今、万感の想いを込めてお見送り
アデライドは自分の罪を告白した夜から、特に大きな事件もなく過ごしていた。
シャルルは変わらず優しいままで、使用人たちにも何かと構い倒されて忙しく過ごし、帝国内で新しい年を迎えた。
「そう泣くな。またすぐ会いに行く」
「ズズッ…ウギッ、デモッ、ワダグジ、ザビジィ…」
別れの日は早足でやってきて、帝都の真新しく広い駅の構内でアデライドは耐えきれずに号泣していた。大きな体を屈めて頭を撫でていた手をその頬までおろして、アデライドの目を見ながらシャルルが慎重に言葉を選ぶように話し始めた。
「これはな、まだ決めたばかりだから言うつもりはなかったんだが…俺は国に帰ろうと思う」
アデライドが不思議そうに目を丸くするのを見て、シャルルはバツが悪そうに眉を下げる。
「ああ、言い方が悪かった。これではわかりにくいな…俺は帝国での職を辞して、コンフォート王国に、ヴォルテール公爵家に帰る。お前と、一緒に暮らせるようにな」
アデライドはますます目を丸くした。小さな目を限界まで開いたその顔には、まず驚きと、次に喜びが現れて爆発した。
「叔父様っ!叔父様っ!本当ですか!ワタクシッ、ズビッ、ウデジイ!!」
途中、鼻水の激流に阻まれたものの、溢れる歓喜を素直に伝えてくる姪の様子にシャルルも相好を崩した。
「こちらでの諸々を片付ける必要がある。すぐに帰れる訳ではないが…」
「デモッ、ワタクシッ、ウレシイッ!オジサマッ!イッショ!」
テンションがはち切れて混乱状態になったアデライドの、犬ライド的な必死さにシャルルが苦笑する。
「ああ、一緒に暮らせるな。それまで待てるか?」
「ハイッ!ワタクシッ!オジサマを!いつまでも!お待ちしております!」
令嬢として叩き込まれた貞淑さをどこかに置き忘れたような、犬々しいハッスル状態のアデライドに、シャルルは声を出して笑った。涙々のままに終わると思われた姪との別れは、一転して笑顔の弾けるものになった。
尻尾の代わりとでもいうように大きく手を振って、名残惜しげにアデライドは何度も振り返りながら去っていく。あまりにも立ち止まるので、しまいには護衛たちに回収されて持ち運ばれていく。「ハナシテクダサイマシィィ」と言う声が遠く聞こえなくなるまでシャルルも見送った。騒々しい犬令嬢が去り、自身も寂しさを纏わせるシャルルに、珍しくついてきたバジルが声をかける。
「まぁ随分と令嬢らしからぬ元気さですな。ですがね、年頃の娘の気持ちなど、すぐに移ろいますよ」
「なんだ、何が言いたいんだ…」
「いざあなたがあちらに帰ったときには、姪御様には良い人が出来ていて叔父なんぞどうでもよくなっている…なんて事になるかもしれませんよ」
「そんなことはない」と言おうとして、シャルルは老齢の執事の人生経験からくる言葉の、その重さに思い至って愕然とする。
「若い娘にとっては恋人が一番で、二番も三番も恋人なんて珍しくないですからなぁ。滅多に顔も見せない叔父など、忘れ去られた土手かぼちゃになるだけです。せいぜい急いで帰ることですな」
執事としてよりも長年見守ってきた人生の先輩の顔をしたバジルに、何も言い返せずにシャルルは慌てて仕事に向かうのだった。
「じぶんでっ!あるくぅぅぅ!!」
王国に帰ってしばらくした頃、アデライドは新たな困難に直面していた。
「自分で歩くの?じゃあまず立とうねぇ」
「イヤァァァァッ!」
「じゃあママが抱っこしようか?おんぶがいい?」
「ヤッ!!じぶんでっ、あるくぅぅぅっ!!」
自分で歩くという鋼のような意志を見せながらも、熊のぬいぐるみに似た姿勢のままテコでも動かない幼児を前に、アデライドは「エッ、アッ、ドウシマショ…アッ…」と、おろおろしながら見ているしかなかった。
王都に造られた駅の、大きく高い屋根に嵌められたガラス窓からは冬の曇天が覗いている。エントランスのタイル貼りの床は冷たいが、そこにお尻をべたんとつけたまま、ベルナールとペリーヌの娘であるルイーズは動かなかった。
