクトリアが悪い。俺は口調を元に戻せって言っただけだし、くっついて良いなんて言ってない」
クレイヴに引っ付いている彼女を揶揄うように、ヴィクトリアは舌をペロッと出す。クレイヴは息が詰まるほどに強く締め付けてくるソニアの頭を撫でながら溜め息をついた。
「なにに対して怒ってんの?」
ソニアはヴィクトリアを睨みながら、まるで犬のように唸って威嚇している。なにがソニアを怒らせているのか分かっていないクレイヴは、彼女の頭頂部に手刀を振りおろした。
「──あいたっ!?」
「いい加減離れろ」
クレイヴに無理やり引き剥がされたソニア。そんな二人のやり取りを見ていたエリオットが、ヴィクトリアの横に並んで「お嬢様」と呼びかけた。
「なに、エリオ?」
「いや、そろそろこれを外してくれませんか?」
首に装着された首輪を指差しながら、エリオットは申し訳なさそうに顔を伏せる。だがヴィクトリアは「あら」と、対して気にも止めていない様子で頬に手を添えた。
「私まだあなたに立っていいなんて言ってないわ」
「えっ?」
「おすわり」
「えっ、でも──」
「おすわり」
笑顔の奥側に潜む憤怒を感じ取ったエリオットは涙目になりながら、文句を言うこともなくその場でおすわりした。
二匹の犬を落ち着かせたクレイヴとヴィクトリアは、お互いのリードを持ちながら溜め息をついた。
「お互いに大変なのですね」
「全部ヴィクトリアの所為でしょ。こっちの中型犬は抑えとくから、そっちの野犬はちゃんと躾といて」
クレイヴの言葉を受けて、ヴィクトリアはおすわりをしているエリオットの頭を撫でながら彼を見下ろす。エリオットはヴィクトリアを見上げて、彼女の異常な圧に背筋が寒くなった。
「それで、なんで襲ってきたわけ?」
溜め息混じりにクレイヴが頭を掻きながらそう切り出す。横目で額を抑えて悶絶しているソニアに呆れつつも、ヴィクトリアの横でおすわりしているエリオットを見下ろした。
「エリオは昔からレイヴンの話が好きで、それはレイ様が元だと話したら怒ってしまったのです」
「あれ、勝手に拡大解釈で広げられた話だから、もう原型留めてないでしょ」
「なんだよ、姉と弟は実は元々一つの存在だったとか、意味分からん」と不満を漏らすクレイヴ。
ヴィクトリアはなぜか興奮するように息を荒くしながら「一つなんて羨ましい……」と顔を赤くしているが、彼女の異常な態度をポカンとした表情でソニアは見ていた。
「見るなソニア。あれはもう手遅れだから」
ドン引きしているのかと思いきや、ソニアはクレイヴの腕を抱き締めながらヴィクトリアを見つめていた。
そしてクレイヴを見上げて首を傾げた。
「師匠、生徒会長とお知り合いなんですか? さっきから、レイ様って……」
ヴィクトリアの口から度々出ていたクレイヴへの呼び名に対して、ソニアは疑問を抱いていた。
胸の内でざわつく何かを不思議に思いながら、クレイヴとヴィクトリアの距離感に「お二人……なんか、近いです」と目を細めて不満を漏らした。
「あー、昔リアのことを助けたってだけだよ」
「りあ」
「えっ、なに?」
ソニアは訝しんで、クレイヴをジッと見つめる。クレイヴはなにを詰められているのか、まるで分かっていない様子で眉を寄せた。
僅かに後退るクレイヴを見つめたまま、ソニアは笑顔で身体を斜めに傾けながら首も傾げた。
「師匠、私も皆さんから愛称で呼ばれてるんですよ」
「うん? そうなんだ」
「ソナって、呼ばれてて」
「へー」
気のない返事をするクレイヴに向けて、ソニアは頬を膨らませてふくれっ面をする。そしてほんの少しだけ腰をかがめて、彼の顔を覗き込むように顔を上げた。
クレイヴの紅い瞳が僅かに揺らぎ、上目遣いで彼を見つめた。
「どうですか? ソナって」
小首を傾げながら、わざと拗ねて見せているのが分かるほどにソニアの声が甘くなっている。だがクレイヴは視線を逸しながら頭を掻いた。
「良いんじゃない?」
「ソナですよ、師匠」
もう一度その名前を強調するように呼び、クレイヴの裾をちょんと引っ張る。その仕草にクレイヴが戸惑っていると、ソニアは更に距離を詰めて顔を寄せた。
「呼んでくれないんですか?」
ほんの一拍の沈黙が流れた。
夕陽に照らされた銀髪がきらりと輝いて僅かに揺れる。ソニアが顔に掛かった髪を耳に掛けた。
瞬間、クレイヴは答えた。
「……えっ? なんかイヤだ」
即答されたソニアは「むーっ」と唇を尖らせて顔を背ける。片頬をぷくっと膨らませながら、明らかにふてくされている様子で腕を組んだ。
対してヴィクトリアは頬に手を当てながら微笑む。
「初々しいですわ。では、私も一緒に」
「リアは来んな」
「あら、素っ気ないのですね」
「はあ、話が進まない……」とクレイヴは不満を漏らしてから、ふてくされているソニアの頭に手を置いてヴィクトリアを見つめた。
「で、話は? その野犬を止める為だけに来たわけじゃないでしょ」
顎でリードで繋がれている野犬──エリオットを顎で差し、ヴィクトリアに問いかける。すると彼女は逃げようとするエリオットのリードを引っ張り、彼は「ぐえっ」と声を漏らして地面に倒れた。
「ええ。実は、一つだけ注意がありまして」
