悪役たちの選択肢
『ダメですね。手を出す隙が見つからないです』
『は?マジで?』
『マジですよ』
『マジかよ!』
部下からの報告を受けた男は、態とらしいくらい大きな仕草で天を仰いだ。その拍子に足がテーブルとぶつかって、テーブルの上に置かれたペンやグラスが音を立てて倒れた。
『いや、あれは固いですよ。常にそこそこの人数が潜んで見張ってますし。特にビタ付きしてる二人なんて、若いのに結構なもんですよ。ウチの奴らなんかどうやったって気取られちまうんですから』
『さすがヴォルテール家ってやつかぁ?つか、あんなガキに大袈裟だな。普通にぶっさいじゃねえか』
『それ狙ってる側の言うことじゃないですよ』
『誰だよ帝国でなら楽勝で拐えるだろとか言ったやつ』
『あなたですよ』
部下から突きつけられた事実に『まじか!』と、男は再び椅子に座ったまま上半身をのけぞらせた。伸ばした足がまたぶつかって、テーブルに置かれたものが飛び跳ねるが、誰も手を伸ばすこともなくすべて床にバラバラと転がり落ちた。
『ヴォルテールの次男は帝国で唯一っていっていいくらい軍備の近代化に熱心ですし、ついでに潰しときたいんすけどねぇ。完全に気付かれちまってますわ。あっちのシマってこともあって、向こうから足取り探られないように逃げるので精一杯です』
『だっせぇ〜!完全に下手こいた!もうあれだ!劇場で拐えなかったの痛すぎ!!』
『坊ちゃんに荒事任せようっつうのが酷なんすよ』
へらりとしながら呟いた部下を男がギロリと睨んだ。
『いつまでも赤ん坊じゃねえんだ。働かせてなにが悪い』
“やっべ地雷かよ”と思いつつも、引っ込みがつかないまま部下の男は言葉を重ねる。
『いや…向いてないでしょうし…あ〜、それに将来のことを考えると、汚れ仕事は俺らに任せてもらった方がいいんじゃないかなって…ね』
しどろもどろになった部下に『そっかあ?』と、カラッとした答えが返ってくる。部下は安堵しつつもその理不尽さと自身のうかつさにほぞを噛む。お天気屋で機嫌をコロコロと変える主人に付き合うのはなかなかに骨が折れる。
『いやでもアイツはトロくせえんだよな。…童貞がよくねえな。治れば使えるようになるか?』
そういうこと言うから息子に嫌われるんすよ、とは流石に言えなかった部下は『…ッスネ』と吐息混じりの相槌で、お茶を濁すのだった。
_乙女の純愛は光となる_
王国歴898年。コンフォート王国は災禍に包まれていた
病、魔獣、戦争_
あらゆる災いに巻き込まれて苦しむ人々を救うため、神は地上に救いの光_聖女_を遣わした
_あなた(プレイヤー)は聖女となって、王都にある学園に通います
学園で出会う攻略対象者たちと協力して、人々を脅かす問題を解決していきましょう
そして、すべての不安が取り除かれたとき、
彼の心は_
あなた(プレイヤー)だけのものに
_あなたという光が、世界を救う_
異世界ロイヤルロマンス学園シミュレーションゲーム
…以上が、アデライドが前世でプレイした乙女ゲームの謳い文句だ。公式サイトで見せられる、イベントスチルと共に文字が流れていく系のムービーは、どこを切り取っても新鮮味の無い設定をざっくりと説明してくれる。
世間が大変な状態だと説明された後に、なんの脈絡もなく学園ものに着地させるシナリオライターの剛腕ぶりには若干の驚きはある。だがストーリー都合の指定校推薦はこの手のゲームのお約束なので、オタクたちには一定の納得感を与えていた。
聖女の通う学園には、一部を除く主要キャラクターが揃っている。アデライドも生徒の一員として通学していた。
その頃のことを、アデライドは巻き戻った今も覚えていると、そう思っていた。だが記憶は海の底に沈んだ貝の殻のように閉じていたのだと、彼女は夢の中で悟ることになった。
ゲームの一場面。場所は学園の廊下。季節はわからない。二人の女子生徒が対峙している。
金色の瞳に付与された涙のきらめきが、聖女の清らかな美しさを引き立てる。比べてアデライドの顔は、それを嘲笑するように醜く歪む。
「アデライド様、なんでそんなことをゆうんですか?」
