Do lt センシティブ
ウィンドミューレン帝国で過ごす間、アデライドとそのお供たちはシャルルの邸宅に滞在することになった。将官へ昇進した際に購入したという一軒家に初めて通されたアデライドは、玄関ホールでしばらく周囲を見回した後、一点を見つめながら黙り込んでしまった。
また何か騒ぐのではと警戒していたシャルルは、そういえばこの少女は公爵令嬢であったのだと思い出していた。王都の公爵邸に比べれば慎ましいサイズの家に呆れているのだろうかと訝しんだとき、アデライドの口から唸るような声が出た。
「叔父様…時折で結構ですので、お子様たちに会いに来てもよろしいですか?」
「俺に子はいないし、まだ予定もない」
矢継ぎ早な否定にも臆した様子はなく、「でもわたくしには“見える”のです」とアデライドが見上げてくる。
「お嬢様!子供の幽霊でも見えましたか!?」
「きっ君ぃ!それはっ、あのっ、水子的な属性の?!…君ぃっ?!」
直球発言を投げつけるポールと、それを危険球と判定しつつも動揺から自分も大暴投してしまったジャンのやたらデカい声が響き渡る。
後ろ暗いところはいくらかあったが、その辺は上手くやっていたはずだと内心冷や汗をかくシャルルに、女性のみならず男性使用人からも厳しい視線が注がれた。少数でも優秀なものをと、語学に堪能な者たちを雇い入れた弊害がここに来て顕著に出たのだ。
こうして到着直後にシャルルの信用を確実に失墜せしめたアデライドは、明後日の方向を見つめながら語りはじめた。
「帝都は今、建築ラッシュに沸き、地価は上昇を続けております。この華やかな大都市は、しかし外国人の叔父様にとっては、さぞかし厳しい戦場であったことでしょう。叔父様の努力、挑戦、誠実…そういうものの結実を、わたくしは今この場に“見た”のです」
一択言葉を区切り、くるりと振り返ってみせたアデライドの目には信頼の火が灯っていた。
「叔父様のそういった尊いご意志はこの地に根付いております。プログレッシブな姿勢で挑んだ異郷のステージ。叔父様のソウルフルなリフは硬直した時代に新たなシーンを呼び覚ましますわ!そのインパクトはエモーショナルなうねりとなってこのアーバンシティを巻き込み…やがてそのご意志を受け継ぐ“チルドレン”達を生み出すのですわ!」
アデライドの熱弁にプルスト親子が拍手を贈る。語学力があっても理解出来ない言葉はあると“理解ら”された現地使用人たちもそれに乗ったことで、拍手のビートが乱れたが、アデライドの主張はなおも続いていた。
「ですが…この叔父様の生んだニュースタンダードを受け入れがたいと思ってしまう…それが今のわたくしなのです」
「すまんがさっぱり意味がわからん」
その場の多数意見を代弁するシャルルに、プルストが静かに歩み寄る。
「失礼ながら…お嬢様は閣下がこの帝国で確固たる地位を築かれたことに深く感銘を受けておられます。しかし同時にそれはこの地に根付いてしまうことを意味し…王国へはもうお戻りになられないのではと、悲しんでおられるのです」
「そう!そんな感じですわ!」
情熱が先行して結論を見失いかけていたアデライドは、それを綺麗に拾い上げてくれたプルストに安堵して笑顔を向ける。その光景から生じた不快感は、本来プライドの高いシャルルに膝を折らせた。
「お前はここに来たばかりだ。もっと楽しい事を考えればいい。帝都は娯楽も多い。俺もいくらか付き合ってやれると思う」
「でも叔父様はお仕事もありますし、わたくしご負担をお掛けしたくはありませんわ…」
目線を合わせて語りかけた姪の表情は、眉を下げたまま決して晴れない。焦燥感がさらに彼から譲歩を引き出した。
「毎日早めに帰る…お前がいる間は、なるべく家で食事をしよう」
「…よろしいのですか?」
恐る恐るというふうに尋ねるアデライドに頷くと、ようやく求めていた笑顔が返ってきた。それが侍従に向けたものより喜びに輝いていることを確認して、シャルルは密かな優越感に満足した。
