魂の循環参照
「じゃあね、アディ。また会いに来るから!」
「はい。楽しみにしておりますわ」
誕生会の翌朝、フィリップにぎゅっと手を握られて、アデライドはニコリと笑った。昨日まで彼に声を掛けられただけで怪奇音を発していたアデライドが落ち着いていることに、パメラたちは驚いていた。
「ランベール先生も元気でね!…あとさ、アディに俺があげた指輪返しといて」
自分も帰宅しようと玄関ホールに来ていたランベールは、出し抜けにかけられた言葉に動揺する。ダニエルの騒動のときに預かった指輪は、確かに返しそびれて未だランベールの手元にあった。「なぜそれを…」と問いただそうとしたが、王子は手を振って「みんな元気でね!」と元気よく言うと馬車に乗り込んでしまった。
仕方なくランベールは馬車を見送るアデライドに尋ねようとしたが、よくよく彼女を見ると目の焦点が合っていない。そしてだんだんと瞼が落ちていき後ろに倒れそうになった。慌てて支えたランベールの腕の中で、「ふごっ」と言って目を覚ますと、ビヨンという擬音がつきそうなくらい勢いをつけて直立した。
「申しワケッ!ありまっ、すぅん…」
謝りながらまた眠りそうになったアデライドを今度はプルストが支える。
「今日は奇妙な声を出さないなって思いましたけど、単に寝不足だったんですね!」
「君ぃ!お嬢様の挙動不審さを指摘しないって、使用人一同で決めたよねえ!予想はしてたけど、さっそくすぎるヨォ?!」
同じく夜遅くまで起きていたはずなのに、元気いっぱいな護衛たちの発するどデカボイスがアデライド脳を揺らしたようで、「静かにしてくださいマシィ…」と呟いている。
ランベールはアデライドに尋ねることを諦めた。だが彼女の性格から考えれば、指輪を失くしていることをわざわざ贈り主に告げるとは思えなかった。彼は残った疑問に、モヤモヤとした気持ちを振り払えなかった。
「結局、ポールもジャンもわかってて監視してたみたいですよ。まだ子供だし、悪さしないなら見逃してやるかって感じ」
「そうですか」
「ランベールは気付かなかったみたいだけど」
「そうですか」
昨晩、フィリップがアデライドの部屋に忍び込むのをアシストした二人が、揺れる馬車の中で反省会をしていた。それはニコラが雑に説明し、クリストハルトが短い相槌を打つことで終了した。
「ご当人は呑気に寝てるけどさ」
大きく口を開けているフィリップの寝顔は、元々の容姿の端麗さでもカバー出来る範囲を超えており、なんとも言えない間抜けさを醸し出していた。
「あのさ、クリストハルトさん。なんでフィルはアディちゃんのことあんなに好きなの?特に繋がりもないくない?」
「さぁ?知りません。私がお会いしたときには既にそうでしたから」
「ええ…?なにそれ怖ぁ…」と呟いたニコラは、「この方の行動で理解出来ることの方が少ないですよ」という投げやりとも取れる返答に、深く納得してしまった。
「理由はわかりませんが、とにかくこちらの国に来たがりますからね。これからも機会があれば御同行をお願いしたいのですが」
「いいですよ。この王子様面白いし。オトモダチ価格にしときますよ!」
「おや、それは助かりますねぇ」
和気藹々としていた大人たちだったが、熟睡していた王子が寝言で少女の名をつぶやくのを聞いて、二人揃って「うわぁ…」と顔を顰めた。
寝不足からか、すぐに白目をむいてひっくり返りそうになっていたアデライドは、心配した使用人一同によって早々にベッドに押し込まれた。布団の中で目をつぶった彼女は、まるで違う世界に引き摺り込まれるように、夢の中に落ちていった。
湿って濁った陰気な空気。
