功労者を悩ます事案
季節がまた春になって暖かい陽射しが射すようになった頃、パメラの治療が終わり退院することになった。
入院している時は常々「社会復帰出来るかなぁ」と言っていたパメラだったが、退院の日はとても晴れ晴れとした顔をしていた。
「今度は私から会いに行きますね」
アデライドに笑ってそう宣言した彼女を見てプルストが泣き出してしまった。パメラが恥ずかしがって必死に泣き止まそうとするのにその度にさらにオイオイと涙を流すため、ついに彼女は怒り出してしまいちょっとした騒動になったが、アデライドにとってはそれもいい思い出になった。
いくつかの症例で効果が見られ、もっと大々的に臨床試験をしようという段になって、アデライドは祖父から呼び出された。
「これから新薬の開発についてはお祖父様に任せてほしいと仰るのですか?…それは公爵家として支援をしていただけるということですの?」
アデライドの疑問を受けて、う〜んとレオポルドは少し唸ってから説明し始める。
「この件についてアディが頑張ってくれていたのは知っておるよ。これはアディがやり遂げてくれたことだと、この家の者はみんな知っておる。だがな、大人の世界では…なんというか頭の固いのがいてなぁ。子供が作った薬だと知ると不安になってしまうらしいんだ。アディもせっかく作った薬をみんなが使ってくれないのでは悲しいだろう?」
祖父はやや眉を下げて、珍しく歯切れの悪い言い方をした。要するに世間から信用してもらう為に、開発に子供が関わったことは隠し、公爵が最初からバックアップして成功させたということにしたいらしい。
祖父はこれがアデライドの功績だと気遣ってくれるが薬を作ったのはベルナールだし、手伝ったのはランベールとペリーヌだし、お金を動かしてくれたのはプルストだし、そのお金も祖母の遺してくれたものだ。アデライドはたまに遊びに行ってはベルナールの独特なコミュニケーションの洗礼を受けていただけだ。わたくし本当に何もしておりませんわね…と彼女は容赦ない腹落ち感に襲われていた。
「わたくしは構いませんわ。お祖父様にお任せできるなら安心ですし」
アデライドの第一の目標は『祖父が死なないようにする』であり、それについての首尾は上々なのだからすでに満足しているし、公爵家がその後のことをすべて請け負ってうまく運用してくれるならむしろ楽チンでラッキーだとすら思う。
「ですがアランさんにはその旨をわたくしから説明させていただいてもよろしいかしら?」
心配なのは、あのやさぐれ貴族嫌いキャラの反応だ。臍を曲げないでいてくれるといいなと不安を抱きながら、アデライドはベルナールの元を訪れた。
「ふ〜ん、あっそ」
いつもの応接室でつらつらと事情を説明したアデライドへのベルナールの第一声はそれだった。正確に伝えられなかったのかと、アデライドが少し焦って付け足すように言い募る。
「ですからアランさんにはお祖父様と開発を進めたと見せるために、事前に少し打ち合わせをして欲しいのですわ」
「口裏合わせろってことだな。わかってるよ」
実にあっさりと納得してくれたようでアデライドが意外さに目を瞬いていると、向かい合って座っていたベルナールが不意に立ち上がり彼女のすぐ側に片膝を付いてしゃがみ込んだ。少し垂れ気味の鳶色の目がほんの近くまで来て覗き込んでくる。それを見て、そういえばこの方も攻略対象者でしたわとアデライドは息を呑んだ。
「お前はそれでいいのか?」
咄嗟に言われたことを飲み込めずに惚けた顔をする彼女にベルナールが焦れたように続けた。
「これじゃあお前に何のメリットもねえだろって言ってんだよ。骨折り損のくたびれもうけ!」
「そんなことはありませんわ。公爵家の栄誉はわたくしの栄誉と同じでしてよ」
そう言ってツンと顔を上げてフフン!と笑った彼女の頬を、ベルナールが両手で挟み込むように抑えつけた。
「そんな上っ面のことを聞いてるんじゃねえよ。本当のことを言え」
ベルナールが己の鼻先がくっつきそうな距離でアデライドを睨みつける。彼の目が至近距離でギラギラとしていて恐ろしいが顔を押さえつけられているせいで目を逸らすこともできず、声にならない悲鳴を上げながらアデライドは何故こんなことになっているのか考えた。彼を怒らせてしまったのだとしたら何が原因かと、まとまらない思考をそのまま口から漏らす。
「あのっあなたのお父様のことは申し訳なく思っておりますわ!」
「はぁ?」
ベルナールが目を丸くする。睨まれなくなって安心したのか、アデライドが早口に喋り始める。
「あのときもっと慎重に行動していたら亡くなることもなくお話ができたのかもって、わたくし時折思い出してっ、お祖父様なら全部きっと上手く出来ただろうなって」
