呉越乗り合わせ湯けむり馬車ツアー
鄙びた田舎の整備の行き届かない道を、馬車はガタガタと小石に乗り上げ揺れながらも懸命に走る。
成り行きで集まった誘拐と逃亡を目的とする混成一個極小小隊は、夜の闇と労働者たちの波に紛れて王都を抜け出した。今はすでにケンプフェン王国を脱出してはいたが、労働者たちのストライキによって鉄道を使えなかった彼らの道行はひどく鈍足である。そのストレスからくる疲れは、ようやく彼らの精神を侵食し始めたようだ。
「みんなぁー!きょうはぁ、フィルフィルの馬車ツアーinシュヴァペリンに来てくれてぇ、本当にありがとぉ!」
御者席から叫んだフィルフィルことフィリップ に、荷台から「フィルフィルーー!!」と野太い声が上がる。ニコラである。田舎道の長閑さを騒々しさで塗り潰す蛮行であった。
「北シュヴァペリンを抜けてぇ南まで来ちゃいましたぁ。追いつけなかったファンの人たちにもぉフィルフィルの声が届いたらいいなって思いますぅ!」
「追っ手に届いたら困りますネェ…」と、今度は手綱を握るジャンが振り返らずに答える。
「お兄ちゃんたちのために、フィルフィル新曲を歌うから聞いてネ!_ここまでずっと右も左も何もなくてたまに動いてんのは牛か豚ぁ!」
ボァ〜ッという声で歌うというより唸り始めたフィリップに、ニコラが「声が汚ねえぞオイ!」と野次を飛ばす。ファン転じてアンチになったかと思いきや、ギャハハと笑っているので唯一の支持者であることに変わりはないらしい。
即席のライブ会場となった荷台の後方では、ベルナールがウィリアムスに声をかける。
「アレな、うるせえっつうんなら、俺が捻ってくるぞ」
「いや、あまり静かでも余計な事を考えてしまうからね。いいよ」
薄く笑って寛容さを見せたケンプフェン第一王子ウイリアムスは、着の身着のままで来たときのガウンは既に脱いでおり今はすっかり旅装を整えていた。穏やかな物言いをする彼は「でももう少し…爽やかな曲をお願いしたいかな」と、婉曲に歌手の力量を揶揄する程度にはこのメンツに馴染んでいた。
「フィルフィル殿下。このまま道なりでいいんですかネェ?」
「ヅギ、ザンザロ、ミギィ〜〜!!」
ザンザロとは何かと考えていたジャンは、左右に分かれた道が見えてきて、なるほど三叉路のことかと頷く。
ここまでの工程で、必ずフィリップの言うところのチェックポイントには協力者と思しき者達が現れていた。彼らは交換用の馬などを用意しており、次の行き先も教えてくれる。
ケンプフェンを出てからの道順はフィリップ以外にも説明されたが、ガイド達は無能な教師のように早口でそっけなく、地図をくれるという当たり前の気転も見せなかった。
途方に暮れたジャン達を、フィリップは不思議そうな顔で案内していた。「何で道を知っているのか」「土地勘があるのか」と聞く大人達に、「え?さっき地図見たじゃん」とだけ答えた少年に、彼らは言葉を失った。
よくよく考えるといくら"愛しのアディ"付きとはいえ、一度会っただけの、身分も護衛でしかないジャンを、パーソナルな部分まで仔細に覚えているのが既におかしい。気が付いてしまうと大分気持ちの悪い才能を持った少年は、いま田舎道にデスボイスを垂れ流している。ジャンは「天才とナントカは紙一重」という月並みな言葉で彼を括って、深く考えることを放棄した。
いつまでも続くかと思われた平坦な道は、黒々とした森に阻まれて突如終わりを迎えた。目の前に壁のように立ちはだかった木々は、迂回することを許さないとでもいうように鬱蒼と広がっていた。フィリップによればガイドたちもここを通ることを想定しているらしく、地元の生活道路なのか馬車が通れるよう道も整備されていた。ならば問題なかろうと手綱を緩めたことを、この後すぐに彼らは後悔することになった。
最初にソレの存在を感じ取ったのはジャンだった。フィリップに手綱を渡して御者席から飛び降りると、外套を脱いでそれを腕に巻き付けた。
「殿下!馬を止めて下さい。ニコラさんは援護を!」
