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狼少年のスピーチ

森の出口に差し掛かったアデライドは、来たときには無かったざわめきを感じて、音のする方に目を向けた。そこでは停められた馬車の横で数人の男性が話し合っており、緊迫した様子を醸し出していた。


『あれ〜?みんな何でこんなとこにいるの?もしかして俺の出待ち?俺の待機列?まいったなぁ』


男性たちの存在に気がついたフィリップが大きな声をあげると、一斉に彼らの顔がこちらを向く。その視線の鋭さに、アデライドはびくりと肩を揺らした。



『殿下!やっと出てきましたね!ご無事ですか?!』

背の低い眼鏡を掛けた青年が猛然とフィリップに駆け寄ってきて捲し立てた。

『怪我はされて…ませんね?知らない人に貰ったものを食べたりしてませんね?!』

『うまかったよ』

『は?美味かった?!何してるんですか!?なんでも口に入れるのはおやめなさいと常日頃から言っているでしょう!』


出会い頭にガミガミと怒る青年に、フィリップに付いていた兵士の1人が近づく。

『おいおい、俺らが見てたんだから大丈夫だ。よそ様の前でそう怒るな』

『見てるだけではダメでしょう!だからあなた達に預けるのは反対だったんですよ私は!』

小さな青年が逞しい体躯の兵士を怒鳴りつけている様を、アデライドたちは驚きとともに遠巻きに見守っている。


『まぁまぁ、俺のこと心配して来てくれたんだろ?ありがとな』

へへっとわざとらしく笑いながら、場を取り持とうとするフィリップを、青年は一刀両断に否定する。

『いいえ。そんなつまらないことで、いちいち他国まで来るほど暇ではありません』

『えっ…つまらなって…えっ…』

『貴方に頼むしかない緊急事態が発生してしまったんですよ』


突き放されて狼狽えるフィリップの心情など構ったことではないとばかりに無視して、小さな青年は話を続ける。いかにも不本意だというような苦々しい顔をしながら。


『王太子殿下が行方不明になられました』

ズバッと結論から言われてフィリップがわかりやすく動揺する。

『兄上が?!ウィンドミューレンに行っていたはずだろ?そこでか?!』

『ですが、既に発見されました』

『…ん?なら何が問題なんだ?…もしかして怪我…?いや…』


一旦ほっとしたものの、最悪のケースに思い至り顔色をなくすフィリップに構わず、青年は話を続ける。

『いいえ、壮健でいらっしゃると駐在員から確認が取れています』

『なら何が問題なんだ?』

話が読めずにポカンとする王子と、深くため息を吐いた青年の間に、もう一人のスーツを着た青年が勢いよく割り込む。


『問題も問題、大問題です!発見された場所がですね!現地のホテルで、ベッドの上で!ですね!』

『うん?』

『王太子殿下は裸で!隣にはやはり素っ裸で寝てたんですよ!なんとそれも…男が!』

『…うん?確か兄上があちらを訪問したのは、婚約者の皇女殿下に…会うために…』


徐々に言葉に詰まっていくフィリップに追い打ちをかけるように、スーツの青年が残酷な事実を告げる。

『そうですよ!その大事な大事な皇女殿下とのデートを前に姿をくらまして!散々探し回って!見つけたら素っ裸で!隣にはやはりマッパの!おとこ!』


興奮状態の青年の剣幕に逆に冷静になったのか、フィリップが落ち着かせるように声をかける。

『いや、身内がこう言うのも何だけどさ、よそ様もいるところでさ、そんな醜聞を大声で言うのはやめた方が…』

『あはは!もう地元の大衆紙にすっぱ抜かれちゃいましたからー!向こうでは広く庶民に至るまで、誰でも知ってますよぉ〜残念!』


青年が手に持っていた新聞紙を広げると、そこには下世話かつセンセーショナルな見出しが踊っていた。クシャクシャになっているのは紙質が悪いのではない。むしろ流石大国、大衆紙でもいい紙を使っていて、彼が鬱屈をぶつけたせいだと推し量れた。


あまりの事態に情緒が壊れているスーツの青年を、無情にも力任せに押しやり、小さな青年は冷酷に告げる。


『殿下、貴方には謝罪のためにウィンドミューレンに行ってもらいます。今すぐに』


ゲェ…とフィリップが喉の奥から音を出した。そして、走り出した。


『逃げるぞ!』

『捕まえろ!』

『縛って馬に括り付けろ!』


青年たちと兵士が即座に動き出し、あえなくフィリップは捕縛された。ジタバタと暴れる王子を兵士たちが抱え込んでいる。


『嫌だ!何で俺がそんなことを!』

『王太子殿下は部屋に引きこもってしまい使えません!王弟殿下はコンフォートの重鎮と会談中、暇な王族は貴方だけです!』

『俺子供だから、そういうのわかんないし!』

『うるさい!こういうのは初動が大事なんです!誠意を示すためにも、王族がさっさと行って謝らなければダメなんですよ!あなたあの女帝陛下と面識あるでしょう!』

『だから嫌なんじゃん!怖いよぉ!』


王子はベソをかいているが、彼らは『口を塞いで荷台に放り込もうか』などと構わず恐ろしいことを言っている。人攫いと見紛うような光景を、アデライドたちはただ呆然と見守っていたが、フィリップの視線が彼女らの方に不意に向けられた。気まずさから皆一様に目をそらしたが、アデライドだけは反応が遅れてバチリと目が合ってしまった。途端にぐったりしていたフィリップが、またビチビチと陸に上がった魚のように暴れ始める。


