喉元過ぎればレバレッジを高める
「ぶるわぁぁあ〜〜しんどぉ〜!疲れたぁ〜!」
「なんですか爺むさい。おやめなさい、まだ仕事が残っているでしょう」
「もぉ〜わかってるって…うっしゃ!」
ウィンドミューレン帝国内に造られたヘルムフューレン王国大使館の前で馬車から降りたフィリップは、いつものようにクリストハルトに叱られてピシリと曲がっていた背筋を伸ばす。
「お待ちしておりましたフィリップ殿下!お疲れのところ申し訳ありませんが、こちらでお待ちですので、いつものやつを何卒、お願い致します!」
「お疲れでーす、了解しましたぁ!」
自国の駐在員にヘラっと笑って声をかけて、案内された部屋の前でブェッヘン!と咳払いして表情を正してからフィリップはノックするとドアを開けた。
「兄上、ご無沙汰しております。お加減はいかがですか?」
涼やかな王子の顔になったフィリップは、ソファにクッションの山を作り、埋もれるように横たわっている人物に笑いかけた。
「あぁ、フィリーかい?…なんてことだ…今日もお前はとても美しいね…素晴らしいよ。きっと神話に語られた神に愛された少年というのも、お前の様な造形をしていたに違いない」
ぽろぽろとクッションが床に落ちるのも構わず、感極まったように宣う男性は、ヘルムフューレン王国の王太子アルプレヒトだった。
自分とほぼ同じ顔をした身内の容姿を、感極まった様子で褒めちぎる王太子に、フィリップはただ微笑んでみせる。
「兄上も。お元気そうで安心しました」
「違うんだよフィリー…僕はもうダメかもしれない。胸が苦しくてたまらないんだ」
アルプレヒトは胸を抑え顔を顰めると、またソファに体を横たえてしまった。
「皆が僕を責めるんだ。好きで王太子なんかになった訳じゃないのに…」
「ああ、どうか悲しまないでください。貴方から笑顔が奪われれば、この地上のすべてが宵闇に染まってしまうことでしょう」
フィリップは横たわる兄の、自分とよく似た黒髪を撫でる。傷みを知らない髪は、サラサラと絡むことなく指を通した。アルプレヒトは心地良さそうに目を細めている。
「僕は美しいものに惹かれただけなんだ…神ならぬ人の身として、それは仕方のないことだろう?」
「兄上は優れた審美眼をお持ちですからね」
イエスでもノーでもないフィリップの返答だが、兄は理解者を見つけた喜びの方が勝ったらしく、再び身を起こした。
「そうなんだ。僕はいつだって美を見出してしまうんだよ。たとえ路傍の石の中からでも。それを誰も理解してくれない。僕にはお前だけだよ…」
「ええ、兄上の感性は私達の宝です。その煌めきは星の瞬きのように皆を導くものであるべきだと、私は思うのです」
髪を撫でていた手が頬を掠めて離れていくのを、アルプレヒトは名残惜しそうに見送った。
「女帝陛下と皇女殿下にお会いしてきました」
兄の肩が少し震えるのを見て、一応罪の意識はあるのかとフィリップは目を細める。
「大丈夫です。怒ってはおられませんでしたよ。ただ少し…戸惑っておいででしたので、誤解を解く機会を設けることになりました」
「我が国の軍に新しい部隊が作られたことはご存知でしょう?」
フィリップの話にアルプレヒトは目をパチパチと瞬かせている。この反応は“今なぜその話を?”と“知らないよ”の合わせ技だなと観察しながら話を続ける。
「皇女殿下にそちらの名誉連隊長への就任をご依頼申し上げましたところ、ご快諾いただきました」
名誉連隊長というのは名前の通り名誉職で、軍に階級を持つわけではない。引退した軍人や、王侯貴族などの貴人にその部隊を象徴する顔として、たまに式典に出てもらったりするだけの存在だ。
「それに伴い、皇女殿下を我が国にご招待することになりましたので、諸々の手配を兄上にお願いしたいのです」
「…僕にかい?」
「ええ、皇女殿下の服装や勲章を、彼の御方に相応しいデザインにしたいのですが、私では見識が足りず…兄上が頼りなのです」
「それなら僕に任せておくれ!リーナに似合うものなら僕が一番知っているさ!」
アルプレヒトはデートをすっぽかしたものの、帝国皇女ドラリーナとは愛称で呼び合う程度には仲がいい。そこに性愛が無いだけで友情は確かに存在した。
「僕はいつものデザイナーと生地を見にいく!」と元気に支度を始めた兄を笑顔で見送り、フィリップも部屋を出た。その背中にドアの近くで見守っていたクリストハルトが声を掛ける。
「殿下、宵闇は月のない夕方のことですから、暗い状態を表現したいならあまり相応しくありません」
