攻略対象者3 メインヒーローの王子様 仇敵とみなされる
「ヴォルテールのクソジジイめ!何が王族たるものの義務だ!」
コンフォート王国王太子テオフィルは、大声で悪態をつくと上着を投げ捨てるように脱いでドカリとソファに座った。不機嫌のままにクラヴァットを強引に緩めて舌打ちをする。それでも苛立ちを抑えることが出来ずに整えられた髪を両手で掻きむしる。
「あああ…殿下、落ち着いてください」
王太子付きの主席侍従長を務めるリオット伯が慌てて止めるが、既にテオフィルの髪はくしゃくしゃになっていた。そんな状態になっても彼の生まれ持った美しさは損なわれておらず、輝く金髪と青い瞳を持つ彼は三十代となってもその容色が衰えることはなかったが、年齢相応の落ち着きは持っていなかった。
テオフィルは今日、ヴォルテール公爵から静かの森の管理についての話し合いに呼び出された。それは順調に決裂…というよりも彼が癇癪を起こしてその場を飛び出してしまったのだが、それからずっとこの調子である。
「なぜ私が田舎の森なんぞを気に留めねばならんのだ」
「それはその…王太子殿下の直轄領でもありますので…」
「アルドワンが代行すればよい!」
リオット伯は内心うんざりしていた。ヴォルテール公爵との話し合いの前後で延々とこの主張をされている。もう疲れてきていたために、つい本当のことを言ってしまう。
「そのアルドワン侯爵の怠慢が招いたことですね…すでにヴォルテール公爵はアルドワン南部から周辺地域の議員の嘆願もまとめてきておられました。ここで殿下が動かなければ議会に持ち込まれてしまいます。むしろこのように事前に内々の話として持ってきてくださったのはありがたいことだと思いますよ…」
リオット伯の言葉にテオフィルの眦がみるみる吊り上がっていく。
「何が議会だ!そんなものに王権が脅かされるなど、あってはならんだろう!」
あ〜やってしまったとリオット伯は途方に暮れる。
「王こそが神から与えられた力を持つ絶対的な支配者なのだぞ!それを憲法などという馬鹿げたもので縛ろうなどと、まったくもって許しがたい!」
20年くらい眠っていたのかと言いたくなるような政治観だとリオット伯は思う。今代の王とヴォルテール公爵がのらりくらりと王侯貴族の既得権を守りつつ、大きくなる民衆の意見をたまに取り入れてはガス抜きをしてる様になぜ気がつかないのだろうかと心底不思議に思う。あと貴方まだ王ではないですよねという言葉を飲み込んだ。
「私は知らん!お前にすべて任せる!」
「では私が王太子殿下から権限を委譲されたということで…」
「好きにしろ!」
そう言うとノシノシと足音を立ててテオフィルは出ていった。別に好きでやるわけではないですよ…というリオット伯の独り言だけが部屋に響いた。
秋から冬に季節が移って街は年末に向けて忙しそうに装いを変えている。そんな中、アデライドは悲鳴のような声をあげていた。
「ラファエル王子が会いに来る?!今日これから!?なぜですの?!」
王太子テオフィルの息子で長男であるラファエルは、王家の直系の後継者であり、乙女ゲームのメインヒーローであり、アデライドの仇敵である。
巻き戻される前の人生ではアデライドは彼と婚約していた。当時の彼女は見目麗しい王子様との縁に胸をときめかせていたが、その縁のせいで牢屋に入れられて死んだという記憶がある今、残っているのは恨みだけだ。牢の中にいた時の記憶がひどく朧げなせいか、彼についての最後の記憶は婚約破棄を宣言されたときのものになる。無関心にひとつまみの嫌悪を混ぜ入れたような、そんな彼の青い瞳が頭にこびりついて離れない。
「何で今こんなときに彼奴が…って、前もこの時期でしたわ!」