アデライドも彼自身も、ここで王国に帰ると明言しなかったことに気付かないまま、未来の予定は宙ぶらりんの状態で先送りにされるのだった。
「おやおや、どうしたことでしょう?まるで奥様も貰わないうちにお嬢様を授かったようではありませんか」
「…大きな声を出すな。目を覚ましてしまう」
自室での書類仕事をこなすシャルルの元に、執事を務めるバジルがやって来てわざとらしくため息を吐く。彼の目の前ではソファに座ったままのアデライドがすうすうと規則正しい寝息を立てていた。
「むしろ起こすべきでしょう。侍女を呼びますよ」
「そのままでいい。今日は長旅で疲れたのだろう」
いよいよ呆れたという様子を隠さないバジルから、シャルルはきまり悪そうに目を逸らす。
バジルは元々はヴォルテール公爵家に仕える家令であった。幼少期からシャルルを知っている彼は「あなたから給金などいただきません」と訳の分からないことを言い張りながら、勝手にこの国までやってきた。シャルルにとっては絶対的な味方であると同時に、容赦のない批評家として常にお小言の雨を降らしてくる厄介な相手であった。
「プルストの倅が心酔する令嬢が…はぁ、随分幸せそうに眠っておられますなぁ」
プルストの父とも同僚であった老齢の執事は、アデライドの手元に開かれている手帳に目を留めた。
「“激推し!叔父様スペシャルまるわかりBOOK”?なんですかこれは。珍妙な」
「確かに変わっているが…害はない」
少しも目を合わせようとしないシャルルは、だが決して姪に関して譲る気はないらしい。何がそうさせるのかバジルには理解はできないが、この主人が強情なのはいつものことだと思い直す。
「姪御様になど構うよりも、ご自身の子を儲けることを考えていただきたいものですな」
ままごとのような擬似親子関係に、いつまで続くことかと呆れながら苦言だけは投げ付けておく。だが老人はたった3日で、この言葉を覆すことになった。
「アデライド様にはこの国でお相手を見繕って結婚していただきましょう」
「…急にどうした?」
アデライドが来て初めての週末、早めに帰宅したシャルルは、老執事から出し抜けに掛けられた言葉に眉を寄せた。
「いやいや、週末のこの時間にシャルル様が帰られるとは…正直に申しますと、ここまで誠実に約束を守られるとは思いませんで。アデライド様には引き続き監視…いえ、観察ですかね。続けていただきましょう」
割と直截に普段の生活態度を揶揄されて、気まずさにシャルルの顔が歪む。文字通り独身貴族の彼は、“付き合い”と称して酒や女性との時間を楽しむことが多かった。今までそれに罪悪感などなく、周囲も何か思うところがあるようには見えなかった。
しかし姪が来てから、心なしか他の使用人たちも以前よりジッと監視してくるようになった。姪の手帳が黒々とした書き込みに満たされてきたことときっと無関係ではないだろうが、シャルルはあえて考えないようにした。
そのとき遠慮がちなノックの音が響き、アデライドがドアから顔を覗かせた。いつもよりめかし込んで彼の帰りを待っていたらしい彼女に笑顔を向けて、シャルルは過去のあれこれについて考えるのをやめた。
現在、帝都ではかつて聳え立っていた市壁が時代の変化により徹去され、その跡地に様々な建物が作られている。この週末、そのひとつである劇場のこけら落としに招待されたシャルルは、ここでもアデライドの手を引いていた。
仲が良いと目を細める者がいる一方、過保護すぎると陰口を叩く者もいたが、シャルルはそんなことを気にする謂れも余裕もなかった。
なぜなら、うかつに目を離すとホーミング布教令嬢としてターゲットを自動追尾し始めてしまうのだ。その初速は深窓の令嬢とは思えないもので、追いつけないシャルルは自然と手を差し出すようになった。それをアデライドはニコニコとしながら握っている。