針葉樹が隙間なく生い茂る森は、昼でも尚、太陽の光を遮って獣たちの為の暗がりを生み出していた。そんな木々の作った闇の腕の中から抜け出すように、銀色の狼型魔獣が陽光の中に鼻面を覗かせた。真正面から頭を低くした姿勢のまま、慎重に近づいて来るその個体に気を取られていた一行は、左右の暗がりから2匹の同型の魔獣が飛び出してきたことに驚いて声を上げた。
「群れだ!まだいるぞ!」
フィリップは御者席からレバーを引いて後輪のロックを掛けると、飛び出して行くニコラと入れ替わるように幌で覆われた荷台の中に入りマスケット銃を手に取った。
「お義父さんたちはここにいて!絶対動かないで!」
不親切に見えたガイドたちは、だが銃を一丁だけ支給してくれていた。それがやや古い前装式のものであるところに彼らの親切心の限界を感じるが、フィリップは迷いなく扱う。
「馬を走らせて逃げたほうがいいんじゃないか?」
ウイリアムスの言葉に、フィリップは紙製薬莢を噛みちぎりながら眉を寄せる。
「相手はシルバーウルフの群れだ。奴らは獲物を地の果てまで追い詰める。下手に逃げて馬を襲われるより、足を止めて撃退したほうがいい…って、ジャンも考えたんじゃない?」
銃口から火薬を注ぎ込み、弾丸を込め、それを棒で押し込むという一連の作業をこなしながらフィリップが答える。硬くなった口調を誤魔化すように、最後に取ってつけたような笑顔でジャンの意向を想像して伝えた。
当のジャンは飛びかかってきた魔獣の鼻面を拳で殴りつけていた。ギャウンと鳴いて転がった魔獣を見て「素手でいけるんだ…」と、こちらも馬車から降りて来たフィリップが呆然と呟く。ニコラも魔法で応戦するが、動きが素早く集団で陽動をするうえに、厚い被毛で魔法を弾いてしまう魔獣を前に苦戦する。
そこで最前線のジャンは意図的に標的となり、1匹を殴りつけた後もう1匹を外套を巻いた左腕に噛みつかせて動きを封じたところで、力任せに地面へ叩きつけた。それを見て「…狂犬病!」と、ベルナールが顔を青くする。
「ニコラさん!動きを鈍らせる魔術を使って下さい!…その後は殿下、お任せします!」
「オレそれ苦手ぇ!」
「わかった!ニコラもがんばれ!」
ジャンが勢いをつけて襲いかかって来る若いオスの魔獣を阻んでいる間に、最初に現れた一際美しい被毛を持つ個体にニコラが不動化の魔術を掛ける。ブンブンと頭を振って魔術に抵抗しようとした魔獣は、しかし走って逃げることも叶わぬままフィリップが放った弾丸によって、永遠に動くことのない骸へと姿を変えた。ばたりと倒れ込んだその個体を目にした他の魔獣の動きが変わる。
「たぶん今のがアルファのメスで、群れの指示役です!番のオスがいるはずですから、そいつを…」
ガルル…と、ジャンの言葉の続きを引き裂きながら、ただそれが正解なのだと知らしめる様に獣の唸り声が響き渡る。他の個体より二回りほどは大きい体に黒光りする被毛を逆立てた魔獣が、明らかな殺意に目をギラつかせながら人間たちの前に姿を現した。
「来ました!リーダーですヨォ⤴︎!」
「見りゃわかるヨォ⤵︎!ってか、なんでテンション上がってんのこの人!?」
「コイツ倒さないと帰れまテン…ってコト?!」
慌てて次弾の装填を始めるフィリップと、まだ残っている若いオスを炎の魔術で撹乱するニコラと、リーダー相手にステゴロを仕掛ける気満々のジャンで、静かだった黒い森は騒然とするのだった。
「いのちの喜び!!」
「あ〜確かに全員無事でよかったよなぁ…つかもうなんなのコレ…」
馬車から降り立ったフィリップが腕を天に伸ばす様なポーズで高らかに叫ぶ後ろで、ぶつぶつと言いながら煤と泥で汚れたニコラもそれに続いた。
森の中で総勢10匹のシルバーウルフの群れを相手にした彼らは、なんとかそのすべてを倒すことに成功していた。最後に残ったリーダーは手強く、ジャンが格闘で弱らせた後にニコラが不動化の魔術で動きを封じ、そこにフィリップが弾丸をぶち込むという戦術でようやく倒した。即席にしては素晴らしいチームワークだったと言いたいところだが、なかなか倒れない相手に現場は阿鼻叫喚であった。5発目の銃撃でようやく急所を貫き魔獣の息の根を止めることが出来た。動かなくなった敵を前に、テンションがぶち上がった彼らは手に手を取り合って踊り出した。