「しぬほどどうでもいい」
「えっ」
ひどく感情の乗らない声を返されて、今度はアデライドが目を丸くする。
「アレはただ血の繋がりがあるだけの他人だ。どうせ妙なところから金でも借りてたんだろうから時間の問題だろ」
確かにプルストに調べてもらったがミュレーズ子爵は亡くなる前の一定期間、子爵領の収入以上の金額を使用していた。そのお金の出所は結局分からず終いだ。
「そんなことよりお嬢、ランベールの田舎でも色々やってるって聞いたぞ。お前いったい何なんだ?目的は何だ?吐けよ」
「吐けってあなた…おぶぶっ」
ベルナールがアデライドの頬を掴んで引っ張る。彼女の頬をスクイーズか何かだと思っているかのような無造作さにみえて、ちゃんと痛くはない程度に加減しているのが彼らしい。
「吐けば楽になるぞ〜」
「わたくし犯罪者ではありませんのよ!」
今日はなぜかペリーヌが不在で、プルストも事務処理があるとかで席を外している。救いはないのかとアデライドが絶望し始めた時、後ろから声が掛けられた。
「何をしてるんだ?」
ランベールがいつの間にか入ってきて、不審なものを目にしたような顔で見下ろしている。ベルナールが舌打ちをして答える。
「勝手に入ってくるな。話し合いの最中だ」
「お前が以前にいちいち呼び出すな勝手に入って来いと言ったんだ」
ベルナールの注意が逸れたスキをついて、アデライドは彼の腕から逃げ出してランベールの後ろにビタリと張り付いた。ランベールがアデライドにうっすら避けられていた時期を知っているベルナールは、その様子に「おお…懐かれたな」と感嘆する。と、そのとき廊下から急いでやって来た様子のプルストが顔を出した。
「お嬢様、お時間を要してしまい申し訳ありません。お話し合いの方は…」
「プルスト!待っておりましたのよ?!」
ランベールの後ろにいたアデライドはダッシュでプルストの方にいってしまった。それを黙って見送った彼の姿をどう見たのか「うーん…まぁ、気にするな。こればっかりはしょうがねえよ」とベルナールが余計な気を使いはじめて、今度はランベールが舌打ちをしたい気分になっていた。
それからまた一カ月経ち、王都の公爵邸ではパーティが開かれることになった。
貴族、議員、医療関係者などを集めて催される顔合わせ的なもので、主役はベルナールで彼のお披露目のようなものである。祖父が貴族らしく晩餐会を何度かやろうというのをアデライドが頼み込んで一回の立食パーティーまでに簡略化してもらった。ベルナールにへそを曲げられては堪らないからだ。
本来なら夜に催されるイベントに子供は参加することはないのだが、アデライドも触りだけ顔を出すことにした。それに色めき立ったのはなぜか女性使用人の皆さんである。「リンクコーデにしましょう」とテンションぶち上がっている彼女らに提案されてアデライドは顔に疑問符を浮かべた。「ランベールさんっぽい意匠をお嬢様のお洋服に」「お色味をお揃いにしますか」と勝手に盛り上がる彼女らを見てようやくアデライドの理解が追いついた。今回ランベールも協力者ということで招待していたのだ。2人が揃って出席する初めてのパーティということで、アデライドのランベール大好き粘着令嬢キャラを衣装でも演出しようという試みらしい。
だが彼女らの計画は早くも暗礁に乗り上げた。アデライドは深みのある黄みがかった色がランベールは明るい青みのある色がそれぞれ似合い、お揃いにするとどちらかが強烈に似合わない。それにこの世界の夜会においては男性は黒の燕尾服にホワイトタイを正装としているので小物で遊ぶとしても限界があった。結局、時間も無かったのでアデライドはいつものボルドーのドレスでランベールには同じ素材の細いリボンで髪を結んで貰うことになった。パッションを持て余した彼女らは「次回はアクセサリーやポイント素材をリンクさせましょう」「色ではなく生地感を揃えるのもいいですよ」「資料を用意しましたので是非ご参考に」と生地や素材の見本を置いていった。いつ来るかも分からない次回のために、アデライドは大量の見本を吟味する羽目になった。
そんなこんなでパーティ当日のアデライドは祖父にくっついてニコニコと招待客に愛想を振り撒いていた。アデライドの関わりを隠すために『ベルナールが公爵に支援を願い、公爵はそれに胸を打たれ応えた』と、大雑把にいうとそんな脚本が作られたのだが、ちゃんとベルナールはその通りに話を合わせている。それを見届けてホッとしたアデライドはそろっと会場を抜け出そうとした。元々ベルナールの様子を見たかっただけだし、子供が遅くまで大人の集まりにいるのはいい顔をされない。人いきれを抜け出したところでアデライドは背後から肩を掴まれた。
