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漆黒のクーリングオフ

「あ〜!間違えた!」

ゲーム画面を見ながら叫んだのはアラサーの会社員、川崎和歩だった。

「前の章からメンバー変えるの忘れてた…この戦闘このメンツでいけたっけ?」

スマホをブラウザに切り替えて攻略サイトを調べた彼女は脱力した。

「やっぱり無理だよねぇベルナールじゃあ。あぁ〜もうやり直せないしアイテム使うしかないか。もったいなぁ!」

彼女はそう言うと所持アイテム画面を表示して、あるアイテムを消費する。そして主人公である聖女と仲間のベルナールに掛けられた契約魔法を解除した。




アデライドはそんな前世の記憶を思い出していた。

「…一人暮らしってひとりごと増えますわよね」

「何ですかお嬢様?」

小さく呟いた言葉に返事が返ってきて苦笑する。プルストの顔を仰ぎ見て、今の自分は画面の外ではなく中の世界にいるのだと認識を改める。


前世プレイしたこの乙女ゲームではストーリーがマルチエンディングであるにも関わらず、他の据え置き型ゲーム機やPCのゲームと違い、いくつものスロットに分けてセーブデータを保存するということは出来なかった。だからどうしても見たいイベントを失敗した時は最初からプレイし直さなければならないという、徒に時間を取られる仕様であった。ゲーム自体の難易度はキャラの育成をそこそここなしていれば決して高すぎることはなかったし、特に重要なものでなければイベントを失敗したりスルーしてしまってもクリアするのに問題はなかったが、勝利しないとストーリーに差し障りのある戦闘だけは、失敗すると差し戻されて何回もやる羽目になった。

戦闘パートに出せるメンバーは自由に入れ替えはできず、章の初めに決めることになっていた。聖女の他に2人を攻略キャラの中から選んで戦闘に参加させることになっていたが、能力に偏りがあるので人選を誤ると絶対に勝利できず詰みの状態になる。さすがにこれには救済処置が取られていた。あるアイテムを消費すればキャラクターの入れ替えが可能になるのだ。


ゲームの中で聖女は仲間とする相手と契約魔法を結んでいた。何でわざわざそんな事をと思わなくもないが、本来戦闘向きではないベルナールも参加できていたところを見るに、契約を結ぶ事で何らかのバフがかかるのだろうとアデライドは推測している。ちなみに戦闘パートで最も役に立たないのは先述の通りベルナール・アランで、最も使いやすく初心者から古参に至るまで便利に使われていたのがランベール・ド・ロワイエだった。当時のオタク達はこれをベルベール格差などと呼びならわした。


「お嬢様、手が止まっていますよ」

声をかけられそちらに目を向けると、便利な方のキャラクターだった人と目が合った。前世の記憶に想いを馳せてぼんやりしていた事にアデライドも気づく。

「…すみません先生」

「いやこれはキツイよ…休憩しよっか」

「少し前にしたばかりだろ」

ニコラが弱音を吐くのをランベールが一刀両断した。


3人は今、アデライドの私室で机を並べて書き物をしていた。書いているのは契約魔法の書類である。

「えっと…この約束を守らない時、甲は乙に酒場で一杯奢ります…と」

「お前なにを書いてるんだ」

「いやだって何でもいいんだろ?」

彼らの前には今こうして作られた、どうでもいい内容の契約魔法の書類が積まれている。これはアデライドが前世の記憶から提案した“契約魔法を解除する方法“を実践するために必要なものだった。


ゲームの中で聖女が使ったアイテムは”魔法の契約書“というものだった。アイコンで表示されるときも文字が書かれた紙だったから、作成済みの契約魔法書であることは確かだろう。学園内や民家で手に入れたりログインボーナスで貰ったりするこれを消費して契約を解除する。ゲーム内のように他人の家や職員室から契約書を勝手に持っていくことはできないので、こうしていま手作りしているのだった。


日が傾いてすっかり外が夕闇に包まれた頃、作った契約書が100枚ほど積み上がっていた。

「もういいよね!もういいよ!これだけあればね!」

ニコラが目の下にクマを作りながら、やけっぱちのように叫んだ。

「それで、これをどのように使用するのですか?」


ランベールに聞かれてアデライドは虚を突かれたように考え込んだ。ゲーム内では戦闘メンバーに選んだキャラとの契約を解くとき、アイテムを使うとアニメーションが挟まれた。スキップ可能なためほとんど見た記憶はないが、確かキャラクターの周りを契約書がくるくる回ってピカッと光るといった感じだった…気がする。ゲーム内で見たそれをどうやって再現するかを考えていなかった。


