Category:聖女
その報告を受けたとき、シャルルの中では妙に腹落ちするものがあった。だが、だからといって腹が立たない訳ではなかった。
『アデライド様に声を掛けたという少年ですが、バラード・フォン・ケンプフェンの息子のフランツでしょう』
部下であるヘンケルからの報告に、シャルルは鬱屈とした気持ちを体内から押し出す様に息を吐く。
バラードはケンプフェンの第二王子であった。だが第一王子は病に犯されて随分前からベッドの上という。その為ケンプフェンの王太子はバラードになるというのが大方の見方だった。
『向こうからすれば、バレたところで構わないというところでしょうか』
シャルルの苛立ちを見て取ったヘンケルがわざわざそう口にする。それに『わかっている』と、短く返す。
姪を拐かそうとした不逞の輩である。シャルルは見つけたら殴り付けてやりたいと思っていたが、ケンプフェン王国の王族ともなればそうはいかない。かの王子は血の気の多さで有名だ。この緊迫した情勢下で揉め事を起こせば、きっと彼の思う壺である。
『なぜアデライド様を狙ったかということですが…』
『大体わかっている。コンフォート王国の”聖女“が欲しかったのだろう』
苦虫を噛み潰す様な顔で自分の言葉を遮ったシャルルに、ヘンケルが心の中で苦笑する。この上官の姪贔屓は、ここ数日で知らないものは無いのではという程に知れ渡っていた。
『信仰心を利用してやろうという腹積りだろう。くだらん』
吐き捨てるように言うシャルルは、コンフォート王国の生まれであっても信仰心は薄かった。しかし、様々な災厄から人々を救う力を持つと伝えられる聖女は、なにより国民の心の拠り所となっている。
それを奪うということは、コンフォート王国への宣戦布告のようなものだ。最初は小さな火種であっても、周辺諸国を巻き込んだ戦争に発展しかねない。
『奴らはまだ滞在しているのだろう?悪いがもう少し調べてくれ』
『承知いたしました』
部下の出ていった部屋で胸中の苛立ちを抑え込み仕事に切り替えようとしたシャルルは、だが新たな訪問者の立てるノックの音に集中できないまま入室を許可した。
「叔父様!おかえりなさいませ!」
帰宅したシャルルをアデライドはこれ以上ないくらいの笑顔で出迎えた。「よくもまぁ飽きもせずに」と、執事のバジルはその様子を横目で眺める。
彼女が来て早1週間。長くも短いこの期間、毎日まっすぐに帰宅するようになったシャルルを、この少女はソワソワと待ち続ける。まるで犬っころのようだとバジルは思うが、彼の主人は今、それはそれは機嫌良くその犬の頭を撫でている。
シャルルだけでなく、他の使用人たちもこの犬っころに何かと構うようになった。彼らも一様に「さすが叔父様の選んだ方たちですわ!皆様ご親切ですのね!」などと言われてご満悦である。
実際に選んだのは自分だが…と思いつつも、一人変わらず過ごすバジルは、犬っころの残りの滞在期間を指折り数える。そして、この子がいなくなった後も、今ある温かい雰囲気が少しでも影響を残すようにと、願うのだ。
お出迎えのハイテンションから犬ライドになっていたアデライドが落ち着いたのを見て、シャルルはバジルにコートを預けながら話す。
「今日はお前に話さなければならんことがある…夕食後に俺の執務室に来てくれ」
「そんなこと言わなくても毎日来てるでしょうに」と思うバジルをよそに、アデライドが小さな瞳を目一杯開いて瞬かせる。
「なにかございまして?」
「いや…それより今日の夕食はお前の好物を作る様にと、シェフに言付けておいたのだが」
「誤魔化すのが下手なうえに、甘やかしすぎでしょうに」とバジルは心の中で、忙しくツッコむ羽目になった。
「はい!好きなものを聞かれましたので、叔父様がお好みの物を作ってくださいますようお願い致しましたわ」
「なぜ?」と、シャルルの言うこととバジルの内心が初めて一致した。
「叔父様がお好きな物を知って、それをわたくしも好きになれば、お食事の時間がもっと楽しくなるかしらと思いましたの」
「何だそれは…」と同じことを思いながらも、テンションの高低差は天と地ほど離れた主従二人を前に、アデライドなのか犬ライドなのかわからない少女は、見えない尻尾をブンブンと振り続けていた。
夕食後、約束通りシャルルの執務室を訪れたアデライドは面食らったように呟いた。
「聖女様ですか?エッ?わたくしが…?それは…滅相もございませんわ。恐れ多くてとてもそんな…」
「お前は薬や病院を作ったり、魔獣の森に行ったりと、色々しているだろう?それでな、お前が聖女ではないのかと、噂をする者がいるのだ」
「まぁ…」と呟いたアデライドは、淹れてもらった紅茶の水面に映った自分の顔を見て眉を下げた。我ながらマヌケな顔だと落ち込みながら、ずいぶんと久しぶりに聖女ジゼルの容貌を思い起こした。
ふわふわの金の髪、蜂蜜を溶かした様に甘く煌めく大きな瞳、化粧っ気はないのに透き通る様な肌と、桃色に色付いた薄い唇…周囲の空間をも柔らかく照らすような透明感のある極めて美しい容姿。そこに華奢で薄い体に平均よりやや低い背丈が合わさり、何処にいても目を惹かれるような少女だった。
