真夜中のホームスチール
その晩、アデライドは正反対な表情を見せる二人を前にして、気まずく食後のお茶を啜っていた。
自分の誕生会に参加してくれたランベールとフィリップ王子(とそのお供二人)に、会の終了後も残ってもらい夕食を共にした。そこまでは何事もなかったのだが、その後別室に招いた二人は犬猿の仲であることを隠す様子もなかった。
「つまりアディはさ、俺が魔力ゼロだから、静かの森にある扉を開けるのに魔力は関係無いんじゃないかって言いたいんだよね?」
「だからゼロという数値はあり得ません」
まだ燻っていたらしい火種に触れないように「アッ…イエッ…、あくまで条件として、魔力を消費しているワケではないのカナッて、わたくし思いましたの」とアデライドは慌てて犬猿の間に割って入った。
「確かにあの時、魔力の反応がないって言ってましたよね!」
「君ぃ!護衛の僕らがお嬢様たちのお話に加わるのはどうかと思うヨォ!…ところで何の話ぃ?!」
「あれ?アディちゃん新しい護衛の人雇ったの?」
「妙にアルドワンに行きたがると思ったら、そんなことをなさっていたのですね」
二人だけを呼び出したつもりの1番小さな応接室は、アデライドの護衛やフィリップのお供も当然という顔で付いてきて、成人男性たちでミチミチになっていた。それを遠い目で眺めたアデライドは、しかし頑張って気を取り直した。
「あの!わたくしあの扉を開ける際に、魔力を使う感覚よりも、疲れるというか、体力がなくなる感じがしましたの」
「あ〜確かに?続けてやるとダルくなるよね」
頷き合う二人にランベールが横槍をいれる。
「それだけではアデライドお嬢様とフィリップ…殿下だけがあの現象を起こせる説明にはならないでしょう」
「え〜?年齢制限じゃないのぉ?ピュアな心の子供だけが開ける扉なのさ」
ふふんっと笑ってみせたフィリップに、ランベールが冷ややかな目を向け、ニコラとクリストハルトも「ピュア?」「ピュア…」とそれぞれ呟いた。
「年齢って条件だけなら確かにって思いますね!」
「君ぃ!僕はねぇ、そういうわかりやすいやつにはツッコまないよぉ!!」
護衛の二人にも暗に非ピュア判定を下されて「フケイフケイ!」とフィリップがジタバタする。
終始それぞれの個性のままに主張する男達に、疲れ果ててしまったアデライドを見かねたプルストのレフェリーストップが入って話し合いは中止となった。そして皆一旦宿泊するための部屋に押し込まれた。
夜半、なかなか寝付けずにいたアデライドは、窓にコツコツと何かがぶつかる音に気が付いた。不思議に思って窓を開けたが何もなく、首を傾げた彼女は突然上からにゅっと顔を覗かせた人影に驚き悲鳴をあげようとした。だが流れるように部屋に押し入った人物に口を塞がれてしまった。
「ぶびっぷ、でんが…?」とモゴモゴと口を動かした彼女に「フィルって呼んでよ」と、侵入者は悪びれる様子もなく笑ってみせた。
「あの…ここは三階ですけれども…?」
「まずあっちの木へ登ってさ、そこから屋根を伝って来たんだ」
「あの…なぜそんなことを…?」
「廊下にはジャンがいて、入れてくれそうもなかったから」
「ポールだったら音で気づかれてたなぁ」と一人で納得しているフィリップに、アデライドはなんと言っていいか分からず呆然としていた。
「昼間に時間取れなかったから来ちゃった。俺もっと君と話したいんだよね。せっかくお誕生日に来れたんだもん」
そんな理由で深夜に女子の部屋に侵入していいものなのかと思いつつも、自分もちゃんとお礼を言えていなかったことにアデライドは気が付いた。
「あの、この度は遠方からお越しいただきありがとうございます。十分なおもてなしもできなくて申し訳ございません」
「え〜、やめてよ堅苦しいなぁ。ていうか、俺がプルストさんに無理言ったんだよ。サプライズしたかったんだ」
