三話
円状に高くそびえ立った闘技場で、ソニアは高鳴る鼓動をなんとか鎮めようと深呼吸を繰り返す。周りには候補者と思わしき少年少女が身体をほぐしている。辺りのまばらとした歓声が鼓膜を叩き、自分が本当にこの場所に立っていると実感を与えた。
純白の髪と共に清廉な輝きを放つ姿は、緊張のあまりに震えていた。
腰まで流れる髪は陽光を受けて雪のように煌めき、白を基調とした上着はソニアの凛とした一面を際立たせる。上着の下に来ている紺色のインナーが、全体の色調を引き締めていた。
ひらりと揺れるスカート。その動きに合わせて、ベルトに吊るされた剣が微かに鳴る。細身ながらもしなやかな肢体を包む衣装は、清楚さと騎士としての実用性も兼ね備えていた。
「ここから、始まるんだ……」
《 おいおい、悦に浸るのはまだ早いだろ 》
突如として顔を出したロビーに「ロビー! 大丈夫だったんですか?」と驚いていると、ロビーは鼻で笑った。
《 ハッ! オレ様をなんだと思ってんだ。あんなガキンチョに食われるわけないだろ! 》
「無事で良かったです」
一言で返したソニアの反応を不思議に思ったロビーは、彼女の手が僅かに震えているのを見て溜め息をついた。
《 緊張してんのか? 》
「あはは……そうみたいです。まだデビュー戦なのに、なんでこんな風になっちゃってるんでしょうね」
《 お前なら大丈夫だろ。なんの為にあの酒浸りの所で修行を積んだんだ? あいつから教わったことも、お前の今までの努力も、今ここじゃ信用できないか? 》
「いえ、そういうことでは……」
直ぐに首を振った。ロビーは悩むソニアの額に軽くコツンと頭突きをした。
《 ならしゃんとしやがれ。お前は自信を持てばいい 》
「ありがとうございます。でもどうしたんですか? いつもはそんなこといわないじゃないですか」
《 応援してやってんだよ。感謝しろよな 》
ソニアはロビーに笑顔を浮かべながら感謝する。幾分か心臓の鼓動が落ち着いたような気がした。
腰に携えた剣を握り締めて、緊張を紛らわせようとする。周りの観客席を見渡すと、聞き慣れた声が聞こえた。
「ソニアちゃーん! 頑張れよぉ!!」
「ソニンお姉ちゃん! 負けないでねー!」
声のする方を見ると、そこにはいつもお世話になっている商店街の人々や孤児院の子供たちが大きく手振り身振りをしながら応援してくれていた。
ソニアは手を振り返してから軽く頭を下げた。
「みんな来てくれてるなんて……これは、張り切らないとですね……」
そしてゆっくりと振り返り、自分が立っている背後の席にクレイヴが腕を組んで座っているのを発見した。
「師匠、ちゃんと来てくれましたね」
最初は来る気ゼロのクレイヴだったが、なんとか説得して来させることに成功した。しかしどういうわけか、ソニアが真っ直ぐ見ていてもクレイヴからは全く反応がない。試しに手を振って見るが、クレイヴは無反応だ。
「え゛」
そこでようやく気が付いた。
クレイヴは綺麗な花提灯を作りながら、周りの喧騒など意も介さず深い眠りについていた。
さすがにデビュー戦での観客席はそれほど埋まってはいないが、よくこの状況で眠れたものだ。ソニアはムスッとした表情でクレイヴを睨みながら、隣でとぐろを巻いているロビーに囁いた。
「ロビー、師匠の頭に齧り付いてきていいですよ」
《 任せろ 》
ロビーはその蛇のような身体をくねらせながら飛び上がって行き、クレイヴの背後に回り込むと小さな口を目一杯開いて彼の頭に勢いよく齧り付いた。
「──あ゛!? 痛った!! お前このクソヘビなにしやがる! さっさと離れろ!!」
咄嗟に立ち上がったクレイヴに周りの観客から珍奇なものでも見るような目が向けられ、クレイヴとロビーの格闘が始まる。それを闘技場の中央で見上げながら、ソニアは足元に転がっていた小石を手に取り、大きく振りかぶると、全力でそれを投擲。小石は寸分の狂いなくクレイヴの頭を捉えた。
「──あば!?」
クレイヴの身体が大きくよろめき、そのまま倒れそうになる。頭を抑えながら勢いよく振り返り、ソニアへと視線を向けるが彼女は既にそっぽを向いていた。
次にクレイヴは掴んでいたロビーを見つめ、ロビーは首をソニアに向けてクレイヴの視線を闘技場へと誘った。
