元気娘はプリンを食べる
周りの大人からはよく『天真爛漫だね』と言われる少女だった。
三歳で始めた体操教室。じっとしていられない私にはぴったりだった。元気はつらつ、それでも体力が有り余っていたらしく、両親は他にも水泳やらバレエやらを習わせてくれた。
ママは『そうでもしないと、ぱっちりお目々がバタンキューしてくれなかったのよー』と当時の私を揶揄する。それを聞いたところで、楽しい習い事に通わせてくれた感謝の気持ち以外に何もない。
小学校に上がり、同学年の子と同じレベルでは物足りなくなってしまっていたところに、先生が『お姉さんたちとやってみる?』と、新体操のクラスを提案してくれた。
リボンもボールもクラブも、すぐに上級生顔負けレベルまで上達した。毎日毎日、水を得た魚のように活き活きと演技していた。
三年生の時、初めて地域の大会に出場した。両親も兄妹も友達も応援に来てくれた。同学年の中でも一際小さい私は個人競技で銅メダルを貰った。
両親も先生も友達も、みんなみんな褒めてくれた。『初めてなのにすごいね』と、たくさんたくさん褒めてくれた。
それでも私はあんまり嬉しくなかった。『嘘っこの金でも金メダルがいい!』と唇を噛んでいた。今まで一番だと思っていた自分が、井の中の蛙だと思い知らされたのだ。
だからひたすら練習した。悔しかったからというのも当然あるけれど、それ以前に新体操がとっても楽しかったからだ。毎日飽きもせず、ただひたすら好きだから練習に通った。
高学年になり水泳もバレエも辞め、いよいよ新体操一本に絞った。小さな大会では金を、大きな大会でも必ずメダルは持って帰った。
楽しくて楽しくて仕方がなかった。
中学生になっても部活は入らず、ひたすら新体操に打ち込める毎日が嬉しくて仕方なかった。練習や大会で忙しい日々だったので放課後に友達と過ごすことはほぼ出来なかったが、明るく人なつっこい性格のおかげで友達はいっぱいいた。中にはミーハーな気持ちで近寄って来ていた人もいたけれど、それも自分の努力の証だ。
私が入学したのは、自宅から二駅ほど先にある『私立星花女子学園』というお嬢様学校だ。中高一貫校で、多くのスポーツにも力を入れている。
『ずっと見てたんだ。付き合ってほしい』
私の中で何かが変わっていったのは、中二の春。この一言がきっかけだった。
凪は転入生だった。小学生の時から私を知っており、ずっと憧れていたという。おっとりとした垂れ目とおさげがチャームポイントの見るからにおとなしい子なのに、ずいぶん大胆なことを言う子だな、と思った。
同じクラスではなかったのだが、休み時間に現れては手紙をくれた。スマホを持っていないらしく、なんともレトロな中学生だった。でも、私にはそれが新鮮でもあった。
凪はお弁当も作ってきてくれた。食いしん坊の私はママが作ってくれたお弁当は早弁し、凪の作ってくれたお弁当をお昼に食べた。凪の料理はどれもおいしく、ママにも負けず劣らずだった。私はあっという間に胃袋を掴まれた。
中学生の『付き合う』がどういうものかも知らず、私はただこれまでと変わらない生活を過ごしていた。相変わらず凪は手紙を渡しに教室を訪れる。それに加え、練習や大会の応援席には必ず凪の姿があった。
だけど、凪はそれ以上を求めては来なかった。だから周りも誰も、私たちが付き合っていることに気付かなかったらしい。凪のただの片思い、あるいは一ファンという認識だった。
友達に恋人が出来た。デートに行って手を継いだのだと恥ずかしそうに話してくれた。恋人とはそういうものなのかとショックを受けた。
私は今まで、どれだけ凪を生殺しにしてきたのだろうと。ほったらかして、傷付けていたのではないかと……。
『いいんだよ。ずっと見ていられるんだから。そのままの君がすきだから、どこにも行かなくていい。特別なことは何もしなくていい。邪魔になりたくないんだ。今まで通り頑張ってほしい』
そうにっこり笑う凪の表情は今でも忘れられない……。純粋で曇り一つなくて。だけどこれまで以上に私の罪悪感はどんどん膨らんでいった。
中三の夏、ある大会で私は今まで差を付けて勝っていた子に負け、銀メダル止まりだった。悔しかった。手を抜いたわけじゃないのに。手応えだってちゃんとあったのに。ミスだってしなかったのに。私は帰り道わんわん号泣し、慰めるママに引きづられるように帰った。
家の前に凪がいた。家には来たことがなかったのでびっくりした。応援に来てくれていた友達はみんな、気を遣って声をかけず帰ったというのに。凪はいつものようにお弁当の包みをひょいと差し出し『食べて?』と微笑んだ。