冷たい石造りの硬い感触。
それは巻き戻し前の世界で、アデライドが最後に過ごした場所の記憶だった。
18歳のアデライドは、半地下の牢獄で招かれざる訪問者と対峙していた。自分の体を盾にして友人となった少女を庇いながら、男に問いかける。
「触らないでくださいまし!何をなさるおつもりですか!?」
「大丈夫ですよ。貴女に一切の苦痛を与えることはありません」
男の手がアデライドに触れようとしたとき、腕の中にいた少女が動いた。手に握ったもので男の顔を勢いよく横殴りにしたのだ。令嬢の力とはいえ、思わぬ奇襲に男が倒れこむ。
「アディ!逃げるよ!」
アデライドの手を握って少女は走り出した。男が入ってきたときに鍵を開けたままにしていた牢獄の扉から、二人は外に飛び出した。幸い監視の兵はおらず、彼女たちは振り向かずに廊下を駆けていく。
しかし貴族令嬢として屋敷の奥深くで育てられたうえ、何日もまともに水すら摂取できていない体は、すぐに息が上がってしまう。夜会用の豪奢なドレスも、錘となって彼女たちの体力を奪った。
「きゃっ」
アデライドが転んで床に膝をついた。足の痛みは眩暈のする視界を却ってクリアにしたようで、自分の腕に嵌められたブレスレットが青く光るのを彼女の目は捉えた。
「アディ、大丈夫?足を挫いてしまったの?」
心配そうに覗き込んでくる友人も足を引きずっていた。男を殴るのに靴を使ってしまった彼女は、裸足でここまで走っていた。きっと酷く痛むだろうに、優しい彼女はアデライドのことばかり心配している。
「わたくしは…もう走れませんわ。一人で逃げてくださいまし」
足の痛みよりも全身から体力が奪われていくような倦怠感が、彼女から立ち上がる気力を奪っていた。婚約破棄を言い渡された後と同じ感覚がグラグラと頭を揺らす。あのときも光っていたブレスレットが、今もユラユラと青く輝いている。
「これのせい?!今外すから、待ってて!!」
アデライドから婚約破棄されたときの話を聞いていた彼女は、目敏くブレスレットが光を放つのを見つけ、必死に外そうとしている。
「無理ですわ…外れませんの…だから」
逃げてと続く言葉を言わせまいとするように、少女が叫ぶ。
「じゃあ、この石を壊すから!きっとこれのせいだから!」
少女は石を割れるものを探し、自分の指輪を外した。指輪についた石で、青い石を叩いたり削ったりして壊そうとしている。その姿に、アデライドは涙が出そうになった。自分の為に必死で足掻いてくれる彼女の存在が、嬉しくてたまらなかった。
だがそのとき、ヒヤリとした冷気が肌に触れた。それが心理的なものではないことを、二人は聞きたくなかった声によって否応なく気付かされた。
「気体を冷やす魔術は固体のそれとは違うアプローチがある事をご存知ですか?」
アデライドの恐怖に震える体を少女が庇う。腕も背中も露出されたイブニングドレスの素肌が触れ合って、伝わる温もりで少し心が落ち着くのをアデライドは感じていた。
「ああ、貴女たちは私の授業を受けていないのですね。それだけの魔力を有しながら、惜しいことです」
「貴方の目的は何!なぜアディにこんなことをするの!?」
「まだ意識を保っている、か。異物の混入は避けたいが…時間がもうない」
叫ぶ少女の怒りなどまるで気にならない様子で、男は独り言のように話し続ける。
「説明をすることもできますが、無駄でしょう。そう時を待たずして、貴女たちも、私も、すべて諸共に存在ごと消えてしまうのですから」
「何を言っているの…?」
少女たちのカサカサの喉がごくりと唾を飲み込んだ。正気を疑うような発言をしながらも、男は冷静なまま一切取り乱す様子はなかった。
