五話
「手前ぇ、ふざけんじゃねぇぞ!!」
闘技場に響き渡る怒号。一人の男が声を荒げて叫び散らし、闘技場で決闘をしている選手に向けて憤慨している。今にも飛び出していきそうな勢いの彼を見つめて、ヴィクトリア・ソレアードは笑っていた。
隣で姿勢良く立っているヴィクトリアの守護騎士エリオット・ヴェイルは、神聖なこの場の空気を乱している男──クレイヴを睨みながら言った。
「あの男……ヴィクトリア様、つまみ出してきましょうか? それとも制裁を加えますか?」
鋭い眼光をクレイヴに向けながら声色を落としているエリオットの言葉に、ヴィクトリアは顔にかかった金砂のような髪を指先で払いながらエリオットを見上げた。
「別にいいけれど、その場合……つまみ出されるのはエリオの方よ?」
その言葉にエリオットは僅かに眉を寄せて「私があの野蛮な男に負けるとでも?」と少しばかり苛立った様子で、茶色の髪の隙間からヴィクトリアと視線を交わした。
そんなエリオットに自信をばっさりと切り捨てるように「ええ」とヴィクトリアは頷いた。
「絶対に負けるわ。だって彼、剣術だけならあのリラレスタ・ダンヴァースですらも勝てなかった相手なのよ?」
「お嬢様、それはさすがに嘘だと私でも分かります」
「嘘じゃないわ。それじゃあ、あなたの尊敬する英雄は誰だったかしら?」
質問の意図を理解できないエリオットは顔をしかめながらも、自信満々にその名を答えた。
「勇者列伝に登場する、魔王と互角に戦った剣戟の騎士レイヴンです。彼は幼少期に辛い経験をしながらも人類の為にたった一人で魔王と戦い、魔族と人類が共に手を取り合えるようにして、全てを仕組んだ黒幕を倒した英雄です。これだけかっこいい英雄を私は知りません。私が騎士を目指すきっかけとなった人物であり、彼こそがヒーローです」
「えっ……? そ、そう……」
人が変わったように早口で語り尽くそうとするエリオットに、ヴィクトリアは気圧されて思わず苦笑する。目を輝かせながら騎士レイヴンを語るエリオットは、まるで子供のようでもあった。
「その騎士レイヴンのモデルが、彼よ」
「それはありえません。さすがのお嬢様でも、そのような冗談は怒りますよ」
エリオットは怒りを露わにしながらヴィクトリアを睨む。彼の勢いに圧倒されることなく、ヴィクトリアは笑みを崩さずにエリオットの怒りを宥める。
それだけ騎士レイヴンへの憧れが強い上に、尊敬してるからこその怒りなのだろう。
「冗談じゃないわ。本当のことだもの。私があなたに嘘をついたことあった?」
「──いっぱいありますよね」
「うっ……」
痛いところを突かれたヴィクトリアは、コホンとわざとらしく咳をしてから「と、取り敢えず」と話を逸らす。
「彼の実力を確かめたいなら、私は止めないわ。けど、多分ボッコボコにされちゃうわよ」
「それなら後で確かめてきましょう。ですが、お嬢様がそこまでいう彼はいったい何者なのですか?」
ヴィクトリアは闘技場でレオンと戦うソニアを見下ろしてから、未だ憤慨して飛び出していきそうなクレイヴを見つめる。エリオットも彼女と同じ視線を辿り、彼女がどこか穏やかな表情をしているのを不思議に思っていた。
そしてヴィクトリアは口を開いた。
「クレイヴ・ダンヴァース──世界に叛逆した英雄であり、あの最強の聖騎士リラレスタ・リヴァ・ダンヴァースの実の弟よ」
◇◇
「試合めちゃめちゃすごかったなソニア!!」
一通りの試合が終わり、人々が帰路につく中で興奮気味に顔を寄せてきたグレアムに苦笑しながら、ソニアは「あ、ありがとうございます」と感謝を告げた。
そこへ商店街の人々や孤児院の子供たちが駆け寄って来た。
子供の一人がソニアに飛びつき、周りを囲むように子供たちがソニアに群がると、おおはしゃぎで声を弾ませていた。
「姉ちゃんすげえ!!」
「ソナお姉ちゃんちょーすごかった!!」
「すっごくかっこよかったよ!!」
目を輝かせる子供たちに微笑みながら「みなさんの応援のおかげですよ」と、子供たちの頭を優しく撫でていく。遅れてやってきた商店街の人々が子供たちをソニアから引きはがすと、まるで自分のことのように喜びを顔に滲ませていた。
「ソニアちゃんおめでとう! 私たちも誇らしいよ」
「ありがとうございますヤルーナさん」