せっかく引いてきた涙が、また滝のように流れ出した。ママはおろおろして、『とりあえず上がって?』と凪を中へ通した。
汗臭いまま、私は部屋でもずっと泣きっぱなしだった。お弁当箱の中身は手作りプリンだったらしく、ママが紅茶と一緒に置いていってくれた。凪は隣で正座し、私が泣き止むのをじっと待っていた。
第二次成長期で、女の子はそれぞれ体つきが変わってくる。155センチで止まった私よりはるかに高身長になったあの子は、すらっとした体幹としなやかな四肢を活かしダイナミックな演技が出来るようになっていた。敵うわけがないと思った。
『あの子にはない、君の長所を伸ばせばいいんじゃない?』
分かっている。新体操は体格ではない。ただ容姿や表情も非常に重要である。
その時、初めて聞いた。凪は私に憧れ、転入前まで新体操をやっていたことを。センスがなかったからすぐに辞めたのだと恥ずかしそうに教えてくれた。
それから凪は、あの子に勝つにはこうしたらいいんじゃないか、こういう振り付けのほうが私に合っているんじゃないか、などどんどん提案してくれた。私は泣きはらしたぼーっとする頭をフル回転させ聞き入った。
温くなってしまったプリンに手を付ける頃には、私はすっかりいつもの調子を取り戻していた。けらけらとよく笑う私を優しく微笑んで見守ってくれた。いつもは一方通行だった凪のこともいっぱい質問した。手紙の中だけで知っているつもりになっていたけど、知らないことだらけだったことに今更気付いた。
凪は私のことをたくさん知っている。全てを受け入れてくれる。凪といると落ち着く……。それに気付いたのも、その時だった。
明日からはお昼を一緒に食べようと提案したら、じゃあ週に一度でいいと言われた。私は首を傾げたが、見ている方が好きなんだと言われた。付き合ってほしいと言ってきたわりに控えめな言動に、もどかしさすら感じた。
あの日から、私の方が物足りなくなっていった。凪と一緒にいたい。でも、凪は今まで通りでいいと言う。凪はスマホを持っていないので、夜に電話することもできない。
凪と話したい。一緒にいたい。週に一度だけのお昼休みは、私の癒やしの時間だった。
テスト前には英語を教えてくれた。英語の授業中はなぜかうつらうつらしてしまうので、毎回追試か補修だったのだ。代わりに凪の苦手な数学を一緒に説いた。『君は教えるの上手だから、もし選手を引退することがあったら、先生になるといいよ』と言ってくれた。
勉強は嫌いだから、絶対やだよと笑った。おばさんになっても、おばあちゃんになっても、私は新体操を一生続けるんだと宣言した。凪は『じゃあ一生応援するよ』と小指を搦ませてきた。
三学期に入ったある日の昼休み。どこでお弁当を食べようかと尋ねた私に、凪はとんでもないことを言った。
『別れよう。高校は別のところにすることにした』
冗談を言うキャラではなかったが、冗談としか思えなかった。私がげらげら笑って『そんな冗談いいから、お弁当食べ行こうよ』と肩に触れようとすると、凪はものすごい勢いで振り払った。せっかくのお弁当は吹っ飛び、壁にぶつかってぐちゃぐちゃになった。
その日以降、凪は学校へ来なくなった。身体でも壊したのかと心配になった私は、凪の担任の先生に尋ねた。
『ご家族の都合で、先週カナダへ行ったのよ』
耳を疑った。私には心を開いてくれていると過信していたのだろうか。2人の時間はなんだったのだろうと、情けなさすら覚えた。
最初から最後まで、わけの分からない言動ばかりだった凪……。
結局、凪は私の全てを知っていたのに、私は凪を何も知らないままだった……。
友達も恋人と別れたらしい。受験勉強でかりかりしていてケンカ別れだったのだと。中学生の恋愛なんて、所詮そんなもんなのかなー……とぼんやり思った。思うことにした。
寂しくなかったわけがない。しばらくは凪のことを思い出しては空を見上げていた。
カナダの大会に出ることがあったら、きっと応援しに来てくれる……。そう自分に言い聞かせた。
高等部へ上がり、新しい友達もできた。外部入学の子からも有名人扱いされ、取り巻きみたいな人もできた。相変わらずの忙しい毎日が、凪のいなくなった穴を埋めてくれた。
花岡朱兎。私立星花女子学園、高等部一年生。お勉強はちょっと苦手だけど、体育も音楽も創作系も大好きな元気娘。
夢は新体操全種目で全国一位になること。明るく楽しく頑張る、負けず嫌いな女子高生。不本意ながら負けてしまった時は、プリンを食べて笑顔回復。
今は夢と自分で精一杯だ。
だが、もう少し大人になった時、大事な人を支えられる人になりたいと思っている。
凪が自分にそうしてくれたように、いつか大事な人を温かく応援できる大人に……。