「着地は任せろー」\バキバキ/「やめて!」
「寒い…この街は寒い」
「そうですかぁ?もう春到来って感じで僕はウキウキしますがねえ⤴︎!」
「お前と俺とでウキウキなんぞおこりやしねえよ」
3月。肌寒い夜の街をベルナールとジャンは連れ立って歩いている。ケンプフェン王国の王都の、中心から少し外れたこの区画には時間のせいか人影も少なく、騒がしい男二人に目に止める者はいなかった。
1月にこの国を訪れたベルナールは、到着するなり患者である第一王子に会いに行った。ノチフ病であるという患者の症状を診ようとした彼らの前に、第一の壁として立ちはだかったのは王宮のお抱え医師団であった。彼らは“わざわざ他国の医師など受け入れずとも、自分たちだけで十分である“と主張するだけならまだしも、ベルナールを王子の命を狙うスパイではないかとまで言い出した。横柄で無礼な彼らの物言いにベルナールの反骨精神は大いに刺激され、「意地でも診る」と意思を固めた彼は王子の部屋に強引に押し入ったのだった。
そういう苦労の末に辿り着いた第一王子という人は、穏やかで物腰の柔らかい好人物であった。医師団の居丈高な姿勢を見た後で構えていたベルナールが、やや拍子抜けをする程に。この身分の割に偉ぶりもしないうえに、唐突に現れた外国人の医者の話にも素直に耳を傾ける患者の症状は、事前に聞いていたよりも重くなく投薬を続ければ半年から一年程度で回復するのではないかと思われた。
このように肝心の第一王子はベルナールにとって“いい奴“であったがその他の環境は全くよろしくなく、診療に必要なものを用意するにも四苦八苦する有様であった。そんな中で王宮に部屋を用意すると言われたが、わざわざ彼らは外に部屋を借りてそちらに泊まっていた。「あの石頭ども、寝首掻いてやるくらいは思ってそうだしな」と、ベルナールは言っていた。この時までは、冗談として。
アパートメントの階段を上がり、慣れた仕草で鍵を開ける。明日の診療について考えていた彼は、一時的なルームメイトとなった男がいつもと違って随分と静かなことに気が付かなかった。
「ベルナールさん…抱っことおんぶ、どっちがいいですか?」
「は?抱っこ…って何だよ?」
不意に投げかけられた問いに、理解もツッコミも追いつかないでいたベルナールを「抱っこですか!了解です!」と言うなりジャンが肩に担ぎ上げた。いわゆるファイヤーマンズキャリーの姿勢で突然自由を奪われたベルナールが「これはっ、抱っこじゃねえ!」と明後日の方向にツッコミを入れる。それを聞いているのかいないのか、ジャンが力強くドアを蹴ると、何かかぶつかって転がるような音がした。
ドアの向こうに人がいたのだとベルナールが気がついた時には、もう一人が部屋の奥から現れた。ジャンが空いている左手でベルナールの往診鞄をその男に投げつけるが、男は姿勢を低くしてそれを避けた。重い鞄は勢い余って窓に当たり、ガシャンと大きな音を立ててガラスを割った。ガラスの破片と安普請な窓枠を道連れにして階下に投げ出された鞄に思いを馳せる暇はもちろん、男が姿勢を正しハンドガンを構える時間すらもジャンは与えなかった。
ジャンは侵入者に向かって走ると、躊躇なく踏み台にした。まるで神から与えられた男の役割が、ロイター板であると決めつけるかのように踏みにじり、ベルナールを抱えたまま窓から外に飛び出す。
「ギャアアアッ!!」
ジャンの言う抱っこの姿勢のまま、急降下による重力の変化を全身に感じたベルナールが悲鳴を上げる。数十年前に建てられたというアパートは4階建てで、彼らはその最上階を借りていた。こんなことならケチらずに、新しくて治安のいいところに部屋を取ればよかった…と、そんな悔恨の念を駆け巡らせていたベルナールの耳に、「ヨシッ…戻った!」というジャンの呟きが聞こえた。
