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感情のベクトルと変化の不可逆性

「いや〜…変わった子だね!」

「だから言っただろう」

ランベールとモーリスはいつもの店で夕食を取っていた。二人とも自炊を殆どしないので、自然と共に食事をする回数は多かった。今日の話題は、先日虫を携えて研究室にやって来た公爵令嬢についてだ。


「いやでもさぁ、君あれはないと思うよ」

「あれってなんだ」

「いやぁ…わかって言ってるよねぇ、わかってなくても引くけどさぁ…子供を財布扱いするのはどうなのってこと」

虫のインパクトがありすぎて有耶無耶になってしまったが、ランベールはかの公爵令嬢から研究資金を引き出そうとしていた。これには研究室の全員がドン引きしていた。


「人聞きが悪いな。いい投資先を勧めただけだぞ」

「君ねぇ…自分のこと好いてくれる子だからってそんな事してるといつか痛い目にあうよ」

色んな意味で良いツラの皮をしたランベールが女性からとてもモテるのをモーリスはいやというほど見ていた。彼が少しこの華の顔に笑みを浮かべるだけで、モーリスが生涯経験しないような事が起こるのだ。あの子もこれに騙されているのかと思うと、やっかみを通り越して空恐ろしくなる。

かなり困難だが虫の印象を取り除けば、あの公爵令嬢も素朴な女の子に見えないこともない。熊というより熊のぬいぐるみに似ていて、やや地味に見えるがつぶらな瞳をキラキラさせていた。あの歳でこんな人間に騙されて男性不信にならなければいいけれどと、モーリスは心底憐れに思っていた。


「別にお嬢様は私のことをさほど好きではな…いや、うん、忘れてくれ」

うっかり口を滑らせたというような発言を、モーリスは流さず食いついた。

「え?じゃあ何で?そんなことないでしょ?僕だって知ってるくらい噂になってるのに」

人付き合いの範囲もさほど広くなく世事にもそれほど興味がないモーリスは世間の噂に割と疎い方で、そんな彼の耳にもヴォルテール公爵令嬢はこの目の前の人間にとても執着しているという話は聞こえて来た。


「それは何というか…高度に政治的な判断だな」

「よくわからないな。まだ小さい女の子なんだし、それで困ったことにならないんならいいけどね」

貴族の女性が結婚前に評価を落とすということは、貴族ではないモーリスにもあまり良いことではないとわかる。何か事情があるにせよ、かわいそうなことにならないといいなと思っていた。


「大丈夫さ。最近の噂では公爵は彼女に手持ちの爵位を贈ろうとしているそうだ」

ヴォルテール公爵はいくつかの伯爵位と子爵位を持っている。そのうちのひとつを愛する孫娘に譲ろうとしているというのは、信憑性のある話として最近は貴族の間で取り沙汰されている。

「そのためにヴァンダム侯爵の次男と見合いをしているらしい」

「へぇ、あの歳で結婚相手が決まっちゃうんだ。それはそれで気の毒だね」

モーリスはそう言うとつついていたニンジンのグラッセを口の中に放り込んだ。

「それまでにできるだけ引っ張らないとな」

「うわぁ…」

「まぁ結婚してからもやりようによっては出来るかな」

「いやそれ詐欺師の思考…」

この同期が持てる才能を正しい方向に使ってくれると良いなと、モーリスには祈ることしかできなかった。





「こんちは!親がぁお前のこと迎えに行けってぇ、何日も前から言ってきてぇ、気ぃ早くねってなってぇ、オレ言ったんだけどぉ、なんかぁ意味わかんないレベルでぇ、まじうるさいからぁ、お前トロくさくて面倒だけどぉ、まぁ連れてってやってもいいかなってぇ思ったし。一緒行こうぜ」

初夏のある晴れた日。アデライドにとっては憂鬱な行事の始まりを告げる使者のように、エドガーが公爵家を訪れた。


何回か会ううちに完全に格下認定をされたようで、たまにナメくさった口をきくのが気になるが、今はそれどころではないのでアデライドは「ありがとうございます」と笑顔で流した。

ヴァンダム家の馬車へエドガーが力任せにアデライドを引っ張り上げる。それをハラハラと見守るプルストは今日はついて来れない。これから向かう場所は王宮だった。


今回の訪問の目的は、ある種の定番である同世代の貴族子女と王子の顔合わせのための会であった。サボりたいと思っていたが迎えに来られてしまってそれもできず、ならいっそのことこの対王子決戦用しゃべくり男子のテスト運用と割り切ろうとアデライドは決めた。つまり、ざまぁまでの助走である。


「あっちトモダチいっからぁ、オレちょっと行ってくる!」

王宮に到着した途端、助走なしでエドガーは走り去って行った。貴族男子の群れの中に突っ込んで楽しそうにしており、アデライドのことなど完全に忘れてしまっている。彼以外に同世代の友人どころか顔見知りすらいないアデライドは完全なぼっちとして取り残された。泣きたくなっていたそのとき、彼女に後ろから声が掛けられた。