「え?第一声それ?」
「ああ、なんだか中途半端に明るいですね。それくらいなら別に…ってなります」
駐在員にまで突っ込まれて、フィリップは「まじ?俺のあの恥ずかしい全力パフォーマンスへの感想がそれ…?」と戸惑いを隠せないが、それは何でもないことのように無視された。
「これでしばらく王太子殿下も品行方正に過ごしてくださるでしょうか?」
「俺そうじゃないと困る〜。もう謝罪行脚したくないもん〜」
「見張り…ではなく護衛を増やすしかないでしょうね」
「金もかかるなぁ」
これから皇女殿下を国に招いて、王太子と並べて式典に添えることで仲良しアピールをしてもらわねばならない。この婚姻に不安はないと、国民に少しでも信じてもらう為にだ。失敗すれば、今度こそ女帝陛下に切り捨てられしまうだろう。
「ま、後は兄上担当班の仕事さ。俺たちのすることはもうないっしょ。なぁなぁ、帰るときコンフォートに寄ってアディに会いにいきたいんだけど!」
肩の荷を下ろして身軽になったとニコニコし始めたフィリップに、クリストハルトも笑顔で答える。
「鉄道の新路線を建設する計画があったのはご存知ですよね?」
「うん?なに突然?知ってるけど。ひょっとしてもう出来た?だったら俺見たい!」
「揉めてます。国王陛下の招聘した専門家が計画に大きく手を加えまして。技術官僚と民間の建設会社と地権者を巻き込んで喧々諤々としております」
不穏な気配を感じて「へぇ…」とフィリップの目が泳ぐが、クリストハルトは表情を変えずに続ける。
「殿下、それぞれと面会し事情の聞き取りをしてほしいと…」
「嫌だ!」
説明の途中にもかかわらず力強くお気持ちを表明したフィリップに、ピシャリと現実が突き付けられる。
「国王陛下からのご依頼ですから、拒否することはできませんよ」
「なんだそれ!?俺みたいな子供が首突っ込んだら余計に神経逆撫でするだけじゃん!」
「まぁ、そうですよね」
「マァ、ソウデスヨネ?!」
すぐ側で大きな声を出されても、侍従は慣れた表情で主張を変えることはなかった。
「とにかく、出来ることをやりましょう。私の方で資料をまとめてありますので、道中で読んでください」
「ワ…ワァ…」
おもむろに差し出された紙の束の厚さに、ついに泣きはじめたフィリップを馬車に押し込み、クリストハルトは急ぎ駐在員たちへの挨拶を済ませる。
「お騒がせ致しました。後のことはよろしくお願いします」
「いやぁ、大変ですね…ですが、こちらは助かりましたよ。まさかこんなに早くお相手様を説得されてしまうとは思っておりませんでしたし」
こちらも連日の徹夜や重圧から解放されたからか、ぼかしているのか微妙な表現で駐在員は滑らかに話し始める。
「案外、鉄道の方も上手くまとめてしまうんじゃないですか?ああ、本当に惜しいですね。もしあの方に継承権が…」
ゴホンとクリストハルトが咳払いをすると、駐在員は自身の失言に気付いたか、バツが悪そうに眉を下げた。
「玄関先でする話ではありませんでしたね。とにかく、こちらのことはお任せください。この度のこと、お礼申し上げますと、フィリップ殿下にもお伝えください」
玄関でもどこでもしてくれるなという気持ちを笑顔に込めて、クリストハルトはその場を辞して馬車に乗り込む。
中では既にフィリップが資料を読んでいた。
「そんなふうにしてると酔いますよ」
膝の上に置いた資料に覆い被さるような前傾姿勢をしているフィリップに声を掛けると、「んー」と言って狭い座席に無理やり横になった。揺れたら座席から落ちるだろうなと思ったが、酔っても落ちても、何をしていてもどうせうるさいだろうからと、クリストハルトは指摘をするのをやめた。束の間静かになった王子を乗せて、馬車はまた走り出した。
「魔力波の測定をしたい?それも静かの森で?」
王都に戻ったランベールはアデライドを伴って大学の研究室に来ていた。
先日、静かの森で発見した“光の扉”についてランベールが説明するのをアデライドは勧められた椅子に腰掛けながら聞いている。アルドワン候にも話していないことをここで話してもいいのかなと思わなくもないが、領主でもあるランベールの判断だしと気にしないことにした。
「魔獣の出てくるビックリ箱。特定の人間にのみ反応し、開けた人間にしか中身が見えず、声に出して初めて存在が確定する…あるのか?そんなものが?」
「あったんだから仕方がない」
半信半疑のメンバーに、ランベールがキッパリと断言し、アデライドがこくこくと頷いて同調すると、安普請な椅子はギシギシと音を立てた。
