未回収のストレージ
城の半地下にある牢獄の中、小さな明かり取りの窓から漏れる光と鳥の声でアデライドは朝が訪れたことを知った。
夜会で冤罪による婚約破棄を言い渡されてから、ここに拘束されて3日目になる。外部からの人間が立ち入って来ないこの場所では、ろくに食事も貰えずアデライドの体力は衰えていた。
聖女に対する傷害というまったく身に覚えのない罪で拘束され、本来なら精神もおかしくなってしまいそうなものだが、彼女は今までの人生で一番穏やかな気持ちになっていた。それは右肩にかかる重みと体温が、彼女の心を支えてくれているからだ。
アデライドが拘束されてから数刻もせずに、もう一人がここに投げ入れるように連れて来られた。同じ学園に通っていた彼女とは数回挨拶を交わしたことがある程度でほとんど面識が無かったが、他国の王女であることは知っていたので心底驚いた。
聞けば彼女も自分と同じ様に冤罪を掛けられて捕まったのだと言う。こんな無法な扱いを許すなんて、この国はどうなってしまったのだろうかと憂う気持ちはあまり続かなかった。
彼女とはいろんなことを話した。自分のこと、相手のこと、お互いのことを知って怒ったり悲しんだり笑ったりした。ついうっかり前世の記憶なんてもののことも話してしまったが、荒唐無稽でしかないそんな話も彼女は楽しんでくれて、アデライドのことを『友達』だと言ってくれた。
家族からも婚約者からもついぞ得られなかった優しさと思いやりを、はじめて与え合う相手が出来たのだ。それがこんな状況になってからなんて神様は意地悪かもしれないけれど、それでもアデライドは嬉しかった。
牢獄の石造りの壁に背中を預けて座ったアデライドの肩に、友達となった彼女は頭を預けて眠っている。夜の間、寝ずの番をしていてくれたらしい。優しくて頼もしいその心持ちが少し悲しくて、アデライドは彼女の黒髪に頬を寄せた。
夜会用にアップしていた髪は二人ともすっかり解けてしまって、互いの長い黒髪が絡み合う様に重なっている。それを眺めていると彼女と自分の境界線が溶けて心まで混ざり合っていくようで、不思議な幸福感がアデライドを満たした。
だがそんな安らぐ時間も長くは続かなかった。廊下からカツリと、音がしたのだ。
二人だけの静かな空間だったそこに、異物の足音が響く。それはアデライドたちの牢屋の前で止まると、鉄格子の扉を開けて中に入ってきた。
「ああ、良かった。ご無事ですね…ヴォルテール公爵令嬢」
涼やかな男性の声が場違いな明るさで響いた。
家族ですら訪れなかった牢獄に現れたこの男のことを、アデライドはよく知らない。聖女を見かけた時に、よくその隣で微笑みを浮かべていたのを覚えている程度だ。
そんななんの関係性もない彼が、今こんな場所に拘束されている自分にわざわざ会いに来るなど違和感しかない。警戒心が働いて、アデライドは咄嗟に友達を自分の背に庇う。
「何かご用ですか?女性の部屋に立ち入らないでくださいまし」
精一杯の虚勢を張って出した声を、男は無視して近づいてくる。
「こんな場所に閉じ込められているとは思わず、時間がかかってしまいましたが…まだ、お元気そうですね」
男は彼女達の前で膝を付いた。よくよく見ると彼は美形といえる容姿をしていたが、曲がりなりにも貴族令嬢として男性とは隔離されて育てられたアデライドは嫌悪感を隠せなかった。後退る彼女の手を男は無遠慮に掴むと、そこにはめられたブレスレットを繁々と眺めた。
「離してくださいまし!」
「本当に良かった。これなら大丈夫です。うまくいっていますね」
アデライドの必死の叫びと抵抗を気にする風もなく、男は観察を続け一人満足そうに頷いている。
「貴女はとても優秀ですね。尊い貴女の献身で、きっと世界は救われますよ」
彼が何を言っているのかアデライドにはわからないが、優しげな声音とは裏腹にその瞳は冷め切っている。まるで検分をするかのように眺め回されて、アデライドはゾッと身震いをした。
ようやく手を離されて、いまだに目を覚さない友達を抱きしめるアデライドに、男は更に近寄るとその美しい相貌に微笑みを浮かべる。
「大丈夫です。貴女は新しい世界の礎になるのですから。これはとても名誉なことですよ」
恐怖に震え上手く動けないアデライドは、ただ覆い被さるように友達の体を抱きしめる。そんな少女たちの黒髪の上に、長い白銀の髪が一房重なった。
「嫌ですっ来ないでっ!…うえっ…あら…?」
自分の寝言で目を覚ましたアデライドは、見慣れない部屋のベッドに寝かされていることに気がついた。ドキドキと脈打つ心臓の音が落ち着くのを待っていると、声を聞きつけたらしいパメラが覗き込んで来た。
「お嬢様!目を覚されましたか?」
上半身を起こして頷くと、パメラが心底安心したというようにふにゃりと泣きそうな顔をした。
「お医者様を呼んで来ますね!」と足早に去っていくのをぼんやり見ながら「お医者さま…?」と呟いたアデライドに、ひょっこり顔を覗かせたポールが答える。
「お嬢様は2日間寝ていたんですよ!お加減はどうですか?」
「なんだか頭が痛くて気持ち悪いですわ…」
「寝過ぎた時になるやつですね!自分もたまにやります!休みの日とか!」
近くで大きな声を出されると頭に響くなと思っていると、廊下からバタバタと複数の足音が近づいて来た。
「アディ!目が覚めたのね!」
最初に飛び込んで来たのはマドレーヌだった。アデライドに抱きつくと「ああ、よかったわ!かわいそうに!私の可愛いアディ!」と感情のままに呼びかけてくる。大きな声と揺すぶられたことの合わせ技で、アデライドの頭痛が悪化して顔色が青白くなったのを見て、マドレーヌがまた涙ぐんだ。