商店街の人々からの祝いの言葉に頭を下げていると、遅れてクレイヴが姿を見せた。
あくびをしながら歩いて来るクレイヴの姿に気が付いた子供たちが、一斉に指を差して「あっ! クレイヴおじさんだ!」と駆け出していく。その瞬間、子供たちに気が付いたクレイヴが「げっ」と声を漏らすがもう遅かった。
「誰だいま俺のことおじさんって言った悪ガキは!」
子供の一人がクレイヴに飛びつくと、クレイヴはバランスを崩して倒れる。その上に子供たちが覆いかぶさり、クレイヴが悲鳴を上げた。
「だぁぁぁぁぁぁ! やめろ俺の上に乗るなぁ!」
「ねえおじさん、ソナお姉ちゃんちょーすごかったね!!」
「僕も大きくなったらおじさんに剣をおしえてもらう!」
一人の声をきっかけに他の子供たちが「私も私も!」、「俺も!」と大興奮しながら大きく手を上げる。子供たちの純粋な攻撃に必死に抵抗するクレイヴ。そこでソニアが「はーい、人の上に乗っちゃダメですよー」と子供たちを退けてから、クレイヴに手を差し伸べた。
「大丈夫ですか師匠?」
「ああ、チクショウ……ガキンチョ共、俺の玉に乗りやがった……」
「たま?」
ソニアの手を取って立ち上がったクレイヴは青褪めた表情でげんなりとしており、子供たちの元気さについていけない様子だった。
疲労困憊のクレイヴに、ソニアはなにか期待するような表情で見上げる。まるでご褒美を待つ犬のようだ。尻尾が付いていたら、今頃ぶんぶんと振っていることだろう。
「師匠師匠、私、勝ちましたよ!」
「うん、おめでとう」
淡々としているクレイヴの言葉に、ソニアは「それだけですか?」と少しばかり肩を落とす。だがクレイヴは首を傾げてから、ソニアの頭頂部に手刀を繰り出した。
「ふぎゃ! なんで叩くんですかぁ!」
「あの改悪野郎のフェイントにまんまとひっかっただろ」
「うぐっ」
クレイヴに痛いところを突かれたソニアは「な、なんのことですか?」と目を逸らす。そこにクレイヴがぐいっと顔を寄せると、ソニアは僅かにむくれてから諦めたように白状した。
「あぁ~~ごめんなさぁい! だってあそこでフェイントかけてくるなんて思わなくてぇ!」
頭を抑えながら涙目に答えたソニアにクレイヴは呆れたような溜め息をついてから「まあ」と切り出す。
「勝てたしな。フェイントに引っかかってからの対応は完璧だったよ」
「ほ、本当ですか?」
「本当だよ。俺の弟子なら、もーっと上手くできただろうけど」
意地悪を言うクレイヴに頬を膨らませるソニア。そこへグレアムが割り込んでソニアの手を取りながら顔を寄せた。
その瞳は炎のように赤く輝きに満ち溢れていた。
「ほんっとうにすごかったぜソニア!!」
「おい、気安くソニアに触るなよ」
「頼むぜ旦那! 俺とソニアは相棒なんだからいいだろ!?」
グレアムの言葉にソニアが「へっ?」と困惑する。クレイヴはソニアからグレアムを引きはがしてから、彼を蹴っ飛ばした。
地面に滑り落ちるグレアムを見下ろしながら、クレイヴは腕を組んだ。
「手前ぇにうちの弟子はやらん」
「私、弟子って言われたの初めてです」
弟子と呼ばれて少し嬉しそうに微笑むソニア。クレイヴは大きく胸を張ってグレアムを見下ろしながら腕を組むと自信満々に告げた。
「ソニアがいなくなったら誰が俺の面倒を見るんだ」
「おい」
まさかの発言にソニアは敬語すら忘れて突っ込んでしまう。なぜそこまで胸を張って言えるのか理解に苦しむ。いつもは熱血なグレアムも苦笑して、反応に困っている様子だった。
だがクレイヴはふんぞり返って続けた。
「毎朝二日酔いで死にかけてる俺を看病できるのはソニアだけだ。毎日ご飯を作って、掃除と洗濯もしてくれて、ソニアがいなきゃ俺はもう生きていけない身体になっちまったんだ」
「誰がお母さんですか……しかもそれ、そんな自信満々に言うようなことでもないですよ師匠」
自分のだらしなさを豪語するクレイヴに呆れながらも、ソニアはグレアムに向けて手を差し伸べる。それを受け取って立ち上がったグレアムは「さすがは俺の最高のライバルだ!」と声を大にして叫ぶ。
「じゃあ次のグレアムさんの試合、楽しみにしてますね」
「おう! もちろんだぜ! ライバルがかっけえ姿みせてくれたんだからな。俺も超かっこよく決めてやるよ!」
