虚飾する悪役令嬢《トリッキー・リトルレディ》
アデライドはセルフイメージを書き換えることで、一定期間のみ別人格のような挙動を見せることができる。この能力の発現には以下の条件が課せられている。
ひとつ、ランベールがその場に居る時
ひとつ、ランベールとアデライドの真の関係性を知らないものがその場に居る時
ひとつ、アデライドが偽りの関係性を示すことで、メリットを得られると考えた時
これらの条件が揃うことでアデライドは羞恥を感じる前に行動を起こすことができるが、効果は非常に限定的である。時間経過によって羞恥心の増加によるスリップダメージが入るほか、能力による行動終了後も就寝や入浴時などに精神ダメージが入る状態異常がランダムで発生する。
能力が発現したヴォルテール家の玄関ホールをひとつのフィールドと捉えると、アデライドを中心として動揺が広がっていた。ダメージ量も中心のアデライドが一番大きくなっているのは、自動化を志向し過ぎたことで予期できないタイミングで能力が発揮されてしまい、アデライドのストレスへの防衛反応が間に合わなかったためだ。
「ランベールせんせぇおててが冷え冷えですぅ…アディがあったかあったかにしてあげますね!ふふふ!」
そう言ってアデライドはランベールの手を握った。彼女が選んだのは『継続』だった。フィールド上のやばい空気を感じつつも、彼女は方向性を変えるエネルギーを持たなかった。自分はもうこのキャラで走り切るしかないと、彼女は外部からの干渉に希望を託してやり抜くことにした。俗に言うヤケクソである。
「アデライドお嬢様、お出迎えありがとうございます。貴女の手が冷えてしまいますから離してくださいね」
ランベールは握りしめていたアデライドの手をそっと解いた。アデライドは「んう〜」と唸って頬を膨らませながらも内心ホッとしていたが、その頬にランベールの両手が添えられて冷たさにビクッとした。
「こちらの方が暖かいですね」
ランベールがイタズラの成功した子供のように笑った。普段なら絶対しないことの詰め合わせに、なぜこの方も乗っかってきておりますの?!と困惑しながらも、アデライドは訓練の成果を生かして「ふええ…冷え冷えですぅ」とキャラを貫いた。
「ランベール…ランベール・ド・ロワイエ卿か?」
唐突にラファエル王子が割り込んできた。アデライドが「こちらラファエル王子ですわ」とボソリとランベールに告げる。
「先日学会誌に掲載された貴方の論文を読んだ…私にはまだ理解出来ない箇所も多いから講師に解説してもらったんだが…素晴らしい内容だと私は思う!」
上気した顔で早口に喋るラファエル王子は、アデライドも初めて見るような実に子供らしい顔をしていた。
「お初にお目にかかりますラファエル王子殿下。身に余るお言葉をいただき恐縮です」
「よかったらこれから時間を作ってもらえないだろうか?貴方とは話をしてみたかったんだ!」
自分の時とは打って変わって青い瞳をキラッキラに輝かせている様に、アデライドは苦いものを飲み込んだような気持ちになる。心の中のアデライドが巻き戻し前の自分を思い出して悲しむのを感じていると、大きな手が優しく彼女の頭を撫でた。
「申し訳ありません。これから彼女の授業をする予定が入っておりますので、大変光栄なお申し出ではありますがご遠慮させていただきます」
ランベールの手のひらがアデライドの頭の上から肩に移動する。
「お部屋に参りましょうかアデライドお嬢様。ここは冷えますので」
彼女の顔を覗き込むようにして笑って見せるランベールに、アデライドは“この方も本当に目を合わせてくれるようになったなぁ”と妙にホッとしている自分を感じた。
「では!私もその授業に参加させてもらえないだろうか?」
「残念ですがそれは致しかねます」
ラファエル王子の申し出を秒速で断るランベールにアデライドの方がビクビクしてしまう。