「どこ行くんだよ」
「ギャッ」
ベルナールが「お前だけバックれるのはずるいぞ」と逃げようとするアデライドを離さないので、アデライドはジタバタとその場で奇妙な動きをしている。
「やめろよお前は…アデライドお嬢様大丈夫ですか?」
ランベールの手で解放されてアデライドはようやくひと心地つくが、会場の人気のない物陰に今日の主役級が2人来てしまったことに気づき狼狽える。
「わたくしはもうお暇させていただきますの。お二人はお戻りになって?」
「は?嫌だ」と即答するベルナールにアデライドは半眼になって沈黙し、ランベールは「子供か?」と呟く。いつも通りのやり取りにふと気が緩んだアデライドは自分の重大すぎる見落としに気がついた。
「アランさん。ペリーヌさんは来られませんの?ご招待したはずですが…」
その問いにベルナールが戸惑ったように目を逸らした。
「あいつはちょっと…体調が悪くて今日は置いてきたわ」
アデライドはスゥッと血の気が引くのを感じた。ペリーヌはゲームや巻き戻し前の時間軸では亡くなっていた。もうすっかり解決した気になって油断していたが、ひょっとしたらまだ何も終わっていなくて、これからの時期に彼女が死んでしまうとしたら…と不安が一気に襲ってきた。
「えっなんだその顔?!そんなに心配すんなよ」
急に様子の変わったアデライドを見てベルナールが慌て始め、やや気まずそうに説明する。
「いやそのな…そんな心配しなくていいんだ。今は悪阻がひどいけど大丈夫だから」
つわり…アデライドが頭の中でその言葉を反芻する。
「忙しそうにしてた割には元気だなベル君」
「お前な!子供の前で言うことじゃねえだろ!」
わちゃわちゃといつもの言い合いに興じていた2人はふとアデライドのほうに目をやってギョッとした。彼女は静かにぼたぼたと涙を流している。
「えっなんだ?どうした?どっか痛いか?」
オロオロするベルナールが彼女の周りをウロウロするが一向に泣き止む気配がない。
「あのおっさん呼ぶか?あれっいないな…あーもうなんだ!泣きやめ!抱っこしてやるぞ」
「…そんなっ…子供ではっ…ありませんわ」
ようやく返事をしたことにホッとしたベルナールが「子供だろうが!」と言いながら頭をワシワシと撫でたためにアデライドの髪型がぐしゃぐしゃになる。それをやんわり止めたランベールが彼女に手を差し出す。
「ベルナールこっちは私に任せてお前は戻れ。アデライドお嬢様、お部屋に戻りますか?」
こくりと頷いた彼女のだらりとおろした手を「ではエスコートさせてくださいね」とランベールが握って引く。子供相手にこっちが見ていて恥ずかしくなるような気障ったらしさだなとベルナールは思ったが口には出さずに見送った。
この時に覚えた違和感をきちんと言葉にしていたのなら、未来のあり方は変わっていたのだろうかと、子を持つ父親となった頃のベルナールはふと思い出してはひとりバツの悪いような複雑な思いを抱えるようになるのだった。
夜会で皆手を取られているせいか、公爵家の生活スペースに人の気配はなかった。メイドに任せようと考えていたランベールは当てが外れて結局アデライドの自室まで連れて行くことになった。べそべそと泣いている彼女を放っておくことも出来ず、まだ挨拶をしていない関係者はいたかと内心考えながらしゃがんでアデライドと目を合わせる。
「アデライドお嬢様、どうかされましたか?何か悲しい事でもありましたか?」
彼女はその問いにただ首を横に振った。
「ではどうして泣かれるのですか?」
彼女は何も話さない。静かな空間にズビズビと鼻を啜る音が響く。ランベールはハンカチで仕方なくその顔を拭ってやる。子供じゃないと言いつつ子供返りしているなと鼻を噛んでやりつつ思う。
「嬉しかったの…」
ポツリと呟く小さな声が聞こえてきた。
「前の時は…子供はっ…いなかったと思うから…ほんとうに…よがっだ」
話すうちに鼻水が溜まっていったようで、また鼻を噛んでやる。やや意味が通らないが、友人夫婦に子供が出来たことが嬉しくて泣いたということかと理解して、なんだ大袈裟だなとランベールは内心ため息を吐きつつ笑って見せてやる。
「そうですね良かったです」
そう言うとアデライドのぐしゃぐしゃになった顔に少し笑顔が浮かんだが、ハンカチを見てまたしわしわになった。
「これ…わたくしが差し上げたものですわ」
「洗濯しますので…」
鼻水でぐしゃぐしゃなったハンカチを両方の作成者が悲しげに見つめる。
「ねとねとでずわ…」
「…また作ってください」
こくりと頷いた彼女の顔からはもう涙は消えていたが鼻水は残っていて、すでに満身創痍であったハンカチにトドメを刺すことになった。