わずか2秒にも満たない自由落下の強制体験の後、男二人地面に叩きつけられる…というベルナールの未来予想はやや外れた。ジャンは両足でしっかりと地上に降り立った。その衝撃で担がれたままのベルナールは鳩尾にいくばくかの打撃を感じて息を止める。
痛みに呻きながら「自分でぇ…歩くぅ!」と呟いたベルナールを抱えたまま、ジャンは機敏な動きで方向転換すると走りだした。
「もう少し我慢してくださいねえ!!」
そういつもの調子で返したジャンの背後では、彼らを狙った弾丸が街道の石畳に弾かれていた。銃を手に追ってきた男は、成人男性を抱えているとは思えない速さで走るジャンに驚きながらも、仲間を呼びよせて追跡を始めた。
ちょうど時を同じくした頃、ウィンドミューレン帝国帝都のカフェの個室では、二人の男が向き合っていた。
「いやぁ、随分と久しぶりになってしまいましたね。ご無沙汰してしまい申し訳ありません」
「ずっとご無沙汰でも構わんのだが…わざわざ俺の部下まで使って連絡してくるとは、どういうことだねリール君」
軽薄なくらいの笑顔で話すユベールと、それに苦み走った顔で返すシャルルは対照的な態度で相対していた。
「つれないですね、お義兄さんは。仲良くしましょう。いずれは家族になるんですから」
「そういう冗談が言いたいだけなら俺はもう帰るぞ」
軽いジャブを打ったつもりが、本格的に機嫌を損ねたシャルルの様子に「ああ、噂は本当か」と、ユベールが心の内で笑う。
「アディちゃんのお誕生会。今年は貴族だけではなく…資産家、学者、政治家。そういう類も呼ぶと聞きました。貴方の差配ですね」
「…君にそれが関係あるかね」
いきなり踏み込んできたユベールに、シャルルが探るような視線を送る。
「いえ、シャルル殿が国内に目を向けてくださったことは、コンフォート王国にとって幸いですよ」
「王国にとって、ね。君にとってではなくか?」
「もちろん、それもあります」
「わかってるじゃないか」とでも言うような笑みを浮かべる年下の男に、シャルルは不快感を隠さない。
「君と俺では目指すものが大分違うぞ。仲間扱いされるのは心外だ」
「ですが、貴方は理解している。これから何が重要になって…何が必要無くなるか。そんなことをね」
「若い者の考えていることなんぞ、俺にはわからんよ」と言いながら、シャルルは葉巻に火をつける。煙る視界に映る男の薄ら笑いは初めて会ったときと変わらないはずなのに、ひどく得体の知れない者を見たような、そんな印象を彼に与えた。
王国に帰って公爵位を継ぐ前に、幾らかの地盤固めを始めたい。その為には愛してやまない姪っ子の、大事な記念日すらも利用する。…そういうシャルルの姿勢を、この男は揶揄するでも受け入れるでもなく、ただ面白がって笑っている。
公爵家の後継で、しかし家には大した愛着を持たない。そこまではシャルルとユベールは似たもの同士であった。だがユベールには、守るべきものが何もない。築いてきた社会的地位にも一切固執せず、布に包んで大事に仕舞っておきたいような家族もいない。シャルルはそう感じていた。
「これは内緒なんですが、俺も国外にコネクションが出来たんです。アディちゃんのおかげでね」
バチンとウインクしながら話すユベールにいよいよウンザリして「内緒のことなら話さんでもいいが」と吐き捨てたシャルルに、これまたわざとらしくユベールが額に手を当てながら嘆くように言葉を続ける。
「いや。貴方はもう、事の渦中にいるんです。発端は俺たちの聖女様で、俺もシャルル殿もあの子を悲しませたくはない…そうでしょう?」
急所を確実に突いてくるユベールを、シャルルは睨みつけながらも葉巻の火を一旦消した。そしてユベールの話を聞いて、厄介なことだと内心で嘆くことになるのだった。
ベルナールを担いだまま、土地勘の無い街の路地裏を直走っていたジャンは、一旦大きな通りに出ようとして馬車に目の前を塞がれた。粗末な荷馬車は追跡者が使うものには見えなかったが、警戒して踵を返そうとしたジャンに御者席から手が差し出された。