そんな三人の様子を、森からひょっこりと現れた地元の住人たちが、不可解なものを見る様な目で遠巻きに眺めていた。銃声を聞いて様子を見に来ていたらしい彼らは、魔獣の群れの死骸を数えて喫驚した。どうやらずっとこの群れによって被害を受けていたらしい彼らは、怪訝そうな視線を賞賛と感謝のそれにくるりと変えてみせた。そんな人々によって歓迎されながら彼らの集落に一行は招待されたのだった。
今回最大の功労者であり思わぬ一面を見せてニコラたちを動揺させたジャンは、ベルナールに引っ張られて集落の診療所に連れて行かれてしまった。そこに「君たちだけじゃあこちらの言葉はわからないだろう?」と、ウイリアムスも同行を申し出て付いて行った。それを聞いて初めて、シュヴァペリンの王族たちが自分達の言語を使ってくれていたことに気が付いたニコラだったが、特に感謝することもなく彼は彼の護衛対象にひっつくことで引き続き通訳をしてもらっていた。
今彼らがいるのは、南シュヴァペリンのヘルムフューレン王国から程近い位置にある国であった。この国は温泉が有名で、他国の王侯貴族や富裕層などが訪れる一大保養地となっていた。この小さな集落にも温泉はあるようだが、観光客の姿は見えずうらぶれた印象があった。
一行を泊めてくれた宿には、露天と室内の風呂とは別にいくつかのサウナも備えられていた。思わぬ規模に驚くニコラたちに、魔獣の群れが居付く前はもっと賑わっていたのだと宿の主人が寂しげな顔でこぼした。魔獣を退治してもらったのだからこれからはまた逃げてしまった客を取り戻すのだと、主人は張り切って彼らをもてなそうとしていた。「なんか昔話にこういうのあったなぁ」と思いながらも口には出さないニコラは、うっかり言ったところで通じないのだったと、通訳する王子の丸く形のいい頭を眺めながら考えていた。
露天風呂は小さくやや古びてはいたが、青いタイルが敷き詰められた上品な作りになっていた。ランタンを持ち込んで湯に浸かっていたフィリップは、近づいて来る足音にふと顔を上げた。
「なぁ〜んでこんな薄暗いとこにわざわざ来てるんだよ」
「ニコラ…お前、室内のサウナに行くって言ってなかったか?」
「そうだよ。だってまだ寒いんだしさぁ」とぼやきながら、ニコラはフィリップの左側にざぶりと浸かる。遠慮も何もない勢いに、波が立ってフィリップの顔を濡らした。「キモティィ〜!」と声を上げたニコラを怪訝そうに眺めていたフィリップは、彼がふいに腕を伸ばして自分の頭越しに掴んだものを目で追った。
「こんなもんまで持って来てさぁ、そこまでしてひとりになるなよ」
ニコラが手に持っていたのは、フィリップが持ち込んでランタンのそばに置いていたナイフだった。それを「ほい」と言って彼はフィリップの手に返した。
「一応俺はお前の護衛として来てるんだぞ、忘れんなよ」
「そっか…人攫い業務のスタッフだと思ってた」
「おっまえなぁ!」
ニコラがざばリと両手で掬った湯を掛けると、フィリップは小さく笑った。いつもと違う反応に調子が狂って、ニコラが饒舌になる。
「なに、やっぱ今日は疲れたか?大変だったもんなぁ」
「うん、まぁ、そうだな」
「でもさ、なんかすっごい感謝されてさ、報われたーってなって嬉しいよなこういうの」
「そうかな」
フィリップが俯いている。湯気の立つ水面は夜空を反転させた様に真っ黒で、まだ幼い王子の首筋を白く浮き立たせている。それが不安になるほどに細く見えて、ニコラは内心動揺する。
「この国の人間は特にこだわりなんかないよ。その時々の都合のいい方に擦り寄ってるだけ。今日はたまたま俺たちに感謝してるけど、明日は犯罪者としてどっかに売り渡すかもね」
「えっと…なにそれ?」