「なぜだ?私に授業をする方がはるかに有意義だろう。その妙に媚びた令嬢は軽薄にも貴方の外見だけを評価しているんじゃないか?」
急に流れ弾みたいに悪口が飛んできたが、アデライドは肩に置かれたランベールの手に少し力が入るのを感じて動揺することはなかった。
「公爵閣下のご不在時に私がここでそのような決断をすることは出来ません。それに王子殿下は何か誤解をなさっているようですが、アデライド様は熱心な生徒であるだけでなく新しいヒントをくださる得難い存在です。そうですね…私にとっては神が遣わしてくれた聖女に近いです」
ランベールの発言で場に静けさが広がる。この方まだあのフィールドにいらっしゃるわ…とアデライドは唖然とする。この国では聖女は神聖な存在なので、カジュアルにその名を出すと聖女信仰強めの人にぶち怒られる危険を伴うため普通はあまりやらない。あえてそんな危ない橋を渡ってくれる彼の気概に、アデライドはひとりで闘わせませんわと気合いを入れた。
「きゃあっうれしぃ〜アディもランベールせんせぇだぁいすき!」
はしゃいでみせたアデライドは、ラファエル王子の視線に気づくとサッとランベールの後ろに隠れてチラチラと伺う。
「ラファエル王子もぉせんせぇとお話ししたいのかにゃ?だったらぁそやってアディにお願いしてくれたらぁ…アディからおじい様に話ししてあげるとかぁしてもいいですよぉ?」
ラファエル王子の顔がかつて見たこともない形に歪んだことを確認して、アデライドは心底嬉しくなって笑みを深めた。そのとき男性使用人が足早に近づいてきてプルストに耳打ちしていく。それに頷いたプルストが今度はアデライドに報告する。
「ちょうど今し方公爵閣下と連絡が取れたそうです」
「わぁいっやったぁ!ラファエル王子どうしますかぁ?アディもぉせんせぇとお勉強するのに忙しいからぁ…はやく決めてほしぃかもぉ?」
くねくねくねくねと動き続けていたアデライドは、決断を迫る段になると頬に握った手を当てるポーズに固定してじっと見つめた。「ほえぇ?」などと謎の感嘆詞を断続的に挟みつつ、固まるラファエル王子の顔を見つめる彼女はその表情から笑みを隠さない。彼女はわかっている。祖父は王族という迎えるのに常に万全の準備が必要な連中を、取り立ててメリットがないと判断した時には受け入れない。他の貴族にとっては王族ブランドは威力を発揮するかもしれないが、ヴォルテール公爵は王以外の王族にさして価値を見出さない。
「君になど用はない!私から公爵に交渉す…」
「ありがとうございますヴォルテール公爵令嬢!ですがその件に関してお心遣いはご無用です!そろそろ失礼させていただきます!」
今まで黙っていた王子の従者だったが、ラファエル王子の話に割り込むように大きな声で主張すると、抵抗する彼を引きずるように帰っていった。ふぅとため息を吐いたアデライドは少し距離を置いて見守っていたらしいポールと目が合う。彼はニコッと笑いながら大きく頷いてみせた。なに“ほら自分の言ったとおりでしょ?”みたいな顔してるんですの?と思いつつも、その通りになり過ぎて行き場のないムカつきを抱えるアデライドであった。
「ランベール先生、あれでよろしかったんですの?」
授業のための部屋に着いてアデライドは心配になっていたことを口にした。王子からの心象が悪くなってしまったら、彼に不利益がないだろうかと。ランベールは少し考えるように間を置いて話し始めた。
「王子殿下が仰っていた学会誌の論文ですが…実はかなり前に提出したものだったんです」
なんの話かと戸惑いつつもアデライドは続きを待つ。
「業界は狭くて閉じていてですね。古式ゆかしい思想と強固なこだわりを持った御老体が権威として君臨なさっているわけです。私の論文はそういう方に審査されて差し戻されていたのです」
「でも掲載されたんですのよね?」
「そうです。何故かわかりますか?」
