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逆行推論エグザミネーション

「なぁ、センセイ!嫁はヨォ、大げさだって、早く畑仕事しろって言うんだがヨォ、オレぁさぁ、ノチフ病だろぁお?」

「違うっつってんだろ。お前さんはただの風邪、大人しく寝て治せ」

「はぁ?んな訳ねぇだろぉ!咳が出て、熱が出て、喉が痛いんだぞ」

「典型的な風邪!」

「ハァーー?!アンタみたいな若造がヨォ、なんでそんなこと言い切れるんだ!こうもダルいってのにヨォ!」

「俺が医者だからだよ!!ダルいのは酒の飲み過ぎだ!俺は忙しいんだ!酔っ払いはさっさと帰りやがれこのクソジジイ!」


その日の午前中、地元の高齢男性患者を診察しながらベルナールは無意識にこめかみをグリグリと押さえていた。「まさかここまでとは思わなかった」というのが彼の正直な感想である。


ランジュレ領の医療体制は王都に比べて遅れたものであったが、例の縫製工場に程近いこの病院はガワは立派だが中身が大変よろしくなかった。

周辺にはまだ志の高い医師がおり、ベルナールの方針をよく理解して協力してくれた為、治療のほとんどを任せられるようになったが、ここには拝金主義の為政者に媚を売るだけのものが多く、中には免許すら取っていないモグリまで紛れ込んでいた。

病院内は不潔で衛生が保てておらず、今どき同業相手に最初に言うのが「その辺に痰を吐くな!」になるとは流石に想像していなかった。

おかげで1人で大勢の患者を捌く羽目になったベルナールは、地元の医者と協力するべきだからと最低限の人数で来たのを後悔することしきりであった。


ランジュレ領に蔓延るノチフ病を根絶するために現地の見聞をするのだとアデライドに言われたとき、彼は自らも同行したいと思った。まだ産まれたばかりの我が子と妻のペリーヌを置いて長期間家を空けるのは抵抗があったが、他ならぬ妻が彼の背中を押した。


彼らにとってアデライドは恩人だ。今日、彼の細菌学者としての研究が成功を収めているのも、それが世間から受け入れられているのも、ある日突然現れた彼女のおかげであると彼らは思っている。

初対面の時には傲岸不遜という態度でベルナールをイラつかせたアデライドは、日を追うごとにただの子供としての顔を見せるようになり、最近はどちらかというと臆病で弱腰ですらあった。

当初は「キャラ変か?」と訝しんだベルナールに、きっとあれが本来の彼女なのだろうと言ったのは妻だった。それはストンと腑に落ちて、彼らにとってのアデライドは“支援者“から“庇護すべきもの“に変容していった。とは言っても彼女は国内随一の大貴族の令嬢であるので、影響力は絶大であったが。


彼女の連れてきたいけ好かない魔術師の協力で治療薬に続きワクチンまで完成してしまった。それは牛から取り出したノチフ病の菌を弱毒化したものだが、本来ならそれこそ10年単位の時間を掛けて培養を繰り返すべきところを魔術の力で数ヶ月にまでスキップしてしまった。ベルナールもこれには正直笑ってしまった。チートにも程があると。こんなものが認められてしまうのは、ヴォルテール公爵家の力があってこそだった。


彼の軸足は細菌学にあるが、医師としての免許も持っていた。彼女が自ら赴いて治療を、ワクチンを広めたいというのならば、ベルナールも自ら足を運んでみたいと思ったのだ。だが、この地方の医療の現状は彼の想像よりずっと遅れていたのだ。


それに加えて、この辺の人間は平気で道端で痰を吐く。それがノチフ病の菌をばら撒く行為だと言うのは、かなり前から専門家たちの研究で分かっていた。だから王都ではそのような行為はここ十年くらいでほとんど見なくなっていたので、カルチャーショックは大きかった。

自分も所詮は都会の箱入りだったのかとガックリと肩を落としていたところ、部屋の黄ばんだカーテンを開けてアデライドが入ってきた。


「あの、患者様。お話中恐れ入りますが、こちらであなた様の3日分の痰を調べましたところ、幸いにもノチフ病は陰性でした。先生の言う通り大丈夫ですわ。これからもお気をつけてくださいまし。アッ、可能なら今日は畑仕事は休まれて回復に努めてくださいな。お大事にしてくださいましね?」

