兄と弟と、俺様ヒーローと鈍感ヒロインの成れの果て
「まさかこんなことになるとは…」
「本当に意外だったわね!あの子に限ってまさかって!私本当にびっくりしちゃったわ。今でも信じられませんもの」
ヴァンダム侯爵家の一室では、当主夫婦のオーバンとヨランドが二人で頭を抱えていた。彼らの話題は立派な跡取り息子に育ったはずの長男のエミールことだった。
「だが悪い話ではない…と思う」
「そうなのよね!普通に考えたらおめでたいことですわね!うちには次男のエドガーもいますからね」
夫人の口から次男の名が出ると、二人は顔を合わせてため息をついた。
アルドワン侯爵領に派遣していたエミールが、先方の跡取り娘のマドレーヌといつの間にか恋仲になっていた。一切の死角など無い朴念仁だと思っていた長男の、降って湧いた浮いた話に両家は浮き足立っていた。
アルドワン侯爵家からはエミールを婿に欲しいと言われている。本人も乗り気だし、ヴァンダム侯爵家には次男がいるのだ。問題はない。ないはずだ。
その時、バン!と大きな音を立ててドアが開いた。
「母ちゃん!姉ちゃんがぁ、えっとぉ、なんかぁ、用があるってぇ言ってぇ、すげぇブワァーって言ってくっからぁ、俺全部聞くのダルぅってなってぇ、とりあえず呼んでくるっつってぇ、だからぁ、いまぁ、来た!」
飛び込んできた次男を見て、再び顔を合わせた夫婦はまた小さくため息をついたのだった。
ヴォルテール公爵領はかつて海の向こうからの侵入者が築いた国のあった場所だ。その国は当時新興のコンフォート王国と併合し一時は伯爵領と子爵領に分けられたが、王女が降嫁したときにまたひとつの公爵領にまとめられた。
ヴォルテール公はこの名残で伯爵と子爵の爵位を持っている。今領都のある東側はかつての伯爵領だったため、ここに住まわせている長男に伯爵位を譲るのであろうと、周囲の人々は考えていた。少し前までは。
広く海に面した公爵領の領都はやや内陸にあり、王都から急げば馬車で1日で着いてしまうほどの距離だった。
「ああ、お前か。生きていたのだな。今さら俺に何の用だ?」
「王都に寄ったものですから、久しぶりにご挨拶でもと思いまして」
顔を斜めに傾けて振り向く特徴的な姿勢は、シャルルの兄であるナルシスがよく見せるポーズであった。シャルルと同じく黒髪に黒い目の彼は華奢な体躯をした美形であり、ギリギリそのポーズが許される見た目をしていた。
「お前か」も何も、先触れを出しているし、入室までに使用人から知らされているだろうに…と、久しぶりに見る芝居染みた態度の兄にシャルルは鼻白む。
「フッ、まぁいい。これからお前も思い知るだろうからな…俺とお前の差というものを」
ソファに腰掛けゆっくりと足を組む仕草もわざとらしく、会って数秒だというのに帰りたくなったシャルルの気持ちを汲む様に、部屋のドアが開かれた。だがそこからは新たなストレス源が顔を覗かせた。
「ナルシス様っ、これからお茶をご一緒しませんか?…あれっ?シャルル君?お久しぶりですね!お元気そうで安心しました」
「あれっ?」も何も、先触れは出して以下略、と再度シャルルを脱力させたのは、兄嫁のコレットだった。金髪に緑の目が印象的な美しい女性だ。
「ちょうど良かったですね!一緒にお茶にしませんか?」と無邪気に笑う兄嫁の腕を、立ち上がったナルシスが掴んだ。
「コレット、他の男のことなどその瞳に写すなと、何度言ったらわかるんだ」
「だって、シャルル君はナルシス様の弟さんでしょう?私、ナルシス様の周りの人には良く思われたくて…こんなずるい私のこと、嫌いになってしまわれますか?」
何か始まったなとシャルルは意識を飛ばし始めたが、まだ夫婦の劇場は続いている。
「何故こんなにも愛らしい…いっそ閉じ込めてしまえたら…」
「えっ?いま何か言いましたか?」
「なんでもないさ、俺の天使」
「もう!ナルシス様ったら」
結婚前から30代となった今に至るまで、まったく同じ小芝居を見せられるとは流石に思わず、シャルルはため息を飲み込んだ。
「今日は顔を見に来ただけですから、すぐお暇させていただきますので、どうかお構いなく」