『俺、挨拶してから行きたいから!世話になったから!時間くれ!』

『…どのくらいですか?』

考える様子を見せた青年の返答に、フィリップが気を良くしたのか笑顔で『んー30分くらい?』と答える。

『長いです。そういうのは我々に任せてさっさと謝罪に向かってください』

『あ“!?じゃあ、15分!』

『…』

『5分!…もう!3分!』

『よし、行きなさい』

『ッシャア!』




青年の合図で兵士が手を離すと、解き放たれたフィリップが猛然と走りだした。ビクりとしたアデライドの前に滑り込むような勢いで片膝を付く。


「アデライド…アディ。もう俺、行かなきゃいけなくなったから、今回はここでお別れなんだ。その、恥ずかしいところばかり見せてごめん」


本当にそうだなと全員が思う中、フィリップはアデライドだけを見つめながら続ける。


「また絶対に君に会いに来るよ。そのときには俺、もっとたくさん君と話したい。今の君のこと、君の好きなこと、そういうことを俺は知りたいんだ」


膝をついたまま、まるで壊れ物を触るように、慎重にアデライドの手を取るフィリップの、その見上げてくる目は真摯なものにしか見えなくて、アデライドは動揺のまま口を開く。


「ダッ、だけど、なぜ?わたくしは貴方に興味を持たれるような、そんな長所とか?そういったものは特にありませんのに…何も…」




先ほど散々暴れ回っていたせいで、髪もボサボサで顔にも土埃がついているが、フィリップの容姿は変わらず美しくアデライドの目に写った。そしてだいぶ様子はおかしいが、いざという時に彼を頼る人たちもいる。


アデライドにはそれが羨ましかった。彼女自身は見るべきところもない容姿で、さしたる能力も影響力も持っていないから。前世の記憶という得難いカードを手にしているのに、自分自身では何も出来ない。物語で見た悪役令嬢のように、もっと何かをしなければと思っているのに。



「違うよアディ。君はとても優しくて、思慮深くて、可愛い素敵な女の子だ。俺はそれをよく知ってるし、この目で見てる。だから自分を否定しないで。誰かの役に立とうと頑張りすぎないで。君は優しいから、きっと無理をしてしまう。それはダメだよ」


フィリップが握った手に力を込めた。アデライドの口からあふれた本音のほんのひと雫から、彼女が抱える不安のすべてを掬って慈しむように、その手は温かかった。不意に涙がこぼれそうになって、アデライドは彼から目をそらし顔を隠すように俯いた。


「ヨッ、よく知らないはずでしょう…貴方はわたくしのことなど。仰っていることが、その、おかしいですわ」

戸惑いは棘を含んだ言葉となって表れてしまい、アデライドはフィリップの顔をますます見れなくなってしまう。


「そっかぁ…信じてもらえないかぁ。うーん、それもそうだよなぁ…」

フィリップがブツブツと呟きながら、ゴソゴソと音を立てて身じろぎしている。自分で突き放しておいて、温かい手が離れてしまうことを恐れていたアデライドは、「あ、あった!これこれ」というフィリップの明るい声に、思わず顔を上げた。



彼は右手に指輪を持ち、アデライドの薬指にそれを通す。幼い彼女の指にはゆる過ぎるそれは、明るいオレンジ色の宝石の周りに小さなダイヤモンドが添えられたデザインだった。その石と、アデライドの指先にフィリップが唇を落とす。


「やっぱり…この色は君によく似合うね。まだブカブカだけど、すぐにちょうど良くなるよ。大丈夫」


「ブッ、ぶかぶかとか、そう言うことではなく、なっ、何で指輪なんてっ」

「だってさ、誓いの印って言ったら指輪が定番だよね?」

そう言ってフィリップは、胸に手を当ててアデライドを見つめる。


「君に誓わせてほしい。俺は君のことが大好きだ。だから君が、君自身のことを大切に出来て幸せになれる、そんな未来のために俺は力を尽くすよ。君のことを支えていたいんだ」


ヒュウッと誰かが口笛を吹いた。まるでプロポーズのようなセリフと熱のこもった視線を真っ直ぐに向けられて、アデライドは顔を真っ赤にして言葉も出ない。



『殿下、そろそろお時間です。お支度をお願いします』

背の低い眼鏡の青年が小さく声を掛ける。『わかった』と答えたフィリップはもう一回アデライドの手に口付けると、ゆっくり名残惜しげに放した。


「またね。それまで元気で、俺のアディ。君が呼んでくれたら俺はどこからでも会いに行くから」

「えっ…」と言葉に詰まったままのアデライドに手を振って、それから見守っていた周囲の人間にも声を掛ける。

「ニコラとポールと、ランベール先生とプルストさんもじゃあね!」


言うだけ言ってくるりと背を向けると、王子は来たときと同様に全速力で走って行ってしまった。




「ご挨拶が遅れましたヴォルテール公爵令嬢。私はヘルムフューレン王国第二王子付侍従を務めております、クリストハルト・リンクと申します。この度はお騒がせしてしまい誠に申し訳ございません」