「うーんママ困っちゃうなぁ」とつぶやくペリーヌの後ろから、ベルナールが顔を覗かせる。
「それじゃあパパは先に行っちゃうぞ〜?もうしばらく会えなくなっちゃうのに、ルゥはそれでもいいのなぁ?」
ベルナールの言葉を咀嚼するようにしばらく考えた幼児は、父親の顔を見ながら「…イイヨッ!」と短く答えた。自分から仕掛けた心理戦に敗北したパパことベルナールは、その言葉に甚大な打撃を受けた様子でヨロヨロとへたり込む…ところを、にゅっと現れた手に支えられた。
「アランさん!!これから最低でも数ヶ月は会えなくなる娘さんに、引き止めてもらえると思ったところを容赦無く突き放されてショックですかぁ!?この椅子グラグラするなぁと思いながらも騙し騙し使ってたらとうとう足が外れてしまって椅子ごと転がってしまったときみたいになってるじゃないですかぁ!!」
いかにも親切心という顔で、ベルナールを抱えたままのジャンが爆音の声掛けをする。
「ぐわっ!うるせえな!声がでけえし、話が長えんだよ!!」
「大丈夫ですヨォ⤴︎!僕ぁ対象者のお気持ちに寄り添った護衛を心がけてますからねぇ!まかせて安心ヴォルテール警備部ですヨォ!!」
「そういうのいらねぇから先行ってろ!」
全力で拒否して座り込むベルナールに、ジャンが少し考え込んでから困ったような顔で首を傾げる。
「どうしたんですかぁ!?まるでせっかく温めてたのに、ちょっと目を離していたらかえって溶かす前よりカッチカチになって、ちょっとずつ削り取って食べるしかないチーズみたいに固まってるじゃないですかぁ!?」
「長えし!うるせえし!そんなに上手い例えでもねぇ!!」
ベルナールの強めの返しに、ジャンも黙り込んでしまった。無神経系護衛として大音量を鳴らす彼でも、流石に堪えるところがあったのだろうかと皆が思ったとき、彼にしては小さい声で探るように問いかけてきた。
「まさか…抱っこorおんぶをご所望でしょうかぁ…?」
「そんな訳ねぇだろうが!!」
弾かれたように立ち上がって否定するベルナールを上から下までゆっくり眺めて、ジャンは顎に手を当てて考え込んでいる。
「うーん…出来なくもないですがねぇ⤵︎…」
「そんな訳がねえんだよ!!わかれよ!!!」
露ほども望んでいないサービスを勝手に検討された挙句ドン引きされる。そんな不名誉に晒されたベルナールは「じゃあ自分で歩きましょうねぇ!!」と、自称寄り添える男に引っ張られて再加熱したチーズのように伸びていたが、フィジカルの差は如何ともしがたく結局引きずられるように人混みの中に消えていった。
「パパ行っちゃったねぇ」と呑気に眺めていたペリーヌが、娘にまた声を掛ける。
「ルゥも行こっか?ママが抱っこするよ?」
ベルナールたちの騒々しいやり取りを目にして、ルイーズはポカンとしてしまい先程までの勢いがない。あやすなら今がチャンスと声を掛けるも、だが彼女の意思は強く固かった。
「じぶんでえええ!あるくうううう!」
Bメロからサビに入るように、再び魂のシャウトがこだました。
結局立ち上がらなかったルイーズは、てんやわんやの末にアデライドに抱っこされて父親を見送りにホームまでやって来た。最初は不安そうにしていたペリーヌは、フィジカルに物を言わせる公爵令嬢の安定感を見て「お姉ちゃんに抱っこしてもらえて良かったね」とニコニコとしている。
「娘たちが仲良しでパパは嬉しい!」と感涙するベルナールに対し、アデライドはいつものように「他人ですわ」と切り返すことが出来ないでいた。
彼が家族と別れて遠くケンプフェンまで行くきっかけを作ってしまったのは自分であるいう自責の念が、彼女の表情を暗くしていた。
アデライドが謁見してから間を空けず、ウィンドミューレン帝国の皇后陛下からヴォルテール公爵に、ケンプフェン王国の第一王子の治療に協力して欲しいと依頼があった。ベルナールを名指しするその要請に応える形で、彼は今日汽車に乗って彼の国を目指す。