「理解する必要はありません。貴女たちのために私が出来ることは、来たるべき崩壊の前に安らかな眠りを用意することだけです」
男の言葉と共に、外気が更に冷えていく。触れていた温かい肌がどんどん冷たくなっていくことに気が付いて、体温を分け合うように少女たちは互いを抱きしめた。
「そろそろお別れです。…もしも記憶が残ることがあったなら、貴女を救えない私を恨んでくださって構いませんよ。心よりお詫び申し上げますヴォルテール公爵令嬢…いえ、アデライド・ド・ヴォルテール様」
言葉とは裏腹に、男の声も表情も無機質なまま変わらなかった。真意を知りたくてその瞳を覗き込もうとしたアデライドの視界が、突如乱れた。
まるで前世の、動画を静止した時のように、すべてが動きを止めた。そして視界にノイズが走り、目にするものすべてが乱れた荒い画像に変わっていく。男はおろか友人の少女すらも識別できない世界は、音を失い崩壊し始める。恐怖に動くこともできないまま、アデライドは自分自身も崩れて消えていくのを感じていた。
「お嬢様!起きてください!」
「ふぐんっ!」
長めの午睡を貪っていたアデライドは、パメラにガクガクと揺すらぶれて目を覚ました。そして起きたと見なされるや否や、メイドたちに寄ってたかられて身支度を済まされ、応接間に放り込まれた。
「まぁアデライド様ご機嫌よう。ご連絡もせずに突然お伺いしてしまって大変申し訳ございません」
「エッ、レリィお姉様…?あ、いえ、お気になさらず、お会いできてとても嬉しいですわ」
アデライドの入室に合わせて声をかけてきたのはレリアだった。寝起きのボヤけた頭でも、一見にこやかだがよそよそしい彼女の様子に気が付いて、アデライドは混乱した。
「お会いして早々に不躾かとは存じますが…アナタ、誕生会やったんですって?」
途中からいつものレリアに変貌したことで「ヒッ」とアデライドが短い悲鳴を上げた。
「あれれ〜?私は呼ばれてないなぁ〜?ひょっとしてお友達だと思っていたのは私だけだったぁ?ええ〜ひどくない?悲しいなぁ」
「アッ、違うんですっ、そのっ、ジッ、事情がアッ、アッ…」
他国の王子が来るのを知られたくないせいで貴族を呼びにくかったとは言えず、アデライドはただただ前後左右にカクカクと揺れ動いた。
「ま、それは冗談として、耳の早い貴族の間で噂になってるから。ヴォルテール公爵令嬢は閉鎖的とか、平民に媚びてるとか」
「なんと…」
まさに文字通り昨日の今日であるのに、貴族の情報戦がハイスピード過ぎてアデライドはただただ面食らっていた。本当に言葉通りにもう少し寝かせてほしかったと、涙目になる。
「で、子熊。あなたはどうすんの?」
「エッ?ドースル…?トハ?」
頭にハテナを飛ばすアデライドに、のしのしとレリアが近づいてその頭をわしりと掴んだ。
「やるのか、やらないのか、聞いてるんでしょ!!」
「アッ?…ハッ、ハイッ!!ヤリマス!ヤリマスワァ!!」
何をやるのかと、聞けないままに叫んだアデライドが涙目のまま見上げると、レリアがニヤッと笑ったのが見えた。
「よし!じゃあお誕生会二回戦決定ね!」
言葉の意味を懸命に咀嚼しているアデライドの肩を、レリアの細い指ががしりと掴む。
「今から準備するよ!ボサっとしてる暇はないんだからね。シャキッとしなさい!」
「ハッ、ハイ!レリィお姉様!」
サー、イエッサー!と敬礼でもしそうな勢いで直立したアデライドに、レリアが満足そうに頷いた。現実の緊張感を前に、崩れて消え去ってしまった夢はアデライドの記憶にわずかなカケラだけを残して、また深い階層の底に沈められてしまった。




