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攻略対象者1 やさぐれ医学者feat.糟糠の妻

アデライドとプルストを乗せた馬車は貴族の住む一等地から市場の喧騒を抜け、貧しい者たちの多く住む、やや寂れた集落を走っていた。


「本来ならばお嬢様をお連れするような地区ではないのですが…」

「仕方ないでしょう?この計画の要となる人物には、早めに会っておかなければなりませんわ」


今日の目的はノチフ病の研究者に会うことだった。彼の研究所がある場所は、巻き戻し前の知識と前世のゲームの記憶でわかっていた。事前に書状を送りこちらの目的を告げ訪問の許可は得ている、そう面倒なことにはならないだろうとこの時は思っていた。


年季の入った灰色の建物の玄関には『アラン感染症研究所』という木にペンキで殴り書きしたような看板が掲げられていた。

「うわぁ…」

「お嬢様、あまり正直に顔に出されてはいけませんよ」


周囲には草木が生い茂り、漆喰の壁がところどころ崩れて変色しているため暗くどんよりとした雰囲気を纏って見えた。プルストが玄関をノックすると、ぶすっとした表情の男がドアを開けた。

男は焦茶色の髪に鳶色の瞳をしていた。やや痩せぎすで背丈だけがヒョロリと高く猫背気味、そしてくたびれた白衣を着て無精髭を生やしている。前世で10万回は見た『いかにもな研究者』の人相風体である。記憶にある顔より若く、アラサーほどの年齢と見てとれるが間違いない。前世のゲームで見た攻略対象者のベルナール・アランだった。


「初めまして、わたくし先日お手紙をお送りした…」

「なんだガキ。帰れ」

「いえ、ですから、わたくし公爵家の…」

「お貴族様が何の用だ。さっさと帰れ、俺は忙しいんだ」

彼はそう吐き捨てると、派手に音を立てて玄関のドアを閉めた。その際に看板が外れてガタンと音を立てて落下し割れてしまった。

「割れてしまったけどいいのかしら?」

「もともと材質がよくないようですから仕方ありませんね」

あまりの対応にアデライドもプルストも呆然としてしまう。


ベルナール・アランは貴族男性が平民女性に産ませた婚外子である。

ベルナールは魔力が少なかったため父親に一顧だにされず、母が女手ひとつで彼を育てた。魔法の才能はなかったが勉学のそれには多分に恵まれていたので、奨学金を得るための試験に通り大学へと通った。大学の研究室に入り忙しいながらも生活は充実していた。息子が医学を志したことを父親が知るまでは。


この世界での医療には魔力を用いるものとそうでないものがある。治療魔法は術者と患者のもつ魔力量が重要になり、両者の魔力が多ければ欠損した部位すら完全に元通りになった。ただ感染症などには効き目が薄く、魔力の少ない患者にも効果がみられにくい。平民の多く魔力量が乏しく、魔法以外の治療を受けることになった。


ベルナールの父はプライドの高い古式ゆかしい貴族だった。仮にも自分の血を分けた息子が、平民による平民のための分野である医学に関わるなど言語道断だと怒り狂った。今まで何の援助もしなかった癖に邪魔だけはする父によって大学を追われたベルナールはこうして市井で独自に研究を続けることになった。


「貴族が嫌いとは伺っておりましたが、徹底しておられますね」

「そうねぇ…手紙では好感触だと思ったのだけれど」


後ろでガサリと音がして、護衛のために付き従っていた騎士がスッとアデライドの前に出た。

大きな紙袋を抱えた背の低い少しふくよかな女性が驚いた顔をして立っていた。


「アッ…アッ…あのひょっとしてヴォルテール公爵家の…エッアッちょっ小さ…?」

「はいアデライド・ド・ヴォルテールと申しますわ。ひょっとしてアラン様の奥様かしら?」

「オッ?アッ…ハイィッ!はっはじめまして、ペリーヌともうしマッアッわざわざお越しいただきまして申し訳ありムわすん」


動揺しているのか手をしきりに動かすせいで、手に持った紙袋がガサガサ音を立てて非常にうるさい。

「アッ、このような場所ですみません!どうぞ中にお入りくだっアッアッ?看板落ちて…エッアッ邪魔ですね?アッすみません!」


アデライドが騎士に指示を出すより早く、ペリーヌは看板を蹴り飛ばした。

「ドウゾ!!!」

勢いに押されるようにアデライドたちは建物の中に入ったのだった。





室内は外観から見れば意外なほど清潔に保たれており、応接室と思しき部屋には質素ながらもテーブルセットとソファが誂えられていた。アデライドは勧められるままにやや柔らかすぎるソファに腰を下ろした。しばらくするとペリーヌがベルナールを文字通り引っ張ってきた。