「しかも扉の開く演出付きか。そこまで凝ったことをしているのに、魔術式の痕跡がないのもおかしいだろ?」
「魔術師2人で調べても見つからなかったんだ。魔術式によるものではない」
研究員の問いかけにランベールが淡々と答え続ける。
「しかし扉に手を翳したときに火花のようなものが見えた。あれが魔力によるものであるなら…」
「だから魔力波を調べたいってことか。でも室内でもなかなか難しい微量魔力の観測を、屋外の、それも魔獣のいる森でかぁ〜」
それぞれがうんうんと唸りながら考え込んでいるその横で、アデライドは何の気なしに疑問を口にした。
「あのう、魔力波ってなんですの?」
アデライドの脳内では、某世界的人気漫画のキャラクターが「破ーッ!」っと放つアレの画像がドドンと出来上がっていた。
今まで頭を抱えていた3人の研究員は、スッと真顔になって視線をランベールに集中させた。
「…ランベール“先生”は何をしに行っているんだ?」
「公爵家にくつろぎに行っているんだろ。前より顔色良くなったもんな」
「君が日々楽しそうなのはいいことだと僕は思うよ」
それぞれの感想をぶつけられたランベールは、彼らから気まずそうに顔を逸らしてアデライドに向き合う。
「アデライドお嬢様、以前魔法というのはヒトの持つ魔力と魔素が反応して起こる現象のことだと説明しましたよね?」
いつになく優しい言い方だが、なんとなく圧を感じながらアデライドは頷いた。
「魔力と魔素が反応したときエネルギーが生まれ、波のように空間を伝わっていきます。それが魔力波です」
「…なるほど」
「その波の大きさや形を調べることで、どういった魔法が使用されたかを推測できるのです」
「…なる…ほど?」
「今度詳しく教えます。授業時間を増やしてもらいましょう」
「…なる…エッ」
自らの不用意な発言のせいで、新たなタスク誕生の瞬間に立ち会ってしまったアデライドが白目をむいているうちに、ランベールたちが話を進めている。
「一度現地を見たいが、これからは無理だな。冬になっちまう」
「雪解けを待ったほうがいいか。それまでに方法を考えよう」
「何にせよお金がかかるよねぇ。旅費に…測定器も用意しないと」
「資金のことだったら心配いりませんわ!わたくしに任せてくださいましと、ランベール先生ともお話ししましたのよ!」
いつのまにか復活していたアデライドが元気よく宣言する姿を見て、また3人の視線がランベールに集まる。助かると言えば大いに助かるのだが、ロリコンヒモ魔術師の面目躍如といえる働きに、さすがに戸惑いが隠せないでいた。
「ところでわたくし皆様にお土産をお持ちしましたのよ」
唐突にバスケットを取り出したアデライドに、虫嫌いの研究員の1人が咄嗟に「ギャッ」と情けない声を出して身構えるが、パカリと開けるとそこにはクグロフが入っていおり、甘い香りが漂った。
「今度開くお店のための試作品ですの。皆様にもご意見を伺いたくって」
「わぁ〜!いいんですかぁ〜」
怯えていた研究員が一転して喜色満面で「すぐ切り分けましょう。ついでにお茶も入れましょう」とソワソワと動き出した。キャッキャと盛り上がる一角を他所に、モーリスは眉根を寄せてランベールに話しかける。
「君さぁ、本当に人の好意に甘えてると痛い目に合うよって、僕は前から言ってるよねぇ」
「それなんだが…現状メリットが上回っているのに、将来的に起こりうるかもしれない損失を恐れてリスクを取らないのは、それ自体がリスクでは?」
「…なんて?」
モーリスがいよいよ顔を顰めるが、ランベールは構ったふうも見せない。
「いま出来ることを確実に積み重ねて行くということさ」
顔が良いせいでセリフが様になってしまっているが、ただ目先の利益のことしか考えていないってことではないかと、モーリスはツッコミたくて仕方が無いが、場所が悪いと口を閉ざす。
「ランベール先生、モーリス様も、召し上がりますでしょう?」
アデライドがニコニコと声をかけてくるが、その手に持ったケーキナイフがやけに大きく切れ味の良さそうなものに見えて、ふたりはドキリとする。
「アデライドお嬢様、私がやりますからナイフを渡してください」と、ランベールが平静を装ってナイフを取り上げようとするが、「大丈夫ですわ。任せてくださいまし!」と言ってなかなか手放してくれずに苦戦している。
その光景が未来を暗示していないことをモーリスは祈りつつも、まぁそうなっても自業自得だろうなぁとも思ってしまうのだった。