「ジャン!乗れ!逃げるぞ!」
そう叫んで精一杯に伸ばされたのは、子供の手だった。
「モォー、お前足速すぎ!おかげで盗んだ馬車で走り出す羽目になっちゃったじゃん。あ〜胸が痛むよう!」
手綱をジャンに渡して大仰にクネクネしてみせた少年は、次の瞬間には思い出したように「あ、これ拾っといたから。中が無事かは知らないけど」と、荷台に押し込まれていたベルナールに彼の往診用の鞄を押し付けた。それを受け取って、こちらは物理的に胸を痛めていたベルナールが「グエ」と呻く。
「お義父さん大丈夫?」
「お前のお義父さんじゃねえよ!」
「あ、だいじょぶそだね」
黒い瞳を細めて笑う少年は、市井にいる同じ年頃の子供と似たような服装をしていた。だが腰のベルトには銃を挟んでいることを横目で確認して、ジャンが恐る恐る話しかける。
「えーっと、フィリップ 王子殿下ですよねぇ…」
「え〜ん!フィルって呼んでよう〜俺とお前の仲ジャン?」
「僕は王子殿下とは一回しか会ってなくないですかぁ?」
「寂しいこと言っちゃってサ、アタイら同じ星の仲間ジャン?」
肝心なことを確認しないまま無駄に続いた会話のラリーは、鞄の中身の大半が無事終了していることを確認したベルナールの、八つ当たり的なブチギレによって軌道修正された。
「つかお前!あいつらは何なんだよ!なんで俺らが狙われるんだ」
「えーっとねーうーんとねーボクわかんない!」
わかりやすくすっとぼけたフィリップのこめかみに、荷台から手を伸ばしたベルナールが両側からグリグリとゲンコツを当てて力を入れる。イタイイタイと暴れながらも「あ、次右ね」と道案内をするフィリップにジャンが尋ねる。
「殿下、どこに向かっているんですか?」
「うん、お前らをこの国から脱出させるために、俺の仲間のとこにね。安心してくれ。悪いようにはしない」
果たして信用していいものかとフィリップ に目線をやると、そんなジャンの心情を読み取ったように「どの道そうするしかないって、わかってるんだろ?」と嘯かれた。右も左もわからない国だが、ベルナールを守るだけならジャン一人でも問題なく出来るはずだ。ただ…。
「あの部屋の、あの感じは何なんですか?あんなのは初めてです」
アパートの部屋に近づいた時、ジャンは何か得体の知れないものに体の中を弄られるような、ひどい気持ちの悪さを覚えた。そして次の瞬間、全身から魔力が消えていくのを感じた。初めての感覚に動揺しながらも、部屋の中から人の気配がして自分の役目を思い出した彼は、ベルナールを抱えたままゾッとするような気配の満ちた部屋を大股で走り抜けた。この部屋に残ったら勝ち目はないと、本能が感じ取っていた。
一か八かで飛び降りて地上が近づいてきた時に、体の中に魔力が戻ってきたのを感じた。瞬時に魔力を巡らせて強化した体は、落下の衝撃に耐えてくれた。この時彼は心底、安心した。体に魔力が戻ったことに。同時に心底、失望した。恐怖に支配されて、一瞬でも仕事を忘れたことに。
かつての彼は恐ろしい魔獣相手にも、決して臆したことはなかった。瀕死の重傷を負った時すらも。だがあの部屋は、そんな彼の誇りを、自信を、丸ごと握りつぶすような恐怖を塗り込んだのだ。
「それについては後で話す。…お前はよくやってくれた。流石ヴォルテールの精鋭だな」
フィリップの手がぽんぽんと励ますようにジャンの背中を緩く叩くと、いつの間にか握りしめていたジャンの拳から力が抜けていった。荷台に隔離されたせいか、そんな空気を全く読みとっていないベルナールが不服そうに声を上げる。
「いやいや、俺はまだ帰らねえぞ。患者がいるからな」
医師としての矜持を主張する男に、今度はこちらかとフィリップは振り返る。
「それも大丈夫だよ。そっちにも協力者を送り込んじゃってるからね」
バチンとウインクをして笑ってみせたフィリップに、心底胡散臭いものを見るような、そんな視線を同乗者たちは送るのだった。