「…まぁ、嬢ちゃんがそう言うんなら、そうすっけどよぉ。センセイももうちっと言い方ってもんを娘から学べヨォ!」

「うるせえさっさと帰りやがれ!」


ようやく出ていった男性患者を見送り、深く溜息をついたベルナールをアデライドが眉を下げて見つめてくる。初めて会った時より随分と背が伸びたが、彼に慣れたせいか表情は随分柔らかく幼くなったように感じる。ちょこちょこと自ら忙しなく働いている彼女を放ってぼんやりしている訳にはいかないと、ベルナールは自分に喝を入れた。


「よーし、今日もパパ頑張るからな!」


「他人ですわ」と返しながらも、アデライドは自分の頭を撫でる彼の手を好きにさせておくのであった。




午後からは患者のいる家々を訪問した。国からの指示で日頃から訪問看護をしているはずなのに、あまり効果を感じない有様にベルナールは閉口した。

狭い家の換気も掃除も行き届かない寝室に押し込められた患者との共同生活では感染を広めるばかりだ。リネン類などを日光や石炭酸で消毒するようにと動き回るアデライドは、よく年寄りから話し掛けられていた。

最初は気弱さから突き放せないだけかとも思ったが、意外なことに彼女は不安から饒舌になる家族や患者の心情に寄り添うのが上手かった。ベルナールにはそれが、この場所での唯一明るい発見のように思えた。





「うちの子はいい子だな〜よく勉強してるし頑張り屋さんだな〜姉妹揃って私立大学行っても大丈夫なくらいパパは頑張るからなぁ」

「娘さんの分は頑張ってくださいまし。わたくしのことはいいですわ」

「お姉ちゃんだからってそんなに早く自立しなくていいんだぞ。俺たちにとっては二人とも可愛い娘だからな」

「他人ですわ」

「働くパパはかっこいいだろ?同じ道に進みたいなら応援するからな。なんでも言えよ」

「…考えておきますわ」


今日は一際疲れたらしいベルナールがアデライドに絡んでいる。流石に鬱陶しくなったのか、アデライドの対応は雑さが目立ってきた。


「なんかリアルに親子みたくなってきましたね!」

「親子だよ!」

「他人ですわ!」


ポールのコメントにそれぞれ反射で返す彼らをみて小さく笑ったユベールに、ベルナールが噛み付く。


「なに鼻で笑ってんだ。見せ物じゃねーぞ」

「なんでいちいち俺に厳しいんだよ。そこまでのことしてないよね?」

「お前とはこう、勘に触るポイントの取れ高的なものの数え方が違うんだ」

「それって難癖でしかないんだよね。俺からしたらさ」


この日はそれなりに広い家を借りられたうえに、久々にゆっくりと風呂に入り暖かい夕飯にもありつけた一行は、ようやく体を休めることが出来た。


「入院出来る施設を増やした方がいいのかしら」


窓の外を眺めながらポツリとつぶやいたアデライドの言葉に、ベルナールが反応する。


「あの環境じゃ治るものも治らねぇからな。だがな、ガワが出来ても患者が入院費を払えないんじゃ意味がねえ。いくらお前んちでもそこまで金はかけられねぇだろ?」

「そうでもありませんのよ」


ニヤッと笑ったアデライドの顔は、初対面の時に感じた高飛車さをベルナールに思い出させた。


「お祖父様がアルドワンの鉱山事業に関わりましたでしょう?あのときに鉱夫組合の救済金庫に興味を持たれましたの。それを元に労災、疾病、老齢の年金制度を作ろうとされてますわ!」

「…それは凄いな」

「そうでしょう!!お祖父様はすごいのですわ!」


ユベールの相槌に得意満面という笑顔で答えるアデライドに、ベルナールとポールは不思議そうに顔を合わせる。


「職業ギルドごとに救済金庫ってあるだろ?特に坑夫は危険な仕事だから、伝統的に怪我や病気の保障を手厚くやってる。最近はいわゆる町の古き良きギルド文化は維持できなくなってるけど、それを国単位でやるってことさ」