翻ってアデライドは、髪カタメ毛量マシマシ身長体重もダブルでマシマシである。そこに目は小さめで唇は分厚く中央には団子鼻が鎮座するフルマヌケフェイスがくっついている。徹底してマヌケさを貫いた容姿は、ただ体積の巨大さだけで人々の目を引いた。
見た目だけではない。聖女はレベルを上げても体力より魔力が増え、魔法も回復系が主であるので、支えてあげたくなる様な儚さはオールウェイズ提供され続ける。比べてアデライドは、モリモリ食べているせいかフィジカルに対する信頼感が最近なんかすごくてやばい。健康優良悪役令嬢である。
ついため息が出てしまったがそこでもプスリという音が出て、いちいちすべてがマヌケに仕上がっていることにアデライドは自分で驚いていた。
「わかっている。おまえはそんなものでは無いと言うのだろう?俺も折に触れてそう伝えてはいたのだがな…」
そんな彼女の様子を見て、シャルルが慮るように声を掛ける。そして化粧箱を取り出すとアデライドに開けるように促した。何かひどく高級そうな箱を恐る恐る開いたアデライドは、驚いて声をあげそうになった。そこにはとろりとしたライトイエローが美しい、大きな宝石のブローチが入っていた。
「皇后陛下が、お前と話をしたいそうだ。“聖女”の話を聞きたいと。…俺は何度も断った。お前はまだ子供であるしな。それにこの国に一時滞在しているだけで、皇后陛下に謁見できるような用意はしていないと。するとそれを寄越された。イエローダイヤモンドだそうだ…皇家の好まれる色だな」
「あの、これは、一時的にお借りするだけですわよね…?」
「皇家のプライドがある。一度渡した物を返せとは言わないだろう」
プルプルと震えていたアデライドはそれを聞いてガクガクと揺れ始めた。そんな彼女の前にシャルルは膝をつき目線を合わせて手を握る。
「俺も付き添うことを申し出たが断られてしまった。だが、何を言ったとしても不問とすることだけは約束してくれた。だから、アデライド…」
皇后陛下は実質的なこの国の支配者であり、巷では“女帝”と呼ばれる存在だ。そんな方を相手にシャルルは、何度も断りを入れたりと限界まで交渉してくれたのだ。その気持ちに応えたいアデライドは、叔父に皆まで言わせなかった。
「わたくし、陛下と、お話しして参りますワァァァ!」
様々な意味で帝都の中心である宮殿を、ほんの少し前まで観光客よろしく「マァ、キレイ」と遠くから眺めていたアデライドは、この日その内部に招かれていた。近くで見る歴史的な建造物群は巨大で物々しく、「ここがわたくしの最期を迎える場所ですのね…」と呑まれているアデライドの肩をシャルルがガシリと掴んだ。
「いいか、俺はここで待つが…何かあれば必ず迎えに行くからな」
シャルルの力強い言葉に頷いたアデライドは、静かに待っていた案内人に促されて広い廊下を歩き出した。
案内された茶会の席は、温室の中に用意されていた。温室自体はコンフォート王国の王宮にも存在していたが、帝国のそれは規模が違った。複数存在する温室はそれぞれが違う温度で管理されており、様々な植物が生い茂る状態にアデライドは圧倒されていた。
壁面はもちろん、ヤシの木が背を伸ばしても届かないほどに高い天井もすべてガラス窓で覆われている部屋には、いま冬の日には珍しいほど強い太陽の光が降り注いでいた。
『突然の呼び立てにも関わらず、よく来てくれましたね、ヴォルテール公爵令嬢。ウィンドミューレン帝国皇后、エーレンフリーダ・フォン・ウィンドミューレンの名において、心より感謝を贈ります』
『アデライド・ド・ヴォルテールにございます。このたびのお言葉、身に余る光栄に存じます』
先に席に着いていた二人の女性のうち、深いブラウンの長い髪を結い上げた女性が口を開いた。中年女性特有の落ち着いた声音は、だが威厳をもって耳朶を打ちアデライドは即座に膝を折り首を垂れる。緊張に身体をこわばらせた彼女の耳に、今度は鈴の鳴るような若い女性の声が届いた。
『まぁ、お二人とも!今日は公式な場ではないのでしょう?そんな挨拶は堅苦しくっていけないわ』
『およしなさいドラリーナ。そのような物言い、ヴォルテール公爵令嬢に失礼ですよ』
『元々お母様がよろしくないのだわ。あんな風にお声を掛けて、聖女様がお気の毒でしょうに!』
『あら…そうかしら?』
『そうですわ。もうお母様ったら、随分とうっかりしてらっしゃるのね』
高貴な女性二人が、うっすらとした内輪揉めからの和解までを披露してアラアラウフフと笑い合うのを、アデライドはカーテシーの姿勢のまま、下半身の筋肉にかかる負荷を感じながら聞いていた。そして体幹が程よく鍛えられたころ、アデライドはようやく若い女性を紹介された。ドラリーナ・フォン・ウィンドミューレンは女帝の娘で皇女である。愛嬌のある気さくな物言いと、好奇心に満ちた濃紺の瞳が印象的な女性だった。
アデライドは大帝国の皇后&皇女とテーブルを囲むことになってしまった。前世でうっかりクラスの一軍女子たちと同じ班になった時も気まずくて辛かったが、すべてのレベルがそれの比ではない。世界の一軍女子から、もしかしたら“聖女”を騙った不届き者として処される可能性すらある。アデライドは背中に汗が伝わるのを感じながら、いかにこの場を切り抜けるかを忙しなく考え始めた。