「えっ…ここにきてまさかのノープラン?」

「そっそんなことはありませんわ!」

図星を突かれて焦るアデライドにプルストが声を掛けた。

「お嬢様、試験的に他の契約を解除してみませんか?」

他のとは何だろうかと一瞬考えたアデライドは、プルストの視線が鍵のかかった自身の机の引き出しに向いているのを見て焦り始めた。

「でもあれは…」

「大丈夫ですよ。もう必要のないものですから…それともまだ信用していただけませんか?」

少し寂しそうな笑みを浮かべるプルストに、アデライドはふるふると首を横に振って見せる。

「なに?どうしたの?話が全然見えてこないんだけど?」

「これはですね私とお嬢様の間には…んぐっ…がっ…ああ、こうなるんですねえ。では筆談で…ああ書くのもダメなんですねえ。これはすごい」

ニコラに対し鷹揚に説明しようとしたプルストはだが途中で不自然に口をつぐんだ。その後ペンを握るもその手も文字を書こうとするとガクガクと震えて紙にただ黒いシミを作る。


「お嬢様?これは一体どういうことですか?」

静かに眺めていたランベールの低い声にアデライドの肩がびくりと大きく震えた。

「まぁまぁ、これについては後ほど説明いたしますので…お嬢様、試してみましょうか?」

プルストに促されてアデライドは引き出しから彼と出会った日に結んだ契約書を取り出した。手にしたそれを眺めながら思い出す。ゲームでの契約解除のアニメーションは聖女のセリフから始まっていた。

「契約解除…塗抹消除(オーバーライト)…」

ゲームと同じセリフを呟くと、詰んであった魔法契約書が浮かび上がりアデライドの周りをぐるぐる回るとピカッと光ってバサバサと床に落ちていった。呆然とするアデライドは自身の持った紙が真っ黒に塗りつぶされているのを見てギャッと声を上げた。


「これ全部真っ白くなってるんだけど?」

ニコラが拾い上げた他の契約書は文字が抜け落ちたように無くなっていた。

「契約魔法を何層も重ねて塗りつぶしたのか…そんな方法は聞いたことがないが有効なのか?」

「私とお嬢様の契約はお嬢様が私の生命が故意の暴力により損なわれないように守るというものでしたね。もし守れなかった場合にはお嬢様自身も私と同じ損害を負うというものです。そしてこの契約の内容は他者には秘匿するということでしたので先ほどは話すことも書くことも出来ませんでしたが、今こうして皆様の前で話せるということは契約は無事に解除されたと考えて問題なさそうですね」


考え込んでいたランベールはプルストの話す内容にゆっくり顔をあげた。その顔は険しく、アデライドの持つ契約書を睨みつける。先ほどは怖いと思った真っ黒になっているそれは、もう詳細を読むことができずアデライドは少しホッとした。

「こちら複写になります。これはまだちゃんと読めますね」

プルストが懐から取り出した契約書の写しをダッシュで回収しようとしたアデライドの頭をランベールが片手でぎゅむっと押さえつけた。身長差になす術なくジタバタする彼女を他所にロワイエ領の2人はしっかりと内容を読み込んだ。

「うーん…アディちゃん。これは怒られるといいよ」

苦笑いするニコラの横でランベールがスッと目を細めた。

「お嬢様。いえ、アデライド。そこに座りなさい」

「あの、先ほど書いた契約書がまだ半分くらい残っておりますし、ダニエルさんの方の処理をですね…」

「座りなさいと言っている。聞こえないのか?」

かつて無いほど威圧的な口調にアデライドは涙目で従うしかなかった。



途中で気を使った侍女が夕食を用意してくれたがそれを挟みつつも懇々と説教は続き、プルストは2人に公爵家での宿泊を勧めた。いつも就寝する時間の前には解放されたが、怒られながら食べた食事に胃がもたれてしまったようでアデライドは夜半を過ぎても眠れずに、水でも飲もうかと部屋を抜け出した。3階の自室から足音を立てないように一階の炊事場を目指す。あくまで近世欧州風のこの世界には電灯というものは存在しないが、広くて長い廊下は秋の澄んだ空気に輝く満月がいつもより明るく照らしていて、灯りを持つ必要もなかった。だから途中で人影を見つけてもアデライドは特に驚くことはなかった。

廊下の大きな窓の前でランベールが外を眺めていた。月の光に銀色の髪がキラキラと輝いていて、美形はうすらぼんやりと突っ立っているだけでもいい感じの雰囲気になるのかと、アデライドは未知の生き物を観察するような気持ちになってじっと見つめてしまった。


「お嬢様。そんなに怖がらないでください。もう怒ってはいませんよ」

ランベールの顔がこちらを向いた。紫の瞳もいつもと違う彩度に輝いていて、これはすごいとアデライドは素直に感心した後、言われた内容に気がついた。怒られたせいで萎縮していると彼は思っているらしい。