「ああ、親方が自分のとこの職人が働けなくなったときに生活の面倒みるやつか」

「そうそう、坑夫組合のものを参考にするなら、任意ではなく強制加入、資金は事業主と労働者の拠出金とあとは国庫から幾許か…ってとこかな?だよね、アディちゃん?」

「たぶん…そう…?デスワ…ァ」

「あやふやじゃねえかよ」


得意満面から一転して目を泳がせるアデライドに、ベルナールが容赦なく突っ込む。


「つかまぁ、それが実現するとしても、今日明日ってことじゃねえだろ?それまでどうすんだよ。お前の財布はそんなにデカくねぇだろ」

「んぐっ…そうですわね」

「寄付を募ってみたらどう?オレも協力するよ、アディちゃん」


迫るユベールの肩を掴んでアデライドから引き剥がしながら、ベルナールが諭すように言う。


「コレを詐欺師っていうんだ。覚えとけよ」

「なるほど…?」

「いや、なるほどじゃなくて。ヴォルテールだけじゃなく、リール家もいいところを見せないと、世間からの目が痛いしさ」

「詐欺師はこういう自分本位な理由で近づいてくるからな。気をつけろよ」

「いやほんとさ、ずっと俺に厳しいんだよ」


親子(仮)と詐欺師(仮)の攻防にさほど興味もない様子だったポールが、何気なくといった風に口を挟んできた。


「お嬢様ってなんでそんなにノチフ病のことに熱心なんですか?」

「えっそれは…わたくしはただ、お祖父様がこの病気で亡くならないようにって…」

「あのジジイが?いま?ノチフ病でか?…アレはそうそう死なねーよ。そんな心配しなくてもいいぞ」

「なんでそんなことが言い切れますの?」


アデライドは前世のゲームと巻き戻し前の記憶の合わせ技により、この病気により大勢の人が亡くなることを知っていた。特にいま、アデライドが10歳のこの年に、貴族の間で流行して祖父までも亡くなってしまうのだ。それを防がないとヴォルテール公爵家は父のものになり、彼女は自分を愛さない彼らに冷遇されることになる。

ユベールより余程、自分本位かもしれないとはアデライド自身も思うが、みすみすそんな未来を迎えたくはない。


「今日も元気なジジイが来ただろ?検査では陰性って伝えたけど、あれは菌がゼロって言ってるわけじゃねえんだよ。前も言ったけど、あのマジカル野郎のイカサマがないとノチフ病の菌は増殖させるのに時間がかかるんだ。あの場合の陰性ってのは、結果がすぐ出る簡易検査ではノチフ病の菌は見つかりませんでしたって意味だ」

「じゃあ実際はいるかもしれませんの?それは危険ではありませんの?」

「その可能性はゼロじゃない。だが、菌がいても今のところ数が少なく、それは体の中でしごくゆっくりとしか増殖しないってことだ。元気な成人なら増える前に免疫ができて、発病はしない」

「えっと、じゃあお祖父様は…」

「この間会ったけど、憎たらしいくらい元気だったぞ。健康優良不遜ジジイだな。あんなの簡単には死にはしねぇよ」


アデライドはその言葉に呆然とした。彼女の記憶の中では、元気そのものだった祖父も彼の周りの貴族たちもバタバタと亡くなっていた。

ベルナールの言葉が嘘とは到底思えないが、ならば巻き戻し前のあの大流行と大勢の死は一体なんだったのだろうかと、ぐるぐると疑問と困惑が頭の中を回っていた。


「万一ジジイがくたばったっても、パパがお前には不自由させないからな。安心しろって」

「ちょっと…その慰め方は無しでしょ」

「ノンデリ極まってますね!」

「はぁ?んなことねえだろ?俺はあの冷血ノンデリマジカル野郎とは違うぞ」

「確かに。ランベールとは得意分野が違うね」

「じゃあノンデリケミカルですね!」

「ブハッ、フフッ、いいコンビだね。ウマが合いそう」

「はぁぁ?!俺をアイツと一緒にすんなよ!失礼な連中だな!」


ベルナールを弄る裏で、ランベールの欠席裁判を同時進行するような彼らの声をぼんやりと聞きながら、アデライドは巻き戻し前に思いを馳せる。

あの頃の彼女は公爵家と王家に囲われた狭い世界で生きていた。ゲームの記憶も聖女の目線だ。いくら尊い身とはいえ、彼女も平民出身の年若い少女にすぎない。だから、もしかしたら、自分の知らない何かもっと深い闇があったのかもしれないと、そんな思いつきに彼女は身を震わせた。





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