「立ち話もなんだから」と、勝手知ったる我が家のように椅子を勧めカーディガンを肩にかけてくるフィリップに抗うこともできず、この紳士的な侵入者と向かい合って腰掛けたアデライドは、その目線から逃れるように口を開いた。
「あのっ、デモッ、危ないことは良くないと思いますわ!窓からとかっ、落ちたら怪我をいたしますし!」
「うん、そうだね。俺って魔力ないから、やばい怪我したら結構すぐ死ぬしね。あはは」
「なっ何を笑っておられますの!」
アデライドの顔を見ながら笑い続けるフィリップは「俺、君と話せるなら死んでもいいと思ってるなって気づいてさ」とさらりと言った。
「…そっ、そっ、そんな冗談を言うものでは、あっ、からかってますのね?面白がっておられますの?」
「ホントだよ。…アディは俺のこと嫌い?」
顔色を伺うように覗き込んでくる瞳は不安に揺れているようで、アデライドは息を呑んだ。昼間見せたのとはまったく違う顔に、「ずるい」という言葉がまず頭に浮かんだ。
「可愛い部屋だね」
ふいっとフィリップの方から話題を変えてしまい、ますますアデライドは「ずるい」と思った。答えをちゃんと聞いてくれなければ自分から言うことなんかできないのに、と。
ダニエルの騒動後、アデライドの部屋は以前とは違う場所に移されており、そしてなぜか張り切った使用人たちが壁紙から建具まで改装してしまった。暖かみのある白を基調に仕上げられた部屋に、アデライドはとても感激して涙目に…というか、泣いた。ぬいぐるみ用の椅子は手作りと聞いてからは号泣した。
想定外にヘビーな反応を返された使用人たちは若干引いたが、そのうち慣れてちり紙を用意してから内装について話すようになった。その後、涙と鼻水を垂れ流す令嬢の惨状は、使用人から職人へ、そしてその家族へと伝わるうちに、幾らか盛られ気味な噂となったことをアデライドはまだ知らない。
いま部屋にはベッドサイドの小さな灯りしかないが、夜目に慣れれば窓のそばにいるフィリップの表情もよく見えた。月明かりを吸って弾く彼の黒髪には、どこかで目にしたような懐かしさがあって、アデライドは緊張が溶けていくのを感じた。
「夜っていいよね。昼には話せないことが言えるから」
アデライドがいま考えたことが、フィリップの口から出てきた。そういえばランベールやユベールとも月明かりの下で話したことを思い出す。昼とは違う顔は、優しかったり怖かったりで、記憶に残って離れない。
「いま他の人のこと考えた?俺のことだけ考えて欲しいな」
「…わたくし、貴方のことをよく知りませんのよ?ご自身がお話ししてくださるのが先ではありませんこと?」
揶揄うようなフィリップに少し腹が立って、アデライドは意趣返しをした。
笑って誤魔化すかと思ったフィリップは、「俺のことかぁ…」と呟いて目を泳がせた。わざわざ忍び込んできたくせに、彼の夜の顔は昼よりずっと弱気らしい。それがなんだか可笑しくて、アデライドはちょっと強気になってみることにした。「話してくださらなければ人を呼びますわよ?」と宣言すれば、「それは勘弁して…」と苦笑いをしてフィリップはポツポツと話し始めた。
その日はランベールもヴォルテール公爵家に泊まることにしていた。別に帰ってもよかったのだが、フィリップ達の存在に心がざわつくものを感じて公爵家の好意に便乗した。ポールと部屋飲みをするというニコラの誘いを断って廊下に出ると、クリストハルトがちょうどドアを開けたところだった。
「ああ、ちょうど良かったです、ロワイエ伯爵。もしご都合がよろしければ、今からお話を伺えませんか?」
「え、いや、私は…」
「本日はうちの殿下がご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした。ちょうど頂き物のワインもあるのでお詫びも兼ねまして、是非。ご一緒いただけませんか?」
ニコニコとしてはいるがやや強引なクリストハルトに、ランベールは今彼が出てきたばかりの部屋へ押し込められた。
「以前から貴方とは一度お話ししてみたいと思っていたのです」