「えっ、そんな…せっかく久しぶりに家族が会えたのに…」
いかにも残念だと言うように眉を寄せる兄嫁の肩を抱きながら、ナルシスは鼻で笑う。
「お前が気に病むことではないさ。将来的には、ここはコイツの家になる。だから様子見に来ただけだろう」
「そうでしたね。私ったらお仕事のお邪魔をしてしまうところでした。ごめんね、シャルル君」
笑い合う夫婦が何を言っているのかわからず、思わず首を傾げたシャルルに、ナルシスが見下すように話し始める。
「俺たちはここを出ていく。今、公爵家からの使いが俺たちを招き入れる手続きをしている。奴らは仕事が遅いが、俺からの指示で何とか年内に動くことになった」
「ナルシス様すごいわ。こんな素晴らしい方の奥さんが私なんかで本当にいいんでしょうか…?」
「今年は俺と、お前という女神が王宮の晩餐会の主役になる。俺の隣で輝くことがお前の仕事だ」
「ナルシス様…」
「様は付けなくていいと言っているだろう?」
「そ、そんなっ無理ですっ」
年齢と釣り合わない内容の会話から襲い来る猛烈な寒々しさに耐えながら、「兄上はこちらを離れるのですか?」とシャルルが口を挟むと、嘲る様な表情で兄が振り向いた。またなぜか斜めになっている。
「何だ、知らなかったのか。これだから頭を使わん軍人は…。だからこそ俺の方が公爵に相応しいとあの親父もようやく理解したのだろう」
「ええと、どういうことですかな?」
「…本当に愚かだな。まぁ、いい。愚か者にもわかる様に説明してやる。公爵を継ぐのは、俺か、お前だ。お前がまだ外国で戦争ごっこをしているのに俺がこの地を離れるということは、俺が公爵になるということだ。そして空いたこの地と伯爵位はお前に下げ渡されるだろう。良かったな。お前には十分な地位だ」
説明されてもさっぱりな謎理論だとシャルルが思う横で、また小芝居が始まった。
「ナルシス様、シャルル君はシャルル君で精一杯頑張っているんですから、いじめてはいけませんよ」
「お前は優しいな…嗚呼、俺の聖女、俺の唯一。例え相手が神であろうと、決してお前を奪わせはしない」
「えっ、何か言いましたか?」
「フッ、何でも無いさ」
何でいつも要所要所で耳が遠くなってクソ長ゼリフを聞き逃すのかとか、天使とか女神とか聖女とか短時間で呼称が散らかりすぎてるとか、いろんなことがシャルルのストレスをマシマシにしていた。
「取り敢えず、近日中に兄上御一家はこちらを離れられるということですか。了解致しました。私も仕事がありますので、そろそろ失礼致します」
「フッ、気を落とすな。お前が国に戻る時には、俺が引き立ててやろう」
「ナルシス様はやっぱりお優しいですね。こんな素敵な旦那様といれるなんて、やっぱり夢みたいだわ」
「フッ、コレット、お前は俺の人生に魔法を掛けた光の妖精…お前がいなければ、全ては色を無くすだろう」
「えっ、いま何て?」
「フッ」
もう嫌だ。切実にそう思ったシャルルは逃げるように部屋を飛び出した。
「叔父上!いらっしゃっていたのですね!お久しぶりです!」
あ〜コイツもいたわ…と思いながらシャルルが振り返った先には、コレットによく似た少年がいた。あの二人の息子のアベルだった。
「すまんがもう帰らせてもらうよ。これでも忙しいのでね」
「ああ、準備することも多いのでしょう。わかりますよ。軍を辞すとなれば機密の多い業界ですから、僕の予想ではこれから引き留められますね。あまりしつこいようでしたら、父上に僕から頼んで差し上げますよ。公爵の口添えがあれば事は簡単に進むでしょう。そのときには僕のアイデアも添えて…ね?親族のよしみですよ」
ウインクしながら堂に入ったドヤ顔を披露する甥っ子は、あの両親とはまた違う角度のキャラクターだが、他人のイラ立ちに確実にアプローチする能力の高さにはサラブレットの趣を感じさせた。
「伯爵としての振る舞いも僕たちからご指導できると思いますから、ぜひご遠慮なくお声がけください」
シャルルはいよいよ限界を迎えて、玄関に足を向けた。ストレスの閾値を超えた彼は去り際につい口走った。
「配慮は感謝するがね。伯爵になるのは俺じゃない。お前の、妹だ」