「ヴォルテール公爵令嬢。久しいな」

硬い声、冷たい目、巻き戻し前より悪化した態度で、今日のホストで主役のラファエル王子がアデライドを睨みつけていた。

「ラファエル王子…本日はお招きいただきましてありがとうございます」

「よく顔を出せたものだな」

フン!と擬音がつきそうなくらい顎を上げてこちらを見下ろしてくる王子にアデライドは戸惑った。この方、感情の乏しさが売りみたいなキャラではなかったんですの?と。彼がこんなに敵意をむき出しにするのは前世の戦闘パートですらそうそうなかった。


「いまだにロワイエ卿にしがみついてみっともない事だな。彼を解放する気はないのか?」

そのセリフにアデライドの中で衝撃が走った。


彼女はここが乙女ゲームの世界だと思っていた。だから攻略対象者はゲームの中と同じ性格をしているはずであるというバイアスが掛かっていた。だがその前提が正しいという証拠は、彼女の記憶という頼りないものしかなく、ひょっとして自分は大きな考え違いをしていたのではないかと、そんな発想を彼女は王子のセリフから獲得してしまった。


同じような造形だが、違う性格をした男性キャラたち。ラファエルもエドガーもランベールもゲームとはどこか性格が異なっている。ならば彼らの感情のベクトルが女性に向けられなければならないというルールは存在しない。『ここはBL二次創作の世界である』反証することの出来ないその仮説は、彼女の中で説得力を持ってしまった。自分は乙女ゲームの悪役令嬢ではなく、BL世界の悪役令嬢であると。


「それは…わたくしはちゃんとふさわしい振る舞いが出来ているのかしら…」

「君がふさわしい訳がないだろう」

アデライドのひとりごとは、不幸な形でラファエルに拾われてしまった。

「それは存じておりますわ!」

突然勢いづいたアデライドに「は?」と王子が引いた。

「わたくしこれから精進して参りますわ。ふさわしい、とまでいかなくとも、少しは認めていただけるようになりたいんですの…」

興奮のままに「BL世界の悪役令嬢として!」と続けようとした彼女の言葉は、無遠慮な大声に遮られた。


「アデライドぉ!お前まだぁ、ここにいたのかっていうかぁ、まじ何してんだってぇやつだけどぉ、向こうみんなでぇ、とりまドッチやろうぜってなっててぇ、人数少なすぎねってなったからぁ、お前も入れてやるし」

つい先程まではアホ犬だと思っていたエドガーも、乙女ゲームのバイアスが消えたアデライドの脳にはワンコ系攻めと誤認識された。結果、取り持たねば!絆!という使命感が湧いてエドガーの腕を引っ張り王子に紹介する。

「ラファエル殿下、こちらヴァンダム侯爵家の…」

「初めまして!エドガー・ド・ヴァンダムです!ラファエル殿下にお会いできて光栄です!」

アデライドの言葉にホストの存在を思い出したらしいエドガーは、恐らくこのセリフだけを繰り返し親に仕込まれて来たんだろうなぁという挨拶を披露する。


「ああ、君が…気の毒にね。隣のご令嬢は他にご執心だというのにね」

ラファエル王子はそう言うと皮肉げな笑みを浮かべた。それにアデライドとエドガーは顔を?だらけにする。ご就寝?睡眠時間は確かに多い方ですわね…とアデライドが思考を飛ばしていたとき、隣のアホが口を開いてしまった。


「よくわかんないけどぉ、とりま挨拶返せよ」

端的に正論だが無礼すぎて、今度はアデライドとラファエルの脳が停止する。再起動が早かったのはアデライドの方だった。

「エドガー様!ドッチ?ドッジボールするんですわよね!人数が足りないならラファエル殿下もご一緒にどうかしら?」

「は?私はまだ挨拶があるしそんなことをしてる暇は…」

「一緒にスポーツすることで挨拶代わりになりますのよ!行きましょう!」

渋るラファエルの背中をアデライドは文字通り思い切り押した。このままこのメンツでいたら、ざまぁRTAから処刑RTAに変異してしまうと、全力で誤魔化す方向にアデライドは舵を切った。結局、偶数になるからとアデライドも男子に混ざってドッジボールに参加させられる羽目になってしまった。



ラファエル王子殿下とのお茶会だと招待されていた貴族子女たちは、一部の男子たちが王子を巻き込んで始めてしまったドッジボールを呆れたように眺めていた。


「あちらヴォルテール公爵令嬢かしら?まぁ男性と一緒にあんなに駆け回って…」

「お噂通りとても奔放な方のようですわね」

華やかな女子のグループがクスクスと笑い合っている。その中で一際目を引くプラチナブロンドの少女の、桃色の唇から鈴の音のような声が響いた。

「ふふふ、ぜひお友達になりたいですわね。皆様もそう思うでしょう?」

「まぁ」「そうですわね」と答える声はどれも嘲りの色を含んでいて、彼女たちは互いの認識が共通していることを確認して満足した。


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