ハンカチとネタバレとヒス構文
年が明けて幾日かたった頃、アデライドはパメラの病室を訪れていた。
既に治療薬は完成し投与されている。「最初は注射めっちゃ痛いって思ったんですけど、毎日するから慣れました」と言ってパメラは笑った。ベルナールに聞くに、ノチフ菌はすごくしぶというえに中途半端に薬を使うと薬剤耐性が出来てさらにパワフルになってしまうため、三ヶ月くらいは注射を続けるらしい。これにはパメラも「春までかぁ」としょんぼりしていた。
お見舞いに来てパメラに教えてもらいながら刺繍をするのが最近の日課になっていた。長居しすぎて迷惑かなと思っていたけれど、パメラもプルストも居てもいいというのでアデライドは遠慮をやめた。
刺繍をしようかと思った当初はダニエルさんに教わろうかとアデライドは考えたのだが、地下牢に入り浸ることにプルストはいい顔をしないし、ポールは珍しくシリアスな顔をして「それだと実質…というか、間接的にはおじさんの手作りみたいなことになってしまいますのでやめましょう」と言ってきて、意味はよくわからないがやめることにした。
何故アデライドが急にそんなことを始めたかというと、前世プレイした乙女ゲームのことを思い出したからだ。乙女ゲームの大事なイベントとしてバレンタインがあり、聖女はこの日に攻略対象者にチョコレートを配って回る。この国では女子からチョコレートを贈る習慣などなくむしろ男性からプレゼントをすることが多かったが、その辺の実情は無視されていてプレイヤーが攻略対象キャラとの関係性における数値調整をする日になっていた。
本命キャラには手作りのチョコレート菓子とちょっとしたものを合わせて贈り、本命ではないが親密度は上げておきたいキャラにはあまり値段の張らない既製品のチョコだけ渡す。そんな適当なものを贈るくらいなら何もしないほうがいいのでは?と今のアデライドは思うのだが、男性心理としては可愛い女子に貰えるならなんでも嬉しいのかもしれないと考えると、やや釈然としないが納得はできた。
そんなバレンタインの日に向けてアデライドは今から刺繍を練習している。その日はランベールの誕生日でもあるからだ。ゲームシステム的にはバレンタインと誕生日が同じだと親密度を上げるイベントが一つ減るので、彼の攻略を目指すプレイヤーには無駄に難易度上げないでくれと不評だったが、今の彼女には覚えやすくて助かる以外の思いはない。
という訳で、なんとなく思い出したそれに合わせて貴族女子っぽく刺繍したハンカチをプレゼントしようかなと思い立った。ちなみに今作っているものはプルストにあげようと思っていると伝えたら、パメラは「練習台としてはちょうどいいですけど、調子に乗るからあまり気を使わなくていいんですよ」と酷めのことを言っていてアデライドは笑ってしまった。
そんなこんなで日々ちくちくちくちく針を刺して2月になり、今の彼女が満足できるレベルのものを完成させたのだが、なんとなくこれだけ渡すのは寂しく思えて、アデライドはここにきて聖女がチョコをあげた理由もわかるような気がした。ハンカチだけだとお菓子と比べて重量も軽く体積もないので、贈り物というよりなにかの記念に配られる粗品っぽいなと一度考えてしまうと、そうとしか見えなくなった。だから聖女リスペクトという訳では決してないが、クッキーも作ってみることにした。するとどうだろう、やはり何かの粗品っぽくなった。なんとか自動車の新車ご成約記念とか、なんとか保険の新規ご加入記念とか、そんな雰囲気を感じるが、アデライドは色々諦めて潔く渡すことにした。
ランベールはその日の授業の終わり際に、小さな手で差し出されたものを見て戸惑った。薄水色のリボンと包装紙でラッピングされた箱を見て、今日がバレンタインで自身の23歳の誕生日であることを初めて思い出した。
「ありがとうございますアデライドお嬢様。あの…恥ずかしながら私は今日がバレンタインということは忘れておりまして…」
「わたくしが日頃の感謝のためにお渡ししたいだけですわ。なにせ貴方はわたくしの“お気に入り”でいらっしゃいますのよ」
そう言いながらやや胸を張ってフフンと笑って見せるポーズは、この少女が少し高慢に見せたい時によくするものだとランベールは気付くようになったが、何故今このタイミングでするのかは理解ができない。
「自分もクッキーを貰いました。手作りらしくてビビりましたけど意外と普通に美味しいですよ」
「私もハンカチをいただきました」
ポールとプルストに口を出してこられてアデライドは「ちょっと失礼ですしネタバレですわ…」と呟いていた。