なぜ帝国の皇后陛下がケンプフェンの第一王子にそのような配慮をするのか、アデライドにはわからない。だが自分が皇后に対し「協力をする」と安請け合いをしてしまったせいで、拒否しにくくなってしまったのはわかっていた。
「くれぐれも気をつけてくださいまし」
諸国の情勢は依然として緊迫している。そのためベルナールは家族を伴わず、単身で赴くことになった。ヴォルテール公爵家はその献身に報いるために、公爵家が抱える最高の能力を誇る護衛を、彼に付けることにした。
「大丈夫ですヨォお嬢様!このジャンがついておりますからねぇ!!」
「今のはあきらかに俺にだろうが!わかれよノンデリフィジカル!!」
「じゃあベルナールさんもご挨拶しましょうネェ⤴︎?」
「あやすんじゃねぇよ俺を!」
いちいち一悶着のターンを挟んでから、ジャンを押し退けて前に出てきたベルナールが、アデライドとルイーズの頭を一度に両手でわしわしと撫でる。
「二人とも良い子で待ってるんだぞ?長女もいいか?俺は大丈夫だから心配すんな。大人の決めたことを信じて待ってろ」
ベルナールの性格的に、こういう権力者の“頼み”という形をとった命令を忌み嫌っていたはずだ。断ってくれても自分がなんとかするつもりだった。だが彼は、こう言ってアデライドの負担を減らそうとしてくれている。自然と涙が出そうになったが、腕に抱えたルイーズの温もりに自分の責任を思い出し、アデライドは上を向いて宣言する。
「わかりました。ペリーヌとルイーズのことは、公爵家と…わたくしに任せてくださいまし!…ンビッ」
言うべきことをちゃんと言えたと思った途端に、タラッと鼻水が出てしまう。両手の塞がったアデライドに代わってペリーヌが鼻を拭いてくれた。それを恥ずかしがるべきなのにじんわり嬉しいと感じる自分は、子供じみていて卑怯だとアデライドは思う。本当の子供でもないのに、最近は身近な大人たちに甘えてばかりだ。
「おう!うちの子は二人ともお利口さんで、長女は頑張り屋さんだ。だから頼りにしてるけどな、お前だって子供なんだぞ。だからな…」
アデライドの目を見ながらゆっくりと話す今、その万感の想いを込めたベルナールの言葉をかき消すように汽笛が鳴った。
「なんだよもう!さっきから全部がうるせえな!俺は今からいいことを言うんだよぉ!!」
「もうお時間ですヨォ!そろそろお別れしましょうねぇ⤵︎!」
「だから!俺を!あやすんじゃねえ!」
肝心な所で邪魔をされて癇癪を起こすベルナールを、ジャンが再び引っ張っていく。黒い煙を吐き出す汽車に乗り込みながら、ベルナールが振り返る。
「いいか!アデライド!無理せずママの言うことを聞けよ!ルイーズもだぞ!」
動き始めた汽車の音に負けないように張り上げた声は、今度はアデライドに届いた。彼女が頷くのを確かめてから、今度は妻に声を掛ける。
「ペリーヌ、子供たちをよろしくな!」
「わかったよベル君!」
元気のいい返事に安心したのか、ベルナールはニカッと笑って手を振りながら、車内に飲み込まれていった。
汽車を見送ったアデライドたちはホームにしばらく佇んでいた。名残惜しいがその場を離れるために抱えていたルイーズをおろそうとしたアデライドは、彼女の手が自分のコートを握り込んで離さないことに気がついた。
「ねえルイーズ、ママと手を繋いで歩こう?そしたら駅前でリンゴのジュースが飲めるよ」
ペリーヌの提案に「じゅうちゅ…」と呟いた彼女は、その誘惑に折れると思われた。だがそれは、第二楽章の前のチューニングでしかなかった。
「じぶんでぇぇぇ!あるくぅぅぅぅ!」
アデライドにしがみついたまま絶叫する幼児は、髪も目も顔形も、すべてベルナールの要素で構成されていた。鳶色のまだパヤパヤと柔らかい髪を撫でながら、しばらく会えない彼のことを想う…余裕は彼女たちにはなく、泣き叫ぶルイーズを必死であやすことになったのだった。




