トロイのUnicorn
白煙の立ち込める部屋でアデライドは走り寄ったランベールに抱え上げられた。やや乱暴な扱いであったが、肩越しに煌めく銀色の髪と短く吐き出された小言に、非日常から救い出された実感が湧いてアデライドは安堵の息をついた。
ランベールは廊下に出ると彼女をそっと下ろした。離れて行く体温に名残惜しさを感じたアデライドだったが、騎士に先導されて部屋を抜け出したパメラを見つけるとすぐにそちらに駆け寄った。
煙が引いて視界が効くようになった部屋の中央では、ユベールがダニエルの腕を後ろ手に取って、床に押さえつけていた。
「動くな!抵抗すれば命は無いぞ!」
「…わかっているよ。遅いじゃないか君たち。おかげで可愛いお嬢様が傷ついてしまった」
薄く笑って嘯くダニエルに、ランベールが近づく。
床に這いつくばっていたアデライドの家族たちは、父は誰かが誤って踏んだらしく意識を失っていたが、母子は煙を吸い込んだようで上半身を起こしてゴホゴホと咳き込んでいた。
「一体どういうことだ。何故お前がここにいる」
「ぼくのお嬢様をこいつらが寄ってたかっていじめていたんだ。守ろうとするのは当たり前だろう?」
「そうじゃない。地下牢にいたはずのお前が、どうやってそれを察知した?」
穏やかに笑うだけで答えようとしないダニエルに、ランベールは舌打ちした。
上にのしかかって押さえつけていたユベールは懐から手錠を取り出してダニエルの腕を拘束すると、一旦近くに来た男性使用人たちに任せ、ナルシスの近くに落ちたままのクマのぬいぐるみを拾う。彼はそれを手のひらの上でふわふわと浮かび上がらせた。
「魔術で編み込まれてるのは…聖典の…祈りの言葉ね。なるほど」そう言いながら部屋を見渡し、机の上に置かれた一際存在感のある白いぬいぐるみに目を止めた。白い体にピンク色のたてがみを生やし、ぐりぐりとした間抜けなほと大きい紫色の瞳の上の額からは水色の角が突き出している。アデライドがユニコーンとしてダニエルに作ってもらったそれに、彼は見覚えがあった。
「アディちゃん。ちょっと来てくれないかな」
しきりに室内の様子を伺おうとしてパメラに後ろから抱き止められていたアデライドが、パッと表情を明るくして駆け寄って来た。
「ユベールさん、お怪我はありませんの?」
「大丈夫だよ。心配してくれてありがとね。ちょっとこれを持ってもらえる?」
不思議そうにユニコーンのぬいぐるみを受け止めたアデライドの手のひらの上に、ユベールのそれが重なる。
真剣におとぼけ顔のぬいぐるみを凝視するユベールを、アデライドは至近距離で気まずい思いをしながら見つめた。
「アディちゃんさ、ランジュレ領に来たときも、これ持ってたよね?」
「はい。ダニエルさんにいただいてから、遠出するときも家にいるときも、ずっと近くにいてもらってますわ」
「なるほどね」
一人で頷いているユベールに、痺れを切らしたようにランベールが詰め寄った。
「それなら以前に調べたが特に異常はなかったが…何かあるのか?」
ユベールはランベールに自分がやっていたようにアデライドと手を重ねるように指示した。
「アディちゃん。少し魔力を使って…いや、いつもみたいにこのぬいぐるみに接してみて」
「はぁ…その、わかりました…。ユニコさん、煙を吸ってしまいましたが、大丈夫ですか?」
アデライドがぬいぐるみに話し掛ける。安直な名前を付けているなと考えていたランベールは、「ランベール、祈りの言葉をよく見ていろ…ひっくり返るぞ」とユベールに言われて眉を顰めた。
何の変哲もない、彼からすればただ長ったらしいだけの退屈な祈りの言葉だったものが、突如動き始めた。最初に変化した一文を契機とするように、すべてがパズルのように組み変わって行く様は、まるで生き物の成長を早回しで見ているかのようだった。
「…なんだこれは!ただの無意味な文字列が、高度な魔術式に急速に組み変わっていく?なぜだ?なぜこんな事が起こる?…いやそもそも何の意味があってこんなことを!?」
いつになく興奮した様子のランベールにユベールが諭すように説明する。
「きっかけは不可視の魔術式だよ。しかも一部の文字列を右から左に並べ替えるってだけの、短くて単純なやつさ。だからこそ見逃してしまうんだ。組み換えた文字は指示を発して他の文字列も変化させる。それが連鎖して…最終的には高速で平行処理をこなす魔術式が完成する。しかもこれを読めるのは魔力が込められている間だけ。もう芸術の域だよ」
「お前はなぜすぐにわかったんだ?」
「同じ手法を仕事で見た。一般閲覧不可のライブラリのやつね。いやそれよりさ、問題は内容。だろ?」
「気持ちはわからなくもないけどね」と肩をすくめてみせるユベールにランベールもハッとした。あまりの技量に一種の感動が強く出てしまったが、その魔術式の示すものはただただ悍ましかった。
「お前は…コレの目を通してアデライドお嬢様のことをずっと覗き見ていたんだな?」