「だから俺は貴族の金なんぞに頼る気はないと言っただろうが!」

「そんなこと言える状況じゃないでしょ!」


腰を落としたペリーヌがベルナールをアデライドの向かいのソファに投げる。素晴らしいうっちゃりだ。


「オッ…茶を淹れてまいりますのでお待ちいたドゥケマシよう…」

「奥様も座って下さらないかしら?」

「オッ…?カシコマリマッ!」


アデライドはニコリと笑って言うと後ろに立っていたプルストにスッと目線をやる。頷いたプルストが部屋を出ていく。


「なんでお前そんなに緊張してんの?…こいつらに何かされたのか?」

ペリーヌはベルナールの隣に腰掛けるとキッと睨みつける。


「そんなわけないでしょ!今日は補助金についてのお話だって言ってあったでしょ!この人たちはベル君のこと認めてくれてるんだよ!」

「騙されてんだお前は。貴族が俺らに価値なんぞ見出すわけがねえ。親父みたいに邪魔してくるのが関の山だろ」

「確かにベル君のお父さんは頭カチコチで無価値なクソ野郎だよ!七回くらい死んで虫にでも生まれ変わるべきだよ!でも貴族がみんなそうな訳ではないよきっと!」


そうですよね!とでも言いたげなペリーヌの視線がアデライドに向けられた。

「ええっと…わたくしはベルく…ではなく、アランさんの研究を高く評価させてもらっているわ」

「ほら~!ベル君すごいよ!」

「はぁ~?どこをですかぁ?ちびっ子貴族様に何がわかるんですかぁ?」

シニカルな態度を崩さないベルナールを隣のペリーヌがポコスカ殴っているが、姿勢を改める気はないらしい。

「ノチフ病の原因となる菌株を見つけたのはあなただと伺っておりますわ。だから治療法を見つけてほしいの。世界で誰もできていないことだけれど、あなたが1番早く辿り着けるのではなくって?」

「…一応調べてはいるんだな。でも本当に理解して言ってるか?ちんまいガキがよ」

「専門的なことはわかりませんわ。でもあなたのことはすべて調べてまいりましたのよ」

アデライドはベルナールについて調べてきたことをすべて誦じてみせた。某ウィ⚪︎ペディアのように生涯、経歴、親族について語ってみせれば、ペリーヌは「合ってます!すごい!」と喜んだが、ベルナールは終始気味悪げにしていた。


