イライラ・ライライ・ライラック
「やめろ、なんだその目は」
誕生会が終わり来客たちのいなくなったヴォルテール公爵家の玄関ホールでは、帰り支度を整えたシャルルをアデライドが見上げていた。
「だってもう帰ってしまわれるなんて…」
「仕事があるのだから仕方がないだろう」
うるうるとした目を向けてくるアデライドから視線を逸らしたシャルルは、懐からおもむろに三つ折りにされた紙を出すと「おい、護衛の」と背後のポールにそれを投げるように渡した。
「魔法省登録機関による検査報告書ですね!魔術反応はネガティブだそうです!」
ポールがそれを読み上げると、きょとんとしたアデライドにシャルルは小さい化粧箱を渡した。
「叔父様…これは」
アデライドが箱を開けみると、アメジストでライラックを模った髪飾りが入っていた。
「あー…よく考えたらお前の誕生花とは違ったな。俺が選んだから気に食わんかもしれんが、その、まぁ…なぜ泣く!!」
箱を持ったまま滂沱するアデライドに心底驚いてシャルルは本格的に狼狽えた。
「ングッ、おじざまっ、ドゥビッ、ありがッ、ドゥイッ、ございまずっ、ンビッ」
パメラが復旧を急いでも崩壊がおさまらない顔で、アデライドは懸命に礼を言う。その様に素直に引いたシャルルは「お前は何かあるたびにそうなるのか」と、呆れたように呟いた。
「列車の時間があるからな、俺はもう行くが…お前は鉄道を利用したことがないのか?」
叔父の問いにアデライドは頷く。巻き戻し前も今回も、アデライドは列車に乗ったことがない。特に巻き戻し前の移動は馬車に乗せられるのがほとんどで、歩くことすらあまりなかった。
「今日は無理だが、今度はお前も帝国まで来るといい。列車にも慣れないとな。これからはあれが移動手段の主軸となるぞ」
「まぁ!それは楽しそうですわ!」と、今泣いたアデライドがもう笑ったのを見て、「そしたら帝国で見合いでもするか」と揶揄うようにシャルルが水を差す。
「…ワタクシッ、ランベールせんせえとけっこんしますワァァァ!」
「それは今でもやるんだな」
少しのロード時間の後に、初めて話したときと同じように叫んだアデライドを見て、シャルルが笑った。アデライドが初めて見る屈託のない笑みだった。
「次に帰ったときは、その“ランベール先生”とも会うとするか。今度はお前の相手として相応しいか、ちゃんと見極めてやるとしよう」
「叔父様、こんなことを申し上げるのは失礼かもしれませんが…」
機嫌良く話していたシャルルは何か言い淀む姪に、不思議そうにするだけで気を咎めた風もない。そこでアデライドは決意を固めるようにグッと手を握りしめて話し始めた。
「叔父様の笑顔はとても可愛らしいと思いますわ!」
「…はぁ?」
「叔父様はこう、見た目がいかつ…逞しくてらっしゃいますから、その分どうしても近寄り難い雰囲気が出てしまいます!しかし、しかしですよ、そこでこう笑顔になることで、アッ笑うと幼く見えて可愛らしいんダナッというような、ギャップが生じるのですわ!」
生涯向けられたことのない形容詞を当て嵌められて、心底意味がわからないと短い感嘆詞を漏らした彼を、徹底的に無視したアデライドが熱心に自説を展開する。
「不肖このアデライド!姪として、妹として、叔父様のこうした強みを、この国だけでなく、帝国全土にも伝えていきたい!そのために全身全霊でもって情報発信をしていく役割を、わたくしに与えていただきたいのです!」
「やめろ!!何がどうなったんだ、お前は?!」
アデライドの脳内では巻き戻し前のことが思い返されていた。彼女が18歳になっても叔父が結婚したと聞くことはなかった。いくら疎遠であってもそういうデカめの慶事は耳に入るはずなので、叔父は結婚をしていなかったことになる。前回はともかく、今回は跡取りなので結婚は必ずしなければならないだろう。
今の叔父はアデライドの見合いのことばかり考えて自分のことを後回しにしていると、そう脳内で変換した彼女は“シャルル叔父様の魅力PR大使”に立候補してしまった。
「広く周知する機会を持てば、叔父様の可愛らしさは必ず伝わります!わたくしはそのお手伝いをしたい!みなさま、どうかご協力をお願い致します!」
玄関ホールから響いた立候補者の演説に、使用人たちの拍手がパラパラと返ってくる。
「自分には全然わかりません!」
「まずは、知っていただく。そこから始めますわ!」
「頑張ってください!応援してます!」
「ありがとう!必ず皆さまに叔父様の魅力をお届けしますわ!」
護衛や侍女と堅く握手を交わす姪をどうすることもできず、シャルルは時間に追われるように、あるいはこのPR大使から逃げるように、自ら馬に跨り走り去っていった。
この誓いを守る為かはわからないが、彼の贈ったアメジストで出来た5月の花は、長くアデライドの髪に飾られることになるのだった。
叔父を見送った後、使用人たちは“お誕生会打ち上げ”と称した残り物の処理会を催すらしい。アデライドは皆に気を使わせないように、自室に引っ込むことにした。
「プルスト、貴方は打ち上げに参加しませんの?」
「私はまだ仕事がありますので」
仕事熱心な侍従を心配して眉を下げるアデライドの前に、紙の束が積まれた。