クリストハルトはテーブルに置かれたグラスにアプフェルワインを注いでランベールに渡した。不味くはないが独特の酸味の広がる味は、あまり晩酌向きとは思えなかった。
「貴方様からするとフィリップ殿下はきっと腹の立つ存在でしょう。私もあの方が5歳の頃からお側付きとして仕えておりますが、未だに憎たらしくなりますからね。それはもう日常的に」
「いつもあのようなご様子なのですか?」
「初めてお会いした時から一貫してそうですね。…あっ、最初は違いましたね。なんせあの方、鉄格子の向こう側にいましたから」
「は?…鉄格子?王子殿下をですか?」
突然混ぜこまれた不穏な単語に、ランベールが顔を上げる。
「いえ、違うんですよ。あの方をお守りするための処置でもあったんです。王妃様が亡くなった後、身辺に危険が及ぶことが幾度かあったそうで。しかし昼でも暗い檻の中でピクリとも動かないものですから驚きましたね。とても」
何も言えないでいるランベールを気に留める様子もなく、クリストハルトは語り続ける。
「そのうえあの方、言葉が喋れなかったんです」
「それは…言葉が出るのが遅かったということですか?」
「ああ、言い方が悪かったですね…喋ることは喋るんですよ。うるさいくらいに。でも意味が通じないんです。誰も知らない遠い国の言葉を話しているような感じでしたね。たまに知っている単語が出てくるので、それを足掛かりにしてなんとか言葉を覚えさせましたね」
当時を思い出すように語られる言葉は、どれもこれも耳を疑うようなものばかりでランベールは眉を顰めて黙り込んでいた。
「そのような様子なので、あの方の住む離れは“気狂いの王子の住む幽霊屋敷“などと噂されておりまして」
「ヘルムフューレン王国はシュヴァペリンの中では歴史ある国でしょう?その国の王子の処遇としては、正直なところ信じ難いです」
「そうですよね。私も目を疑うようなものをたくさん見ましたよ…あの方、深夜に脱走していたんです」
またもや「は?」と、眉間に皺を寄せたランベールに、クリストハルトは我が意を得たりとでも言うようにウンウンと頷いた。
「子供の手ですからね。こう…鉄格子の隙間から出るんですよ。中から錠前を外しまして、深夜の使用人のいない隙を見て脱走です。庭を荒らしたり盗み食いをしたりとやりたい放題でしたね。幽霊の正体見たりですよ。そして満足すると牢の中に帰って寝るんです。昼に動かないわけですよ」
身振りを交えながら説明されるのは、まるで猿による害獣被害の話のようだった。俄かには信じ難いと思いつつも、しかし今ランベールが知る本人のことを思い返すと、真実としてそれなりの納得感を得られてしまう。
「その猿をですね。二年ほどかけてようやく人に見えるように躾けたわけです。かの猿は魔力を大量に備えておりましたので、将来はこちらの国に嫁がせるか留学させるかという話が出ていたところで、今度は突然、魔力が消え去りまして」
「消え去った?魔力が?」
そんな話は聞いたことがないと、そういう顔をランベールは隠せていなかった。
「前例のない厄介ごとを起こすことにかけては、あの猿は天才的ですよ」
いよいよ猿という呼び名で固定されてしまったのはワインのせいとした方がいいだろうかと、そう度数は高くなさそうなワインのボトルをランベールは横目で確認した。
「容姿に恵まれているのと愛想を振り撒くのが得意なせいで、今のところはなんとかなっていますが、これからのことを思うと頭が痛いですよ」
「あの方は、聖職者になるおつもりのようでしたが…」
「なれると思いますか?」
クリストハルトは変わらず笑顔のままで、ランベールは言葉の真意を掴めなかった。
「それは…適性がないということですか?」
「それもありますねぇ。しかし、それだけでもなくてですね、今の連邦の情勢と第二王子というお立場を考えると、いささか難しいなと」