「んー?…コウモリさんってコト。この国の連中はさ、俺らの仲間みたいな顔するくせに、ケンプフェンにも媚び売って北の同盟にもちゃっかり参加してるんだ」
急に王子様目線が来たな…と、返答に窮しているニコラの雰囲気を察したのか、フィリップがヘラリと笑って見せた。
「ごめん。変なこと言ったな。もう俺の方はいいからさ、サウナにでも行ったらどうだ?あっちの王子様たちもそっちに行くって言ってたぞ」
何かおかしな様子のまま自分を追い払おうとするフィリップに、ニコラは少し考え込む。そしてまた腕を伸ばすと、少し前に“見事なくらいまんまるだな”と思った頭を、手のひらで押さえつけた。突然頭を押されて湯の中に顔を浸けることになったフィリップは、当然驚いて声を上げる。
「ブハッ!何すんだ!」
「なんかよくわかんないけど、考えすぎてね?」
「は?!」
ニコラはぽんぽんとフィリップの頭を叩いてから、少しずつ考えを整理する様に言葉を繋ぐ。
「フィルは結構頭良いだろ?だから正直、俺にはお前の考えてることなんかわかんないけどさ。でもまぁ、今日みたいに力を合わせることはできるわけだ。だからさぁ…」
辿々しいニコラの言葉に「だから?」と、フィリップが続きを促す。その目が期待を抱いて輝いたように見えて、ニコラはちょっと調子に乗って勢い付いた。
「俺をもっと頼れってこと!俺はケンプフェンでも、あっちの王子でもなく、お前が最優先だからな!」
「なんで?そんな雇用契約は結んでないぞ」
ぷいっとそっぽを向いてしまったフィリップに、素直じゃないなとニコラはイラッとしたが、聞こえてきたか細い声を聞いてすぐに気持ちを切り替えた。
「俺は…魔法が使えないし、力も弱いぞ」
「射撃の腕はすごいじゃないか。今日だって全弾命中だぞ!判断も早いし勇気もある!フィルは立派な王子様だよ!」
年長者としての余裕と寛大さと誠実を込めてまた丸い頭に伸ばした手を、フィリップはぱしりと掴んだ。子供としてあやされる事を拒絶する仕草に、戸惑ったニコラを黒い瞳がまっすぐ見つめる。
「そうか、お前はヘルムフューレンの王子であるこの俺の、“フィル”の味方だと、そう言うんだな?じゃあ…そんなお前の気持ちに、俺も答えないといけないな」
不自然な言葉運びをするフィリップに感じた違和感が、ついさっき掴まれた手首からじわじわとニコラの中に広がっていく。
「俺のとっておきの秘密を教えるよ。それでもお前は…俺の味方でいてくれるんだよな?」
力無い子供が気まぐれに手を差し伸べた大人に縋り付く。そんな物言いにも聞こえるが、フィリップの口元は楽しげに弧を描いている。
_この先を聞いてはいけない_警告音がニコラの頭に鳴り響く。だがそんな大人の混乱などお構いなしに、フィリップの唇は動く。“彼”の瞳には水面に映った星の様な光が怪しく煌めいていた。
「えー!僕はサウナに入れないんですかぁ⤵︎!?」
「お前は注射を打ったばっかなんだからダメに決まってんだろ!」
「ふふ…残念だったね」
診療所から帰ってきた三人が宿に入ってきた。散々魔獣と格闘したジャンは元気そのもので、いつもの様に騒々しい。そんな彼に声を荒げていたベルナールが、部屋の隅で蹲っている塊に目を留めた。
「おい、アイツどうした?」
「んー?なんか湯当たりしたみたいだよ」
フィリップの返事を聞いて安心したのか「水分とって体を冷やせって言っておけよ」とだけ言って、ベルナールたちは浴室の方に歩いていった。
部屋の隅を向いて「俺は…ランベールとは違う…」とブツブツ呟いていたニコラは、こっそり背後から近づいたフィリップに「お医者さんが水分取って頭冷やせって言ってたよ」と声を掛けられて、文字通り飛び上がった。
「俺は!違うからな!!」
「うわ、怖。何急に大声出してんの。イミフ」
驚いて眉を顰めた後、水を貰ってくるとその場を離れていくフィリップの背中をニコラは見つめる。そして「俺は…ロリコンヒモ魔術師なんかじゃない…」とひとり呟くのだった。