残った青年はアデライド達に向けて頭を下げると、王子を怒鳴りつけていた時とは別人のように、柔和な笑みを浮かべた。


「あっあの、こちらなのですが…」と、アデライドが手にした指輪を見せると、青年は眼鏡に手を添えながらそれを繁々と眺めた。


「ああ、これは…我が国で採掘されたガーネットですね。確か亡くなった王妃陛下のお持ち物だったと記憶しております」

「そっ、そんな大事なものをわたくしが戴くわけにはまいりませんわ。フィリップ殿下にお返ししていただけませんか?」

慌てるアデライドに、青年は眉を下げて困ったような顔になる。


「大変申し訳ございません。殿下がお渡ししたものを私の判断でお受け取りすることは憚られます。どうかそのままお持ちいただけますようお願い致します」

青年はアデライドに微笑みかけた後、再び頭を下げる。

「また後日、改めてご挨拶に伺います。本日は誠にありがとうございました」

失礼致しますと、深く下げた頭を上げると、青年もフィリップの後を追うように立ち去った。





「やっば!もうあれ公開プロポーズじゃん。俺もやるときになったら、殿下のあれパクらせて貰お〜」

「ですねー」

「まぁ、その前に相手をつくれって話だけどさ」

「ですよねー」

ニコラとポールがはしゃいでいるその横で、プルストもなぜか感じ入ったように目を潤ませている。


当のアデライドはぼんやりと、彼らの去った方向を見つめている。手にした指輪を手のひらで包み込むようにしているのは、まるでそこに残った温度が失われるのを惜しんでいるかのようだった。



熱に浮かされたような一行の中で、ランベールだけが苦い表情をしていた。彼の目にはフィリップの言動がひどく胡散臭く不可解に見えた。


あの少年は清廉な王子の顔をして耳目を惹いた後に、道化のようにおどけた態度で意表をついて警戒心を砕いてみせた。そしてその砕いた隙間に染み入るように愛と誠実を注いだのだ。

ランベールのように卓越した容姿に胡座をかくだけではない。まるで心を拾い上げて慈しんでみせるような言葉で、全員の心を掴んでしまった。彼の幼さでそれが出来るのは、大きな才能だ。魔法の魅了などより余程タチが悪い。男女関係なくここにいた皆が彼を忘れないだろう。


部下の青年たちが、王太子のやらかしをフォローするために彼を呼び戻したのは、ただ王族であるからというだけではないだろう。大国の女帝の心すら、ひょっとしたらあの王子は掴んでしまうのではないかと思うと、なぜかひたすら面白くないという気持ちが湧いてきた。


苛立ちのままにランベールはニコラに声を掛ける。

「宿に帰るぞ。例の扉のことも何もわかっていないんだからな」

「ああ〜忘れてた!殿下も行っちゃたもんなぁ。はは、どうしよっか?」

どこかあの王子と似通った軽さのある従兄弟に渋面をしてみせながら、ランベールは歩き出した。






『本当に、残酷なことをしますね…あなたという人は』

馬に括り付けられることも荷台にぶち込まれることも免れて馬車に乗せてもらえたフィリップは、眉間に皺を寄せたクリストハルトから苦言を呈されていた。


『あんな求婚まがいのことを言って…。あなたはあの公爵令嬢と結婚できるような立場ではないと、よく分かっておられるでしょうに』

『嘘はついてないよ。ひとつもな』


フィリップは窓の外に目をやったまま、止まらない説教に簡潔に答えたが『だからタチが悪いと言っているのですよ』と、わざとらしくため息を吐かれる。


『それよりさぁ、女帝様は許してくれるかな?いっそのこと靴でも舐めたほうがいい?』

『あなた普段何でも口に入れるんですから、許してもらえるなら靴などいくらでも舐めたらいいんですよ』

ヘラヘラと強引に話題を逸らしたフィリップに、クリストハルトが毒づく。

『ひどいな。そんなこと言うと俺もう靴を舐めるプロになるぞ』

『勝手になさいな』



馬車の中に沈黙が落ちるとクリストハルトはまたひとつため息を吐いて、『自分を大事にすべきなのはあなたもですよ』と呟いた。


『それは俺が立派な靴ソムリエになるまで支えてくれるってこと?』

車輪のガタガタという音に紛らわすように小さく囁かれた言葉を、地獄耳の王子はしっかりと拾っていた。


『意味のわからないことを…そうやって馬鹿なことばかり言って自分の気持ちを誤魔化していると、いつか見失ってしまいますよ』

『だいじょぶ、だいじょぶ。なんとかなるさ』


ニカっと笑う王子に、盛大な顰めっ面で答えたクリストハルトは今日幾度めかもう数えきれないため息を吐いた。













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