「あー、見ろってことね」
クレイヴはロビーとソニアの意図を理解して頭を掻く。ソニアは数人の候補者たちと共に鉄扉の奥へと歩いていく。クレイヴが欠伸をしていると、近くで聞いたことのある爽やかな声がクレイヴの名前を呼んだ。
「ダンヴァースの旦那! やっぱ来てたンすね!」
「うわ、グレアムかよ最悪……」
クレイヴはその精悍な顔を見るなり、明らかに不快な表情を浮かべる。だが、クレイヴを呼んだグレアムは太く整った眉を上げ、ニカッと思い切り口角を上げて微笑み、クレイヴの横に腰を下ろした。
「なんでわざわざ俺の横に座るんだよ……試合はどうした?」
「俺の前哨戦は明日っすよ! 今日はソニアの試合を見に来たんです。ライバルの試合を見るのは当然のことっすからね!」
真っ赤に燃えるような髪を揺らし、爽やかな笑顔を浮かべて断言するグレアムに対して、クレイヴは顔を引きつらせてから腕を組む。背後からひょっこりと顔を出したロビーが、グレアムの顔を見て僅かに唸った。
「あれ、今日はペットの環極竜も連れて来たンすか?」
無自覚なグレアムの発言に、ロビーがまるで『オレ様はペットじゃねえ!』と言わんばかりの怒りを露わにしてグレアムを噛み付こうとする。それをなんとかクレイヴが押さえ込んでいた。
「待て待て行くな。俺もコイツの顔は殴りたいが、ここはグッと堪えるぞ」
「どうしたンすか? 二人とも仲良しなンすね。なんでしたっけ名前、ボンビー?」
ロビーが怒りのあまりに飛びつこうとするが、クレイヴはそれを制する。
「落ち着け。アンガーマネジメントができる竜になるんだ」
グレアムはロビーの怒りなどいざ知らず、腕を組みながら名前を思い出そうと真剣に考えている。これがわざとではないのだから質が悪い。
「あ、ホビーか!」
「よし六秒経った。塵も残すなよ」
クレイヴはロビーを解き放った。
「え、塵ってなんのこ──うわぁ!」
怒りを最大限まで溜め込んだ火炎がロビーの口から一気に解き放たれ、グレアムの顔面を焼き焦がす。炎をまともに受けたグレアムは「けほっ」と咳込み、その整えられていた髪型はもはやアフロのようだ。
グレアムの真っ黒な姿にゲラゲラ笑うクレイヴとロビーの悪ガキ二人に対して、グレアムは煤を払ってからどういうわけかすぐに元の綺麗さを取り戻した。
「ちっ、これだから焔槍の家系は火の耐性ばっか身につけやがって……」
「これでもスルト家の次期当主っすからね!」
自信満々に語ったグレアムに対して肩を竦めたクレイヴは腕を組んで眠りにつこうとする。ロビーはクレイヴを寝かせないとばかりに長い尻尾でペチペチと叩き、隣にいたグレアムは「弟子の試合、見ないんすか?」と首を傾げた。
「見たところでなあ……」
「ソニアが負けるって?」
「いや違う。ソニアならどうせ勝てるでしょって意味」
「相手は誰だったンすか?」
クレイヴは視線を遠くに向けて「えっと……」と考えるが、数秒の試行錯誤の末に出した答えは「分からない」の一言だった。
「興味なさ過ぎじゃないっすか?」
グレアムが苦笑した直後に、闘技場の観客たちがざわめき始め、クレイヴとグレアムが辺りを見渡す。そこで観客の視線が闘技場観客席よりも少し高い位置にある貴賓席に向けられていることに気が付いた。
そこには見るもの全ての人の心を奪うような美しい少女と、爽やかな顔立ちをした茶色の髪の少年が観客席を見下ろしていた。
「ヴィクトリア・ソレアード……? なんでこんなデビュー戦なんかに……?」
グレアムが貴賓席を見上げながら、周りの観客と同じようにその名前を漏らした。
アストラリア王国現国王の娘にして、アストラリア学園トップの実力者──生徒会長ヴィクトリア・セリーヌ・ソレアード。その隣にいるのは、守護騎士だろう。
ヴィクトリアは陽光を浴びてキラキラと金糸のように輝く長い髪をはためかせ、大ぶりの純金をはめ込んだような魅惑的な金瞳が観客席を興味深く見下ろしている。周りの観客は、彼女の存在と美貌に目の前の若き騎士たちを差し置いて見惚れていた。
本来であれば、こんな名もなき騎士のデビュー戦を見に来る人物ではない。
観客が騒めいていると、場内の実況者が高らかに声を上げ、観客たちはその視線をヴィクトリアから闘技場の中心へと向けられた。
