紫の薔薇のむし
王都に国立の魔法研究所を有する大学はいくつか存在したが、アデライドは今日その一つに足を運んでいた。
ランベールに特別実習と告げられて案内されたその大学は、外観は前世で見た大学という施設と変わらなかったが、進むごとに世間の騒音とは隔絶されたような静謐な空間になっていって、ついには金属製の堅牢そうな扉が現れてアデライドはちょっとビビり始めていた。
「この板には魔力が貯めてあります。人の体も必ず魔力を帯びていますから、ここに指で触れるとその部分だけ魔力の容量が変化します。その変化量から指紋の凸凹の形を判別して、登録されている指紋と同一だったときにロックが解除されます」
そう説明しながらランベールが扉の横にある銀色の板に人差し指を置くと、ガチャンと重く鍵の開く音がした。驚くアデライドに「これもここの成果物ですよ」と事もなげに言ってさっさと歩いていってしまう彼を急いで追いかける。
今日プルストは用事があって外しているし、護衛のポールも研究所の中までは入らせてもらえなかったため、アデライドはひとりでランベールの広い歩幅に合わせて早歩きしている。少し疲れてきた頃に「こちらですよ」と彼が立ち止まったドアは、先ほどのものと比べてずいぶん安普請に見えた。
ドアを開けると、物が多いが整理された部屋に二十代から三十代と思しき男性が3人ほどそれぞれの仕事をしている様子だった。その目が一斉にアデライドの方を向く。事前にランベールからキャラを作らなくていいと言われていたために、彼女は普段通りの挨拶をする。
「お邪魔致します。アデライド・ド・ヴォルテールと申します。本日は見学をお許しくださりありがとうございます」
しばらくの沈黙の後「あ、はい…初めまして」「えっこんにちは…」「あっ…あ〜?どうぞごゆっくり」と返事がポツポツと返って来た。戸惑いを含んだそれらに不穏さを感じてランベールを仰ぎ見ると「少し行き違いがあったみたいですね」と薄く笑っている。どうやら同僚の皆さんに話を通していなかったらしい。
一番人の良さそうな男性に近づいて何か話していたランベールが、アデライドを手招きする。
「えっと…初めましてヴォルテール公爵令嬢。僕はモーリス・ゴーチエと申します。ランベール…さんとは同期なんです」
やや平均より背が低く丸顔の男性は、彼にとって突然の訪問者であろうアデライドを受け入れてくれるらしく、笑顔で挨拶をした。
「ここにくる途中の扉が立派でびっくりしたでしょう?あれだけ予算を結構貰えたんですけど、使い切ってほしいって言われてああなっちゃったんですよね〜ってそんなことはいいか」
アハハと笑いながら薄い金属の板をアデライドの見やすい位置に出してくれる。
「これ一枚の板に見えるけど実は小さなマス目に分かれてて、そのひとつひとつに魔力を貯めてあるんです。人が触るとそのマス目の魔力量が変わるので、その差を魔術式を使って計測してます。これだとごく微量の魔力にも反応するから誰でも使えるんですよ」
一息に説明してから彼はランベールの方をふと見る。その目は少し座っていた。
「この板の方は僕が作りましたけど、魔術式は彼がほとんど作りましたね。彼はねぇ、とても才能があるんですよ。でももう少し計画性とか身につけてくれると助かりますね」
アハハとやはり笑いながら指摘されたが、当の本人はどこ吹く風という顔だ。
「今まで魔道具の類は使うたびに魔術式を組む必要があったり、起動させるのにそれなりの魔力量が必要だったりしましたが、彼の作るものならばそれを必要としません」
「ゴーチエ様は素晴らしいものを作られたのですね」
素直に感心したアデライドにキラキラした目で見つめられた彼は照れ笑いをしながら頭を掻いている。悪い気はしなかったらしい。
「次はこちらの彼の研究なのですが」
話をさっさと切り替えて別の研究員を紹介しようとするランベールに「えっ?次俺なの?」とその彼がびっくりしている。こんな感じで全員分の研究をアデライドは説明されることになった。
「皆さん素晴らしい研究をなさってますのね」
すべての説明が終わって、研究室の一角でアデライドは出してもらったお茶を飲んでいた。大きなマグカップは彼女の手には重くて、仕方なく両手で持っている。
「そうなんです。しかし足りない物があるのです」
「まぁそれは何ですの?」首を傾げる彼女にランベールは食い気味に「予算です」と告げた。
なぜここに連れてこられたのかを一瞬で理解して、アデライドはカップを握ったまま考え込む。
「こちらの研究はどれも本当に素晴らしく皆さま非凡な才能を感じますが…お祖父様に納得していただくのは難しいと思いますわ」
アデライドの目から見ても、どの研究も使い方次第で市井の人々の生活を変えそうなものだったがインパクトがなかった。祖父は軍事や医療などの、すぐ、目に見えて、おおきく、役に立ちそうな物でなければお金を出さないだろうなと彼女は考えた。「そうですか…」と落胆を含んだランベールの返答に彼女の気持ちも沈む。その時アデライドはふと思い出した。
「そういえば、最近プルストが運用がうまくいっているから投資先を増やしたいと言っておりましたわ。わたくしの個人資産でよろしければいくらかお役に立てますわよ」
「よろしいのですか?」
「もちろん。でもそれでしたらプルストにも直接見てもらった方がよかったですわね。また来てもらおうかしら」
「あ、いえ、それはいいです。あの人渋そうなので…お嬢様からお願いしてもらった方が効果的です」
「そうなんですの?」と不思議そうにまた首を傾げたアデライドに、モーリスが恐る恐るといったふうに声を掛ける。