聖女ジゼルの問いかけに、アデライドの心が叫んでいる_違う!違うの!わたくしだって本当はこんなことを言いたくないの!_と、だが彼女の唇が開いたとき、それはすべて違う音として耳に響くことになった。
「だって、あなたが聖女だなんて、どうかしているでしょう?卑しいお生まれの方は、そんなこともわからなくって?下々は下々に相応しい、貧相な場所に帰りなさいな」
「そんな…私も、私に協力してくれる人たちも、国民の皆さんを救うために一生懸命頑張っています。身分とか、関係ないです。それを、知って欲しいんです」
いよいよホロリと落ちた聖女の涙に、取り巻いていた生徒たちが息を呑む。容姿も声も振る舞いも、余すことなく可憐で健気なその様に、彼らは心酔していた。
「わかって欲しいって思うのは、そんなにダメなことですか?私は聖女だから、ぜいいんを救いたいんです!」
そう訴える彼女の周りには、いついかなるときも春の木漏れ日のような光が満ちている。スポットライトのようなそれに、引き寄せられるように人々も集まってくる。
「ヴォルテール公爵令嬢。このように人目につく場所で、なにをしている?」
メインヒーローであるラファエル王子の登場に、遠巻きにしていた生徒たちが安堵の息を吐くのが伝わってきた。
「聖女ジゼルに対する侮辱行為は、父なる神に対するそれと同等である…弁えるがいい」
無関心と軽蔑を、無駄なく端的に伝えた王子は、聖女の肩を抱いてその場から踵を返す。その王子の側には兄アベルの姿があった。攻略対象でもなく作劇上の役割もさしてないような彼に、スポットライトは当たらない。だがプレイヤーではないアデライドの視界には、その歪んだ笑みが確かに写っていた。
気まぐれに、また貝殻はぱかりと口を開いた。続く記憶がじわりと夢の中に溶け出して像を結ぶ。
場所はヴォルテール公爵家に変わった。プレイヤーの目に付かない、誰にも需要のない悪役の舞台裏にスポットが移る。
「お兄様…もうやめてくださいまし。なぜこんなことをなさるのです…」
「仕方ないだろ。お前が使えない女だからだよ。せめて、もう少し美しいか、何かの才があれば話は違ったんだがな」
地下牢の冷たい床の上で、アデライドが跪いている。ベルベットの生地が擦り切れてマダラになった赤いドレスに、涙が落ちて赤黒い模様を作る。そんな妹には目もくれず、アベルはランプの脇に置いた魔術書を見ながらペンを走らせる。
「わたくしが聖女様を侮辱し続ければ、公爵家の咎となりましょう。こんなことはもう、やめてくださいまし」
誰かを傷つけてしまうことが嫌だ_と、そんなことを訴えても聞いてくれはしない。そう考えたアデライドの言葉を、アベルは鼻で笑った。
「馬鹿馬鹿しい!ヴォルテール公爵家がお前の戯言程度のために揺らぐわけがない。僕が聖女様やラファエル殿下と懇意になれば、益々この家の権威は高まるのさ!だからお前は僕の駒として働いていればいいんだよ!」
そう言ってアベルは意気揚々と今完成させたばかりの魔法契約書を取り出した。そこに書かれた契約内容は“アデライドは聖女を罵り侮蔑すべし”というものだった。この絶望的なまでにくだらない契約を、彼女が結ばされるのは初めてではない。
魔法契約は契約書の内容や、術者の力量によって効力が安定しないことがある。アベルが魔術の知識に乏しく、アデライドの方がずっと魔力量が多いという要素の重なりにより、このくだらない契約の効果は長期間持続しなかった。効果が弱まったと感じると、アベルは妹をこの暗い地下牢に連れ出していた。この為に彼女の柔らかな二の腕は幾度も傷つけられ、自らを縛る魔法の縄となる血を滴らせていた。
窓のない部屋でアデライドの頬を風が撫でる。ああ、また、止められなかった…そう絶望した彼女を新たな契約が縛りつけるのだった。
「嫌っ!」
夜半、自分の叫びで陰鬱な夢から帰還したアデライドは、呆然と客間の天井を見上げていた。
かつての記憶を垣間見た恐怖からの解放は、安堵を与えるかと思われた。だがしかし、彼女を襲ったのは、夢以上の恐怖だった。
巻き戻し前、兄に強いられてとはいえ、自分は聖女を傷つけていた。その言い訳はできない。その事実も彼女を追い詰めるのに十分だったが、それ以上に絶望的なことがあった。
巻き戻し後、自分は何をした?