「それではお待たせしました! これより始まるのは、聖騎士選定試練に先立つ前哨戦! これに勝利すれば、第一次試練へと進む権利を与えられます。ルールは簡単、相手を戦闘不能にするか、胸元に付けられた結晶石を破壊すればいいだけ! それでは本日の第一戦を飾る選手を紹介いたしましょう」
分厚い鉄扉が開かれ、堂々とした足取りで日焼けをした青年が現れる。鎧に包まれたその体格は細くありながらも逞しく、強く掲げられた拳から迸る闘士が観客席へと伝わっていく。
「かの名将、数多の騎士を育て上げた最恐の師エルネスト・フォルシアの直弟子──! 拳一つで我が道を貫く若き猛虎! レオン・グランツ!!」
観客席が大きくどよめき、レオンは拳を掲げて応える。その笑みからは、己の拳に存在する絶対的な自信が滲み出ていた。
グレアムは彼の実力を観客席にいながらも肌で感じていたが、一方のクレイヴは興味を示すことなく既に眠りについていた。
「エルネスト……って、あの数々の精鋭を育て上げてきたっていうあのエルネスト・フォルシアか!」
「うるさいな。テンプレの驚き方やめろ」
「いやいやあのエルネスト・フォルシアの弟子なンすよ!? いくらソニアでも勝てるかなんて分かんないっすよ!?」
グレアムが驚愕で声を荒げている横で、クレイヴは気怠げにロビーの頭を撫でた。更に慌てる様子を見せるグレアムがいちいち声を大にして叫んでいるのを、クレイヴは指で耳を塞ぎながらグレアムの言葉を否定した。
「いや、勝てるから」
「なんでそんな自信持ってンすか!?」
「は? 師匠が弟子を信じなくてどうすんだよ。それに自信の問題じゃなくて、近接ならソニアは誰にも負けないよ」
クレイヴがそう語った時の表情は普段と変わらないものだったが声色はどこか真剣で、グレアムは不思議なものでも見るような目で見つめていた。
「近接?」
「まあ、見てれば分かるって」
クレイヴに促されて、グレアムが闘技場の中心へ視線を向ける。同時に、レオンに向けられた歓声が収まり始めた頃、実況者が次の入場者の口上を叫んだ。
「続きまして──辺境の村より、その実力を示し、この舞台に立つことを許された新星! 大いなる師を持つ相手にどう戦い、その謎めいた力を示すのか! ソニア・セシリア──ッ!!」
レオンと同じように分厚い鉄扉が鈍い音を響かせながら開いていく。その奥で緊張を押し殺しながら歩み出る彼女に、観客の視線が一斉に注がれる。ソニアは固まった身体でなんとか歩き出し、闘技場の中心まで足を進めた。
ソニアに浴びせられる歓声はレオンの時よりも僅かに少ない。それもそのはずだ。レオンのように偉大な師を持っているわけでも、ヴィクトリアのような名家出身というわけでもない。観客からすれば、ただの田舎娘でしかない。
「ふぅ……よしっ」
呼吸を整え、激しく脈動する全身を落ち着かながらソニアは服の裾を強く握り締める。無数の視線に耐え、震える手でポケットから紺色の手袋を取り出して両手に着けた。
一息を吐いて、背後の観客席に立っているクレイヴを見つめる。彼は今度こそ寝てはいなかったが、大きなあくびをしていた。
「おい、田舎者」
声が聞こえた方に視線を戻すと、レオンが煽るような表情でソニアを睥睨していた。レオンの鋭い獣の如き眼光を睨み、ソニアは息を呑んだ。
「辺境の村からここまで来れた実力は認めてやる。だが、正々堂々とお前の行く道を俺が打ち砕く」
レオンは片方の口角を上げてニヤリと笑い、拳を突き出した。
腰に手を添え、剣をいつでも抜けるようにソニアが臨戦態勢に入ると、実況者の声が闘技場に高らかに響き渡る。
「──ただ勝つだけではない! ここに集まったのは王国各地の名だたる騎士団の目利きたち! 第一試練への切符を掴むか──あるいは、その戦いぶりで才を認めさせるか! 若き挑戦者たちの未来は、この一戦に懸かっているぞ!!」
その煽りがデビュー戦の合図となり、場内の喧騒がすっと静まり返る。
「──それでは、始めッ!!」
静寂を切り裂くような実況者の声と共に、闘技場の中心で浮いていた戦鐘が鳴り響いた。
低く重い音が闘技場を揺るがし、戦いの幕が上がった。