「あのー…ヴォルテール公爵令嬢。こんなことを僕から言うのはおかしいかもしれませんが、お金のことはもう少し慎重に考えた方がいいかと…」
それに触発されたように、他の二人もわらわらと集まって来て「そうですよ。ここで結論を出さないで誰かに相談して」「まずは一旦距離を置きましょう」と口々に言い募る。
今この研究室では、喫茶店などでたまに見られるやばい感じの勧誘をする人と、それに乗ってしまいそうな人と、それを阻止したい人の構図が作られた。アデライドはその中心にいた。カモネギとして。彼女はしばらく考えてから話し出した。
「わたくし個人の資産ですし、こちらのお役に立てるなら悪くないと思いますのよ」
お金のことは全部プルストに任せきりでアデライドは金額を聞いたこともない。新薬のことで派手に使ってしまったし、運用してくれているといってもそんなには残っていないだろうと思っている。
「それほど多くは出せないでしょうけど…。あら、でも皆さまの研究が大成功してしまったら、わたくしとってもお金持ちになってしまうのかしら?どうしましょうか?ふふふ」
わざとおどけてみたアデライドは、皆がかえって静かになってしまったことに「スベり倒しましたわ」と凹んだ。
「ところでこれ何ですか?今日ずっと持ってましたが」
ランベールがわざとらしいくらい急に話題を変えた。今は机の上に置かれているが、今日アデライドはずっと籐製の小さな蓋付きのカゴバッグを持っていた。いつもは手ぶらでハンカチをポケットに入れてヨシとしている彼女には珍しいことだ。
「えっ…あっ…それは…何でもありませんのよ」
目をキョロキョロさせる彼女を見て「申し訳ありませんが、中を検めさせていただきますよ」とランベールがそれを掴んだ。咄嗟に止めようとしたアデライドは両手にカップを持っていたため間に合わなかった。
蓋を開けると中には白と紫のグラデーションが美しい薔薇の花が一輪、萼から上の部分だけ入っていた。
「おい、女性のものを勝手に開けるのは…げっ!」
ランベールを止めようとした研究員は薔薇の花の横にカサカサ動くものを見つけて「ギャー!虫!」と叫んで部屋の隅まで逃げ去った。
「虫ですね」
「なぜ」
ランベール達が繁々と眺める。青くメタリック状に輝く平たい虫がそこにはいた。
「その子、この間いただいたお花の中に入っておりましたの。お部屋にひとりで置いていくのは可愛そうですし。あと図鑑で調べても種類がわからなかったんですの。大学ならもっと詳しく調べられるかしらと思って…」
「それで連れて来たんですか…」
「はい。だって何を食べるかもわからなくて。薔薇の中にいたのにそれは食べてくれませんのよ」
カサカサしているそれは3センチほどの大きさで丈夫そうな顎を持っていた。
「え〜何だろこれ?見たことある?」
「俺は無い」
「クワガタ…とは違うな。ひょっとして飼いたいんですか、これを?」
ランベールの問いにアデライドはえへへと笑って言う「だってとっても綺麗でしょう?」と。
その場の成人男性たちは大いに困惑した。この国に昆虫採集という子供の遊びは無かったから、それも無理のないことだった。そのとき視界の端にチカっと青い光が見えてランベールが視線を落とすと、虫が光を放っていた。
「あっほら綺麗でしょう?この子光るんですのよ」
この世界にも光る虫はいるが、それとは何か違う。そう思ったランベールは咄嗟に口に出していた。
「モーリス、魔力容量の検出装置を出してくれないか?」
先ほど説明した板に、モーリスがコードを何本か用意して目盛りの付いた計器のようなものを繋いでいる。アデライドはその様子を虫を片手に持ったままで眺めていた。
「アデライドお嬢様…それ、平気なんですか?」
ランベールは森に入ることが多いので虫自体に抵抗は少ないが、積極的に関わろうとは思わない。
「マスミさんならこのくらいは大丈夫ですわよ。たまにピリピリする液を出しますけど、今日は機嫌がいいみたいですわ」
「マスミサン…?いや、それ毒出してますよね?あとで手を見せてくださいね」
「種族がわからないので名前をつけましたのよ。何だか愛着が湧いてしまいましたの」
部屋の奥から「どういう感性?」という、か細い声が聞こえてくるのに、ランベールは深く同意する。
マスミさんをアデライドが板の上に置く。しばらくは普通にカサカサと歩いていたが、ピカリと光った。
「あっ今反応があったよ」
モーリスが言う通り、計器の針が動いている。
「やはりこれは魔力だ」
「いやでも昆虫が魔力を持つというのは聞いたことがないぞ」
「あっでもまた反応したよ」
小さい計器を成人男性三人が押し合いへし合いしながら熱心に眺めている。ひとしきり観察してああでもないこうでもないと言い合ったあと、ランベールがアデライドに告げた。
「アデライドお嬢様。この虫はこちらでお預かりします」
「えっ」
「え”え“っ!!!」
驚くアデライドの声に被せるように、部屋の奥から野太い悲鳴にも似た声が響いた。
「いやうちの研究室でではなくてですね、専門家に見せます」
「返してはいただけませんの?」
悲しげに呟くアデライドを見下ろして、ランベールは「それは出来ません」といっそ冷酷に聞こえるほどに断言する。
「先ほどの話を聞く限り、この虫は毒を持っていますよね?それと…このことをプルストさんはご存知ですか?」
アデライドは「んぐ」っと漏らして黙り込んだ。内緒で飼おうとする程度には後ろ暗く思っているらしい。
「何かわかったらお知らせしますから…マスミサンはお預かりしますよ。いいですね」
「…はい」
渋々ではあったが返事をするアデライドの声にまた被せるように、部屋の隅から「俺はムリぃ…」という嘆きが聞こえた。