「いえ、その、お説教は堪えましたが、怖がっているとかではなくて…」

叱られたことなどは頭から抜け落ちて“ゲームのスチルみたいだなぁ”などとのんきに思っていたとは言えず、しどろもどろになってしまう。

「反省していただけなければ困ります」

だが乙女ゲームのイベントボイスとしては不適当であろう言い切り形のセリフが返ってきて、アデライドは現実に引き戻される。

「魔法で他人の行動を縛りつけるようなことは如何なる理由があってもすべきではありません。信用を得たいのならば尚のことです。わかりますね?」

お説教第二ラウンドが口火を切ってしまい、“もう怒っていない”とは?と思いながらもアデライドは神妙な顔で頷く。その様子を見つめた後、ランベールはふぅと息を吐いて視線を窓の外に戻した。

「お嬢様は何を目的にしているのですか?」

「目的ですか…?」

「そうです。あの契約だとあなた自身の命も時に危うくなる。それを押しても叶えたいことがあるのでしょう?それは何なのでしょうか。ノチフ病や静かの森のことはその目的の一部なのでしょうか?」


どちらかというと逆だなぁとアデライドは思う。彼女の行動は一貫して自分の命を守るのが目的で、伝染病の根絶も静かの森のことも手段でしかない。しかし“一回人生を巻き戻ってやり直しています。死なないためにチートで無双したいです”と言ったら、アデライド自身の頭がおかしくなっているとかならまだしも最悪馬鹿にしていると思われてしまいそうだ。

「ええと…先生におかれましては私事に散々に巻き込んでしまいまして…ご迷惑をおかけしてしまい誠に申し訳なく思っておりますわ」

結局しどろもどろに絞り出したのはそんな答えにもなっていないことだけだった。

「いいえ、私は助かっていますよ。うちの領地のことを気遣っていただいてありがとうございます」

「あ、いえ、微力ながらお役に立てれば何よりですわ」

廊下に再び沈黙が落ちて、アデライドは気まずさに内心唸る。挨拶だけして立ち去ろうかと考えていると、ランベールが口を開いた。


「私はあまり他人の心の機微に聡い方ではありませんし、たまに相談などされたとしても相手を怒らせることもままあります。子供の頃からそういうあしらいはニコラの方が上手いんです…要はあまり気が利かないということです」

それは知ってるとアデライドは思ったが、本人に自覚があってそれを告白してくるのは意外だった。

「ですから私に言いにくいというのはわかりますが、それでもこれからは何かする前になるべく話していただけませんか?なんせ私は貴女の…お気に入りということになったようですし」

「あっハイ承知致しましたわロワイエ先生」

少し口角が動くだけの皮肉な笑みを浮かべるランベールにアデライドは姿勢を正して返答をする。

「それもやめましょう。家名ではなく名前で呼んでください。その方がそれっぽいでしょう?」

「わかりましたわランベール…先生」

「よく出来ました。私も名前でお呼びしますがよろしいですか?アデライド…お嬢様」

コクリと頷いてみせたアデライドに「では早く寝なさい。もう夜も遅いですから」とランベールは手を差し出した。その手を取って歩き出したアデライドは、先ほどまで胃のあたりにあったムカムカする不快感が消えていることに気がついた。隣を仰ぎ見るとランベールの端正な横顔に月の光が濃淡をつけていた。

もし自分が無事生き残れたとしたら、満月の日にはこの横顔を懐かしく思い出したりするのかなと、アデライドはそんなことを考えた。



翌日スッキリ目覚めたアデライドはランベール達を伴ってダニエルのところに行ったが、結果としては彼の契約魔法を解くことは出来なかった。どうやらあの方法は解除したい契約書を持っている状態でないと使えないとわかってアデライドはがっくりと肩を落とした。

「大見得を切ったにもかかわらず申し訳ありませんわ…」

「いいんだよお嬢様。そんなに落ち込まないでほしい。だってぼくは貴女にプレゼントを作る時間ができて嬉しいんだ」

そう言うダニエルにアデライドは何か感動しているようだが、周りの大人達は内心戦慄を覚える。

「おいこれさ、お前と違ってホンモノのやつじゃね?」とニコラがランベールをつつく。

「じゃあロワイエ卿はニセモノってことですか?一体何のニセモノなんですか?」とポールが余計なことを聞くがランベールはスルーした。


「お詫びと言っては何ですが、わたくしから今年もプレゼントを送らせていただきますわ。何か欲しいものがありまして?」

大人達の内心の混乱を知らずにアデライドはニコニコとダニエルに話しかける。

「レース編みの道具が欲しいです。上達したらお嬢様がお嫁に行くときのベールをぼくに編ませてくれないだろうか?」

「まぁ!」と嬉しそうに笑って快諾するアデライドを他所に、大人達はまたざわついていた。


「これはアディちゃんの爺キラーぶりが発揮されたな。てかあの子が嫁に行くまでここにいる気かな?ホンモノは気合が違うな」

「じゃあロワイエ卿も負けてられませんね!頑張ってください!」

ポールの全く意味のわからない激励をランベールはまた全力でスルーした。

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