質問に質問を被せてこられて返答に窮しているアデライドにランベールが皮肉げに笑って見せる。
「ヴォルテールですよ。この家の権勢はこの国のどことも繋がっている。私の後ろにこの家がついたことの影響です。まぁ…御老体からは呼び出されて罵られもしましたが。私の理論には魔術に対する敬意が足りないそうです。ずいぶん叙情的な方ですよ。まぁそんなものはどうでもいいです」
一息で話すランベールの勢いに気押されたアデライドは、学者さんも大変なんですのね…と遠い目になる。
「先ほどの発言に嘘はないですよ。貴方は私にとって幸運の女神のような存在です。是非とも末長くよろしくお願いしますね」
言葉だけみれば乙女ゲームっぽいが打算含有率が100割くらいで全然嬉しくないなと、アデライドはすんっと感情の抜け落ちたような顔になる。
プルストがゴホンと咳払いをして、そちらにアデライドの注意が向く。
「お嬢様が断ってくださって我々も安心しました。公爵閣下のおられないタイミングでの急ぎの訪問は、こちらに断らせないための強行手段ですね。王子殿下の周囲には公爵家と縁を持ちたい方がいて、よほど焦っておられるようです」
「アデライドお嬢様にはさほどメリットはないでしょう」
ランベールが不敬極まりないことを口にするが、プルストも否定しない。
「はい。王子殿下の態度からもそのような縁を結ぶべきではないことは明白です。お嬢様のご慧眼にまた助けていただきましたね」
穢れなきまなこで見つめられてアデライドはウッと息を飲む。前世はまんまと「まぁステキな王子様」みたいなノリでホイホイ相手の思う壺になっていたなんてことは、墓場まで持っていく秘密になりそうだ。
「そんなことより授業を始めますよ。宿題はやってきましたか?」
アデライドは現実に引き戻される。今日宿題をやろうと思った時間に突然王子の訪問を受けたので…宿題は途中までしか終わっていない。それを見たランベールに両手で頬を挟まれる。
「アデライド…どういうことですかこれは?」
「おぶぶ…」
声にならない声をあげながら、あの王子また会ったらブチころがしますわ!と人のせいにすることを忘れないアデライドだった。
「何故邪魔をした」
王宮に向かう馬車の中で王子の従者メレスは主人の不機嫌に晒されていた。
「あの〜公爵閣下にご連絡がいってしまうとですねぇ、いかにもなんともし難い状態になりますので…」
「何を言っているのかわからない」
“そりゃお前がガキだからだよ!”と心の中では悪態を吐きつつ「いやはや申し訳ございません」と頭を下げる。
公爵家が使用人とご令嬢だけになったときに、なおかつ公爵に連絡がつきにくいタイミングを狙い、王子のスケジュールも見て奇襲をかけるというのはそれなりに難しく手間も相応に掛かったのに、コイツ全部台無しにしやがってと彼は主人に対しておおいに失望していた。
ヴォルテール公爵の掌中の珠であるご令嬢を味方につけたいという尊き方からのご要望は叶えることができなかった。別れ際に見せたご令嬢の煽り倒したような笑顔を思い出すに、希望は完全に断たれたといってもいい。まぁ無理もないとメレスも思う。
王子は興味を失ったのか本を読む作業に戻っている。メレスはふと、コイツもただの資産家の息子に生まれてたらお勉強だけしてりゃ済んだかもしれないのになと少し哀れさも感じていた。人生は長く、その中で勉強だけしていればよかった時間はごく短く感じる。王家などという国民の上前はねて生活してる連中なら、尚更そうなってしまうのはしょうがないのかもしれない。
100年くらい前だったら「あのオンナ生意気っすよね!シバきましょうか!」って言ってりゃ済んだのかなあと、窓の外に流れる景色をぼんやり眺めながら妄想してみるも、仕事の後処理が溜まっているという現実は容赦なく迫ってきている。メレスは“最近は民間も給料がいいっていうけど文系の中途とかでもいい仕事あるかなぁ”と現実逃避をはじめた。