ベルナールについてのウィキペ⚪︎ィア風語りがひと段落すると、テーブルにすっとティーカップが置かれた。

「大変申し訳ございません奥様、勝手ながら厨房を少しお借り致しました」

プルストの手で人数分の紅茶が出された。

「ウワッ!こちらこそ気をつかわせてしまって…」

慌てるペリーヌの横でベルナールが毒付く。


「貴族のクソガキが何で俺の研究に首を突っ込むんだよ」

「彼の娘さんがノチフ病なの。わたくし治してさしあげたくってよ」

アデライドは再び後ろに控えたプルストをチラリと見て話を続けた。

「何だそりゃ嘘臭えな。下々にも優しいワタクシを見てってことか?知らねえよそんなもん。ごっこ遊びなら家に帰ってメイド相手にでもやってろよ」

「あら、それでは不足でしてよ。わたくし…いえ、我が公爵家が病魔の掃討に貢献したこと広く世間に知っていただかなくてはいけないわ」

「やっぱりただの貴族の見栄か。くだらねえな」


アデライドは優雅な仕草でティーカップに口を付けた。いつも飲んでいる紅茶より、やや香りが薄く重い気がした。

「ねぇあなた。いまノチフ病に罹っている方の多くは平民でしょう?」

「そうだ。あれは労働者の病気だからな」

ノチフ病は空気が悪い工場や炭鉱などの場所で発生した。そしてそれらは人が密集して換気のされない環境でもあったので感染が広がった。


「貴族で罹る方はほとんど見ないわ」

「そうだ。だからお前らはお得意の治療魔法とやらにだけかまけてろよ」

「治療魔法で感染症の研究がされていないことはないけど、ノチフ病に関してはやっていないわ。ねぇ、これってチャンスじゃなくって?」

「は?」


アデライドはずっと不思議だった。巻き戻し前に突然ノチフ病が貴族の間で流行した。労働者の病であるとされていたので、国はこれに効く治療法などを熱心に研究してはいなかった。魔法の力の及ばないものでもあったので、最終的には公爵である祖父や国王陛下までをも含む多くの貴族が亡くなるのを手を拱いて見ているしかなかった。


「いま貴族の多くは他人事だと思っているわ。瑣末な庶民の病気だと。彼らは何の対策もしていないの。そして病気の菌株は特定されていて、たくさん増やせるでしょう?」

「はぁ?!貴族連中は嫌いだが、俺はそんなことやらねえぞ!」

慌てて立ち上がるベルナールにアデライドはため息をつく。

「バカね。あなたがするとは言ってませんわ。あくまでそういう隙ができてしまっているということよ」


誰が故意に感染を広めたのか、もしくは偶発的なものだったのか、巻き戻し前のことはわからない。だが誰かがやる可能性があるなら潰しておく必要がある。それが公爵家主導だと知らしめられればもっと都合がいい。


「お前さぁ、変なこと心配しすぎだろ。ガキなんだから帰って甘いココアでも飲んで寝てろよ」

「あなたがわたくしに協力してくれたら枕を高くして眠れましてよ?」

「アッ…アノッ!すみませんっちょっと関係ないかもしれないんですけど」

今まで黙って紅茶を飲んでいたペリーヌがティーカップを手にしたまま声を上げる。


「どうした急にデカい声出して」

「これ…どの茶葉を使われましたか?」

ペリーヌは少し声を落としてプルストの方に目を向けた。


「棚の手前にあった黄色い缶の物を使用させていただきましたが…問題がありましたでしょうか?」

「ア“ーーッ!私が入れたときより500倍美味しい!!」

「ほんとに関係ねえな。つか大袈裟だな」

ベルナールも紅茶を口に含む。

「…5倍くらいだろ」

「べるくぅん…」


妻に涙目で見つめられてベルナールが慌てる。

「いや、お前の淹れる紅茶がまずいってわけじゃなくて」

「まずいと思ってたんだ…」

「いやそんなことはな」

オロオロとするベルナールに構わずペリーヌはなおも言い募る。


「私ね、ベル君はきっと天才で、大好きだし、したいことしてほしいって思ってるよ…でもね私じゃ働いても必要なお金も用意できないし、最近は近所の人にも怒られるし、お茶も上手く淹れられなくて、役立たずで…デェッーー!!!」