「私の可愛いアディがこんなに衰弱して…」
「耳元で大きな声を出したからじゃないですか?」というポールのツッコミに耳を傾けることもなく、マドレーヌがギッと先ほど部屋に入って来たエミールに鋭い目を向ける。
「あなたが付いていながらこんなことになるなんて…!エミール様が必ず守ると仰ったから私は…!」
「すまない、マドレーヌ嬢」
「私ではありませんわ!アディに謝ってください!」
ベッドの脇に膝をついたエミールは「すまない、アディ」と呟いた。
気が咎めているためかいつものポーカーフェイスが崩れているが、その顔はやはり成長したエドガーとそっくりで、アデライドは前世のゲームのイベントを思い出した。
魔獣の氾濫編でのラスボスである"太古の竜オディオ"との戦いでは、エドガーがとどめを刺すようにすると彼のセリフが挟まれる演出があった。
「この剣の力が!剣に宿りし魂が!今度こそ、お前を倒す!」そう叫ぶ彼からは普段は見せない激情が感じられて、多くのファンがこれを聞ける様に調整していた。前世のアデライドもご多分に漏れずその演出を見てはいたが、なんせエドガーというキャラが普段喋らなすぎるせいで背景情報が足りておらず、「何言ってるのかちょっとわかんないな」というのが素直な感想だった。
「今度こそ」とゲームのエドガーは言った。次男として生まれたのに嫡子になっていた彼が。じゃあ「剣に宿った魂」というのはひょっとして…とアデライドはエミールの顔をじっと見つめる。あまりにも一心に見つめられて怯みはじめていたエミールの首元に、突然アデライドは抱きついた。
「ご無事でよかったですわ。エミール…お兄様」
さすがのエミールも驚き逡巡していたが、アデライドの手が震えていることに気が付くとその背中を優しくさすった。しばらくして自分の突発的な行動に恥ずかしくなったのか、彼から離れて顔を赤くするアデライドの頭を、エミールはかつてない程に相好を崩して撫でていた。
仕事があるからとエミールが出て行くと、ススっと寄って来たマドレーヌがアデライドに尋ねた。
「あのね、アディはエミール様のことが好きなのかしら?」
キョドキョドと落ち着かない様子のマドレーヌに、アデライドは違和感を覚えパメラの方に目をやった。少し前までアデライドを心配して下がっていた彼女の口角はV字に回復していた。引くほどニッコニコである。パメラがこの顔をするのがどんな時かを、アデライドは知っていた。
「マディお姉様はエミールお兄様のことを、その…お慕いしておられるのでしょうか?」
すぐにマドレーヌの顔は真っ赤に染まり、恥ずかしそうに頬を抑えた。アデライドは再びパメラに目配せをする。笑顔の堪えられない侍女は大きく頷いた。急遽湧いた恋バナの予感に、アデライドの心も浮き立ってしまって、少し前に見た怖い夢のことなんてすっかり忘れてしまったのだった。
一方その頃、ランベールは森の中にいた。彼の足元では焼け落ちた木の枝がパキリと音を立てて砕けた。
消えてしまった竜の死骸に幻覚の可能性を疑ってもみたが、こうして確かに炎に焼かれた痕跡は存在していた。
「お前はあの子を診ていなくていいの?」
背後から掛けられたユベールの声に、振り返りもせずに「ただの疲労だ。寝れば回復する」と答えて森の調査を続ける彼は「冷たいね」と返された評価を、意に介する風もなかった。
「お前は何をしに来たんだ?誰から何の命令を受けている?」
やはりこちらを見ないまま投げかけられた問いに、ユベールは苦笑する。そんな大それたことじゃないけれど、と前置きして出された情報はランベールを振り向かせるのに十分だった。
「聖女?」
「うん、そう。そろそろご降臨される頃だっていうのがウチの組織の見解だよ」
「根拠は?」
「それは教えられないな。企業秘密ってやつ」
「企業じゃないだろ」と細かいところにこだわるランベールを、彼はまた驚かせる。
「あの子はウチの考える聖女候補の一人だよ」
「…根拠は?」
「あれを見せておいてそんなこと言うかな…お前はどう思ってるの?」
「わかるわけないだろ」
「正直いうと、俺も最近まで怪しい話だなって思っていたけどね。なんせ我が家の天使様も候補の一人だっていうんだからさ」
投げやりな返答にユベールがまた苦笑しながら話すが、素っ気なく別の質問が飛んでくる。
「ここでの事をどう報告するんだ?」
「たまたま俺たちが森にいた時に、たまたま竜が現れて、なんとか巣に帰っていただきました…ってことにしてあげようかなって思ってる」
「いい話でしょ?もう報告書も書いたんだよ」とへらっと笑う元同級生を、ランベールが訝しげに見遣る。
「ウチの上の連中に知られたくないってのはわかるよ。絶対面倒なことになるからね、特別対応だよ。俺たち友達だろ?」
「代わりに何をしてほしいんだ?」
ようやくこちらを向いたランベールに、ユベールは笑みを深める。
「前から頼んでたやつ。お前がずっと無視するから、俺は実家にろくろく帰れないんだぞ」
「帰る気なんか元々ないだろ」
「いいから、お茶会に参加な。メンバーは我が家の天使様と、お前と、あとは…アディちゃんかな」
「何でお嬢様を…」と、虚を突かれた顔をするランベールのことなど、どこ吹く風とスルーして「今度招待状送るからさ、お前のお嬢様にもよろしくしといてね」と、ユベールは立ち去ってしまった。