改めて話を切り替えたヴィクトリアが、柔らかな表情から真剣な眼差しでクレイヴを捉える。どこか神妙な面持ちを向けられた彼は興味なさげに見つめた。
「最近、アストラリアで傷害事件が多発しています」
「傷害事件?」
「はい。犯人はまだ捕まっておらず、被害は今も増えています。死者はまだ出ていませんが、中には重傷を負った人もいます」
「それが、俺となんの関係があるんだ?」
クレイヴの問い掛けにヴィクトリアは一度だけ口を閉じ、ゆっくりと決意を決めたような表情でクレイヴを見上げてから答えた。
「犯人の特徴は、真紅の瞳に蒼白く光る髪を持った黒衣の剣士ということです」
クレイヴは黙る。犯人の特徴を聞いたソニアが「えっ、それって……」とクレイヴを心配げな眼差しで見上げた。
ソニアの頭に手を置いたクレイヴが大きく溜め息をついた。
「俺じゃないよ」
「それは分かっています。ですが、上の人たちはそうは思っていません。なにせ、ダンヴァースの血筋は誰もが真紅の瞳を持ち、感情の昂りや戦闘態勢に入ることで髪が蒼白く輝く特徴があります。その上で、今やダンヴァース家はレイ様とレイ様のお父様しか残っていません」
ヴィクトリアの指摘に対して、クレイヴは頭を掻く。
ダンヴァース家は、数々の英雄や優秀な騎士たちを送り出して来た名家であり、その全ての者たちが全くの同じ特徴を抱えていた。
真紅の瞳と、蒼白く輝く髪である。なぜ同じ特徴があるのかは不明なものの、感情の昂りや戦闘態勢によるサンドラ粒子の活性化によって髪は蒼白く輝く。クレイヴもそれは同じだ。
「親父も無い。あれはクズだけど、騎士としての誇りだけは無駄にある」
「それも理解しています。なので、私は何者かがダンヴァース家を貶めようとして成りすましているのではないかと考えています」
「だとしたら暇な奴だな。後退の一途を辿っている家系を潰そうなんざ、時間の無駄だ」
呆れたように溜め息をついたクレイヴに、ソニアが「でも師匠」と声をかける。ソニアは頭に置かれたクレイヴの手を払ってから口を開いた。
「家系を潰すんじゃなくて、師匠か師匠のお父さんを潰すためだったら……」
「ええ、ソニアさんの言う通りです」
ソニアの言葉にヴィクトリアが共感して頷く。そう言いながら「私が思うに、狙いはレイ様ではないかと思っています」とクレイヴを見つめた。
クレイヴはなに言ってんだこいつと言わんばかりにポカンとした表情を浮かべ、呆れたように溜め息をついた。
「俺を? いまさら遅いでしょ。もう既に地の底にいる相手を海底にでも沈めたいのか?」
「師匠、ずっと前から気になってたんですけど……師匠は過去になにをしたのですか?」
首を傾げるソニアを見下ろして、クレイヴは「気になる?」と問いかける。
「はい、とっても」
「めちゃめちゃ気になる?」
「めちゃめちゃ気になります」
「教えなーい」
ケラケラと笑うクレイヴにソニアは目を細める。そんな彼女の髪をわしゃわしゃと撫で回しながら彼は優しく答えた。
「前に教えたでしょ」
「お父さんや国王、劫焔の聖騎士をボコボコにしたってやつですか?」
「うんまあ、それもだけど……一個だけ、まだソニアに教えてないことがある」
「そうなんですか? 他にもあるって思ってはいましたけど……」
「それは、時が来たら教える。今はまだ、話せない。というより、話したくない」
クレイヴがヴィクトリアに視線を移すと、彼女は微笑んで頷く。二人の間でどんなやり取りが行われているのか、ソニアには知る由もないが、ソニアは「分かりました」と深く追求することなくすんなり諦めた。
「師匠が話してくれるまで気長に待ちます」
「そうしてくれると助かるよ」
「ずーっと、待ちます。話してくれなくても待ちます」
「話す頃にはボケて忘れてるかもしんないけどね」
「その時は私も忘れます」
そっか、と一言で返したクレイヴ。柔らかな笑みを浮かべるソニアを見下ろしながらも、二人は長い時の中で結ばれて来た信頼関係があるのだとヴィクトリアは理解できた。
「私たちとは大違いね」
「なにがですかお嬢様」
「なんでもないわ。とにかく、レイ様は気を付けてくださいね」
「分かったよ」とクレイヴは頷いた。
それからヴィクトリアは一礼してから首輪を繋いだエリオットのリードを持って歩いていく。エリオットの背中はどこか悲しげだったが、二人の背中を見送りながらクレイヴとソニアは反対方向に歩き出した。
「師匠」
横並びに歩いていると、ソニアがクレイヴの服の裾を僅かに引く。すると彼は前を見ながら「ん」とだけ反応した。
ソニアは目を伏せながら話を切り出した。
「師匠は怖くないんですか?」
「なにが?」
「いや、自分が狙われてるかもしれないのに、どうしてそんな平然としてられるんだろうと……」
「別に。そんなに心配しなくていいよ」
そう言いながら、クレイヴはソニアの頭を撫でる。そして自信有りげにニヤリと微笑んで断言した。
「俺が負けることなんてないからさ」
と、ただそれだけ言って、クレイヴはポケットに手を突っ込んだまま歩き始める。ポカンとその背中を見つめたまま、ソニアは「確かに」と呟いてから笑いを溢し、その背を追いかけた。