「お嬢様、本日のご招待客のリストと頂き物の目録です。ある程度は定型でよろしいかとは思いますが、お礼状はこちらをご参照の上でのご執筆をお願い致します」
「えっ」
「できるだけ早めにお送りした方が好印象かと思われますので、今から取り掛かりましょう」
「えっえっ」
周到に用意された便箋と封筒の数に圧倒されたアデライドを、働き者の侍従は机に誘導する。
「さぁ、頑張りましょうお嬢様」
「ワカリマシタワァ…」
後片付けまでが仕事ということを、全員で実践することになったヴォルテール公爵家の長い1日はまだまだ終わらない。アデライドは机に向かってウンウンと文章をこねくることになった。
「アナタ!あんな子にうちのクリスティーヌがバカにされて悔しくないのですか!?」
その頃、リール公爵の邸宅では公爵夫人の金切声が響いていた。
「いや、昨今のヴォルテールには反感を持つ者も多い。ワガママ娘の饗宴など無視してやるくらいが丁度いいだろう」
「当たり前ですわ!あんなアバズレの子が私たちを呼びつけようなんて!身の程知らずにも程がありますわ!」
妻を宥めようとするリール公爵の物言いも、冷静さを失った夫人の怒りに薪をくべるだけになっていた。
リール公爵夫人こと、ヴァレリー・ド・リールは、巻き戻し後のアデライドとまだ顔を合わせたことはない。だが彼女にとってアデライドの人となりなどは関係ない。憎き宿敵の娘であるという一点のみで、生涯和解など考える余地はなかった。
ヴァレリーは侯爵家に生まれ、かつてヴォルテール公爵家に嫁ぐことが内定していた。だが婚約者であるナルシスが選んだのは、特に伝統もない伯爵家の令嬢であるコレットだった。
彼女にとって忘れることも許すことも決してできない屈辱的なこの出来事は、巻き戻し前も巻き戻し後もアデライドに対する苛烈な憎悪を育む土壌となっていた。
「ユベールさんはあのアバズレ相手に媚を売っているようですけど、なんとかできませんの!?」
前妻の息子であり嫡子であるユベールは、彼女の目の上のタンコブの一つだ。さっさと切除してしまいたい程に目障りな存在だが、彼は腹が立つほどに小賢しい。こちらの思いもかけないところにツテを作っている上に、自身も魔術師としての能力がある。社会的にも物理的にも、夫の力を借りたところで排除は難しい。なんて苛立たしい、と地団駄を踏みたくもなる。
「お父様、お母様…」
その時、クリスティーヌが扉から顔を覗かせた。不安そうに傾けた顔に合わせるように髪が靡く。癖のない金色の髪は、サラサラと澄んだ音を立てそうな程に美しい。
「ああ、クリスティーヌ、可哀想に」
駆け寄って娘を抱きしめたヴァレリーと、その妻ごと二人を抱きしめたリール公爵とで、親子3人の麗しい抱擁が出来上がった。
「大丈夫だよクリスティーヌ。お前のお茶会の時と違って王家の方は誰も参加していない」
「そうよ、あなたは特別な子なの。あんな子のことなんか気にしなくていいのよ」
「でも私、これからも意地悪をされますわ。ヴォルテール公爵令嬢は、いろんな人に圧力をかけるはずです」
娘の震える声に、両親は抱きしめる力を強めた。
「大丈夫よ!私たちがあなたを守って差し上げますからね!」
「そうだ、クリスティーヌ。安心なさい」
こうして親子三人水入らずの対ヴォルテール公爵令嬢スクラムが、強固に完成したのだった。
「…なんてことを、いま言ってるんだろうね。あの人たち」
グラスを傾けながらユベールが一人ごちる。
「勝手にさ、返事も出さず断ったのに。何が可哀想なんだよって。わからないな本当に」
バーのカウンター席に肘をついて皮肉げに唇を歪めるユベールに、隣に座ったランベールは「珍しいな」とだけ返す。ユベールは家の話をあまりしない。だが昔から、家族のスクラムを外側から眺めて、見下してすらいるのは肌で感じ取れた。
「理解できないだろ?だからさ、お前にも教えておかなきゃなってね。親切心だよ」
「なぜだ」
「アディちゃん。守りたいだろ?」
ニヤッとカンに触る笑顔でユベールが続ける。
「あの子、不思議だよね。毒気を抜かれるっていうかさ…本当に聖女かもしれないぞ?」
「何を言ってるんだお前は。飲みすぎたのか?」
「聖女どうこうは置いといてもさ。今日見た感じだと、なんていうか…古参アピールしといた方がいいぜ?」
自分から聖女を持ち出しておいて、ユベールは速攻で横に置いてしまった。彼の真意が掴めずランベールはただ眉を寄せる。
「あの子に最初に唾をつけたのは、お前。貴族の中ではね…そう主張しといた方がいい。そういう価値が、あの子にはもうあるよ」
「そういう駆け引きは苦手だ」
「でもさ、それであの子を守れることもあるし、まぁ、考えとくといいぜってこと」
長くて窮屈な学生時代を共にした友人は、今も昔も変わらず掴みどころがない。途中入学してきたユベールと最初に友人になったのはニコラで、従兄弟というパイプがなければこの男と話すこともきっとなかっただろうと、ランベールは考えることがある。今がまさにそういうタイミングだ。
「…考えておく」
「そうしてくれ」
男二人が自分について話している頃、紙に向かって数時間の格闘を続けていたアデライドは、頭を真っ白にしながらこんがらがってねじれる文章をまだこねくり回していた。