帰りの車中で、シャルルはひたすらに後悔していた。
今回の帰国は、姪っ子に会うのが主な目的だった。親父のいないところを急襲し見合いの話に頷かせてしまえば、目下の政敵である彼女を追い出せると彼は考えた。そのために彼女の飛びつきそうな釣書を集めた。それはつまり、あの美形の魔術師と似通った年恰好でより社会的地位の高い者達だ。
初めてまともに会話した彼女は気弱そうな女児であったので強引に進めればいけると思ったシャルルの期待は、大いに裏切られるところになった。
釣書をぼんやりと眺めていた彼女は、ぎょろっと上目遣いにシャルルを見上げた。間抜けな顔だなと思ったシャルルは、次の瞬間驚かされた。
「ワタクシッ!ランベールせんせぇと、けっこんしますわぁあぁ!」
彼女は突如として大声を上げた。目をキョロキョロさせながらスカートのポケットをもぞもぞごそごそと探り始め何かを握り込むと、両拳で目を抑えながら「うええええん!ゼッタイせんせぇと結婚するうぅぅ!ぜんぜぇど結婚でぎないなら生ぎででも意味がないでずわぁあ!」と続けた。
泣いているように見せたいようだが、涙は出ていない。彼女の手の中には目薬の瓶が見え隠れしていて、さっきから一生懸命中身を出そうとしている。
ドアの方を振り向き小さく「もう一息かしら」と呟いた彼女は、そろっとソファから立ち上がると床に転がった。
「うえぇぇぇん!せんせぇと結婚できないならっ…えっと、死んでやるうぅ!アッ、その、死んじゃいますわよぉ〜!!わたくしが!!!」
「どうなさいましたかお嬢様!」
慌てた様子の若い侍女が部屋に飛び込み、その後にのんびりと騎士が入ってきた。
演技力は今ひとつどころではないが、姪の狙いは的確であった。
最初の二人を皮切りに、どこからともなく大勢の使用人たちが湧き出してきて彼女を囲んでしまった。
集まってサワサワと協議した彼らは「お嬢様は取り乱しておられますので、本日はお帰りください」と結論を出した。
その時、侍女の後ろに隠れたアデライドとバチリと目があった。すでに平静を取り戻しているように見えた彼女は、少し不自然な間を置いて「うぇええん!わたくし、ランベールせんせぇとでなきゃ嫌ですワァ!」と叫び出した。
「ダメ押しですか?何か手伝います?」
「どうします?私達ももっと空気作った方がいいっぽいですよね」
「逆に嗜めた方がそれっぽくないですか?」
「お嬢様、目薬がカラになってますよ。補充しますね」
使用人たちのざわめきはシャルルの耳につぶさに届いてしまっていたが、多勢に無勢であるこの場で戦うことを軍人であるシャルルは良しとしなかった。
"美しい青年にうつつを抜かすワガママ令嬢"という世間の評判を真に受けて政争に臨んだシャルルは、ホームのアドバンテージを持つアデライドにあっさりと撃退されてしまった。
帰る道すがら、シャルルは改めてアデライドについて調べた。すると最近のヴォルテール公爵家の動きの影には、彼女の姿が常に見え隠れしていた。
当主とは反目しあっているリール公爵家とも、その息子をアデライドが懐柔して共同で慈善事業など始めており、シャルルは素直に驚いた。
失敗した、と彼は落ち込んだ。こんなに簡単にわかることを調べなかった自分の迂闊さを彼は反省した。世間の噂などに惑わされて、真実を見逃したのだ。
だから、彼は夢を見てしまった。もしかしたら、兄夫婦も彼が思うほどには愚かではないのかもしれないと。その期待はあっさり裏切られてしまったが。
ヴォルテール公爵領を去るシャルルは天を仰ぎ見る。空は高く、秋の深まりを感じさせた。今からあそこに行くのでは辛かろうなと、らしくない感傷を抱く。
ヴォルテール公爵は伯爵位をひとつと、子爵位をふたつ持っている。ふたつ目の子爵位には治めるべき領地が付いてくる。それはここから東へ向かい、王都を超えてもなお進み続け、広大な山脈に突き当たった先の場所だ。
コンフォート王国で一番厳しい寒さを誇る小さい領地にシャルルが思いを馳せたのは、だがほんの一瞬で。すぐに彼は姪との関係をどう挽回するかについて考え始めていた。