すっかり忘れてましたわ!とブツブツ呟きながら頭を抱えてしゃがみ込む彼女を、メイドたちが遠巻きに眺めている。急ぐんだからはやくお着替えしてくれないかな、という彼女達の願いはアデライドに届かない。
「お嬢様、お腹でも痛いんですか?それとも頭をどうかしましたか?」
その言い方はどうなんだとしか思えない言葉を護衛騎士のポールにかけられて、アデライドが顔を上げる。
「ねぇポール、殿方に嫌われるにはどうしたらいいのかしら?」
“急募!婚約しなくてすむ方法”で脳内検索し始めていたアデライドは、一番上にサジェストされた“嫌われる”という短絡的な方法を試そうとしていた。ポールは一瞬考えたようだが、笑顔で答えた。
「それならお嬢様はそのままでいいと思いますよ!」
「それってこういうときに言っていいセリフかしら!?」
「いつもの感じで大丈夫です!十分いけますよ!楽勝です!」
「そんなに?!わたくしってそんなにそんな感じ?!」
さすがにショックを受けて愕然とするアデライドを、おとなしくなったとみなしたメイド達が捕まえてクローゼットルームに引きずっていった。
繰り返すが、今も巻き戻し前も王太子テオフィルとヴォルテール公爵レオポルドは本当に仲が悪かった。手のつけようがないほどであるそれはもう諦めるしかないが、だからといって国有数の力を持つ公爵家と王家がいつもバチバチしてたらヤバいよねと周囲の人々が思った結果、じゃあその下の世代に仲良くしてもらおうとアデライドとラファエル王子が婚約させられる運びとなったのである。人生をおじさん達の不仲の調整弁にされるなんてまっぴらごめんだと、アデライドは心中で地団駄を踏みならす。
急いで整えられた応接室でイライラと待っていると、プルストがラファエル王子とその従者を伴って現れた。アデライドは席を立ち、挨拶をする。
「初めまして。わたくしはヴォルテール家の娘、アデライド・ド・ヴォルテールと申します。本日はお忙しい中ご足労いただき、誠にありがとうございます」
「ラファエル・ド・コンフォートだ。急な訪問で手間をかけさせた。時間をとってくれたことに感謝する」
2人は向かい合って用意された席に座る。一階にある応接室は大きく窓が取られていて、冬の初めの陽の光がラファエルの金の髪を包み込んでキラキラと輝く。巻き戻し前はただただ綺麗だと感じていたそれにも、今日のアデライドはふとした苛立ちを覚える。ランベール先生といい此奴といい、いちいち何かしらの光に照らされてキラキラ光りがちなのは何故なのかと。攻略対象者たるものの義務なのだろうか。そもそも日光でキラキラするだけならホコリだって出来る。ハウスダストと同じだ。換気の目安にでもしてやろうか。そんなことを考えているとプルストがお茶を出してくれたので黙って飲む。挨拶以降は沈黙が続いている。
「あの…本日は一体どのようなご用件でしょうか?」
”何しに来た“をオブラートに包めなかったアデライドの質問を受けて、ラファエルが口を開く。
「君と仲良くしろと言われて来た」
直球すぎて驚いたアデライドが思わず「誰に?」と問うが、それにはまた沈黙で返された。
「僭越ながらご提案させていただきます。お二人が互いのことを知り理解が深まれば、自然と親しくなられるのではないでしょうか」
見かねたのか王子の従者が口を挟んできた。アデライドと王子に仲良くしてほしい“誰か”から指示を受けているのだろうが、やや焦っている彼がなんとなく気の毒になって仕方なくアデライドが口を開く。
「ラファエル王子、ご趣味などはありますでしょうか?」
「特にない」
「では、あのー…好きな食べ物などはありますか?」
「食べ物の好き嫌いはしない」
「…最近なさったことで何か楽しいことはありましたか?」
「王族のプライベートなことを話すことは出来ない」