ついに泣き出したペリーヌに全員がギョッとする。

「ダカラァー!お金くれるって言われテェー!嬉しかったのにぃー!アアアァーッ!」

「お前が!よくしてくれてるのは!知ってるし!すごく助かってるから!悪かったすまん!」


泣く妻と必死に宥めようとする夫、双方声が大きく、アデライドも対抗するように叫ぶ羽目になる。

「わたくしはっ!奥様がっ!役立たずだなんてっ!思いませんわ!」

「えっ?」

夫婦の目が一斉にアデライドを向く。


「わたくしの出した手紙にお返事をくださったのは奥様でしょう?突然の申し出にも丁寧にお返事くださってとても嬉しかったですわ」

「そ、そうですか…?」

「はい、ご主人のお仕事のこと、とても理解が深くて素晴らしいと思いましたわ」

「え、エヘエヘ…そうですかぁ?」

「日々のご献身が伝わってきましたわ」

「エヘヘ…他には?」

「えっ…と……便箋の色が可愛らしかったですわ!春っぽくて!」

「やったー!頑張って可愛いの選んだんです!春だし!」


夫に差し出されたちり紙を受け取るときには、ペリーヌはすっかり笑顔になっていた。


「というわけで、お金もらおうねベル君!」

鼻水を拭ったちり紙を握りしめながらペリーヌが言うと、プルストがテーブルにサッと紙を差し出した。

「ご夫婦共にご納得いただけたようですわね。まずはこちらの資料をご覧になって」


夫婦の前には地図と見取り図が置かれた。

「奥様からのお手紙にもありましたが、この建物では限界があるでしょう?新しい施設をご用意いたしますわ」

「えっ!いいんですかぁ?嬉しいい!もうあちこちガタがきてるし!」

「プルスト、説明して差し上げて?」

「かしこまりました」


プルストが見取り図を指し示しながら夫婦に説明していく。

「こちら廃工場の居抜き物件となってしまいますが、その分早く移転できますし、こちらの物件よりも排水設備が整備されておりまして、一部劇薬以外はそのまま流していただいて問題ありません」

「やったー!これで知らないオジサンから怒られなくても済むよ!」

「事業ゴミの回収もこちらで手配致します」

「やったー!知らないオジサンにゴミ漁られなくても済むよ!」

妻の方の心は掴んだようでベルヌールの腕を掴んで喜んでいる。


「必要な機器はあらかじめ用意させていただきます。こちらその一覧です」

「キャビネットに滅菌器に恒温槽に…全部揃ってるのかよ」

「実験室は陰圧になっておりフィルター設置済み、シャワー室も作ります」

「何から何まで」

至れり尽くせりな状況で、夫の方も心が揺れ始めているようだ。


アデライドがプルストと初めて話してから10日ほど、ペリーヌから手紙の返事が来てから3日ほど…公爵家の使用人ってみんなこんな感じなのだろうかと、アデライドも少し怖くなった。

そのときプルストがベルナールの耳元で彼にだけ聞こえるように何事か語りかけた。ベルナールがばっと緊迫した表情になりプルストを見る。それにうなづいて見せたプルストが少し口角を上げた。


「まだ作業中ですので、移転には少しお時間をいただきますが」

「ハッそりゃそうだろうな」

「え~どのくらいですか?」

「はい、5日ほど」

「「早!」」

「ご協力していただけましたらもう少し早くなると思います」

「「わぁ~!!」」


完全に乗せられた夫婦とプルストがテレビの通販番組のようなコールアンドレスポンスをしているのを、アデライドは少し遠い目をして見ていた。




「ねぇ、あのときアランさんに何を言ったの?」


あれから細かい話を詰めていき、大方の同意を得られた。今は帰りの馬車の中である。

プルストがベルナールに何か囁いてから、急に話が通りやすくなった気がしていた。


「お嬢様が奥様の身の回りに気を配ってほしいとおっしゃっていたでしょう?」


アデライドは頷いた。ゲームの時間軸ではペリーヌは死んでいる。死因もいつ亡くなったのかも詳しくは描写されていないが、もし事故や事件なら防いだ方がいいと思ったからだ。


「警備に連れてきた騎士によると、怪しい男がうろついていたと。私も茶を淹れると席を外した際に確認致しました」


今日は3人も騎士がついてきておかしいなと思っていたが、周囲を調べたうえで1人はそのまま夫婦の警護に回っているらしい。


「奥様のお手紙には『近所の方によく怒られる』と書いてありましたし、今日もそんなことを言っておられましたね。それと同じ人物かもしれません。今は恫喝のようなことだけですが、これからどうなるかわかりません。ですから、奥様の身を守りたいのなら私達の協力を受け入れた方がいいですよ…と、ご忠告をしました」


何か脅迫のようにも聞こえるが、ペリーヌの『知らないオジサンによく怒られる』発言にはベルナールも思うところがあったのだろう。


「それにしても、あのお手紙だけでこのことを予見できたお嬢様が素晴らしいですね」


「流石のご慧眼です」と言われてやや頬が引きつった。巻き戻し知識と前世のゲーム知識を併せても、自分は予見できていませんでしたとも言えず、「あったり前でしてよ!」と見栄を張るのだった。


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