Ⅰ*スカイハイ
―――この世界では、”夢”を自由に売り買いできる。
自分が見たい夢を「買い」、束の間の休息を楽しむ。
「いらっしゃいませ」笑顔で迎える店員の前にあるショーケースの中には、色とりどりのスイーツ、ドリンク、錠剤が並ぶ。
「今日はどういった”夢”をお探しですか?」
ショーケースを眺める女性。仕事に疲れているのだろう、ぼうっとしているのが傍目に見てもわかるほどだ。
「…思いっきり現実離れしたもので、爽快なものがいいです、空を飛ぶとか」
「それでしたら、こちらはどうでしょう」慣れた手つきで店員がショーケースから小さなボトルを取り出す。中はまるで青空のような青い液体で満たされており、ぱっと見るとまるで子供に処方されるシロップ薬のようだ。
「こちら、つい2日前に入荷した”スカイハイ”です。売却された方によれば、”ジャンプ力が上がる”。まるで無重力状態の月面のように、1回のジャンプでどこまでも跳べて、地面がトランポリンのように感じられるとか」
「へえ…ちょっと仕事でもやもやすることがあって…思いっきりジャンプしたら、気分がスカッとしそう…」
「寝る前にこの線のところまでキャップに注いで飲んでください」
「あの、じつはここ初めて来て…夢の服用も初めてなんですけど…大丈夫でしょうか。これ、薄めたりしないでそのまま飲むんですか」
「物によりますけど、これは薄めなくても大丈夫です。ジュースだと思って飲んでもらえたら飲みやすいと思いますよ。くれぐれも用法容量は守ってくださいね。服用は1日1回までです」
「もし思い通りに夢を見られなかったら、追加で飲んでもいいですか」
「キャップ半量まででしたら大丈夫です」
「それ以上飲んだら?」
「大概、悪夢に変わりますが…最悪、戻ってこれなくなります。薬の過剰摂取をイメージしてもらえたら」
「…わかりました」
「150ミリリットルで、1500円になります」
―――
帰宅後。
「よし」
水原加奈子は購入したボトルを見つめていた。
いつも通り、夕飯を作り、食べ、片付け、お風呂にも入った。あとは寝るだけだ。
確かにただお菓子を買うように簡単に購入できた。今まで「夢を買う」ということへの恐怖とハードルの高さから近寄ったことすらなかったが、今日は特に仕事でやってもいないミスを押し付けられ、上司に怒られてとてもむしゃくしゃしていた。退勤後、気づいたらあの店に足を運んでいたのだ。
「無意識って怖いな。まあ、これも運命ってことで」
ボトルを開け、青い液体をキャップに注ぐ。匂いをかいでみるが、特に何も感じない。
ベッド周りに水、スマホがあることを確認し、ごくごくと一気に飲み込んだ。
…例えるなら、ソーダとミントを合わせたような味。後味に若干の薬臭さがある。
旅行前のような、わくわくする気持ちを高ぶらせつつ、水を含み、ベッドに横になった。
―――
「うわぁ!!」
気づくと加奈子は見知らぬ草原にいた。
爽やかな風がそよそよと頬を撫でる。
見上げると、真っ青な青空に、もくもくと動く入道雲。遠くには海が見える。どうやら夏のようだ。
つい走り出したくなる。思った時にはもう、走り出していた。
風と一体化するようなこの感覚。こんなに思いっきり走ったのはいつぶりだろうか。
「気持ちい―」
少し走ったところで、ごろんと横になった。
いつの間にか、高台に来てしまっていたようだ。
見下ろすと、まるでミニチュアのような街並みが目に入る。どうやらここを降りてすこし行けば海に出られるようだ。
「飛び降りちゃえ」
柵を超えてえいっ、と飛び降りると、ぽーん、と着地地点から自分の足が跳ねた。まるで足にバネがついたかのよう。もう一回着地地点で足に力をこめると、文字どおり「ひとっとび」で海についた。
さらにどんどん力をこめると、どんどん高くまで跳べる。宇宙だって行けそうだ。
「すごい、どこまで跳べるんだろう」
どんどん、どんどん街並みが遠く、小さくなっていく。
同時に、空がどんどん近くなっていく。
空に触ろうとした、そのとき。
遠くで、かすかに音楽が聞こえてきた。
どんどん大きくなってくる。
何かはすぐにわかった。
いつも設定しているアラームだ。
「もう少しで星に触れそうなのに」
若干焦りながら足に力を込めて、もう一回ジャンプした。
――――