現在シュヴァペリン連邦は、ケンプフェン王国の率いる北側と、ヘルムフューレン王国を中心とした南側で真っ二つに割れている。以前アデライドの叔父であるシャルルが、この勢力間でいずれ戦争が起こるであろうと言っていたのをランベールは思い出した。
「第一王子殿下もなんと申しますか…個性の強いお方です。争いごとを好まず、芸事だけに情熱を持っておられます。分をわきまえぬ物言いかもしれませんが…国民の士気を高めるという役割は望みにくいかと。しかし未来の国王陛下として守らねばならない」
ランベールは政治に元々関心が薄く、ましてや他国のそれなど埒外に置いている。重大なことと分かっても「はぁ」と気の抜けた返事が出てしまう。だがクリストハルトはたいして気分を害した様子を見せずに続ける。
「国民のケンプフェン王国への反感は根強いんです。もし戦って敗れたとしても、今の北の様子を見るに、ケンプフェンはこちらの国政にはそこまで干渉してこないと思います。ですが、王家を維持していくためには…国民を納得させる”物語“が必要になるでしょう」
空になったグラスにワインを注いで、でも口にはせずクリストハルトは続ける。
「“国を守るため命を賭けた王子”。大衆向けにはちょうどいい話ですよね」
「…負けると考えているのですか?」
「いえいえ。生来臆病な質なので、悲観的な想像もしてしまうだけですよ」
そう言ってまた第二王子の侍従は笑う。話す内容の割には一貫して同じ表情であるのが、ここに来て不気味にすら映る。
「フィリップ殿下は、アデライドお嬢様や私に何か期待するところがあるのですか?」
「いえ、彼の方はただ構って欲しいだけですね。子供らしいわがままで、大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。お詫びになるかは分かりませんが、ヘルムフューレンにお越しの際は是非ご連絡をください。歓迎させていただきます」
これが“話したいこと“だったのか、そして本当に伝えたいのは何だったのか、眼鏡の奥の瞳からは本心を掴みきれないまま、ランベールはもやもやとして気持ちを抱えることになった。
「遅いんですよあなたは。何をモタモタとしているんですか」
「ぅえへへっ、ごめんってばぁ。足止めご苦労リンク大尉!貴君の健闘に感謝する!」
窓から顔を覗かせたフィリップにクリストハルトが悪態をつく。
「おかげでベラベラと有る事無い事話す羽目になってしまったではないですか」
ぷりぷりと怒り心頭な侍従をスルーして、机の上のボトルを持ち上げたフィリップは、ラベルを見て呆れたような声を出した。
「なにこれ。おやつのときに飲むやつじゃん?」
「用意がなかったんだからしょうがないでしょう。全部貴方のせいなんですからね。いつもいつも思いつきで行動して」
「わかったわかったごめんってば」
上機嫌なようで、火に油を注ぎながらもヘラヘラとし続けるフィリップに、クリストハルトが先に折れた。
「…うまくいきましたか?」
「うん、ありがと。たくさん話せたよ」
主人の本当に嬉しいときの顔を知っている侍従は、ため息をついて結局矛を収めた。
「融通を利かせてあげたんですから、こちらの要求も聞いてもらいますよ」
「えぇ…あんまり無茶なこといわないでね…」
「もう寝なさい。明日からまた忙しいですよ」
いつまでも深夜の脱走癖が治らない王子は「わかったよ」と無邪気に微笑んだ。
ひとりになった部屋で、アデライドはまだ眠れずにいた。ベッドの上で横を向くと、さっきまでフィリップが座っていた椅子が目に入った。
同い年の少年と夜中に暗い部屋で声を潜めて話すなんて、そんなことは初めてのはずなのに、彼とそうしているとどこか懐かしいような気がした。それはなにか思い出しそうで思い出せないときの気持ちにも似て、とてももどかしくなぜか頭の中が落ち着かない。
忘れてはいけないことを忘れてしまったような罪悪感に心がざわついて、アデライドはなかなか寝付くことができなかった。