「だって心配だろう?ぼくのお嬢様に何かあったらどうするんだい?」
ぬいぐるみに仕込まれていたのは監視のための魔術。この間抜けな目はアデライドの行動を見て、耳は声を聞き、すべてを地下牢の男の元に届けていた。動力源としてアデライド自身の魔力を利用して。無邪気にぬいぐるみを愛でる少女から魔力と尊厳を搾取していたのだ。
腹の底から苛立ちが湧き上がって来て、いまだにぬいぐるみを抱きしめながらきょとんとしているアデライドから、ランベールはそれを力任せに取り上げた。
「ここ数年、活動の痕跡がないと噂になってたが、こんなところにいるなんてね。通り名は確か"牧師"だよな。安直だね」
「おや、この国の人もぼくのことを知ってるんだね。光栄だよ」
「謙遜するなよ。お前は有名人だぞ…犯罪者の中ではな」
貼り付けたような笑顔のままのダニエルに、ユベールも皮肉に唇を歪めた。
「こいつはウチの職場で預かるよアディちゃん。ここに置いておくのはあまりに危険だ」
「まぁ…ダニエルさんは契約魔法のせいで命の危険がありますの。気をつけてくださいまし」
自分にされた事を今ひとつ把握出来ていないのか、気遣うような口調のアデライドに、ダニエルが恍惚とした表情を浮かべる。
「ああ、やはりあなたは優しいね。待っていて。また絶対に会いに来るから」
その反応に全員がゾッとして動きが止まった隙に、アデライドはトコトコとダニエルに近づいていってしまった。
「そのことですけど、先程からわたくし思うところがあるのですわ」
「なんだい?お嬢様」
「わたくしは、優しくなどありませんわ。わたくしはわたくしの評判が良くなるように行動しているだけです。そこを見誤って欲しくはありませんのよ?」
「そういえば、お嬢様は確か"悪役令嬢"なんだったね…ふふっ、あなたは本当に可愛らしいね。ふふふっははっ」
声をあげて笑い出したダニエルに、何ウケなのかと首を傾げていたアデライドの肩をランベールが引き寄せる。
「あなたは!さっきまでの話を聞いていなかったんですか?!わざわざ変態に近づく人がどこにいるんですか!」
「ヘンタイ…?」
「あぁもう、わかってないんですね!ではハッキリ言いますよ!コイツはあなたの生活をずっと覗き見るくらい、あなたを好んでいます!女性として…欲望の対象としているんです」
「つまり、その、小児性愛者ということですの?」
「そうです!ようやくわかりましたか?!」
いつにないくらい感情的にブチギレているランベールの勢いに少しビビりながらも、しばらく考え込んだアデライドは「なら問題ありませんわね」と笑った。
「は?」と固まったランベールの腕からするりと抜け出してまたダニエルの前に行くと、アデライドは胸を張って主張した。
「ダニエルさん、あなたは小さな女性がお好きのようですけれども…それならわたくしはすぐ対象外になりますわ。わたくし、すごく背が伸びますの!あと数年で大半の男性達より大きく育ちますわ!」
気が小さく顔も間抜けなアデライドの、唯一悪役令嬢らしいところがあるとしたらそこであった。
この世界では前世のような多様性という概念はなく、女性はか弱く男性に守られる存在であるべしとされている。だからか、うすらデカいアデライドは質量だけで男性を威嚇してしまうようで「デカ女は無理」とよく陰口を叩かれた。
「ヒールを履けばきっと数年と待たずともあなたより背が高くなりますわ。幻滅されましたでしょう?この際、これをいい機会だと思ってそういった嗜好は治してくださいまし」
ふすん!と鼻息も荒く主張した彼女を黙って見守っていたダニエルが、耐えきれないという様子で吹き出した。
「アッハハハ!フハッ!お嬢様、あなたは本当に可愛いね!なんて愛らしい人だろう!」
「信じておられませんの?わたくし本当に大きくなりますのよ?」
動揺するアデライドをダニエルはまっすぐ見つめる。その目は彼女の初めて見る、何か得体の知れないほの昏さを宿していた。
「以前、あなたにレース編みの道具をもらったよね?そして上手になったらあなたにベールを編んであげると約束した」
急に変わった話題にただアデライドは「そんなこともありましたわね」と相槌を打つ。
「申し訳ありませんけれども、わたくし結婚は考えておりませんの」
「うん。でも大丈夫。ぼくはちゃんと上手になったから、とっておきのベールを編むよ。そしてあなたを世界一幸せな花嫁にしてあげる」
話が通じていないと感じて再び口を開こうとしたアデライドを、駆け寄って来たパメラが抱きしめた。
「なにしてるんですか!さっさとこの人を連れて行ってください!はやく!お嬢様の目に入らないところに!」
鬼気迫るパメラの叫びに、その場の男性達が弾かれたように動き始めた。
連行されるダニエルは最後までアデライドに何か訴えていたが、それは守るように彼女を抱きしめたパメラに阻まれて届くことはなかった。