そんな手間のかかる姪は、真新しい劇場の美しさに目を引かれている様子だ。だが気まぐれに言葉を掛けてみると、覿面に喜んで今度はこちらの方ばかり見上げてくる。この姪のことを、シャルルは自分で思う以上に可愛がっていた。その証拠ともいえるように、年末のイベント事でのシャルルのパートナーは、すべて彼女に置き換わっていた。
「わたくしこんな素敵な劇場も、歌劇を見るのも初めてですの。楽しみですわ」
アデライドの言葉にシャルルは息を呑んだ。
ウィンドミューレン帝国では格式高い芸術としての歌劇が人気だが、コンフォート王国ではそれ以外にもカジュアルでコメディタッチなものまであり、より多くより広い層にまで普及している。その王国の公爵家の令嬢が、歌劇の一つも見たことがないなどとにわかには信じ難い。
「親父め」と、内心で彼は苛立ちを実父にぶつけた。少し関わっただけの叔父をひたむきに見つめてくる少女の、この一途さがどこから来たのか。ヒントは彼女自身の口からポロポロとこぼれ出てくる。シャルルは脳裏のメモ帳に、怒りと共にそれを書きつけるのだった。
同じとき、同じ劇場に、もう1人アデライドと同じ年齢の子供がいた。少年は目の端に認めたアデライドの姿を、周囲に悟られないように追いかけている。_ああ、彼女が…あの国の聖女かと、そう気がついた彼は自分の思考に沈んでいった。
大陸にひしめき合う近隣国が皆同じ神を信仰する中、少し毛色の違う伝説を聖典に混ぜ込んでしまった国がある。
そこでは、神と、その使いである聖なる少女を、共に信仰の対象としている。ただの伝説ではなく、時代を超えて降臨すると云われるその少女は、国民の中から現れる…らしい。
胡散臭いという気持ちがないわけでは無い。だが信仰を捧げる多くの国民達にとってそれは事実であるのだから、敬意を持って接する必要はあるだろう。
いま彼女は終始、蕩けるような笑顔を浮かべている。艶々として豊かな髪、キラキラと輝く瞳、ふっくらとした柔らかそうな頬、そういったすべてが愛情を糧に作られているように見えた。自身が満ち満ちているからこそ、周囲にも愛を振り撒けるのだろうか。それとも、神の御使いの心中は、人の道理でなどでは量れないものなのか。
「あれが”聖女“か?なんだ、どこも美しくもないな!そこらの平民にも劣るではないか!」
物思いに耽る少年を叩き起こすかのように、頭の上から野太い声が響く。あまりに下世話で配慮を欠く物言いに、不快感を抱かずにはいられない。だが、それを悟られてはならないと、咄嗟に笑みを浮かべる。これが、この男のような有様が、自分の住む世界の標準なのだと、少年は知っていた。
「突出した容貌を与えないことで、親しみを抱きやすくしているのかもしれません」
内心を、世界の標準に沿うような言葉にする。男の、父の視線が見下ろしてくる。
_賢しらなことを言う_と、その目は言っていた。歩み寄ってみせても、気に触ることに大して変わりはないらしいと、少年の落胆もまた深く濃くなる。
慈愛よりも粗暴を、与えるのではなく簒奪を。信頼は、情ではなく、力によって成り立つ。
彼の周囲の世界はそういう風に出来ている。あまりにも動物的であるが故に、それは強固だった。この命と一生を捧げたくらいで変わるようなものではないだろうと、諦観に似た気持ちが少年を満たす。
「普通の人間であるなら、いくらでもやりようがあるだろう」
原始的な価値観を持つからといって、賢くないわけではない。否、嫌になるくらいに、悪知恵は働く。_お前に出来るすべてでもって、神の使いを地に堕とせ_父の目がそう言っているのを彼は理解した。そして少年はまた、望みを少し捨て去った。
世界はいつも残酷で救いはない。その事実は、生まれに関係なくすべての人間に降り注ぐ。命のある限り、人の業は人に仇をなすのだ、と。