ニカっと笑うグレアムの首根っこを持ってクレイヴが「ほら、今日はもう解散だ」と場の空気を締める。子供たちは駄々をこねるような声を漏らすが、商店街の人々が子供たちをなだめた。
「みなさん、今日は本当にありがとうございました!!」
深々と頭を下げて感謝を伝えるソニアの瞳は、まるで宝石のようにキラキラと赤く染まり始めていた夕陽に照らされていた。
子供たちや商店街のおじさんおばさんは手を振りながら去っていく。顔を上げたソニアがその背中を見つめる表情は穏やかで、クレイヴは僅かに微笑んでから告げた。
「今日は夜飯でも食って帰るか」
「え! いいんですか!?」
「試合にも勝ったしな。ご褒美ってことで」
クレイヴの言葉を聞いて、ソニアの表情がパアッと明るくなる。そんな子供っぽい表情をするソニアの頭をわしゃわしゃと荒々しく撫でると、彼女はまんざらでもない様子でそれを受け入れた。
「それじゃあ行こうか」
「はい!」
そう言って二人は歩き出していき、互いに食べたいものを提案し合いながら街中を歩みを進めた。
闘技場から繁華街に続く道は一本で、既に人影は少なくなっている。深緑色に染まる並木道には街路樹が植えられており、枝から零れる赤い夕陽が光の粒子となって地面に降り注いでいた。
ふとソニアは食べたいものを考えて歩くクレイヴを見上げて、少し歩行のペースを落とした。すると彼は特に気にする様子もなくソニアのペースに合わせて歩く速度を落とした。
「ん? どうした?」
「いえ、なんでもないです!」
クレイヴを見上げて微笑むソニアの行動に首を傾げると、彼女は駆け足で前に立って「師匠って、やっぱり良い人ですね」と笑う。言葉の真意も理解できずにクレイヴが眉を寄せた瞬間、ソニアの視界の端──クレイヴの背後で人影が飛び上がった。
直後、人影はクレイヴ目掛けて急降下し、勢いよく剣を振り下ろした。
耳を聾するような爆音が響き、同時に粉塵が巻き上がる。爆風で飛んできた道の破片からソニアは顔を覆ってすぐさま戦闘態勢に入った。
「い、いったいなにが!?」
舞い上がる粉塵でクレイヴの状況がわからない。視界を塞ぐ粉塵を睨みながら、ソニアは剣を握り締めてクレイヴの名を呼んだ。
「師匠!!」
辺りの人々が突如として起こった爆発のような轟音に驚き、そのまま悲鳴を上げて走り去っていく。その中でソニアは下手に動くことができず、眼前の粉塵を睨むことしかできなかった。
やがて粉塵が薄れていき、中から「けほっ」と咳き込む声が聞こえる。見つめていると、クレイヴが手で煙を払っていた。
「師匠! だいじょう、ぶ……」
慌てて駆け寄ると、クレイヴが誰かを踏んづけているのに気が付いた。
茶色の髪の端正な顔立ちをした青年だ。彼は剣を握り締めたままうつ伏せで倒れ伏し、クレイヴに右足で踏みつけられていた。
「急に襲ってくるとか、ソニアの学校の治安どうなってるわけ?」
「あれ、この人って……」
ソニアにはその顔や身なりに見覚えがあった。
彼が身に纏っている服は、ソニアやグレアムが通っているセラフ学園の制服だった。
青年は悔し気な表情をしており、クレイヴが力を緩めた直後に素早く立ち上がって、起き上がり様に剣を振り上げた。だが、攻撃が攻撃に成る前に腕を抑えつけられ、クレイヴに軽く投げ飛ばされた。
「くっ!!」
空中で態勢を立て直す青年が無数のナイフを投擲。それらすべてをたった一歩の動きで回避したクレイヴが、一本のナイフを簡単に受け止めた。
青年が着地する瞬間にナイフを投げ、青年は慌てて剣で弾く。瞬間、一瞬で詰め寄ってたクレイヴが青年の胸元に手を添えてから足を払い、そのまま地面に叩きつけた。
「ぐはっ!」
「なにコイツ……顔見知り?」
身動きができないように青年を抑えつけながら、クレイヴは困惑するソニアを見上げる。ソニアは「うーん」と首を傾げつつ記憶を辿り、ようやくその名前と顔を思い出した。
「この人……! 生徒会長の守護騎士エリオット・ヴェイルさんですよ!」
「生徒会長って、ヴィクトリア?」
「そうです! 今日も闘技場で見てたじゃないですか!」
「そうだっけ。ヴィクトリアは見たけど、こんなやついたか?」
記憶にまったく覚えがないクレイヴに対して、エリオットは抵抗しながら「ヴィクトリア様を呼び捨てにするな!」と声を荒げている。だが完全に抑えつけられた状態では叫ぶ以外の一切の身動きができない。