ここまでのやり取りでアデライドの心の中にいる小さなアデライドが暴れだした。彼女は今、ぶちころがしましてよ!と叫ぶリトル・アデライドを宥めることで精一杯だ。よくよく思い起こせば、巻き戻し前も此奴はこんな感じだった。あの時のアデライドは彼の興味が惹けない自身に問題があるのだと、必死に政治やら何やらの彼が興味のありそうな話題をかき集めていた。そしてそれはことごとく徒労に終わり、最終的には婚約破棄の運びと相成った。
前世のゲームの中でも彼はこういうサービス精神からは距離を置いた性格だったが、メインヒーローとして一番難易度の高いシナリオを与えられていた。他の攻略キャラは大体ひとつの大きな問題を抱えていて、それを解決してやればエンディングを見ることができたが、彼だけは他のキャラのものを含むすべてのストーリー上の問題を解決できなければエンディングを迎えることが出来ない。そして苦労に苦労を重ねてそれを達成したとしても、最後にちょっと笑うだけだ。ヒロインは「ラファエル王子のこんな素敵な笑顔初めて!」などと感動していたが、アデライドには散々他人を働かせておいて碌なサービスも返さないとはいいご身分だなとしか思えない。アデライドの彼に関するすべての記憶は、リトル・アデライドの怒りの燃料にしかならなかった。
そのときラファエル王子が動いたが、それは彼の従者に対してだった。帰ったらあの本が読みたいから用意してほしいとかそんなことを言っているのを聞いて、アデライドは限界に達した。
「なるほど、とてもよく理解できましたわ。ラファエル王子は大変忙しくてらっしゃいますのね。残念ですが、それならばもうお引き止めすることは出来ませんわね」
王子の従者がギョッとするのが見てとれたが、アデライドは笑顔で続けて言う。
「ではラファエル王子、お会いできて光栄でしたわ。わたくしアデライド・ド・ヴォルテールは本日のことを忘れません。プルスト、王子がお帰りになりますわ。ご案内して差し上げて?」
「失礼致します。お帰りはこちらです」
スッと音もなくプルストが現れて、本当に退出を促されたあたりで従者が慌てて声を上げる。
「はっ憚りながら申し上げます!何か誤解があったかもしれません。もう少しお時間をいただけませんでしょうか!」
「無理を言うな。私は帰るぞ。…こちらの従者が失礼したヴォルテール公爵令嬢。心遣いに感謝する」
さっさと席を立ちながら嗜めるように言い放つラファエル王子を、彼の従者が何とも言えない表情で見つめている。彼の心の中でもきっと小さい彼が叫んでいるのだろうと、アデライドはやや同情した。だから見送りくらいはしてやろうと仏心を出したのが間違いだったのかもしれない。
王子達を案内した玄関ホールで今日の授業のために訪れていたランベールと鉢合わせたとき、それが発動してしまった。
「きゃあっ!ランベールせんせぇこんにちはぁ〜。ずうっとお待ちしてたんですよぉ?せんせぇ今日もすっごいカッコよくってぇ〜ドキドキが止まらなくってぇ〜アディどうしよう!キャハ!」
アデライドがハッと気がついたときには、ランベールに駆け寄ってはしゃぎ倒したようなセリフを吐き出していた。無意識下で行われた行動に彼女自身も驚いているが、ランベールも固まっていた。
ここのところのアデライドは自身の羞恥心をどのように打ち負かすかについて考えていて、考えすぎた結果“これは魔術と同じ訓練方法が有効だろう”とランベールが聞いたら困惑しそうな結論に陥り、頭の中で毎日シミュレーションすることを欠かさないようになった。そうやって練度をひたすら上げてしまった結果、ついに意識する前に反射で行動できるようになったその成果が、不幸にも今この時にあらわれたのだ。
ホールに重い沈黙が落ち、心の中のリトル・アデライドが「これはやったな」と呟いた。