プルストに、魔法契約を、無理矢理結ばせた…。
自分の意思を奪われるということが、あれほどの屈辱を、悲しみを、絶望を、感じさせるものだと経験しておいて尚、自分も同じ魔法を使った。
押し寄せてくる強い後悔の念に突き動かされるように、彼女はのそりとベッドを抜け出してふらふらと歩き出した。
「雪か…」
寝酒が効いて執務室でウトウトとしてしまったシャルルは、自室のベッドに向かう為に廊下を歩いていた。いつのまにか積もった雪が白く輝いて、室内も思いの外明るく照らしていた。そんな中、廊下の端に黒い塊を見つけてギョッとした彼は、それが姪であることに気付き、咄嗟に「どうした?」と呼びかけた。
覗き込んだアデライドの顔は青白く、再びギョッとしたシャルルは元来た道を引き返し、彼女を執務室のソファに座らせた。
「わたくしは…本当の悪役なのです」
ブランケットを掛け、背中を摩り、辛抱強く待った末にでた言葉がそれだった。世間では聖女と見做される姪の自己評価に「なぜそう思うんだ?」とシャルルは問う。だがアデライドは、まるで告解して赦しを得ることを厭うように口を引き結んで唇を噛む。これは難しいなと考えたシャルルは切り口を探す。
「…悪役か。お前は何か、悪いことをしてしまった訳だな」
頷いたアデライドを見て、反応があるならチャンスはあるなとシャルルは姪の隣に座って肩を引き寄せる。こんな風に生かすことになるとは思わなかったと、経験値をくれた過去の女性たちに懺悔しながら、優しく耳に届くように囁く。
「お前のいま思うことを、俺も知りたいんだ。話してくれないか?」
びくりと震えてた肩は、しかし拒絶をしない。決して急かさず、ただ滑らかな黒髪を撫でていると、しゃくり上げる音が聞こえて来た。
「俺はお前が大好きで、嫌いになることは絶対ないぞ」
「…そんなこと、ズビッ、わがりまぜんわ」
涙が抑えられなくなったアデライドに、手近にあったポケットチーフを渡す。
「たとえお前が悪人であっても、俺にとって大事な家族であることは変わらんよ」
「ンビッ…おじざま…ば…、おやざじいがら…ブビッ」
「おゝ、優しい叔父に全部任せろ」
ぽんぽんと自分の頭を叩く叔父に答えるように、アデライドはポツポツと話し始めた。
夜が明けて、シャルルの姿を探し執務室のドアを開けたバジルは、ソファに盛り上がったブランケットを見つけて顔を顰めた。グレーのもこもことした塊となったそれは、ズビズビと音を立てつつもよく眠っているらしい。
「このご年齢で夜泣きでもなさったんですか?うちの末の孫でも、もう一人で眠りますがね」
心底呆れたという様子で「侍女を呼びますからね」と続けたバジルに、止めるかと思われたシャルルは「それならついでに侍従の方も呼んでくれ…確かめたいことがある」と答えた。何か考え込んでいるような主人の言葉に、訝しげにしながらもバジルはすぐ従い、部屋を出ていった。
また二人きりになった部屋で、グレーのブランケットに包まれたアデライドだけがモゾモゾと動いていた。彼女はその後、氷から落ちる海洋哺乳類のようにソファから落下してシャルルを慌てさせることになった。
「なんだお前、本当に帰ってきたのか」
叔父から掛けられた第一声に、ランベールの眉間に皺が寄る。
年末、乗合馬車の寒風吹き荒ぶ屋上席で揺れと寒さに耐えながら帰省した甥に向けるには、淡白すぎる反応に見えた。[1]
「今年は王都の晩餐会に参加せず帰省すると、手紙を送ったはずですが」
「ああ、ヴォルテールのお嬢様に今年は振られたんだったなぁ。それじゃあ帰ってくるしかないか」[2]
笑いを狙ったというわけでもなくただ淡々と失礼な言葉運びで真実を口にする叔父に、ランベールが言い返そうとしたところでドアが大きい音を立てて開いた。
「うっわ!ホントにいる!」
こちらも失礼な第一声とともに従兄弟のニコラが飛び込んできた。
「森の爺さんたちがさぁ、“坊ちゃんが帰って来たみたいだけえが、アディちゃんは連れて来ちゃあないだかしん?”( 訳:坊ちゃんが帰って来たのに、アディちゃんの姿が見えませんがどうしましたか?隠すようなら容赦はしません) とかしつこくって、俺逃げて来たんだけど!」
身内による失礼な事実の陳列が止まらないことに、いよいよ渋面しながらランベールは後悔を募らせていた。[3]
脚注___________________________________
[1] 屋上席は馬車の二階席みたいな場所で、わりと危険が危ない感じの席。そしてお安い。長時間安い座席に揺られる事になったのは、ランベールが仕送りを使い込んでいた為である。
[2]晩餐会に参加する服がないと思われている。本人は礼服の経年劣化と向き合っていない。
[3]割と全部自分のせい