「奇襲しといて、謝罪の一つもなしか? それなら俺直伝のクレイヴスペシャルで吐かせてやってもいいなあ」
エリオットの背中に乗ったクレイヴが、両足を内側から引っかけて彼の両腕を鳥の翼のように捻り上げようとする。そこでソニアが止めに入ろうとするが、ソニアの肩を何者かが叩いた。
「え?」
「そこまでにしてあげてくれませんか、レイ様」
どこからともなく現れた声に全員が振り返った。
最初に目に映ったのは、陽光を受けて煌めく金糸のような髪だ。大ぶりの純金を嵌めたような瞳が真っ直ぐにクレイヴを見つめており、ソニアは声を出すこともできなかった。
なによりも、彼女の美貌に見惚れて眼を奪われていた。
空恐ろしいほど精緻に整った顔立ちは、まるで絵画の中から飛び出してきたようだ。
形の良い細い柳眉に高くツンと通った鼻、瑞々しく血色の良い唇。透明感のある純白の肌が広がる小さな顔の中に、欠点一つないパーツのすべてが完璧に配置されている。目を見張るほどの美しさを持った彼女──ヴィクトリア・ソレアードから発せられる圧倒的な威圧感に、ソニアの身体は鳥肌が立っていた。
「コイツから先に襲ってきたんだよ、ヴィクトリア」
呆れたように語るクレイヴが、溜め息を吐いてからエリオットを離して立ち上がる。起き上がるエリオットがクレイヴを睨むが、ヴィクトリアがすかさずエリオットを引き離して腹部に肘を叩きこんだ。
「それは本当にすいません。レイヴンのモデルが貴方だと伝えたら、怒ってしまいまして」
「ちゃんと手綱を握ってなきゃダメだろ」
「まあまあ、そう言わず。貴方の大ファンなだけですから、許してあげてください」
頭を掻くクレイヴ。上品に微笑むヴィクトリアが指の動きだけで魔法を展開。空間が波紋のように揺らめき、その中から勢い良く伸びた首輪がエリオットの首に装着された。
「お嬢様、これは……」
「おすわり」
「えっ?」
「おすわり」
「はい……」
ヴィクトリアの圧に負けたエリオットが片膝立ちになる。エリオットの頭に手を置いたヴィクトリアは僅かに頭を下げてからにこやかに笑った。
「手綱はありませんが、首輪なら以前私が興味本位で創ったものがありましたので」
微笑みから滲み出る僅かな怒り、それはクレイヴやソニアに対するものではなく、行儀よくおすわりするエリオットに向けられていた。
呆気に取られていたソニアを見て、ヴィクトリアはリードを握り締めたまま上品にスカートの裾を両手で持ち上げて僅かに膝を曲げた。
「自己紹介が遅れてしまいましたね。初めまして、知っているかもしれませんけれど、私はヴィクトリア・セリーヌ・ソレアード。セラフ学園の生徒会長を務めています」
「あっ、は、初めまして。私はソニア・セシリアです……」
ヴィクトリアは優しげな表情を浮かべて、ソニアの手を取った。
「今日の試合、お見事でしたわ。あのレオン・グランツさんに然程苦戦することなく勝利できるなんて、流石はレイ様のお弟子さんですのね」
「あ、ありがとうございます……」
さっきとは打って変わって、怒りの色など微塵も残していない笑顔でソニアに詰め寄り、ヴィクトリアは真っ直ぐに尊敬の眼差しを向けていた。
様子のおかしなヴィクトリアにソニアはずっと呆気に取られている表情だった。
ヴィクトリアはソニアの手を離してから、クレイヴの方を向いて僅かに頭を下げた。
「さっきはレイ様にもお見苦しいところを見せてしまって、恥ずかしい限りですわ」
クレイヴはヴィクトリアの方を見ずに「あのさ」と頭を掻きながら切り出す。
「猫被んなって。いつも口調でいいから、ヴィクトリアに敬語使われるとなんかムズムズする」
クレイヴにそう言われて、ヴィクトリアは少し目を見開く。クレイヴの横でソニアが首を傾げていると、ヴィクトリアは一気に彼に詰め寄って────、
「──それじゃあいつも通りに」
歩み寄ったヴィクトリアはクレイヴに腕を伸ばして、そのまま抱き着いた。
クレイヴの胸に頭を埋めるヴィクトリアが顔を横に向け、彼女が「えへへ……」とお嬢様とは到底思えないような変態じみた声を上げた。
数秒が経って、ソニアはようやくその光景を理解し、目を丸くしながら────、
「──え゛っ」
と、声を漏らした。