その場ではやめてくれと言われたので、ランベールは帰宅してから包みを開けた。ハンカチの生地は良いものを使っていて刺繍は単色使いでシンプルなデザインであり、成人男性が使うことを考えて気を使ったのだろうなと予想できた。クッキーは小さくてサイズの揃った作りのものが正方形の箱にきちきちと詰まっていた。全体的に地味でちまちまとしている作りに彼女らしさを感じる。試しにとひとつクッキーを口に入れると、甘さを抑えめにしてココアの苦味を少し残していた。子供の割には渋い物を作るのも彼女らしいと、一人暮らしの部屋でランベールは笑みを浮かべた。
「だから!やめてくださいと申し上げているのです!」
「いやお前はそう言うがなぁ…仕方ないというか…」
王宮の一室でヴォルテール公爵レオポルドは声を荒げていた。
「貴方のところのボンクラを、うちの大事な孫娘に近づけるなと、何度言わせるのですか!」
「いやお前その言い方はなぁ…酷すぎるというか…」
「本当のことを申し上げているだけですぞ。だからあの馬鹿息子を何とかしろと常日頃から申し上げておりましたのに、なぜ貴方は放置したんですか陛下!」
青筋を立てて詰め寄るレオポルドからあからさまに目を逸らして、今代の王グラシアン・ド・コンフォートは黙り込んだ。かの王がここ数ヶ月、彼の孫と自分の孫娘を婚約させようと画策して行動を起こすたびに、レオポルドはプチプチと丁寧にそれを潰しており、いい加減面倒臭くてたまらなくなっていた。
「そうやって都合が悪くなると聞こえないふりをする!もううんざりですぞ!」
グラシアンは目を逸らしたまま、豊かなヒゲを撫でている。まるでそこにレオポルドも、息子たちの問題も存在しないとでもいうように。
「陛下のそういうところ本当にどうかと思いますぞ!」
「…そうやってお前が感情的になるから儂も話しにくくなる…」
グラシアンがそっぽを向いたまま、口の中でもごもご言うのをレオポルドは聞き逃してやらなかった。
「は?!なんでもわしのせいですか?貴方のとこの息子がアホなのも?」
「…そんなこと言ってはおらんし…」
「だったらもっとご自分の息子に向き合ってくださいませんかね!」
世間では蜜月などと言われている王と宰相の関係だが、真実はいつも離婚しそうな熟年夫婦のような状態なのを、彼らの側にいる人々はよく知っていた。またやっているなと内廷侍従官たちはBGMのように聞き流すだけだ。
「儂だって手は尽くしたし…国の先々のことを考えたらそれがベストかもってみんなが奏上してくるし…」
「みんなとはどこのどなたか?」
レオポルドの目が剣呑な光を帯びて、グラシアンがまた目を逸らす。
「もうよろしい!自分で調べますからな!」
踵を返し退出しようとする彼の背中にグラシアンがまたボソリと呟く。
「…国のためなんだし協力してくれたっていいじゃろ…」
出口でぐりん!と音がしそうな勢いで振り返ったレオポルドは「わしはもう知りませんからな!」と叫んで扉をバタンと閉めて出て行った。
王宮の廊下を肩を怒らせながらレオポルドは歩いていた。先ほどの王の様子を思い出してイライラとした気持ちのまま歩を進める。
彼の孫娘は7歳になった頃、急に喋り方が変わり積極的に色んなことに打ち込むようになった。今までは家に篭りがちな放っておけば大人しくずっと1人で本を読んでいるような子で、帰省した次男の顔を見て「熊さんみたいで怖い」と泣いて部屋に閉じこもってしまったこともあるくらい、臆病で内向的な性格をしていた。一時はあの母親に似てしまったのかと危ぶんだが、どうやら杞憂であったようで安心していた。
だがそれはそれで良くなかったらしい。家庭教師として雇っていた者が、王家に孫娘のことを話してしまった。あの王太子には不安があるがもう手遅れと判断して、その次に期待することにしていた王とその他の輩に目をつけられてしまった。陛下はもうすっかりその気になって「幼くも優秀で努力を惜しまず華美なところもなく、そのうえ民草たちとも笑顔で接する様は新しい時代の王妃に相応しい」だとか、どこかで聞いたようなうそ寒い御託を並べ始めた。
まだヴォルテール公爵家の力を期待しているだけならマシだった。あの子自身の資質を望むなど度し難い。あの王太子の息子では、せっかくこれから豊かに育っていくであろう我が家の宝を、みすみす立ち枯れさせてしまいかねない。幸い孫娘はあの見てくれだけはいい家系の王子を嫌っていて、例の魔術師にべったりだ。
あの青びょうたん魔術師も公爵家の力を利用して立ち回っているが、本物の幼女趣味よりは余程いい。時期がくればあの子も地味な片田舎の魔術にかぶれた伯爵などには興味を失くすだろうから、そのときに程よい相手を見繕ってやればいい。そう考えるとやや気分が上向いて、足取りも軽くなる。「今から目星だけでも付けておくか」とレオポルドは家路を急いだ。




